異名同音
「違う音名を背負った同じ音」という程の意味。たとえば「変ロ」と「嬰イ」だ。ピアノで弾こうと思うと同じ鍵盤になってしまうと言い換えてもいい。
しかし、この概念が定着するには調律方法についての長い論争があった。同じ鍵盤を押すことになる違う音を「異名同音」と呼び、同じ音だとみなすこと自体が平均律と呼ばれ、論争に対する一つの解決策の提案だったことは既に今年12月1日の記事「平均律クラヴィーア曲集」で述べた。バッハが自ら作品で手本を示したこともあり、結果として作曲の幅が広がったことは間違い無いのだろう。
ブラームスは、平均律により広がった表現の幅を骨まで利用した。ブラームス節の根幹の一つでさえある。異名同音をピポットフットにした転調はお家芸だ。
私はこの「異名同音」のマジックが初めて身に沁みた日のことを一生忘れることが出来ない。
第4交響曲の第4楽章を練習していた時のことだ。周知の通りこの第4楽章は、バッハのカンタータ第150番の終末合唱の主題が投影している。
「E-Fis-G-A-Ais-H-H-E」
4分の3拍子8小節の主題は、上記の音列を1小節毎に割り付けるというシンプルな構造になっている。このうちの5つめ「Ais」(A♯)がバッハには無かったブラームス独自の工夫だ。この音こそ、主題が平版に陥ることがないようの配されたスパイスだと感じる。
私は209小節目から始まる第27変奏をさらっていた。直前の第26変奏に比べ明らかにダイナミクスと緊張感を落としたこの変奏は、クライマックスに駆け上る前のつかの間の癒しにも聞こえる。このあたりのヴィオラは、渋い旋律を放ってオケ全体をリードする。やがて問題の213小節目、ヴィオラは「B-A-B」と悠長に4分音符だ。ふとしたはずみで、この小節が第27変奏の5小節目だと気付いたのだ。背中に冷たい物が走った。とるものとりあえずスコアを見た。この「B」は上記音列「Ais」の読み替えられた姿だったのだ。
ブラームスがバッハの主題と一線を画するために配した「Ais」は、この周辺でのみ「B」と読み替えられている。ヴィオラはその核心を深々と貫く音を発していたのだ。
まさに異名同音の読替えにより、全く別の地平が開かれたかのようだ。このことに気付く前と後では私の出す音が違っていたとさえ思える出来事だった。だからブラームスはやめられないのだ。
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