クララからのプレゼント
1855年12月25日。クララ・シューマンは22歳のヨハネス・ブラームスにクリスマスプレゼントを贈った。ブラームスのシューマン家訪問から2年が経過していた。
何を贈ったのか。それは1851年にライプチヒ・バッハ協会から刊行されたバッハ全集の第1巻だ。新バッハ全集が刊行された今となっては、区別のために「旧バッハ全集」と呼ばれているが、当時は「旧」の文字なんぞ付いていなかった。
「我が愛する友・ヨハネス・ブラームスへ。始まりとして」というクララ・シューマンのメッセージが添えられていたという。
1850年クララの夫ロベルト・シューマンを中心に設立されたバッハ協会の目的は、信頼すべき楽譜の提供だったからその第一巻はまさに待望の初収穫であった。
何よりも嬉しいこと、それは、クララがブラームスをバッハ全集第1巻を贈るに足る人材だと判断したことだ。「豚に真珠」「馬の耳に念仏」「猫に小判」だとは思わなかったのだ。ブラームスの喜びはいかばかりだったろう。
クララの判断はこの上なく正しかった。ブラームスはこの後、次々と発行されるバッハ全集諸巻の熱心な購読者になった。ブラームスの遺品となったバッハ全集はそのほとんどが、彼自身による無数の書き込みとともに、現在もウイーン楽友協会に伝えられているという。
その意味でクララのクリスマスプレゼンントは、まことに理にかなったものだった。第1巻に収められているのは、カンタータの1番から10番までだ。このうち4番と8番は、合唱指揮者ブラームスのはずせぬレパートリーとなって行く。特に4番は、早くもデトモルト在勤中に取り上げられている。このようなバッハのカンタータの演奏体験は、ブラームスをバッハ研究の第一人者に押し上げたばかりか、19世紀後半のバッハ復興を実技面から補完補強するものとなった。
やがては1882年に死去したノッテボームの後任としてバッハ全集の編集陣への参画も要請されるほどのバッハ研究の泰斗と目されるまでになった。
クララの慧眼を喜びたい。
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<ひふみ様
ご愛読ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。
投稿: アルトのパパ | 2007年12月26日 (水) 13時43分
素晴らしいクリスマス・プレゼントですね。
さすが、と言うほか、言葉がありません。
さて今年も楽しく拝読させていただきました。
ありがとうございました。
来年も宜しくお願い致します。
しばらく、寒村籠りに入りますので、次にお訪ねするのは
新年になろうかと思います。どうぞ良いお年を♪
投稿: ひふみ | 2007年12月26日 (水) 11時35分