C.P.E.バッハ
バッハの次男。カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ。人呼んで「ハンブルグのバッハ」。ハンブルグ音楽界の重鎮だった彼は1788年12月14日にハンブルグで亡くなった。ブラームスはおろか、彼の父や恩師のマルクセンでさえ生まれる前の話である。
クラヴィーアの演奏や作曲では名声が高く、生前は父バッハよりも高名だったというが、彼の作品のいくつかが父の作品として伝えられていることもある。
「フルートとチェンバロのためのソナタト短調BWV1020」もそうした作品の一つである。ブラームス存命中に刊行が準備された「旧バッハ全集」は、ブラームスの生前には間に合わず1900年になって全巻完結にこぎつけた。その中でこのソナタはバッハの作品として扱われている。ウイーン楽友協会に保存されているこの作品の筆写譜には、はっきり「C.P.E.バッハ」と書かれているにも関わらずだ。しかも今でこそ楽友協会資料室に収蔵されているが、元の持ち主は、何とブラームスだったのだ。ブラームスの膨大な古楽譜コレクションは、死後楽友協会に寄贈されて今日に至っているが、この楽譜もその一部だろう。
「旧バッハ全集」の編集に尽力した当時屈指のバッハ研究家フィリップ・シュピッタは、ブラームスの友人でもあったというが、ブラームスのコレクションを見せてもらってはいないのだろうか。
偽作問題研究者の間では常識とも言える法則があるという。「同一作品の作曲者が無名作曲家と有名作曲家であることを示す資料が並存する場合、大抵は無名作曲家の作品である」というものだ。C.P.E.バッハは父に比べれば相対的に無名であるから、その時点でこのソナタはバッハの手によるものではないと推定出来そうなものだ。あるいは、当時はその有名度が現在と逆だった証拠と解するべきかもしれない。
ブラームスは、この次男だけでなく長男の作品の出版に際して、校訂を手がけていたから、バッハの息子たちの書法にも精通していたと思う。このフルートソナタがバッハ作と扱われているのを見て、きっと皮肉の一つもぶっていたに違いない。
<もこ様
ブラームスの古楽譜好きは、有名だったンじゃあないでしょうか。ウイーン楽友協会の膨大な蔵書を自由に閲覧できる立場でしたから、並みの掘り出し物には驚かなかったと思います。
知人が欧州中を旅して、土産代わりにくれたなどということもあったと思います。
投稿: アルトのパパ | 2007年12月14日 (金) 19時39分
ブラームスは膨大な古楽譜をどうやって集めたのでしょう?
興味深いところです。
投稿: もこ | 2007年12月14日 (金) 19時11分