ルードヴィッヒ2世
バイエルン国王。1845年生まれだ。18歳で即位したが40歳で謎の死を遂げる。芸術を深く愛する君主であったが、城郭建設への異常な傾倒など、その死以外にも謎が多いという。とりわけ作曲家リヒャルト・ワーグナーの支援者として名高い。
1873年12月12日ブラームスは「科学と芸術のためのマクシミリアン勲章」を受けた。何を隠そう、この勲章をブラームスに授けたのがバイエルン国王在位中のルードヴィッヒ2世だった。何かと奇行の多かったこの人、やっぱり変というか凄いというか無神経というか、このときにブラームスとともにこの勲章を受けたのがリヒャルト・ワーグナーだった。授与式は無かったのだろうか?あったらそこで二人が鉢合わせなどということも起きていたかもしれない。現代なら週刊誌が放ってはおくまい。
何しろ当時楽壇を二分した論争の当事者2人に同時に同じ勲章を授けてしまうのだから、今風に申せは「空気が読めない」といった感じだろう。ドイツレクイエムやハンガリア舞曲で、作曲家としての名声が固まりつつあったが、第一交響曲はまだ世に出ていない。慧眼といえば慧眼なのだが意外な感じは否めない。それでもブラームスは翌年に丁寧な礼状をしたためたというが、片方のワーグナーは気分を害したとある。ワーグナーにしてみれば「あんまりだ」という気持ちに違いない。20も年下のブラームスなんぞ「室内楽作曲家」くらいに感じていたから、同列に扱われて面白いハズがない。手厚い保護を受けているパトロンに石を投げられた気分だろう。
ブラームスの位置付けがそれほど上がっていたと見るのは無邪気が過ぎるかもしれない。楽壇の両巨頭に気前よく勲章をばら撒いて度量の大きいところをアピールしたのか、単なる国王の気紛れの可能性もあって悩ましい。
<mayoneko様
でしょでしょ。ワーグナーはともかくですよね。そもそも国王はブラームス聴いたことがあったのでしょうか。
この時まだ交響曲は一つも出てないンですよ。
よっぽどの切れ者が、入れ知恵したかもしれませぬ。
ワーグナーが推薦するハズもないしねェ。
投稿: アルトのパパ | 2007年12月12日 (水) 22時00分
その時、国王は28歳というわけですね。
どうしてその二人を選んだのか、私も気になります~♪
投稿: mayoneko | 2007年12月12日 (水) 21時49分