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2007年12月31日 (月)

バッハルネサンス

没後約80年の間、一般聴衆から忘れられていたヨハン・セバスチャン・バッハ再発見の運動。断り無く用いればそういう意味だ。

1829年のメンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」蘇演、1850年バッハ協会設立、1874年と80年に相次いだシュピッタ「バッハ伝」の刊行、さらには1851年から1900年まで続いた「旧バッハ全集」の刊行などが主なエポックだ。新バッハ全集の完成はつい最近だったからバッハルネサンスはまだ続いているとも思われる。

私自身は見ての通りのブラームス好きだから、興味の対象は圧倒的にブラームス中心だ。バッハはブラームスに続く第2位の位置にいるが、気合いを入れて接しているとは言えない状態だった。

約1年と少し前、昨年の秋から風向きが変わった。バッハの「無伴奏チェロのための組曲-ヴィオラ版」に親しく接するようになったのだ。そこからバッハを聴く機会も増えてきた。ひなまつりにはバッハを左大臣に抜擢した。さらに5月のヴァイオリン発表会で次女がイ短調のコンチェルトを弾いた。そして決定的なキッカケは長男の英国研修だ。4週間の研修の無事を祈って「ブラームス断ち」を敢行した。28日間聴くことが出来ないブラームスに代わって聴きまくったのがバッハだった。曲を聴くだけにとどまらない。伝記や研究書を続けざまに読んだ。

もちろん、私のことだから、バッハの本を読んでいても常にブラームスが頭の中央にあった。バッハに関して申せばそういうけしからん読み方をしても違和感がない。バッハ関連の書物には、ブラームスに関係の深い記述が高い頻度で飛び出すのだ。伝記にはさすがにブラームスという記述は出てこないが、研究書特に研究史になるとブラームスは常連でさえある。ブラームス側の伝記にはバッハの関連の記事が頻繁に現れるが、バッハの研究史の中でも、ブラームスはちょっと目立つ存在なのだ。おそらく当時のバッハ研究の最先端の知識をブラームスは持っていたに違いない。

ブログ「ブラームスの辞書」のカテゴリー「65バッハ」には今日までに34本の記事が堆積し、さらに備蓄記事も10本ある。この半年、バッハは事実上ブログ「ブラームスの辞書」の隠しテーマになっていた。特に12月は、バッハに関する記事を意図的に集中させてきたことは、既にお気づきの通りである。私はブラームスが脳内でバッハに与えていたのと同等の位置づけを、バッハに与えたいと心から願うものである。

今年は、私自身のバッハルネサンスの始まりだった。

今日のこの記事により、2007年も365日休まず記事の更新が出来た。家族とブラームスそれからバッハに感謝したい。

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