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2007年12月23日 (日)

3大B再考

11月27日の記事「3大Bの自覚」の中で、ベートーヴェンとバッハが「2大B」と呼ばれていた形跡がないと書いた。本日はその視点から再論を試みる。

バッハの受容史を記した本には、バッハルネサンスとも呼ばれるバッハ再興の動きがあったことが例外なく語られている。1750年のバッハの死から約80年、一部の専門家をのぞいてバッハが忘れ去られていたという。バッハの存命中でさえ、その晩年には飽きられていたと証言されている事も多い。さらにバッハの名声は作曲家というよりも、オルガン演奏のスペシャリストという側面に支えられていたともいう。

つまり1750年から、メンデルスゾーンの「マタイ受難曲」蘇演までの80年、バッハは一般大衆からは忘れられた存在だったのだ。ベートーヴェンの生涯1770年~1826年がすっぽりとその期間に収まっている。当時は断り無く「バッハ」と言えば次男の「カール・フィリップ・エマニュエル」だったのだ。無論ベートーヴェン自身は父バッハも知っていたが、一般大衆はそうは行かなかったのだ。だからベートーヴェンがどれほどその巨人振りを発揮しようとも、バッハを引き合いに出して「2大B」と呼ばれるハズがないのだ。一部の学者が仮にそう呼んだとしても、そうした言い回しが大衆に支持にされることは絶対にあり得ぬ状況だったのだ。

ベートーヴェンの生涯が、バッハが忘れ去られていた時代にピタリと重なる一方、ブラームスの1833年~1897年という生涯は、バッハルネサンスの時期にピタリと重なる。メンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」の蘇演は、ブラームス誕生の4年前の出来事であるし、ライプチヒにバッハ協会が設立されるのは、ブラームスのシューマン家訪問の3年前だ。そしてそのバッハ協会が目指した「バッハ全集」の刊行は、ブラームス没の2年後に完結するのだ。

19世紀後半の音楽愛好家から見れば、ブラームスの躍進とバッハの再興は同時に進んだと見るべきなのだ。記憶に新しいベートーヴェンに加え、片や新人、片や復活とは言え、進境著しい2人を組み合わせて完成したのが「3大B」の概念だった。

バッハの受容史の上にベートーヴェンとブラームスの人生をプロットしてみると片や「忘却期間」片や「復興期間」に、見事に収まっている。このあたりの辻褄が今日まで「3大B」という言い回しが廃れていない原因の一つかもしれない。

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