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2007年12月11日 (火)

スラー

降参である。「スラー」の定義なんぞ恐ろしくて出来たものではない。

弦楽器の習い始めの頃、「スラーがかかっている間、弓を返してはいけません」と教わる。娘たちはレッスンの最後のソルフェージュで「スラーのかかっている途中で息をしてはいけません」と言われていた。つまりスラーの切れ目は「弓の返し目」であり「息の継ぎ目」であったのだ。「スラー」にそうした一面があることは事実だし、それがスラーの重要な機能であることは間違いない。

ところがブラームスはもっと別の意味のスラーが頻発していると感じる。弦楽器の楽譜に現実離れした長さのスラーがちょくちょく置かれているのだ。たとえば第2交響曲の第1楽章17小節目から26小節目にかけてだ。これを弓を返さずというのは全く現実的ではない。

種明かしを先にするなら、このスラーは「フレーズの切れ目」を表わしている。一つながりのフレーズにスラーがかけられているのだ。「弓の切れ目」と「フレーズの切れ目」は慣れるまでは大変に紛らわしい。「弓の切れ目・返し目」であっても直ちに「フレーズの切れ目」だとは限らない。色分けでもされているといいのだがそうも行かない。結局一つながりの長い長いスラーは、その楽節の意味合いを考慮しながら何度か途中で弓を返すのだ。その返しどころの決定にはセンスが反映する。第1交響曲の第2楽章にもこの手のスラーが頻発する。このあたりの仕切りが甘いと「ブラームス舐めてンじゃないですよ」と叱咤されることになる。

まだある。このところ気になっているピアノ三重奏曲第1番の初版だ。第1楽章冒頭の旋律は、改訂版でも保存されているのだが、楽譜を見て驚いた。初版では第1楽章冒頭の芳醇な旋律にスラーがほとんど用いられていない。チェロにもピアノにも全く現われないのだ。これが第3楽章になると初版改訂版ともにスラーが同じ感覚で付与されているから、第1楽章の特別扱いが際立つ。「ブラームスの辞書」でもスラーはカウント対象にしていないが、何やら暗示的だ。

ひとまず奥が深いとだけ申し上げておく。

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コメント

<インテルメッツォ様

ですよね。

だからこそ最初に降参してしまったのです。

本当に長いスラーは弾き手を悩ませるものですよね。
ヴァイオリンのレッスンでは、考えに考え抜いたボウイング(弓の返し目)を先生に見せたとたんにズタズタにされたり、オーケストラでは、コンマスが決めたボウイングでパート内が揉めたり。。。

「スラーは奥が深い」は全く同感です。

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