ドリアンブーレ
ブラームスよりかなり古い時代、ちょうどバッハの頃だ。最後に付与される調号を省略する慣習があった。現代ではフラット1個を付与されることが普通のニ短調が、調号無しで記譜されるという現象だ。この現象が起きているバッハの「トッカータとフーガニ短調」BWV538はハ長調の音階をレから開始するドリア調にちなんで「ドリアントッカータ」と呼ばれている。ブラームスの歌曲「幸せも救いも僕から去った」op48-6にもこの現象が起きている。古風な感じを出すために敢えて採用したのだと思う。
この周辺の話は2006年4月6日の記事「ドリアンリート」で言及した通りである。
バッハのトッカータも、ブラームスの歌曲も、理屈では判っていても実感としてはなかなか体験出来なかったが、この程演奏中に実例を見つけてしまった。
バッハの無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調BMV1009の5曲目にブーレがある。その中間部が変だなと感じたのだ。
バッハのあたりの古典組曲は調の選択が厳格で、ハ長調の組曲であるなら、それを構成する個々の舞曲つまりプレリュード、アルマンド、クーラント、サラバンド、ブーレ(メヌエットまたはガヴォット)、ジークは、全てハ長調となるのだ。唯一の例外は挿入舞曲と称されるブーレ、メヌエットまたはガヴォットの中間部が、同主調に転ずることが許されているに過ぎない。
つまり無伴奏チェロ組曲第3番ハ長調のブーレはもちろんハ長調なのだが、中間部はハ短調になって然るべきなのだ。ところが調号を見るとフラットが2個、シとミについているだけである。ハ短調ならばこれらに加えてラにもフラットが付く必要がある。これはまさに最後に付与される調号が省略されていることに他ならない。放置するとラはいつもAである。
使い勝手は悪くない。ハ短調の旋律的短音階を奏する時、シにナチュラルを置くだけで事足りるからだ。
無伴奏チェロ組曲をずーっとヴィオラ版で練習していて気付いた。短調の曲において最後に付与されるべき調号を省略することの意味が判ったような気がした。同時に新たな疑問が湧いてきた。なぜこの記譜法が廃れたかである。
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