フォルテとフォルテシモ
一昨日の記事「ピアノとピアニシモ」の姉妹記事である。
一昨日「pとppの落差を強調したいからといって、p側をmpのつもりで弾いて欲しくない」という話を、大好きなインテルメッツォイ長調op118-2をネタに述べた。同じことがfとffの間でも起こり得るというのが本日のネタである。
第一交響曲第一楽章を思い出して欲しい。「Un poco sostenuto」と記された序奏だ。第一交響曲を壮大なドラマたらしめている原因の一つがこの序奏の存在だと感じている。ハ調で堂々と立ち上がる冒頭のダイナミクスは「フォルテ」「f」である。「フォルテ」に続く語句には役割によって若干の違いが出ているが、ベースになるダイナミクスは全てのパートで「フォルテ」だ。
30小節目、冒頭の旋律が5度上のト調で回帰する。参加する楽器の役割はほとんど変わらないまま調だけがト調にすりかわっている。この部分ダイナミクスはと見ると、驚くことに「フォルテシモ」になっている。ティンパニがトレモロになることで緊迫感が増強されているが、冒頭に比べて明らかに強く奏されねばならぬというブラームスの並々ならぬ意思が感じられる。序奏の重要性を考えると、こうしたダイナミクスの配置がいい加減だったとは考えにくい。
30小節目のフォルテシモを際立たせるために、冒頭のフォルテを、少し抑え目に「mfで弾け」という指揮者はいるだろうか?30小節目のフォルテシモをしっかり弾かねばならぬのは自明ながら、冒頭のフォルテもまた腰砕けでは困るのだ。ブラームス渾身の第一交響曲の冒頭を「mf」なんぞで始めてはバチが当たると思い込んでいる私は変だろうか。
ここらあたりの用語一個の出し入れを難解と決め付けて、解りやすくしたつもりで「mf」や「mp」での演奏を指示すると、音楽を見誤る。青少年や子供たちに対してさえ、事情を丁寧に説明すればきっと通じると思う。少なくともブラームスにおいては、この手のありふれたダイナミクス記号でさえ、十分な吟味を経て置かれているということを心に留めておきたい。
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