「似ている」の分類
ある旋律が、別楽曲の中の旋律に似ているケースがある。別の作曲家の旋律であるケースまでも存在する。「似ている」については基準が存在しない。聴いた人が似ていると思うかどうかにかかっている。多くの人がそれに賛同すればそれがブラームス関連書物に記載されるまでになることもある。ベートーベンの第九交響曲第4楽章の主題と、ブラームスの第1交響曲第4楽章の主題が有名である。
聴く人によっては似ているとは思えないこともある。世の中で似ている言われているケースのうち私がそうとも思えないケースもある。
- ラプソディーロ短調op79-1の第2主題と「さくらさくら」 リズムのパターンが似ていることは似ている。
- 歌曲「調べのように」冒頭とヴァイオリンソナタ第2番第2主題。立ち上がりの分散和音風なところなのだろうが、これを似ているにカウントしたくない気持ちだ。
ブラームスが自作を引用した場合は似てて当たり前なので、取り立てて騒いではかえっておかしいケースもある。ヴァイオリンソナタ第1番のフィナーレと歌曲「雨の歌」がその代表だ。
逆にあまり話題にされないが私は似ていると聞こえてしまっているのは以下の通りだ。
- ドイツレクイエム第3曲39小節とドヴォルザークのチェロ協奏曲の冒頭。瞬間芸みたいな似方である。
- 弦楽六重奏曲第1番冒頭と、管弦楽のためのセレナーデ第1番第4楽章の39小節目。片や4分の3拍子、片や4分の2拍子なのに何故か似て聞こえる。弦楽六重奏の側が冒頭一瞬2分の3にも聞こえたりする実質変拍子であることに起因すると思われる。
- またまた瞬間芸的な似方で恐縮だが、弦楽六重奏曲第2番第2楽章17小節目の「tranquillo」は、バッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻フーガ6番ニ短調の冒頭に似ている。
このように似ているの定義は曖昧だ。酒呑み話で盛り上がるネタとしては大いに結構だが、曖昧な基準または、単なる主観で似ていると感じたことが、作風の影響判定の根拠にされていないか心配である。
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