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2008年2月29日 (金)

うるう年

ブログ「ブラームスの辞書」開設後はじめての2月29日だ。うるう年だけに存在する。

うるう年は地球の自転周期を24時間、公転周期を1年と決めてしまっていることで堆積する誤差のリセットとでも言うのだろうか。

うるう年だけ1年の日数が366日となる。じつはこの「366」という数字は私のようなブラームス好きにとっては、趣の深い数だ。ブラームスの作品番号付きの作品数122のちょうど3倍になるのだ。

この「366」は因数分解すると「6*61」になる。「61」という半端な数はブラームス好みである。この半端な数に最初の完全数「6」を乗じたのが366なのだ。さらに言うと「61」はブラームスに縁が深い。「BRAHMS」というおなじみのスペルを数字に置き換える。「B」はアルファベットの2番目だから「2」、「R」は18という要領だ。すると「2+18+1+8+13+19」となる。これが何と61になる。アルファベットの数が6個で合計が61ということだ。これが「6*61」と呼応しているように見える。

バッハはこの手の数遊びが好きで「BACH」を数に換算した「14」を愛していたとも言われている。

一年を61日単位の1月に区切った、私年号「ブラームス暦」でも考案しようかと真剣に考えたこともある。

昨日、シートベルト着用のサインが消えた。そういう翌日にこそ、この手のおバカな話を発信する必要がある。昨日の記事がネタ切れの言い訳だと思われてはならない。「やっぱり目が離せない」と思われるようあの手この手である。

2008年2月28日 (木)

シートベルト着用のサイン

飛行機に乗る。離陸後しばらくは、ものすごい勢いで上昇する。高度約30000フィートの巡航高度に達するまで上昇は続く。この高度に達すると飛行機は水平飛行に入ったと見ていい。機内サービスもここから始まるのだ。本日話題の「シートベルト着用のサイン」が消えるのもこのあたりだ。消えると同時にアナウンスでも案内される。大抵は案内の最後に「席についている間は、急な揺れに備えてシートベルトを装着しているように」と薦められるのだ。

2005年5月30日のブログ「ブラームスの辞書」の開設から1000日連続の記事更新を達成した。今までは開設の勢いでがむしゃらに走ってきた。ブラームスの誕生日、クララの誕生日、クリスマス、元日にはスペシャルな記事を発信してイベント感を創出してきた。これらの流れは、飛行機で言えば離陸後の急上昇に喩えられよう。開設から1000日を経過した今、ブログ「ブラームスの辞書」はサイトとしての水平飛行に入ってもいいころだ。

もしブログを1年で閉鎖する気なら、ブラームスの誕生日、クララの誕生日、クリスマス、元日等の記念日には、そのことに派手に言及したイベント記事をど~んと打ち上げればいい。しかしブログ「ブラームスの辞書」は5年10年と続くのだ。その間ブラームスの誕生日、クララの誕生日、クリスマス、元日は5回10回と巡って来てしまう。そのたびにド派手なイベント記事を発信していては身が持つまい。2033年まで続けるなら尚更、記事の内容や頻度を長期戦モードに切り替える必要がある。つまり「シートベルト着用のサイン」が消えてもいい頃なのである。

もちろんだからと言って記事の濃さが減じられてはいけない。旅客機の例にならえば、むしろここから機内サービスが始まるのだ。着陸に備えてシートベルト着用のサインが点灯するまで機内食、お飲み物、機内販売、映画の上映などなどが提供される。

ただいまシートベルト着用のサインは消えましたが、急なオチに備えて、ブログ閲覧中は引き続きシートベルトをお締めおきくださいますようお願い申し上げます。

2008年2月27日 (水)

手心

辞書を紐解けば「状況に応じて加減すること」「手加減」とある。好きな言葉の一つだ。大抵は「手心を加える」と用いる。

演奏という行為は音を出すことが必須だ。最初から終わりまで全部休符という作品を音楽と呼べるかどうか疑問である。つまり放置すれば無音となってしまうのに、何らかの操作をして音を発することが音楽の大前提となっている。「鍵盤を押す」「弦をはじく」「息を出す」という積極的な行為が引き金になって音が発せられるのだ。

ブラームスが楽譜に記すダイナミクス記号の最大勢力は「p」である。単独使用例は約5700箇所、「p」を含む用例がこのほかに1800箇所ある。全体の35%が「p関連」だ。ちなみに「f」は23%である。音を発するという行為は積極的な動作の結果ではあるのだが、その音が「p」の範囲にとどまるために必要な措置を個人的に「手心」と呼んでいる。

実はブラームスの作品には手心の必要な場所が多い。約150種存在する「p」を含む語句は皆これに該当する。出しっぱなしはダメで何らかの手加減が要るのだ。「mp」から「ppp」に至る「p系」に範囲を広げると300種になる。「mf」から「fff」の「f系」170種のざっと倍になる。より繊細な手加減が必要な「p系」が倍も優勢なのだ。

では「f系」が手心なしでよいかというとそうではない。「mf」「poco f」「un poco f」のような微妙な記号も手心が必須である。あるいは周囲を「ff」に囲まれながら、じっと「f」にとどまる場合については「f」でさえ手心が要ると思われる。

その手心の秘密に何とか迫ろうとした結果、「ブラームスの辞書」は「p」の項目だけで135ページも費やしてしまっているのだ。

2008年2月26日 (火)

隠れた旋律

毎日好き勝手な記事を発信しているように見える我がブログ「ブラームスの辞書」だが、短期的な隠しテーマを埋め込んである場合がある。昨年の12月14日以降の半月はまさにバッハが隠しテーマになっていた。

最近では本年2月15日の記事「名付け親」を皮切りに以下の記事が、一連のフレーズを形作っている。

これらの記事にはフェリクス・シューマンという隠しテーマが底流している。

よいたとえがある。バッハの器楽系独奏曲には、しばしば16分音符が延々と羅列される。それらのうち拍の頭に来る音をつなげると旋律が浮かび上がることが多い。小節の頭のこともある。ヴァイオリンやチェロなどの旋律系の楽器が無伴奏で演奏されるというのに、豊かなポリフォニー感覚が表現されている場合、この隠された旋律の手法が使われている。

私の記事もそれをまねしている。毎日「フェリクスネタ」を発信すると退屈する人もいるかもしれない。シリーズの途中でどうしてもはずせない出来事があった時困ってしまう。けれどもこのように一定の間を空けて発信することで、対処が可能だ。さらに、同時に複数の隠しテーマを進行させることも出来る。まさにポリフォニーだ。

実際一連のフェリクスのシリーズと平行して発信した以下の記事も不可分な文脈を想定できる。

そしてこれらの先頭に位置する「影響ごっこ」は以下の記事の到達点にもなっている。

これらシリーズ物は関連する記事の全てを先に考える。出来上がった記事を適当に間隔を空けて公開するのだ。何から順に言及するのが一番効率的かを考えているというわけだ。

隠しテーマの存在はいちいちブログで言及しないことも多い。けれども大抵は記事の中にリンクを貼るので気付いてもらえると思う。言ってしまっては「隠しテーマ」にならないからだ。こういうの何だかブラームス的である。

2008年2月25日 (月)

ミサカノニカ

ヨアヒムとの対位法課題の意見交換の中から生まれた作品。作品番号は付与されていない。WoO17およびWoO18が、ミサを構成するアカペラ合唱曲の集合体になっている。

ミサはキリスト教の行事の中でも重要かつ日常的な行事だ。教会暦に従って、厳密にテキストが決まっているが、一年を通じて不変の部分がある。

  • キリエ
  • グローリア
  • サンクトゥス
  • クレド
  • アニュスデイ

一般にミサ曲とはこの5つの部分をテキストにした楽曲を指す。時代により地域により無視し得ない数の例外もあるが、概ねこの通りだ。古来、有名無名含めておびただしい数の作曲家がミサ曲を残している。ミサ曲の歴史を俯瞰すれば同じテキストに曲を付与する作曲コンテストの様相を呈することになる。

ブラームスは作品番号のある作品としてミサ曲を残してはいないが、先に述べたうちのWoO18は、サンクトゥス、アニュスデイ、ドナ・ノビスで構成されるミサの一部と見なしうる。これが1984年になって出版され「ミサカノニカ」と通称されているという寸法だ。

ヨアヒムとの対位法研究の成果だけあって、カノンの手法が盛りだくさんになっている。「カノニカ」というネーミングは「カノン風の」とでも解するのが自然だ。

2008年2月24日 (日)

はるかなる夢

昨日鬼との賭けに勝利した。昨日の今日だから鬼も文句が言いにくいだろうと考えて今日の記事を書いている。昨年あたりから考えていたのだが、あまりに荒唐無稽だから公開のタイミングを見計らっていた。

ブログ「ブラームスの辞書」をブラームス生誕200年の2033年5月7日まで続けたいと思っている。

本日この記事の更新で1001日連続記事更新だから、2033年5月7日まで継続出来れば10205日連続記事更新となる。大のおとなが根を詰めるにはちょうどいい目標だと思う。達成の頃私は73歳になっているはずだ。健康さえ維持できればやれるような気がする。現在の頻度内容を維持しつつである。今やブログの更新は息をすることと同じである。

まず最初に思うこと、念ずること無しには何も達成しない思う。言葉にすることによって自分を鼓舞するのは、いつもの手口だ。ルールはただ一つ。更新がプレッシャーに感じるようになったら直ちにやめることだ。そうなったら読む方もつまらないに決まっている。

何だか鬼がキョトンとしている。鬼も嗤わぬ程先の話である。

2008年2月23日 (土)

私の勝ち

本日のこの記事が更新できたことにより、2005年5月30日のブログ開設以来、1000日連続記事更新の記録を達成した。昨年2月23日の記事「鬼を嗤わす」で宣言した通り、めでたく達成とあいなった。

昨年宣言した当時は、鬼にも人にも嗤われていたのだと思うが、賭け事にしていたら私の勝ちだった。ブログを更新し続けられる境遇だったこと、特に家族の健康には感謝しなければならない。

直近の目標はバッハに並ぶ1080だと思うが、キリ番1500や松井秀喜の1768、あるいは1833もそろそろ視野に入って来る。気合いを入れれば一晩で達成できる類の記録ではないことが良い方向に作用している。

当面出来ることといえば明日のネタの仕込みである

それにしても、ブログの記事を1000日欠かさず続けるということは、思いのほか気持ちがいい。ご興味のある方は是非お試しいただきたい。

2008年2月22日 (金)

フェリクスの調

2006年5月21日の記事「嬰ヘ長調」で述べたとおり、クララとフェリクスの母子と「嬰へ調」は何かと関連がある。クララ・シューマンに献呈された作品2つはどちらも嬰へ短調だったし、フェリクスの詩をテキストにした歌曲は3曲のうち2曲が嬰ヘ長調だ。

その話を前提にした上で今日の記事は成り立つ。

ヴァイオリンソナタ第1番ト長調op78は、第3楽章の主題がブラームス自身の歌曲「雨の歌」op59-3の旋律をそっくり引用していることはよく知られている。「雨の日には幼い頃を思い出す」という趣旨のテキストはクラウス・グロートによるものだが、ブラームスがこのテキストからフェリクスのインスピレーションを得たのではないかと一昨日の記事「緩徐楽章の回想」で述べた。私がそのように感じる理由が実はもう一つある。

ヴァイオリンソナタの引用元となった歌曲「雨の歌」op59-3は実は嬰へ短調だ。「雨の歌」は1873年の成立だ。何のことはないフェリクスの詩に付曲した「我が恋は緑」嬰ヘ長調と同じ年の生まれである。

さて原曲では嬰へ短調だった旋律が、ヴァイオリンソナタに転用されたときト短調に変換されている。嬰ヘ音を主音にするのはヴァイオリンにとってはあまりありがたくないからだ。実はこの半音の引き上げには嬉しくなるような実例がある。ヨアヒムはブラームスのハンガリア舞曲をヴァイオリンとピアノ用にと編曲しているが、原曲で嬰へ短調の5番をト短調に変えているのだ。ヨアヒムのお墨付きをもらったようなものだ。ヨアヒムはもちろんこのソナタの私的初演でヴァイオリンを担当した。

嬰へはドイツ式の音名で申せば「Fis」だ。

まさかと思うことがある。

この「Fis」がフェリクスつまり「Felix」の音名化された姿だったなどという想像は無謀が過ぎるだろうか。

2008年2月21日 (木)

相互添削

単に「添削」といえば、提出されたレポートや作品について、内容の不備や過不足を指摘することだ。先生に当たる人が教育目的で加筆修正をする。通信学習では一般的な手法である。

本日のお題のように「相互」が付くと、少々ニュアンスが変わる。同格にある2人の意見交換という側面が強まる。

1856年2月。ブラームスは親友でヴァイオリニスト兼作曲家のヨーゼフ・ヨアヒムと「相互添削」を始めた。対位法上の課題を盛り込んだ作品を定期的に送り合って意見交換をしようという趣旨だ。ここから4年も続いたのだ。頻繁に交換されていたのは実質2年だったとはいえ素晴らしいことだ。定期的というからには提出期限があった。ヴァイオリニストとして既に著名だったヨアヒムは、滞りがちでしばしば罰金を支払ったという。

この罰金は使い道が書物を購入することに限定されていた。ブラームスの遺品にはヨアヒムの罰金から購入したことを伺わせる書き込みを持った書籍が数点含まれていた。有意義な罰金である。

1856年2月というタイミングに注目したい。ロベルト・シューマンの没する5ヶ月前の話だ。ということはつまり、ブラームスがシューマン一家のために献身していた時期だ。そのために作品の出版が滞っていたことは既に昨年7月29日の記事「出版の空白」で述べた。シューマン一家の力になってやっていたことで作品の出版どころではなかったという論旨だ。その一方でヨアヒムとこうした取り組みをしていたことは注目に値する。ロベルト・シューマンの絶望的病状の中、自己研鑽だけは怠らなかったということだ。ヨアヒムの提出が途切れがちだったことを責めてはなるまい。むしろ過酷な境遇にいるブラームスの気分転換をヨアヒムが助けたと見るべきではなかろうか。

結果としてこの取り組みは無駄ではなかった。円熟期のブラームスが当代最高の対位法の泰斗となって行くのは周知の通りである。

2008年2月20日 (水)

緩徐楽章の回想

ヴァイオリンソナタ第1番の話だ。

第2楽章の冒頭主題が、そっくりそのままフィナーレ第3楽章の第2副主題となっている。「4分の2」と「4分の4」という両楽章の拍子の違いを物ともせずに、音価の操作で聞こえを調節し、結果として同じ旋律に聞こえるという手の込んだ代物だ。

第2楽章の旋律が回想される終楽章は、「雨の歌」のニックネームの元になった楽章だ。ブラームス自身の歌曲「雨の歌」op59-3の冒頭旋律がそっくりそのまま用いられている。クラウス・グロートの手によるテキストは雨の日に楽しかった幼い頃のことを思い出すという内容だ。

第2楽章の冒頭旋律が元々クララの息子フェリックスの病を見舞うために引用された旋律だったことを2月16日の記事「天国に持って行きたい」で言及した。だからこのソナタが誰にも献呈されなかったとも述べた。それほど大切な旋律なのだ。ロンド形式の第二副主題だということにも意味がある。フィナーレ第3楽章が、このフェリクスの旋律を中央に据えて、シンメトリーな構造をしていることに他ならない。第3楽章の奥座敷にひっそりと鎮座しているということだ。

「雨の歌」のテキストが表現する楽しかった幼い頃とは、フェリクスの思い出と重なるのだ。だからフェリクスを見舞った旋律が第3楽章で回想されると解したい。長々と回想されるワケではない。一瞬かするように回想される点ブラームスのデリカシーを感じる。多楽章作品において緩徐楽章の旋律が終楽章で回想されるケースは多くない。多くないどころかこのヴァイオリンソナタ第1番だけである。幼い頃の回想とあの旋律を、どうあっても共存させたいブラームスだったのではあるまいか。あるいは、この共存を聴かせることがこのソナタの目的とさえ思える。

ヴァイオリンソナタ第1番には、フェリクス・シューマンの回想という隠しテーマがあったかもしれない。だからそれを察したクララが「天国に持って行きたい」と言ったのだ。

「雨の歌」という異名ばかりがやけに有名になってしまったが、音楽の神様か歴史の神様が、くしゃみでもしていたら「フェリクス」というタイトルになっていてもおかしくなかったと思っている。

2008年2月19日 (火)

類句

短歌や俳句において意味や調子が類似した句。自信の作に既に類句があることが判ると何やらがっかりである。鎌倉鶴ヶ丘八幡宮で、公暁に襲われて落命した鎌倉の右大臣・源実朝の辞世の歌が残っている。

出で去なば主なき宿となりぬとも軒端の梅よ春を忘れるな(いでいなばぬしなきやどとなりぬとものきばのうめよはるをわするな

自らの死を予期していたとも思えないが、事実上最後の歌とされている。一方天神様で名高い菅原道真公にも梅を詠んだ有名な歌がある。

東風吹かば匂い起こせよ梅の花主無しとて春な忘れそ(こちふかばにおいおこせようめのはなあるじなしとてはるなわすれそ

実朝の歌と比べて欲しい。以下の諸点で両者は共通している。

  1. 庭の梅への呼びかけ
  2. 作者はその場を去ろうとしている
  3. 「仮に主が居なくなったとしても」という仮定を含んでいる
  4. 「春を忘れるな」が描写の急所である

つまりこの両者は「類句」ということになる。もちろん時代は道真の方が古い。これを盗用、亜流と蔑む者はいない。いつの頃からか「梅に留守を託す」という形式が確立されていたのではあるまいか。実朝が道真を意識していたこと疑い得まい。

これとは別に和歌の世界では古来「本歌取り」という技法が存在した。過去の作品を土台に、現在の叙景や叙情を詠むという手法だ。土台になる方の歌を読者が既に知っているということを前提に詠むのだ。元になった歌の存在を堂々と明示することが肝要だ。土台となった歌のことを「本歌」と言った。本歌が有名だった場合には、説明の必要は無かったと思われる。むしろ説明は野暮の部類だろう。土台となる歌がどれだけ自分流に消化されているかを競う意図がある。極端に言うと子供たちがよくやる「替え歌」のノリに近い。「替え歌」と言っても言葉尻を捉えただけにとどまってはならない。単なる「替え歌」との最大の違いは、「元になった歌への尊敬と敬意」である。

明らかに過去のを踏まえつつ、過去のへの尊敬をベースに、現在の心情を盛り込み、時には必然さえ感じさせるという代物だ。

上記の定義の中の「」のところを「音楽」に置き換えてみるといい。ブラームスは西洋音楽の世界で「本歌取り」を実現させていると思われる。ロマン派の諸兄はもちろん、ベートーヴェンさえ貫いてバッハに至る歴史を感じさせつつ、ロマン的な心情をキッチリと盛り込んで余すところがない。時にはバッハさえ貫く歴史的な視点と感情のバランスが絶妙である。聴き手に「ああ、古典を踏まえているンだな」と思わせる一方で、単なる懐古趣味にとどまらないところがブラームスの真骨頂である。「古典への尊敬」に至っては筋金入りでさえある。

1219年1月27日源実朝没。新暦ならちょうど今頃だ。

2008年2月18日 (月)

2拍子のスケルツォ

いわゆる多楽章器楽曲のソナタの中に、スケルツォの確固たる居場所を設定したのは、ベートーヴェンだ。犠牲者はメヌエットである。モーツアルトやハイドンに代表されるウイーン古典派の伝統を打ち破ったと見ることが出来る。拍子こそメヌエットと同じ4分の3を採用しながら、テンポがいちぢるしく引き上げられ、最早舞曲としての実用性は棚上げとなった。原義の軽さは薄れひたすらマジになって行く。

ベートーヴェンはその創作の末期になって、今度はとうとう4分の3という拍子も解体の対象にする。交響曲第9番のスケルツォ4分の3拍子の中間部に2分の2拍子が現われる。弦楽四重奏の13番目と14番目に2分の2拍子を採用する。

一方ブラームスも、ソナタの中でスケルツォを用いている。用いてはいるのだがベートーヴェンのホームグランドである交響曲と弦楽四重奏曲にはベートーヴェン型の4分の3拍子のスケルツォが出現しない。舞曲楽章に相当する第3楽章のテンポは原則として遅めである。例外は第4交響曲だ。第3楽章のテンポが唯一アレグロに達する。この楽章は解説書では「事実上のスケルツォ」と位置付けられていることが多い。4分の2拍子のスケルツォである。あくまでもベートーヴェンとは違う道を歩みたいのだと思う。

例によってブラームスが指向したのは、バッハだ。この第4交響曲はバッハへの思いで出来ている。

  1. 第4楽章のパッサカリア。カンタータ150番の終末合唱のバスが用いられている。
  2. その第4楽章には、平均律クラヴィーア曲集第一巻の10番BWV855のフーガが一部投影されている。
  3. 第2楽章は冒頭いきなりファにナチュラルだ。いわゆる「フリギア」っぽく始まる。

これらに加えて「4分の2拍子のスケルツォ」という概念自体が、バッハの投影なのではないかと感じる。パルティータ第3番イ短調BWV827の第6曲だ。これが実に本日話題の「4分の2拍子のスケルツォ」なのだ。16分音符テンコ盛りの曲想がただならぬ関係を思わせる。根拠はないが何となくである。

2008年2月17日 (日)

クラブ永遠の愛の台所

2月14日の記事「クラブ永遠の愛」の裏側だ。

ブラームスの手がけた各分野で、私の傾倒を決定的にした作品がある。交響曲なら2番だし、室内楽なら弦楽六重奏曲第1番だ。歌曲ならこの「永遠の愛」となる。残念なことに交響曲や室内楽やピアノ曲では、演奏家による演奏の微妙な違いを聞きわけることが出来ずにいる私も、歌曲だと「違いが解る男」になれるのだ。だからこうした企画を思いつく。男女比のバランスが圧倒的に女性に偏っているので紅白歌合戦にはならない。

我が家のCDだけで申せば女性46名、男性25名のうち29名が歌っている。ピアニストのイアン・ゲージは除くから30にはならない。それでもこの「29」はブラームス歌曲中の最大値を形成する。私は「永遠の愛」のCDだけを集めたわけではなく、歌曲のCDを集めまくったのだから、この結果には意味がある。ブラームスの歌曲中の人気ナンバー1だと申して良さそうだ。ちなみに2位はop106-1のセレナーデ、3位は「五月の夜」、4位が「野のさびしさ」、5位「子守唄」である。

一部「深い夜の描写」、二部「男性の落胆」、三部「女性の健気」それぞれにラップタイムを測ったデータもある。これがまたえらく興味深い。小品ながらオペラのような場面転換が持ち味だから、各の部の歌い分けが聴き所だ。ブログでは見易さに配慮してトータルタイムだけを表示したのが残念だ。曲想が大きく変わってしまうので「テネラメンテクリスマス」で試みたようなMM値の逆算は、合計時間でやっても意味がない。

それにしても、通算90000アクセスの達成が一日遅れて14日になっていたら、記事「クラブ永遠の愛」の公開は一年延期になっていたところだ。いまどき「永遠の愛」だなんてチョコに添えるメッセージにも書かれることは無いだろうが、私にとってのヴァレンタインネタだったからなかなかスリルがあった。

実は密かな夢がある。いつの日か自分で「永遠の愛」を歌いたい。クラブ永遠の愛の会員になりたいのだ。

2008年2月16日 (土)

天国に持って行きたい

自作を聴いた聴衆から「天国に持って行きたい」と言われたら作曲家は相当嬉しいと思う。そう言ったのが、親しい女性だったら尚更である。

実際にクララは、こういってブラームスのヴァイオリンソナタ第1番op78を誉めた。特に第3楽章がこの言い回しの対象だったと伝えられている。ブラームスの喜びはいかほどだっただろう。どうもこの作品は女性たちの感性に深く訴えるようだ。才色兼備のリーズルことエリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルグもその一人だ。あろうことか彼女はヴァイオリンソナタ第1番を自分に献呈して欲しいとねだったのだ。ところが親密度ではクララと並ぶ彼女のおねだりだが、実現していない。op78は誰にも献呈されていないのだ。代わりにop78次の番号op79の「2つのラプソディ」がリーズルに献じられた。この2つの作品は同じ年の夏にペルチャッハで完成を見た。このことはとても重要だ。op78は絶対に献呈出来ないという事情の裏返しと見える。代わりにop79を差し出したことは明白である。代わりに差し出したのが「ラプソディ」ならリーズルも満足だろう。

ちなみに「ブラームスの辞書」op78の持ち主は我が家の次女になっている。光栄だ。

ヴァイオリンソナタ第1番op78がリーズルのおねだりにもかかわらず、誰にも献じられていないのは、深い訳がある。クララから「天国に持って行きたい」と言って誉められた作品を別の人に献ずるハズがないのだ。そしてさらに決定的な要因がある。

クララの最後の子供フェリクスは、元来病弱だった。1878年、フェリクスの名付け親でもあったブラームスは病に伏せっていたフェリクスを見舞う手紙をクララにしたためる。ヴァイオリンをたしなんだというフェリクスにちなんで、ヴァイオリンソナタ第1番の第2楽章の冒頭部分の楽譜を24小節にわたって引用した手紙でクララを慰めたのだ。

薬石効無く、明くる1879年2月16日つまり129年前の今日フェリクスはこの世を去る。ヴァイオリンソナタ第1番の完成はその年の秋である。その第2楽章を聴いたクララは、ただちにそれがフェリクスへの見舞いの旋律だと察したに違いない。そして「雨の日には幼い頃を思い出す」という趣旨のテキストをもつ歌曲「雨の歌」の旋律で始まる第3楽章中で、この旋律が回想されるのを聴くに及んで「天国に持って行きたい」と称した。これには「持って行ってフェリクスに聴かせたい」という意味があったに決まっているではないか。当然ブラームスもその意図を察知する。いやそれが察知出来ないような男だったら、こんな曲は書けまい。この曲がリーズルに献じられたらクララをどれほど傷つけるか私でさえ想像出来る。

だから、間違ってもこのソナタを誰かに献呈出来るハズがないのだ。それがリーズルであってもである。

フェリクスの調

名付け親

2008年2月15日 (金)

名付け親

キリスト教社会においては、実の両親とは別に名付け親を設定するしきたりがある。文字通り赤ん坊の名前をつける人なのだが、どちらかというと生まれた子供の後見人としての側面が強い。

生涯独身を貫き、人の子の親になることのなかったブラームスだが、本日話題の名付け親になったことがある。ロベルト・シューマン夫妻の4男だ。彼の出生は1856年6月11日だから、父ロベルト・シューマンがライン川に投身を図った後のことである。

当時、男手のいないシューマン一家のために献身していたヨハネス・ブラームスは、クララに求められて名付け親を引き受けた。この子がフェリクスである。ということはつまり、シューマン夫妻の4男であり、メンデルスゾーンにちなむ名前を持ち、ヨハネス・ブラームスが名付け親なのだ。ドイツロマン派を背負ったような存在である。

名付け親ブラームスはこのときまだ、弱冠23歳だ。

シューマン一家の子供たちと親しく接したブラームスだけれども、とりわけ優しく接したという意味の筆頭格は女の子なら3女ユーリエで、男の子ならばこのフェリクスだ。だからフェリクスの詩に作曲もするし、病篤きを心配してヴァイオリンソナタ付きの見舞い状を届けたりもするのだ。父ロベルトが既に亡き後、後見人の務めでもあったハズだ。ブラームスはそのことを強く自覚していたに違いない。

2008年2月14日 (木)

クラブ永遠の愛

私のためにブラームスの歌曲「永遠の愛」op43-1を歌ってくれていることが入会資格である。大好きな作品なのでこの順でipodに取り入れて人それぞれの歌いっぷりを楽しんでいる。

会員番号/名前/声種/国籍/録音年/演奏時間の順に表記した。

  1. ロッテ・レーマン(SP)ドイツ 1927年 3:53
  2. アレクサンダー・キプニス(BR)ウクライナ 1936年 4:39
  3. ヴィクトリア・ロス・アンヘレス(SP) スペイン1952年 4:46
  4. キルシュテン・フラグシュタート(SP) ノルウェー1953年 3:38
  5. エリザベート・シュワルツコップ(SP) ドイツ1954年 4:52
  6. リーザ・デラ・カーサ(SP) スイス1957年 4:16
  7. ジャネット・ベイカー(MS) イギリス1966年 4:36
  8. エリー・アメリング(SP) オランダ1968年 4:32
  9. アンネマリー・ブルマイスター(AT) ドイツ1971年 4:17
  10. ディートリッヒ・フィッシャーディースカウ(BR) ドイツ1974年 4:37
  11. ジェシー・ノーマン(MS) アメリカ1980年 5:09
  12. ヘルマン・プライ(BR) ドイツ1982年 4:36
  13. マーガレット・プライス(SP) イギリス1982年 4:59
  14. ブルギッテ・ファスベンダー(MS) ドイツ1982年 4:22
  15. イアン・ゲージ(pf) アメリカ1984年 4:39 ※歌なし。
  16. 鮫島由美子(SP) 日本1987年 4:23
  17. アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(MS) スウェーデン1989年4:33
  18. ハカン・ハーゲゴール(BR) フィンランド1993年 4:16
  19. フランソワ・ポレ(SP) フランス1994年 5:09
  20. アンドレアス・シュミット(BR) ドイツ1996年 4:36
  21. ナタリー・シュトゥッツマン(CA) フランス1996年 4:46
  22. カリタ・マッティラ(SP) フィンランド1997年 4:53
  23. モニカ・グループ(MS) フィンランド1996年 4:33
  24. ヴェッセリーナ・カサローヴァ(MS) ブルガリア1999年 4:19
  25. ローマン・トレケル(BR) ドイツ2001年 3:31
  26. デボラ・ポラスキ(SP) アメリカ2003年 4:19
  27. ジュリア・ブライアン(AT) フランス2004年 4:09
  28. アイネス・モラレダ(MS) スペイン2004年 4:27
  29. サラ・コノリー(SP) イギリス2005年 4:23 
  30. 白石敬子(SP) 日本2007年 4:22

全部再生すると2時間16分になる。なんで2時間14分じゃないンだという感じだ。

なんだかチョコが世界各地から30枚届いた気分である。

 

2008年2月13日 (水)

祝90000アクセス

本日ブログ「ブラームスの辞書」開設以来のアクセスが90000件に到達した。

  • 10000アクセス 2006年 3月 8日 283日目
  • 20000アクセス 2006年 8月30日 458日目(175日)
  • 30000アクセス 2006年12月30日 580日目(122日)
  • 40000アクセス 2007年 3月28日 668日目( 88日)
  • 50000アクセス 2007年  6月21日 753日目( 85日)
  • 60000アクセス 2007年 9月 7日 831日目( 78日)
  • 70000アクセス  2007年11月 8日 893日目( 62日)
  • 80000アクセス 2008年 1月 4日 950日目( 57日)
  • 90000アクセス 2008年 2月13日 990日目( 40日) 

80000から90000への10000アクセスに要した日数が40日となった。つまり1日平均250アクセスだ。それもそのはずだ。2008年に入ってから、1日のアクセスが200に達する日の方が多くなってしまった。特に1月14日から2月9日まで27日連続して200アクセスを超えた。おかげで1月の月間アクセス7351は従来の記録を一気に1500も上回る新記録だった。

10万アクセスが5月7日のブラームスの誕生日に間に合う可能性どころか、命日の4月3日までに達成してしまう空気が充満してきた。

このところのアクセスの好調ぶりは管理人たる私もさっぱり説明が出来ずにいる。

驚いてばかりいないで感謝を忘れてはならい。

2008年2月12日 (火)

宗教的

思うに難解。単に「静かで遅い作品」であることの遠回しの表現に過ぎない可能性はいつでも心に留めておきたい。

我々日本人がクラシック音楽と呼びならわしている音楽は、キリスト教と密接な関係があることは周知の通りだから、断り無く「宗教的」という言葉を用いれば即「キリスト教的」という意味と解することが自然である。宗派はさまざまあろうが、キリスト教を信仰し同時にクラシック音楽を育んできた欧州の人々が「宗教的」という言葉を使うのと、我々日本人が使うのとでは、基盤になる共通認識に大きな違いがあると感じている。

10月末のハロウィーンでお菓子をゲットした子供の一部は、その約2週間後に七五三を祝う。そこからまた約40日後には、サンタクロースをあてにする。そしてそのわずか1週間後には、お年玉を手に「初詣」と称して寺社仏閣に押し寄せる。さらにおよそその1ヶ月後にヴァレンタインデーの喧噪に加わる日本人の宗教観が、欧州人のそれと明らかに違うことに異論はあるまい。

日本語で書かれた音楽評論文の中に「宗教的」という単語がしれっと現れるのがあまり好きではない。モテットやミサあるいはレクイエムのように明らかにキリスト教との関連が想定出来る作品は安心して見ていられる。そうした作品以外に「宗教的」という文言を用いるときの定義は、毎度のことながら明らかではない。ブラームスの作品解説にもしばしば現れる。ピアノ協奏曲第1番の第2楽章はその代表格である。

「キリスト教的」と言わずにもっぱら「宗教的」という言い回しをされることも謎の一つだ。宗教が限りなくキリスト教と同義に近い人々ならいざ知らず、日本人の平均的な宗教観の持ち主としては、「宗教的」という言葉を深い顧慮なしに使うことは相当に後ろめたい。

2008年2月11日 (月)

平均律クラヴィーア曲集と第4交響曲

2月4日の記事「影響ごっこ」でブラームスの交響曲第4番がバッハの影響を受けていると書いた。フィナーレの低音主題がバッハのカンタータ150番に由来することが理由の一つだ。

実はもう一つ、平均律クラヴィーア曲集第1巻の10番ホ短調のフーガの冒頭が、ブラームスの第4交響曲のフィナーレ69小節目に似ているような気がする。

  1. ホ短調
  2. 4分の3拍子
  3. 1拍目:上行する分散和音、2拍目以降:Eの保続音と、下降の半音進行の折衷

何とも瞬間芸的な似方で恐縮だが、とにかく音符の並び方は瓜二つである。この手の見た目の類似がバカにならないのは「大陸移動説」でも証明されている。「平均律クラヴァーア曲集大好きなブラームスは、当然気付いてたと思う。

2008年2月10日 (日)

「sempre」意訳委員会

「常に」と解されて疑われることのない「sempre」なのだが、ブラームスの用例を分析すると不可解なケースも目に付く。「常に」の有効期間にバラツキがあるのだ。延々30小節の維持を意図するケースもある一方で、わずか2小節というケースさえある。

2小節の維持であれば、「sempre」など付与されない例も山ほどあるというのに不可解である。「ブラームスの辞書」では、そのあたりの実態を受けて提案を試みている。「sempre」を「常に」と解するばかりでは、限界があるという立場である。

「常に」というのはいわば「維持のsempre」である。特定の状態を長期にわたって維持する意味に加え、放置すると維持が難しい場合も含まれている。

第二のケースは「強調のsempre」である。度合いを煽る意味はないが、特にキチンと守って欲しい場合に用いられると見たい。私の感じた違和感は、総じてこの用法で用いられた「sempre」が「常に」と解されるために引き起こされていた。たとえば「sempre p」を例に取る。「p」の意味を強調する意図はないが、絶対に「p」を逸脱してはならないという場合に使われると考える。「molto p」としてしまうとダイナミクスを減じられてしまうからだ。ダイナミクスへの影響なく「p」を強調するのが「強調のsempre」の機能である。

「くれぐれも」「頼みますよ」あたりを訳語として提案したい。先の例「sempre p」で申せば「くれぐれもpで頼みますよ」というニュアンスである。大切なのは弱くなり過ぎないことだ。pの度合いを増せという意味は無い。

「sempre」の解釈に行き詰まった際の読み替えの選択肢としてお一つ。

2008年2月 9日 (土)

ホ調のソナタ

ブラームスは多楽章器楽曲のソナタを35曲残している。交響曲、協奏曲、室内楽の合計にピアノソナタの3を加えるとこの値になる。

このうち第1楽章をホ長調またはホ短調で開始するケース、つまりホ調のソナタは2例にとどまる。チェロソナタ第1番ホ短調と交響曲第4番ホ短調だ。シャープやフラットが極端に多い調の場合、作品が少ないのは自然だが、シャープ1個または4個の割には少ないような気がする。もちろん第2楽章にはホ長調も出現するが、それはこの際除外である。

この2曲実は共通点があるように思えてならない。

共に2分の2拍子の第1楽章を聴いてみる。冒頭いきなり序奏無く第1主題が奏されて始まる。弱拍に和音を差し込んで行くという伴奏パターンが共通している。

終楽章は、どちらもバッハを隠しテーマにしている。チェロソナタの主題がフーガの技法との関連が取り沙汰されている。交響曲の方は泣く子も黙るパッサカリア。この主題もバッハのカンタータ150番との関連が古来から指摘されている。

バッハとホ短調に何か特別な思い入れがあったのだろうか?

2008年2月 8日 (金)

影響ごっこ

作曲家間あるいは作品間相互の影響についての議論を、学問の域にまで高めようと欲したら、それなりの知識と少々の直観力、そして膨大な検証が必須だ。

しかし、ビールでも飲みながらの放談のレベルにとどまるならば、その限りではない。愛好家の特権とはそのあたりに存在する。本日は交響曲を題材に影響論を展開する。

ブラームスの4つある交響曲について、各々について影響元として相応しい作曲家を考えるというお遊びだ。

  • 第1番ハ短調op68 これはベートーヴェンで決まり。ハ短調という調性、フィナーレにおいてハ長調に転ずることにより仄めかされる「苦悩を克服して歓喜へ」という流れ。歓喜の歌との噂、古来から存在する「第10交響曲」という比喩。
  • 第2番ニ長調op73 シューベルト。生粋のウイーンっ子。ブラームスには珍しい4分の3拍子が氾濫するのは、ワルツまたはレントラーである。ウイーンの象徴だとも思われる。
  • 第3番ヘ長調op90 ブラームス自身。しばしばFAFのエピソードとともに語られる。交響曲で唯一4分の3拍子の楽章が無い。
  • 第4番ホ短調op98 バッハ。フィナーレの主題はカンタータ150番の終末合唱の投影だ。

2008年2月 7日 (木)

重音奏法

弦楽器においては複数の音を同時に発する奏法。

弦楽器の華麗なテクを披露する曲では日常茶飯に見られる。

一方、娘らのヴァイオリンレッスンでは割と早くから取り入れられて驚いた経験がある。先生によれば、重音奏法の練習には以下の通りいくつかのメリットがあるという。

  • 複数の音を同時に出すときには、単独の音を発する場合よりも脱力が大切となる。きれいな響きを聞き取るためにも脱力が必須となるのでコツが習得しやすい。
  • はまったときにアゴを通じて届く独特な響きを体験させて、音程が合うとはどういうことか刷り込ませる。
  • チュウニングを早くに教えられる。
  • 将来より高度なテクを要する曲を習得するためにも早く始めるに越したことはない。

なるほどである。ブラームスは協奏曲にまで行かなくても室内楽の中に華麗な重音がいくつか見られる。ヴァイオリンの事情には疎いがヴィオラに印象的な重音奏法が求められている箇所をいくつか挙げてみる。

  1. すぐ思いつくのは、ピアノ四重奏曲第1番だ。おいしい重音奏法の巣だ。まずは第3楽章の冒頭。ブラームスの室内楽屈指の名旋律をヴァイオリンとチェロが奏するのだが、その影でヴィオラが複雑な重音に挑んでいる。特に3小節目のえぐるような低いEsの音は味わいが深い。こうして立ち上がる第3楽章は手品のような重音に溢れている。弾ければおいしいという感じだ。
  2. 同じくピアノ四重奏曲第1番の第1楽章355小節目も第1楽章の結尾を飾るに相応しい。
  3. ピアノ四重奏曲第3番の第1楽章142小節目にも目の覚めるような重音がある。重音でなければならぬ必然性においては随一の場所だ。164小節目からの後半部と微妙に音程が違うのが悩ましくも美しい。
  4. ピアノ四重奏が続いた。弦楽六重奏第1番にも印象的な重音が存在する。第2楽章113小節目だ。小節の頭でD線の開放弦に触るだけなのだが、バグパイプのような効果が美しい。
  5. ヴィオラソナタ第1番の第1楽章。147小節目から4小節間にも重音が密集している。有り難味において屈指の場所だ。なぜならこの曲オリジナルはクラリネットソナタである。つまり重音なんぞ演奏不能だ。ブラームスが自らヴィオラ用に編曲するにあたって作り込んだ重音だからだ。

2008年2月 6日 (水)

学者交友録

以下の人物のリストをご覧頂きたい。

  1. カルベック(ブラームス)
  2. クリュサンダー(ヘンデル)
  3. シュピッタ(バッハ)
  4. シュピーナ(シューベルト)
  5. ノッテボーム(ベートーヴェン)
  6. ポール(ハイドン)

6人ともブラームスの友人だ。当代きっての音楽学者たちであり名前の後ろに記した作曲家についてのスペシャリストである。「カルベック=ブラームス」という冗談はさておき何とも華麗な交友録である。

これらの友人たちから吸収した情報がブラームスの作品に反映されていることは想像に難くない。こうしてブラームスは自らが第一級の作曲家でありながら、当代最高級の古楽譜の収集家となり、同時に超一流の楽譜校訂者となってゆくのだ。

ブラームスが楽譜の校訂に携わったり、全集の出版に関わった作曲家をざっと列挙する。

  1. カール・フィリップ・エマニュエル・バッハ JSバッハの次男。
  2. ウイルヘルム・フリードリヒ・バッハ バッハの長男。
  3. クープラン
  4. モーツアルト
  5. ベートーヴェン
  6. フランツ・シューベルト
  7. ロベルト・シューマン

まさに学者顔負けである。さらに驚くべきことにこれらの校訂への関与は無署名で行われているのだ。

もしも当時携帯電話があったらブラームスのアドレス帳は華麗な学者の名前で埋まっていたに違いない。

2008年2月 5日 (火)

一期一会

茶道の用語だ。「一生に一度の機会だと思って心を込めましょう」というくらいの意味。主客双方に使える言葉かもしれぬ。茶道以外のいろいろな分野でも頻繁に用いられる。

ブログ「ブラームスの辞書」でも心がけていることがある。

その日ならではの記事を漏らし残すことなく拾い上げることだ。たとえば本年1月7日の「記事千本」やその翌日の「シェヘラザード」が典型だ。

千本目の記事を「記事千本読~ます」と洒落て落とすには、千本目に到達したその日でなければ具合が悪い。「千夜一夜物語」にかこつけるなら1001本目の当日がベストだ。この二つの記事のアイデアを生かす限り、その日であることは譲れない。

あるいは2月1日の記事「十三回忌」に続けた記事2本「背番号13」と「13のカノン」は、「13」をイメージした記事だった。

公開の記事に、その日でなければならぬ必然性を、何とか付与したいと考えることが、ブログ管理の楽しみの一つになっている。

記事の内容と公開日が「一期一会」のような関係であることが理想である。

2008年2月 4日 (月)

ニ短調の緩徐楽章

誰にでもあるのかどうかはわからないが、私はたまにある。特にブラームスに関してだ。根拠を言葉で説明出来ないのに、ある考えが頭から離れないというケースのことだ。本日の話題はその手である。

多楽章の器楽曲においてブラームスは大抵緩徐楽章を置く。室内楽24曲、交響曲協奏曲8曲、ピアノソナタ3曲の計35曲のうち、緩徐楽章が無いのはチェロソナタ第1番くらいだ。全34個の緩徐楽章のうちニ短調になっているケースが2回ある。弦楽六重奏曲第1番作品18と弦楽五重奏曲第2番作品111だ。前者は1860年出版、後者は1890年だ。きっかり30年を隔てる両者は、弦楽器だけの室内楽の第一作と最終作になっている。この両者はニ短調であること以外にも何だか共通点が多い。

  1. 第二楽章に置かれている。
  2. 変奏曲になっている。
  3. ヴィオラが旋律を受け持って立ち上がる。
  4. 曲の末尾で冒頭の主題がほぼ原型のまま回想される。
  5. 4分の2拍子である。

他にもある。前者はリピート記号だらけなのであくまでも参考だが、作品18が159小節で作品111が80小節と倍の開きがある一方、後者は前者の倍のテンポになっている。

弦楽六重奏曲第1番の第2楽章。このほとばしるニ短調にどれほど胸を熱くしたことだろう。ベートーヴェンからブラームスへの嗜好の転換を決定づけた交響曲が第2交響曲だとすれば、室内楽ではこの六重奏曲とりわけ第2楽章だと申していい。室内楽といえばベートーヴェンの弦楽四重奏ばかり聴いていた若造の心を真正面からえぐったような感じだ。恋の相談をしたらベ-ト-ヴェンよりも聞いてくれそうなのがブラームスと感じたのだ。この第2楽章は回答の代わりの身の上話を聴いている感じだ。

さて何だかベートーヴェンのラズモフスキー1番の緩徐楽章にも似ている作品111の緩徐楽章は、作品18の変奏曲の解答なのではないだろうか。根拠レスながらこれが頭にこびりついて離れない。作品18の変奏曲がピアノ独奏に編曲してクララ・シューマンに捧げられたのだから、当然作品111の方もクララへの告白でなければならぬ。類似点がかなりありながら、いささか肩に力の入った前者に比べ後者はすっきりと力みがない。水が低いところに流れ下るように必然性だけで音楽が進行しているかのようだ。肩の力を抜くというのはこういうことなんだという好例である。

さて作品111の五重奏曲を書き終えてブラームスが創作意欲を失った話は、どんな伝記にも大抵載っている。創作意欲を失ったのではなく、クララへの解答を為し終えた安堵感だったなどというオチもひょっとするとひょっとするかもしれないと感じている。

根拠の無い直感である。根拠は無いが、愛情だけはあるつもりである。

2008年2月 3日 (日)

13のカノン

ブラームスの晩年を著述した書物ではたびたび言及されていることがある。作品111の弦楽五重奏曲第2番の完成後、創作力の衰えを感じたために、以後作曲するまいとブラームスが決意した話だ。

もう作曲はやめて古い作品の整理や推敲に徹する決意をしたという。その決意によっていくつかの古い作品が整理推敲されたのだとは思うが、その結果出版に結びついたケースは少ない。WoO33を背負った名高い民謡集もその一つだ。

これが作品番号有りの作品となると、該当する作品はおそらく「女声合唱のための13のカノン」op113だけだ。作品に含まれる13曲は全て1859年からの約10年の間に作曲されている。今日のような静かに雪の降る午後に、ピタリとはまり込む清らかなアカペラの女声合唱だ。民謡に題材を求めながら、カノンの装いを巧みに付加している。4番の子守唄はWoO31「子供のための民謡」の11番と同じ旋律、同じテキストだ。つまり、過去に書き溜めた作品からお気に入りを取り繕ってカノンに仕立てたという性格を帯びている。自らの音楽を世に問う野心のこもった作品ではない。最晩年の珠玉のピアノ曲集、一連のクラリネット室内楽、「4つの厳粛な歌」、そしてコラール前奏曲を発表する前の露払いにも見える。

全体の曲数が13で、作品番号が113というのは、はたして偶然だろうか。ブラームスのいたずらである可能性もあると感じる。

2008年2月 2日 (土)

背番号13

中学時代バスケットボールをしていた。3年になって12名のレギュラーに選ばれた。レギュラーにはユニホームが貸与される。4番から15番までの12個の整数が割り当てられる。私の背番号は13だった。昭和49年のことである。1974年だからワールドカップ西ドイツ大会の年だ。優勝した西ドイツにはゲルト・ミューラーが、準優勝のオランダにはヨハン・ニースケンスという主力が13番をつけていたこともあって嬉しかった覚えがある。

中学入学時に144cmしかなく、2年になっても大して伸びなかった私のポジションはガードだ。チビはそれしかないという感じだった。ところが2年から3年の丸2年で30cmも身長が伸びた。結果チームの背番号5を付けてセンターだった男と肩を並べるようになった。身につけたスキルはガードのスキルなのに、サイズだけはセンターと同等ということだ。

市の大会の戦歴としては昭和42年と39年に優勝の経験があったが、43年以降6年間一回戦負けが続いていた。私たちの代は強かったのだが、5月の市民大会では不覚にも2回戦負けを喫した。生徒だけで話し合ってレギュラー全員が自主的に頭を丸めた。もちろん私もである。3年生最後になる夏の大会では、3位になった。市の大会といっても3回勝ってようやくベスト4というなかなかの規模だった。中途半端な位置付けだった私はもちろん控えだ。4試合全てに出場したが、得点は3である。まだ「3ポイントシュート」の無かった時代の話だ。

同じ釜の飯を食った仲間のうち私を含む3名がクラシック音楽に走った。キャプテンで4番をつけていた男は大学に入ってコントラバス、センターで5番をつけていた彼がチェロを始めた。その縁で私は某大学オケの演奏会でエキストラに呼ばれた。演奏会当日のお弁当だけで引き受けた。

曲はブラームスの第2交響曲だった。

2008年2月 1日 (金)

十三回忌

今日は亡き妻の十三回忌だ。法要は既に済ませた。

3人の子供たちは上から15歳、14歳、12歳だ。あっと言う間のようでもあるが、丸12年ともなるとやはり一昔前と感じる。ママを無くした時次女は5ヶ月。つまり彼女の満年齢を見ていると法要を忘れずに済むのだ。16歳で17回忌、22歳で23回忌だ。次女だけでなく3人とも母の記憶がほとんど無い。母に関しては呆気ないくらいクールだ。油断は禁物だが、今のところそれがストレスにはなっていないと思われる。

一番年下の次女も間もなく身長で祖母に追いつくし、長男は私を抜くだろう。既に冬一番風邪をひきやすいのは祖母になっている。

「親はなくても子は育つ」とは上手いことを言ったものだ。だがこれには重要な下の句が隠れている。「誰もいないと育たない」と付け加えなければならない。母親代わりの祖母を含めたみんなが元気にここまで来ることが出来たことを振り返る一日だ。

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