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2008年2月22日 (金)

フェリクスの調

2006年5月21日の記事「嬰ヘ長調」で述べたとおり、クララとフェリクスの母子と「嬰へ調」は何かと関連がある。クララ・シューマンに献呈された作品2つはどちらも嬰へ短調だったし、フェリクスの詩をテキストにした歌曲は3曲のうち2曲が嬰ヘ長調だ。

その話を前提にした上で今日の記事は成り立つ。

ヴァイオリンソナタ第1番ト長調op78は、第3楽章の主題がブラームス自身の歌曲「雨の歌」op59-3の旋律をそっくり引用していることはよく知られている。「雨の日には幼い頃を思い出す」という趣旨のテキストはクラウス・グロートによるものだが、ブラームスがこのテキストからフェリクスのインスピレーションを得たのではないかと一昨日の記事「緩徐楽章の回想」で述べた。私がそのように感じる理由が実はもう一つある。

ヴァイオリンソナタの引用元となった歌曲「雨の歌」op59-3は実は嬰へ短調だ。「雨の歌」は1873年の成立だ。何のことはないフェリクスの詩に付曲した「我が恋は緑」嬰ヘ長調と同じ年の生まれである。

さて原曲では嬰へ短調だった旋律が、ヴァイオリンソナタに転用されたときト短調に変換されている。嬰ヘ音を主音にするのはヴァイオリンにとってはあまりありがたくないからだ。実はこの半音の引き上げには嬉しくなるような実例がある。ヨアヒムはブラームスのハンガリア舞曲をヴァイオリンとピアノ用にと編曲しているが、原曲で嬰へ短調の5番をト短調に変えているのだ。ヨアヒムのお墨付きをもらったようなものだ。ヨアヒムはもちろんこのソナタの私的初演でヴァイオリンを担当した。

嬰へはドイツ式の音名で申せば「Fis」だ。

まさかと思うことがある。

この「Fis」がフェリクスつまり「Felix」の音名化された姿だったなどという想像は無謀が過ぎるだろうか。

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コメント

<魔女見習い様

クララの100分の1でもいいから察知したいものです。

<どら様

ブラームス系の妄想ならお任せ下さいと胸を張りたいところですが、掘り下げの甘い記事を見かけたら、バッサリとご指摘ください。

甘やかしは禁物です。

フェリクス・シリーズ
楽しく拝読しております。

ブラームスが作品に盛り込んだ意図のすべてを、
クララは敏感に察知していたことでしょう。

アルトのパパ様


暴走癖? え? 暴走なんて思いもつかずいつも首捻挫しちゃうかもってくらい、首縦にふって納得してうるうるしちゃうんですけど・・・

私が最近、確信したのは、ドビュッシーは、版画をつくったとき、テンポを数字遊びで決めたということ(誰にその時代にそんなメトロノームないじゃん!と、つっこまれても気にしない~)
77 66 88 なんです。
そう思うとワクワクですよ

私の回りの作曲家もそんな感じだし・・ 楽譜の向こうを妄想しまくる自由ってプレーヤーの特権だと思います!

楽しいですねー
幸せな時間です!

感じちゃうし、思い付くのを止めろと言われても無理な話です(笑)

<どら様

ありがとうございます。

場合によってはお叱りも覚悟しておりましたが、心強いリアクションをいただき光栄です。

というより私の暴走癖にも慣れてしまわれたのではありませんか?

間違いないですよ 絶対そうだと思います

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