手心
辞書を紐解けば「状況に応じて加減すること」「手加減」とある。好きな言葉の一つだ。大抵は「手心を加える」と用いる。
演奏という行為は音を出すことが必須だ。最初から終わりまで全部休符という作品を音楽と呼べるかどうか疑問である。つまり放置すれば無音となってしまうのに、何らかの操作をして音を発することが音楽の大前提となっている。「鍵盤を押す」「弦をはじく」「息を出す」という積極的な行為が引き金になって音が発せられるのだ。
ブラームスが楽譜に記すダイナミクス記号の最大勢力は「p」である。単独使用例は約5700箇所、「p」を含む用例がこのほかに1800箇所ある。全体の35%が「p関連」だ。ちなみに「f」は23%である。音を発するという行為は積極的な動作の結果ではあるのだが、その音が「p」の範囲にとどまるために必要な措置を個人的に「手心」と呼んでいる。
実はブラームスの作品には手心の必要な場所が多い。約150種存在する「p」を含む語句は皆これに該当する。出しっぱなしはダメで何らかの手加減が要るのだ。「mp」から「ppp」に至る「p系」に範囲を広げると300種になる。「mf」から「fff」の「f系」170種のざっと倍になる。より繊細な手加減が必要な「p系」が倍も優勢なのだ。
では「f系」が手心なしでよいかというとそうではない。「mf」「poco f」「un poco f」のような微妙な記号も手心が必須である。あるいは周囲を「ff」に囲まれながら、じっと「f」にとどまる場合については「f」でさえ手心が要ると思われる。
その手心の秘密に何とか迫ろうとした結果、「ブラームスの辞書」は「p」の項目だけで135ページも費やしてしまっているのだ。
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