緩徐楽章の回想
ヴァイオリンソナタ第1番の話だ。
第2楽章の冒頭主題が、そっくりそのままフィナーレ第3楽章の第2副主題となっている。「4分の2」と「4分の4」という両楽章の拍子の違いを物ともせずに、音価の操作で聞こえを調節し、結果として同じ旋律に聞こえるという手の込んだ代物だ。
第2楽章の旋律が回想される終楽章は、「雨の歌」のニックネームの元になった楽章だ。ブラームス自身の歌曲「雨の歌」op59-3の冒頭旋律がそっくりそのまま用いられている。クラウス・グロートの手によるテキストは雨の日に楽しかった幼い頃のことを思い出すという内容だ。
第2楽章の冒頭旋律が元々クララの息子フェリックスの病を見舞うために引用された旋律だったことを2月16日の記事「天国に持って行きたい」で言及した。だからこのソナタが誰にも献呈されなかったとも述べた。それほど大切な旋律なのだ。ロンド形式の第二副主題だということにも意味がある。フィナーレ第3楽章が、このフェリクスの旋律を中央に据えて、シンメトリーな構造をしていることに他ならない。第3楽章の奥座敷にひっそりと鎮座しているということだ。
「雨の歌」のテキストが表現する楽しかった幼い頃とは、フェリクスの思い出と重なるのだ。だからフェリクスを見舞った旋律が第3楽章で回想されると解したい。長々と回想されるワケではない。一瞬かするように回想される点ブラームスのデリカシーを感じる。多楽章作品において緩徐楽章の旋律が終楽章で回想されるケースは多くない。多くないどころかこのヴァイオリンソナタ第1番だけである。幼い頃の回想とあの旋律を、どうあっても共存させたいブラームスだったのではあるまいか。あるいは、この共存を聴かせることがこのソナタの目的とさえ思える。
ヴァイオリンソナタ第1番には、フェリクス・シューマンの回想という隠しテーマがあったかもしれない。だからそれを察したクララが「天国に持って行きたい」と言ったのだ。
「雨の歌」という異名ばかりがやけに有名になってしまったが、音楽の神様か歴史の神様が、くしゃみでもしていたら「フェリクス」というタイトルになっていてもおかしくなかったと思っている。
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