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2008年3月30日 (日)

曖昧と確信の狭間で

ブラームス節の根幹が「曖昧さ」にあることは、ブログ「ブラームスの辞書」で何度も述べてきた。その曖昧さは多岐にわたる。「調」「形式」「リズム」「旋律」の諸点における「曖昧さ」こそがブラームスの魅力になっていることは、下記の通り折に触れて言及してきた。

忘れてはならないことが一つある。ブラームス節の根幹を形成するとは言っても「曖昧さ」だけで作品が出来上がっている訳ではない。「曖昧さ」はいつも「確信の深さ」とセットになっている。ブラームスにおける「曖昧さ」は「確信の深さ」を写すツールなのだ。和声においてしばしば「衝突と解決」と言い表されている二面性に似ている。そうした対比の鮮やかさこそがブラームスの意図なのではないかと思っている。

中学高校とベートーヴェンにのめり込んでいた私の脳味噌にとりついて、わずか半年で主役の座についたブラームスだが、今にして思うと本日話題の二面性にすっかり打ちのめされたと説明し得る。表裏一体の関係にある「曖昧さと確信」の妙が決め手だ。誤解を恐れずに断言すれば、そこにベートーヴェンに無い物を見たのだ。19歳の私の脳味噌がベートーヴェンの音楽は「確信」だけで出来ていると直感したと言い換えても良い。中学高校の時代はそれでよかった。学生オケ2年目を迎えた19歳の私が急激にブラームスに傾いた理由はおそらくそれだ。

いくつか味わったささやかな挫折もきっと関係しているだろう。音楽面そして恋。いけいけだけでは収まらない「心の変化」が起きたのだ。変化によって出来た隙間にブラームスの音楽が過不足無く収まったのだ。

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