愛の歌
「Liebeslieder」の訳語だ。作品52の18曲が知られている。さらに「Neue Liebeslieder」作品65の15曲がこれに続く。両者に共通するのは、その特異な形態だ。
ソプラノ、アルト、テノール、バスの4名に連弾のピアノという編成になっている。ブラームス自身の編曲による歌唱抜き連弾オンリーのバージョンも出ている。合計33曲全てが4分の3拍子で書かれ、事実上「im Landler tempo」(レントラーのテンポで)という指定を持っている。
まずは編成だが、33曲全てにソプラノ、アルト、テノール、バスの4名の参加が求められている訳ではない。内訳は以下の通りだ。
- 全員参加 19曲
- ソプラノだけ 4曲
- ソプラノとアルト 3曲
- テノールとバリトン 2曲
- アルトだけ 2曲
- テノールだけ 2曲
- バリトンだけ 1曲
何だか家庭的な匂いを感じる。音楽好きの一家が休日の昼下がりを歌で過ごすような感じだ。現在の日本ならカラオケかもしれないが、当時のドイツ・オーストリアにこうした編成の作品を求める土壌があったのかと想像したくなる。いわば「声楽四重唱団」の存在を前提にしなければ書きにくい作品だと思う。これが単なるピアノ伴奏ではなくてピアノ連弾の伴奏だというところがまた凝っている。この手の編成のニーズが本当にまとまった量存在したかどうかは怪しいとも思う。
他の作曲家には例を見ないからだ。ハイドンが創設し、ベートーヴェンが完成に導いたという弦楽四重奏曲ならば、既に確固たる市場が存在し、作り手もその市場への供給を前提に作品を生み出し、それがさらに弦楽四重奏人口を増やすという再生産のフローが出来上がっていたと推定できるが、「声楽四重唱」ではそうも行くまい。弦楽四重奏団やピアノ三重奏団が常設団体として数多く存在することとは対照的である。この2種の団体にプラス1あるいはマイナス1で大抵の室内楽は演奏が可能である。現在まで続く室内楽の隆盛はこのことが寄与していると思われる。
これに対して先の「声楽四重唱団」はいかにも分が悪い。CDを発売しようと思うと、そこそこの歌い手4人とピアニスト2人をかき集めねばならない。コンサートでも事情は同じだ。
作品自体に罪はないが、CDの種類も少ないし、演奏会のプログラムに取り上げられることも少ない。よっぽどのブラームス好きでなければ触れ合うことがない。
ブラームスへの愛の深さが試される曲である。
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