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2008年4月13日 (日)

早過ぎと遅過ぎ

1850年バッハの没後100年を機に、ライプチヒにバッハ協会が設立された。発起人として24名の音楽家が名を連ねた。音楽観の違いを乗り越えて、「ドイツの誇り・バッハ」のためにという感じが充満している。

24名というのがなんだかバッハ的だ。そのリストを眺めていて、フェルデナンド・ダビッドという名前を見つけた。やっぱりという感覚だ。インヴェンションの室内楽版に編曲者として名前が挙がっているフェルデナンド・ダビッドと同じ名前だ。バッハ協会の設立発起人による由緒ある編曲だと考えたい。ライプチヒのコンサートマスターである。メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲の初演にあたり独奏ヴァイオリンを担当したことでも有名だ。

そのメンデルスゾーンは24名にはいっていない。14歳のクリスマスに、祖母からマタイ受難曲のスコアを贈られている。彼はその6年後に弱冠20歳でマタイ受難曲の再演を指揮することとなるバッハ復興の中心人物だ。ところが1847年にこの世を去り、バッハ協会の設立発起人になることが出来なかった。早過ぎる死である。

バッハ協会の設立時17歳だったブラームスもまた、発起人に名を連ねていない。ピアノが少し上手で作曲もしたU-20だったに過ぎないからだ。つまり生まれるのが遅過ぎた。

歴史はタイミングである。

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