大切な事を小声で
言葉に込められた思いと音量はしばしば正比例の関係ではない。思いの深さとは裏腹に小さな声で語られることがある。恋人同士の語らいはその典型だろう。たとえが良くないことを棚上げにすれば、悪代官と回船問屋の密談もしばしば小声だ。「そちも悪よのう」の類である。一方で、それらとは逆に声は大きくてハッキリしているのに何を言いたいのかサッパリわからぬというケースも目立つ。確固たる信念もないまま、声の大きさだけで見せかけの説得力を獲得してしまう発言も大人の世界ではたびたび見かける。
実はこのアンバランスはブラームス作品にも観察される。それどころかブラームス節の根幹を形成する特徴の一つだと考えている。楽語「p espressivo」がブラームスの楽譜上に頻繁に出現することの説明に、「ブラームスの辞書」では「大切な事を小声で言いたいことが誰にでもあるでしょ」という言い回しをしている。「p」は一般に「弱く」と解されて疑われない言葉だからこその措置だ。「p」を何の断りもなく放置すれば、予備知識無き受け手は音楽が弱いことと錯覚してしまうリスクがつきまとう。音楽が弱いことがひいては、込めたい思いが大して深くないと受けて取られてしまうのだ。かといってダイナミクスが「mf」「f」という具合にエスカレートしてしまうのは、もっと困る。それを楽語で表したのが「p espressivo」だというのが私の考えだ。
ブラームスが用いたダイナミクスの重心は「p」にある。ブラームスは「p」の持つそれらもろもろのリスクを承知でダイナミクス記号「p」を多用したのだ。
言いたいことが濃い時こそ、じっと声を潜めて相手の目を見る。ブラームスのことだから、時には上目使いのこともあっただろう。自分に自信があればこそ、小声で済むのだ。
まさにこうした姿勢の楽譜への反映が「p espressivo」だと考えている。約300箇所がほぼ全生涯にわたって満遍なくちらばっている。強いて言うと器楽曲側に手厚い分布になっている。
思いの深さはダイナミクスとは必ずしも比例しないのだ。
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