ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« 社会学的実験 | トップページ | ブラームスの碓氷峠 »

2008年4月11日 (金)

ハンスリックの本心

メンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」の再演を契機に、バッハの復興が進んだことはよく知られている。それにつれて演奏の機会も多くなった。時は19世紀後半、音楽史的に申せばロマン派が爛熟にむかう時代だ。

バッハのカンタータや受難曲に現われるレチタティーボ・セッコは本来、通奏低音のみが歌の声部に付随するのが通例だったが、時代背景に触発されてか、ワーグナー風の大管弦楽に伴奏させてしまうような解釈が現われた。ロベルト・フランツというハレの作曲家兼指揮者がその代表だ。シューマンとリストを足したような名前が出来過ぎ風だが、本当である。

当時欧州の楽壇を2分する論争があったことは有名だが、大管弦楽伴奏のレチタティーボはワーグナー派から称賛をもって迎えられた。これらの動きはシュピッタのような学者からは支持されず、バッハ作品の演奏解釈上の小論争に発展した。ブラームスは直接論争に参加した訳ではないが、言うまでも無くシュピッタ側だ。小論争と言うのは、間もなく論争が終わったからだ。どちらの勝ちかは申すまでもあるまい。

この小論争について調べているうちに意外なことに気付いた。反ワーグナーの論陣の主役であった批評家のハンスリックは、大管弦楽伴奏のレチタティーボ演奏を支持したというのだ。申すまでも無くハンスリックは反ワーグナーを唱える一方でブラームスを擁護したから、大管弦楽伴奏の支持には違和感がある。

ブラームスを擁護したハンスリックだが、このあたりの波長のズレは気になる。ハンスリックは当初ワーグナーに心酔し、後からアンチワーグナーに転じたといわれているけれども、心の底からブラームスラブだったのだろうか。この手のズレを見せられると本当はやっぱしワーグナーだったのではあるまいかと勘ぐりたくなってしまう。

何やら事情がありそうだ。

« 社会学的実験 | トップページ | ブラームスの碓氷峠 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ハンスリックの本心:

« 社会学的実験 | トップページ | ブラームスの碓氷峠 »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2023年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ