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2008年5月 4日 (日)

出世作

音楽、文学、美術等の創作系諸分野で、制作者が世の中に確固たる地位を築くキッカケとなった作品のこと。デビュー作が出世作になる人がいるかと思えば、出世作以降パッタリという人もいる。出世が本人死後のことさえある。もちろん一度も出世作を発することが出来なかった人が一番多いことは言うまでもない。

さてさてブラームスの出世作は何だろう。ハンブルグの貧しい家庭に生まれたブラームスが音楽一本で皇帝から勲章をもらったのだから、出世したと考えることに異論はあるまい。ブラームス程度では出世と呼べないとなると本日の記事そのものに意味が無くなる。

作品1のピアノソナタ第1番はデビュウ作ではあるが出世作とまでは言えまい。ロベルト・シューマンのセンセーショナルな紹介のおかげで認知度だけは急激に上がっていたと思われるが、作曲家としてただちに広く認知されたとは思えない。中には「お手並み拝見モード」の人もいたと思う。

一般には1868年のドイツレクイエムによって作曲家ブラームスが地位を確立したとされている。伝記を紐解けば一応納得できる。実はドイツレクイエムから1年遅れて出版されたハンガリア舞曲も出世作と呼ぶに相応しいと感じている。世間一般への浸透が進んだという意味では、こちらが上とさえ思える。CDもipodも無い時代、音楽を気軽に楽しもうと思えば家庭でのピアノ演奏が主流だった。ピアノ連弾用のハンガリア舞曲は、楽譜の売れ行きという面でセンセーショナルな成功をブラームスにもたらした。曲の規模、内容、出来映えにおいてドイツレクイエムに何等のケチをつけるものではないが、だからといってドイツレクイエムの楽譜がガンガン売れまくるということは考えにくい。

1868年頃から作曲家としてのステイタスが上がったことは間違いないのだろう。そのキッカケをドイツレクイエムの初演成功に求めるのは自然なことだが、1869年のハンガリア舞曲の出版も無視出来ない要因だと考えている。ドイツレクイエムの功績はしばしば強調されるが、ハンガリア舞曲の貢献が相対的に無視されていると思えて仕方がない。

欧州の平均的な家庭への浸透度を高めたという意味では、ハンガリア舞曲の貢献度は偉大である。

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コメント

<魔女見習い様

おそれいります。

「ハンガリア舞曲舐めたらイカンです」とミルヒーに言われてしまいますよ。

>ハンガリア舞曲も出世作と呼ぶに相応しいと感じている。
本当ですね♪

もしもタイトルが <ドイツ> レクイエムではなく、
<ハンガリア> レクイエムだったなら、
評価もまた違ったかも?(笑)

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