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2008年6月30日 (月)

濃度測定

6月27日の記事「濃さの分類」で「質的濃さ」は管理が難しいが、「濃度」や「量的濃さ」はさほどでもないと述べた。実際に測定してみることにした。

公開済みの記事1175本全てを以下の4つに分類した。

  1. ブラームスネタ ブラームスに直接言及している記事。「ブラームス」という固有名詞が出現しない記事であっても良い。あるいは「ブラームスの辞書」名物のこじつけネタであっても構わない。
  2. 準ブラームスネタ 書籍版とブログ版「ブラームスの辞書」について言及している記事のうちこじつけに失敗している記事。本日のこの記事はここに分類される。カテゴリーで申せば「ブログマネージャー」「執筆の周辺」「出版の周辺」「販売の周辺」だ。アクセスネタや開設~周年ネタなどもここに属する。「ブラームスの辞書」についての言及をブラームスネタにカウントしては甘えの原因になる。
  3. 非ブラームスネタ 音楽ネタであってもブラームスへのこじつけに失敗したネタ。たとえば娘らのレッスンネタや次女のトロンボーンネタ、あるいはバッハやクララネタでブラームスにかすらねばここにカウントされる。のだめネタの一部もここだ。
  4. 非音楽ネタ 上記1~3以外だ。主にブラームスにこじつけそこなった家族ネタあるいは中国ネタがここに入る。

幸い記事のタイトルと要旨をエクセルで管理しているから、それだけを見て直観で色分けする。迷ったらより数字の高い方に入れる。出来るだけ直観でサッと分類するのが大切だ。

興味深い結果が出た。

  1. ブラームスネタ   722本 61.45%
  2. 準ブラームスネタ 277本 23.57%
  3. 非ブラームスネタ 142本 12.09%
  4. 非音楽ネタ      34本 2.89%

ブラームスネタ本体(1)と、書籍やブログ「ブラームスの辞書」ネタ(2)を合わせた広義のブラームスネタは約85%になる。

準ブラームスネタが多い。アクセスネタや○○周年ではしゃぎ過ぎた自覚があるから、実感と一致する。さらにカテゴリー「70 ブログ出版」で騒ぎ過ぎるとこれまた準ブラームスネタが増加することになる。加えてバッハやトロンボーンのおかげで非ブラームスネタも増加の兆しがある。

下書きを終えている記事を含めた1697本全てについて同様に集計すると以下のようになる。

  1. ブラームスネタ   1065本 62.76%
  2. 準ブラームスネタ 410本 24.16%
  3. 非ブラームスネタ 185本 10.90%
  4. 非音楽ネタ      37本  2.18%

ブラームスネタが1000を超えているのは嬉しい。こじつけぶりまでが鑑賞の対象になっているせいもあるが気分がいい。備蓄記事側のブラームスネタが高いのは当たり前だ。非ブラームスネタが多いタイムリー記事は先行下書きが出来ないからだ。

本の宣伝という趣旨を考えると準ブラームスネタは、ブログ本来の記事だが、純粋なブラームスネタを求めて立ち寄った読者には違和感も生じよう。扱いが難しい。

ブラームスネタの濃度を維持向上するためには、アクセスネタや周年ネタではしゃぎ過ぎないことが大切だ。ココログのキャンペーンに当選した勢いで創設したカテゴリー「70 ブログ出版」は、困ったことに準ブラームスネタだ。つまりあまりはしゃぐとブラームスネタの濃度が下がってしまう。

生誕200年に達する頃、この構成比がどうなっているか興味深い。

2008年6月29日 (日)

Voce 考

バッハのフーガの楽譜に触れているとしばしば「声部」という言葉に出くわす。あるいはフーガの解説の中に「4声のフーガ」「3声のフーガ」というような表現を見かける。

どうもこの場合の「声」がイタリア語では「voce」に当たるらしい。「4声」という場合は「4 voci」という具合だ。「voci」は複数形である。申すまでもなくこれは英語で言うところの「voice」だ。

この「voce」という言葉はブラームスの楽譜の上では「sotto voce」「mezza voce」として現れる。このことは既に2005年10月7日の記事「VOCE系のお話」で書いた。

声楽起源の言葉で「声をひそめて」「抑えた声で」と一般に解されている。ブラームスは初期において「voce系」の言葉は必ず「p」「f」等のダイナミクス用語に添えられて出現するが、中期以降「p」や「f」等を伴わずに出現するようになる。この両系統が混在する様子を、2つの異なる尺度の混在と位置づけている。メートル法と尺貫法の混在みたいなニュアンスだ。

さて本日「voce」に「声部」を指し示す意味があると申し上げた。この観点から眺めると別の側面が浮かび上がる。「voce系」は「p-f系」に拮抗する第二のダイナミクス体系というより、声部の位置づけを示す機能だと捉えなおしたい。2系統のダイナミクス体系が脈絡もなく混在すると考えるよりも、機能が違うと解したほうがすっきりすると感じる。特に中期以降頻発する「voce系」の単独使用にその傾向を感じる。声楽起源の言葉でありながら器楽曲にも頻繁に出現することもすっきりと説明し得る。

何かと厄介なことが多い「voce系」の解釈にあたってのヒントになりはせぬかと思っている。

2008年6月28日 (土)

狩の目的

6月18日の記事「やっぱりバッハ」で、禁則違反指摘件数の第1位がバッハであると書いた。その数49件。第2位のモーツアルトを断然引き離す抜きん出た位置付けだ。

今度はその49件の内容の話だ。

その49件のうち40件が、管弦楽付きの宗教曲だ。カンタータとクリスマスオラトリオ、ロ短調ミサ、マタイ受難曲の類である。

既に何度か言及した通り、ブラームスは30才台で、ウイーンジンクアカデミーや楽友教会の芸術監督を歴任した。プログラムの決定と演奏の指導の責任者でもあったのだ。これらバッハの宗教曲の大半は、マッコークルの648ページにある「ブラームスによる上演曲リスト」と一致する。つまりブラームスは演奏の準備として楽譜を深く見つめる中から禁則違反の数々を発見しそれを書き留めたと見ることが出来る。この上演曲目リストに挙げられているバッハ以外の作曲家の多くは、禁則違反リストにも載っていることからも明らかだ。

禁則違反のリスト化は、単なるお遊びではなくて、自らの演奏のための準備の副産物である。

エクセル化しておくとこういうことも判るようになる。表計算ソフトの定番であるエクセルだが、これは日本一音楽的な使用法かもしれない。

2008年6月27日 (金)

「濃さ」の分類

5月30日、ブログ開設3周年を祝う記事「記事50本」で2033年5月7日のブラームス生誕200年まで継続することについて、「本数は驚くには当たらない」と余裕をかました。同時に「問題はネタの濃さだ」と課題を挙げた。

この場合の「濃さ」とはいったい何だろう。そのように偉そうな態度に出るからには「濃さ」について明確な定義を持っていなければなるまい。

  1. 質的濃さ 個々の記事1本1本についての内容の充実度。
  2. 濃度 記事の総数に対するブラームスネタの割合。
  3. 量的濃さ ブラームスネタの絶対数。

3番の「量的濃さ」は、あくまでも2番の「濃度」を補完する意味合いだ。ブログの記事が全部で10本しか無い場合、そのうちの9本がブラームスネタであることをもって「濃度90%です」と申し上げたところで失笑のキッカケでしかない。ある程度の濃度が相当数の記事の量に伴われて初めて積極的な意味が生じると考える。

定義が難しいのは1番の「質的濃さ」だ。

  • ネタを支えるデータの豊富さ。
  • 着眼の独自性。
  • ブラームス作品全てのジャンルへの漏れの無い言及。

定義の難しさは、当然管理の難しさに直結する。ブラームスネタの本数と頻度を見張っていればいい2番3番よりも数段厄介だ。何か良い管理指標はないものか。

だからブログ「ブラームスの辞書」が「濃いですね」と誉められるのは相当嬉しい。

2008年6月26日 (木)

ネガティブキャンペーン

事実上の選挙用語かもしれない。2人の候補者の一騎打ちの選挙戦で、しばしばネガティブキャンペーンの応酬が見られる。

選挙運動の主流は公約の宣伝を通じて、自らの優位性のアピールをするというのが自然だ。しかし世の中そうも行かないことが多い。相手の欠点の指摘がこれに取って代わることも少なくない。これが「ネガティブキャンペーン」だ。相手のイメージを下げることを通じて、結果として自分を持ち上げることが狙いである。行き過ぎると見苦しいことは周知の通りである。

6月21日の記事で紹介した「悪口の辞典」はこの手の攻撃に満ちている。とりわけブラームスの時代には音楽史上でも有名な論争が行われていたから、攻撃の手数も増えていったと思われる。しかしである。エピソードとしてこの論争の激しさがどれほど印象的であろうとも、ラジオもテレビも無い時代だ。論争は主に新聞や雑誌の誌上で行われたのだ。そこで繰り広げられた論争の激しさは先の「悪口の辞典」でうかがい知ることが出来るが、ブラームスの言われ方はぬるい方だと感じた。

時は流れ現代はネット社会だ。その手の論争はしばしばネット上の掲示板で発生する。

もちろんブラームス派とワーグナー派の論争がある訳ではないが、サッカーのサポーター間のやりとりなどは相当過激である。私はサッカーが好きだから贔屓チームを取り扱うサイトをいつも閲覧するが、直視に耐えない論争も起きている。シーズン中ともなれば週に1回か2回行われる試合が、絶え間なく論争のタネを供給する。

理不尽で一方的な書き込みにさらされることも多い。管理人の苦労ばかりが透けて見える。それに比べればブログ「ブラームスの辞書」は無風である。

ブラームスを贔屓するあまり、他の作曲家にネガティブキャンペーンを仕掛けてはなるまい。そんなことをしなくてもブラームスは十分に偉大である。

2008年6月25日 (水)

プロフィールページ

大抵のブログには管理人のプロフィールを記したページがある。管理人の自己紹介が主な内容だ。

もちろんブログ「ブラームスの辞書」にもある。ところが、ブログ「ブラームスの辞書」のプロフィール欄は管理人である「アルトのパパ」の自己紹介はごく少量で、大半は著書「ブラームスの辞書」のプロフィールになっている。ちょっとしたフェイクだ。私のプロフィールはブログに長く親しむ中から感じ取って欲しいものであってプロフィール欄の限られたスペースで伝えきれるものではないというメッセージをこめているつもりだ。

ブログのアクセス解析ツールの機能が向上したおかげで、ブログ「ブラームスの辞書」を訪れた人がどの程度の割合でプロフィール欄を閲覧しているかが判る。自分が訪問者の立場になってみると、訪問したブログが面白いときに、筆者の氏素性が知りたくてプロフィール欄を開けることが多い。だから自分のブログのプロフィール欄が見られているのはとても嬉しいことなのだ。ましてそこには「ブラームスの辞書」の発注方法も載っているのだから期待もふくらむ。

ひょんなことからブログ「ブラームスの辞書」にたどり着いて、はじめて記事を読んだ後「筆者の顔が見たい」と思われたことは、ほぼ確実だ。好き嫌い両面の可能性はあるが、ひとまずポジティブに考えている。

ココログ出版の事務局からお知らせが届いている。モニターに当選して作って頂く本の著者プロフィールは、ブログのプロフィール欄の内容がそのまま反映するという。このことは、プロフィール欄にはブログの管理人のプロフィールを書くことが前提であることを物語る。私のブログは自分のプロフィールにはなっていない。

もし修正するなら本日25日中にと薦められている。少し迷ったがこのままの放置することにした。自分の保存用でもちろん非売品だからそれでも支障はあるまい。

2008年6月24日 (火)

複数年契約

2年以上にまたがる契約。特にプロスポーツの世界で聞かれる言い方だ。原則は1年契約だ。チームの経営者は選手と1年契約を更新するのが恒例だ。ところが一部の有力選手は、この複数年契約を結ぶ。ケガなどのリスクを考えるとチームにとっては必ずしも歓迎ではないが、有力選手の流出を留めておく手段としては有効だ。これが結べることが選手にとってはステイタスにもなっている。

仮入部からかれこれ2ヶ月、次女のブラスバンドライフは順調そのものだ。毎日帰宅後に「どうだった」と声をかけると弾んだ返事が返ってくる。

トロンボーンパートでたった一人の初心者だから心配もしているのだが、初心者なりの手応えを感じているようだ。「足手まといにはなっていない」と言っている。あまり大きいことを言う性格ではないから、この言い回しは相当な自信がある証拠だ。

そして突然ポツリと凄いことを言い出した。

「高校へ行ってもブラバンを続ける」

いやはや何ともである。2ヶ月と少々前に中学に入ったばかりだ。トロンボーンを買い求めた時に、「3年間続けられるね」という問いにコックリと頷いていたのは1ヶ月半前だ。それが突然高校での継続宣言だ。これは「中学で3年間がんばる」ということが前提でなければ吐けない言葉だ。中学での3年間は最早当然という意味だ。大枚はたいてトロンボーンを買い与えた甲斐があった。あくまでも口約束ながら向こう6年の複数年契約だ。

ヴァイオリンはどうなるのだろう。

2008年6月23日 (月)

原点

昨日演奏会に出かけた。

シューマンのピアノ協奏曲とブラームス第一交響曲だ。

ソリストは伊藤恵さんだった。軽々という感じが小気味いい。コンチェルトの醍醐味が詰まっていた。鍵盤の上に置いた両手の内側が右後方からのぞき込める席だった。どんなに激しい部分でも指の動きはいつもしなやか。それを眺めているだけで楽しかった。

それに続くブラ1も感動的だった。第4楽章の47小節目のトロンボーンで鳥肌が立った。次女がトロンボーンを始めたおかげで聴きかたが変わった感じがする。出番を待たされて待たされて満を持してのコラールである。最近トロンボーンに押されてヴァイオリンの旗色が悪いから尚更そう感じたのかもしれない。

歓喜の歌に似ていると噂の主題は、ダイナミクスを抑えた表現だった。「poco f」の意味としてその手もあったかという感じだ。気持ちを込めることは、必ずしもダイナミクスとパラレルな関係ではないということだ。それにしても交響曲全体でヴィオラがよくはまっていた。要所要所でヴィオラが聞こえるのだ。パート譜が頭の中によみがえる感じだ。譜めくりの場所までわかる。

娘らが親離れよろしくヴァイオリンから離れてしまったら、その時は自らヴィオラを弾けばいいとブラームスがウインクしているように思えた。娘との練習に割いていた時間をヴィオラに注ぐべきだ。心からそう思えた。

やはりヴィオラはいい。ブラ1を聴く中からそう思った。

2008年6月22日 (日)

ドイツ国立図書館

「ブラームスの辞書」を出してからというもの、時折「たまげた話」に遭遇するようになった。

ココログ出版のモニターに当選した話なんぞその最たるものだ。

「ブラームスの辞書」の出版をお願いして以来、おつきあいさせて頂いている石川書房の社長さんに電話で当選の報告をした。誰かに言いたい性格なのだ。出版後もブログ「ブラームスの辞書」を時々覗いてくれている社長さんで、パソコンを使った版画のアーティストでもある。昨年は個展にもお邪魔した。いわば「ブラームスの辞書」の産みの親に、ココログから届いた本をお見せしてご意見を伺いたいとお願いすると快くお受け頂いた。久々の電話がこの話だけで盛り上がったのだが、もっと大きいサプライズが用意されていた。

社長の方から「実は」と切り出した。石川書房宛てに海外から英文の手紙が届いた。6月16日のことだという。差出人はDeutsch Nationalbibliothekと書いてある。これ日本語にするとドイツ国立図書館だ。内容は「ブラームスの辞書」を献本して欲しいとのことらしい。

別にドイツ国立図書館の業務内容も書かれている。

  1. ドイツ語で書かれた書物の収集
  2. ドイツの出版物の外国語訳本の収集
  3. 外国語の出版物のうちドイツまたはドイツ人について書かれた書物の収集

今回の石川書房への依頼は、上記の3の活動の一環だ。ドイツ国立図書館の総収蔵点数は2200万。フランクフルト、ベルリン、ライプチヒに機能が分散されているという。バッハの自筆譜が所蔵されているのは、楽譜を担当するベルリンだ。石川書房への手紙差し出し元ライプチヒは書物の収集とマイクロフィルムへの変換だという。

多分2冊献本すればOKなのだと思う。英語への不慣れから思わぬトラブルに巻き込まれないためにも念のため社長の業務上の知り合いのエージェンシーを通じて、ドイツ国立図書館に照会中だ。

社長から「もし、単純な献本の要請だったらどうなさいますか」と訊かれた。

どうもこうもない。喜んで献本させていただく。ドイツ国立図書館の蔵書になるということはバッハの貴重な自筆譜と同列になるということだ。飛行機で持参したいくらいだ。

それにしてもどうやって「ブラームスの辞書」のことを知ったのだろう。これがどれだけ嬉しいかご理解いただけるだろうか。

2008年6月21日 (土)

悪口の辞典

昨日まで3泊4日の大阪出張だった。出張の友にと本をいくつか買った。そのうちの一つ音楽之友社刊行の「名曲悪口辞典」が面白かった。

ベートーヴェンからショスタコーヴィッチに至る43名の作曲家の作品への様々な批判をニコラス・スロムニスキーという人が集めたという代物だ。これを5人がかりで完訳した400ページを超える大著だ。欧州とアメリカの新聞や雑誌報道の切り抜き集という感じがする。

現在クラシック音楽の作曲家として認知されている人がある基準によって絞られているのだろうが、この選択は自然なもので作為や悪意は感じられない。目次を眺めるだけでも楽しい。割り当てられたページの多い順に列挙する。

  1. シェーンベルグ 39ページ
  2. ワーグナー  37ページ
  3. Rシュトラウス 29ページ
  4. ドビュッシー 27ページ
  5. ストラヴィンスキー 19ページ

ブラームスは18ページで6位である。

誰も彼も皆凄いことを言われている。全てが悪口であると言う点で、非常に公平な本だ。ブラームスの言われ方なんぞぬるいうちに入る。これらの悪口に絶えて生き残った作品のリストとも言い換えられよう。悪口を言われるだけ言われて、本当に忘れ去られてしまった作品の方がずっと多いことは覚えておきたい。

それより怖いのは、いくつかの作品について「おっしゃる通り」と賛成したくなったことだ。

2008年6月20日 (金)

アヴェ・マリア

「Ave Maria」と綴る。「おめでとう、マリア」という程度の意味合いだ。「マリア」とは申すまでもなくイエス・キリストのお母さんである。聖母マリアへの祈祷が反映している。どちらかと言えばカトリックにその傾向が強いという。プロテスタントでは「信仰の対象はイエスだけ」という前提があるらしい。

とはいえブラームスにも「Ave Maria」がある。「女声合唱とオルガンのためのアヴェ・マリア」op12である。

しかし、何と言っても名高いのはグノーである。バッハの平均律クラヴィーア曲集との関連は6月17日の記事「余分に暗譜」で述べた通りである。

原曲のハ長調のプレリュードの暗譜に成功したので、問題の1小節を余分に暗譜すれば、娘たちとアヴェ・マリアの合奏が出来ることになる。

これも暗譜の副産物だ。

2008年6月19日 (木)

2冊目の著書

ココログのキャンペーンに当選したおかげで、2冊目の著書が現実のものになる。初めての自費出版本「ブラームスの辞書」は2005年6月18日に、完全版下原稿を出版社に手渡した。そこから納本までの1ヶ月が、至福の一ヶ月であった。

今回の納本は8月中だから約2ヵ月後になる。自費出版とブログ出版には、細かな違いもあるとは思うが、この至福の2ヶ月をワクワクと過ごすという点に関しては同じである。本当は少し不安もある。

  • キャンペーンのレギュレーションでは総ページ数が200ページ以内と決まっている。応募は2005年5月30日の開設から2008年5月30日まで丸3年の記事を対象にすることとしたが、1144本の記事がはたして200ページに収まるのだろうか。
  • ブログ「ブラームスの辞書」をそのまま本にするということは、タイトルも「ブラームスの辞書」になってしまう。本体の「ブラームスの辞書」と全く同じ名前になってしまうことになる。

こうしてあれこれと思い巡らすこと自体が楽しみであることも、前回と同じである。

今回のココログの出版キャンペーンの当選者が、昨日からココログのサイトで紹介されていて、そこからのアクセスが目立った。夢じゃなかった。

2008年6月18日 (水)

やっぱりバッハ

ブラームスが作成していたという「禁則違反」リストをマッコークルの「ブラームス作品目録」を元にエクセル上で復元する試みが終わった。現実の譜例以外は復元できた。一旦エクセルに入力してしまうとデータのソートや抽出が思いのままだ。

5月27日の記事「獲物のリスト」で述べたとおりブラームスに禁則違反を指摘された作曲家は32人だ。指摘箇所の合計は153箇所に達した。最も頻度高く指摘された作曲家は驚いたことにバッハだ。全部で49回だ。第2位はモーツアルトで14箇所。これに13箇所でベートーヴェンが続くのだ。音楽史のトップスター3名を集めたような感じだ。以下4位マレンツィオ、5位スカルラッティと続き、ここまでは10回以上だ。

これによって指摘された作曲家の優秀性や作品の価値は微動だにするまい。むしろブラームスが頻度高く楽譜に接していた作曲家ほど多いと解するべきかもしれない。先輩作曲家に対するブラームスからのアプローチの濃さに比例していると考えたい。

だからやっぱりバッハなのだ。「禁則違反リスト」において違反件数最大を記録しておきながら、ブラームスの信頼は微動だにしていない。このリストは愛情の裏返しであると敢えて断言する次第である。

バッハに捧げたカテゴリー「65 バッハ」を誇りに思う。

2008年6月17日 (火)

余分に暗譜

グノーのアヴェマリアは、バッハの平均律クラヴィーア曲集の第1巻第1番の前奏曲をそっくりそのまま伴奏に借用して、旋律を追加したという作品だ。大抵はそう説明されている。

しかし「そっくりそのまま」という言葉には注意が必要だ。グノーの側には、バッハオリジナルには存在しない小節が1つだけ加えられている。原曲の22小節目と23小節目の間に1小節加えられているのだ。だから厳密にはそっくりそのままではないのだ。

原曲となった前奏曲ハ長調を含む「平均律クラヴィーア曲集」は古来、ピアノ演奏の「旧約聖書」にもたとえられるほどの名曲だから、おびただしい数の筆写譜が存在した。18世紀から台頭した楽譜出版社は、出版にあたって特定の筆写譜を底本に採用した。問題の1小節は、数多い筆写譜のうち、1783年にシュヴェンケという人の残した筆写譜にしか現れない。困ったことに18世紀から19世紀にかけて、当時もっとも普及していたチェルニー版をはじめ多くの版が、このシュヴェンケの筆写譜を底本にしていたのだ。

1883年、この点に注意を喚起したビショフ版が出現するまで、1小節多いバージョンが一般に流通していたことになる。グノーのアヴェマリアは1859年の発表だ。アヴェマリア作曲の際、グノーの手元にあったのは、シュヴェンケに準拠した楽譜であったことは間違いない。アヴェマリアの余分な1小節はこれで説明が付く。グノーはバッハ作品に勝手に1小節挿入する程傲慢ではなかったのだ。

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第1巻162ページに興味深い記述がある。クララ・シューマンの高弟であるフローレンス・メイの証言だ。ブラームスはピアノレッスンの教材にバッハの作品を使う場合、チェルニー版を推奨しているのだ。彼女の証言は1871年のことだ。つまりビショフ版が出る前である。だからその中のハ長調の前奏曲は、シュヴェンケの写本の通り1小節多い版であることは確実だ。

それからさらに遡って少年時代のブラームスはマルクセン先生の許でバッハを学び、「平均律クラヴィーア曲集」全48曲を暗譜していたらしいが、この1小節分を余分に暗譜していた可能性が高い。

今日はグノーさんの190回目の誕生日である。

2008年6月16日 (月)

ダメ元

「ダメで元々」の略。おまじないの一種だ。望ましい結果が得られる可能性が低い中でのチャレンジを前に、挑戦者本人の口から発せられるケースが目立つ。

実現の可能性は低いが、実現しない場合でも大きなダメージには繋がらない場合に用いられる。小さな金額を宝くじにつぎ込むようなものだ。当たれば大きいがはずれてもあきらめがつく。実現しなくても落ち込まないようにする自己暗示の側面も無視できない。

私もしばしば口にする。

つい先日だ。ブログ「ブラームスの辞書」が開設3周年を迎えるにあたり、何か記念になることがありはしないかと考えていた。そこに飛び込んできたのがココログの出版キャンペーンだ。

ココログにはユーザーのブログを本にするサービスがあることは以前から知っていたが、無料で2冊もらえるキャンペーンを実施中とのことで、「ダメで元々」で応募したのだ。何せ10名様という狭き門だから、この手の自己暗示は必須である。無論いくつかの条件がある。もらったら自分のブログでそのことに言及することだ。届いた本について感想を述べねばならない。まあ当たってからの話である。

しかしだ。嘘のようだが当たってしまったのだ。当選者10名の全国キャンペーンに当たったということだ。応募総数は知らぬが、倍率にして2倍や3倍ではあるまい。12 日に当選通知のメールを受け取ったが半信半疑だった。事務局の方と打ち合わせのメールをやりとりして、やっと実感が湧いてきた。

納本されるまでのワクワク感や、実際に手にとってからの喜びを記事にすることはもちろんだが、ユーザーの視点に立った辛口のコメントも適宜織り交ぜたい。それがモニターのつとめであろう。

異端の日記」であるブログ「ブラームスの辞書」が本になるのだ。

関連する記事を集約するためにカテゴリー「70 ブログ出版」を新設する。

2008年6月15日 (日)

夫婦の絆

筆跡鑑定がバッハ研究においての重要なツールであることは6月9日の記事で述べた。

ここでいう筆跡鑑定は大きく2つに分けられる。残された手紙や日記などの文字の鑑定が一つだ。残る一つは手書楽譜の鑑定だ。文字もあるにはあるがこちらの対象は音符だ。あるいはスラーやアクセントなどの記号も含まれる。

バッハ作品の様式研究の立場からはこの楽譜の筆跡鑑定が重要だ。この領域だけで膨大な量の研究がある。バッハ本人の筆跡は全て突き止められているばかりか、時代による筆跡の変遷までも判っている。また同じ時期に書かれた楽譜でも、丁寧に書いたものと焦って書いたものの区別までされている。バッハの晩年を襲った視力の衰えまでも反映されているという。

このような現在の最先端の研究者を悩ませている人がいる。アンナ・マグダレーナ・バッハだ。バッハの二人目の妻である。彼女は音楽的素養もあったので多忙なバッハを助けて写譜を手伝った。バッハが最も信頼したコピイストといった趣がある。せっせと写譜を手伝っているうちに、その筆跡がバッハ本人に似てきた。楽譜に関する限りバッハは時間に追われさえしなければ音楽史上屈指の達筆を誇る。そのバッハに似ているのは大したものなのだ。最先端の筆跡鑑定のプロでもしばしばバッハ本人の筆跡と見誤るほどだという。

大したものだ。バッハにあってブラームスに無い物は、アンナ・マグダレーナのような生涯の伴侶だ。

筆跡が似て来るほどの絆かな

お粗末。

2008年6月14日 (土)

吹くと新鮮

次女は幼稚園の年中さんから8年間、ヴァイオリンを習っている。そしてこの春中学でブラスバンドに進み、初心者としてトロンボーンを始めた。約2ヶ月が過ぎて基礎練習の傍ら曲にも取り組んでいる。

私のところに楽譜を持ってやってきた。どうもリズムが取れないという。どれどれとパート譜を見て驚いた。ヴァイオリンの楽譜より数段シンプルだ。インクあるいはトナーの使用量が少ない感じである。全部で6曲の楽譜どこを探しても16分音符がない。8分音符も数える程だ。次女が訊いてきたのは、リズム的な仕掛けのある場所だ。シンコペーションや後打ちだ。どの曲もきびきびとした速めのテンポの中に、リズム的な仕掛けが施されている。メロディックとはほど遠い景色だから、この手のリズム的な仕掛けに機敏に反応しない限り、面白味は半減する。シャープなリズム感こそ命なのだ。

一計を案じて、ヴァイオリンを習い始めた頃にやっていたリズムソルフェージュをした。音程は考えずにリズムを手で叩く練習だ。手で4分音符を叩きながら口で楽譜通りに歌う練習も加えた。慣れるに従ってテンポを上げる。ゆっくり過ぎると味わいが薄いからだ。4人の1年生の中でたった1人の初心者としては家庭での練習も必要だ。

ヴァイオリンでは初歩的なコンチェルトも弾いている次女は、とても新鮮だと言っている。「スライド」「タンギング」「バルブ」「マウスピース」など、ヴァイオリンを習得する過程では耳にしなかった言葉を自然と口にしているのが、私にとっても新鮮である。

本日6月14日、東京に地下鉄の新路線「副都心線」(ふくとしんせん)開業。

2008年6月13日 (金)

Last up date

ブログやホームページの運営に関わる用語。「最新の更新日」だと思っていい。ブログやホームページが持つ情報伝達機能を考える時、訪問者にとっては、「いつ更新されたのか」という情報は貴重である。もちろん情報の核心とは言えないが更新頻度を推し量る目安にされることが多い。

ネット検索を通じて辿り付いたサイトの「Last up date」があまり古いとガッカリした気分になる。先入観無く偶然辿り付いたサイトの「Last up date」が昨日や今日だったりするのは、そのサイトが頻繁に更新されていることをうかがわせる兆候である。頻繁に新しい情報が追加されることは、ブログの鮮度を読み取る重要なポイントだ。

というわけで世の中のサイトにはこの「Last up date」がトップページに表示されていることが多い。

ところが、我が「ブラームスの辞書」には表示されていない。理由は簡単である。ココログに機能が無いせいだ。あるいは私が使えていないからだ。けれども、考えようによっては、これで全く不自由することはない。「毎日更新」を譲れぬコンセプトにしている「ブラームスの辞書」は、いつ何時アクセスしても「Last up date」は今日か昨日に決まっているのだ。

本日ブログ「ブラームスの辞書」は、開設以来の連続記事更新が1111日に到達した。

2008年6月12日 (木)

異端の日記

「ブログとはネット上の日記である」とはブログの入門書でときどき見かける表現だ。ブログの新参者に対するシンプルな説明として収まりがいいのだと思う。反対はしない。

それでは私の「ブラームスの辞書」が日記かというと無理がある。

巨大で決定的な違いがある。ブログは他者に読まれることが前提になっているということだ。もちろん読まれることが前提の日記だって無いとは言えまいが主流とは思えない。

毎日記事がアップされることは日記に似ているが、毎日書いているわけではない。日々の出来事を書くことはむしろ少ない。その傾向はカテゴリーで申せば「家族」や「レッスン」にとどまっている。もちろん私の周りにだって日常の出来事は溢れているが、それらを記録の対象にしていないのだ。主役はブラームスネタであって、レッスンネタや家族ネタは息抜きだ。

けれども公開の日付に意味が無いかというとそうでもない。公開の日付は記事の重要なパラメータの一つになっている。ブラームスの周辺に散在するエピソードを書き起こすキッカケとして日付に意味を持たせることも多い。「誕生日」「命日」「初演の日」だ。

クララ・シューマンの日記は、ロマン派音楽史を語る上で貴重な資料にもなっている。自身が類希なピアニストであった上に、音楽史を華麗に彩る人物が目白押しだ。日常を綴ることがそのまま興味深い読み物になる。

しかしクララはむしろ例外だ。私ごときの日常では読まれまい。だから異端の日記を指向した。10万を超えるアクセスがその選択の正しさを証明していると思っている。

20年分溜まってから振り返ったとき、自分自身がどう感じるのか楽しみである。

2008年6月11日 (水)

血豆

次女が左手人差し指に血豆を作って帰ってきた。指先だ。

技術の時間に金槌でだそうだ。

大事には至っていないが、痛みがあるのでヴァイオリンの練習が出来ない。左手人差し指の指先というのがまた絶妙な場所だ。ヴァイオリン練習と競合するトロンボーンの練習や勉強には支障が無いのに、ヴァイオリンの練習には決定的に不都合だ。

このところヴァイオリンの旗色が悪い。

ゲン直しが必要かもしれない。

2008年6月10日 (火)

間抜けなタイミング

楽譜ショップのバッハの売り場を覗いていてお宝情報を発見した。気が付くのが遅くて我ながら嫌になっている。

某国内大手出版社から「ウイーン原典版」と銘打って刊行されている「平均律クラヴィーア曲集」の楽譜だ。オレンジというか朱色というか目立つ色をしているアレである。

この楽譜の中で運指を施している人の名前を見て驚いた。「Detref Klaus」と書いてある。ブログ「ブラームスの辞書」2006年8月17日の記事「クラウス教授」の中で言及したその人に違いあるまい。そうそう同姓同名などいないと思う。

彼は高名なピアノ演奏家にして教育者だ。おまけに長くハンブルク・ブラームス協会の会長を務めていた。私も「ブラームス・バロック」と題したCDを持っている。そのCDの選曲にこだわりが感じられて嬉しいというのが先の記事の内容だった。

それもそのはずだ。ウイーン原典版で運指を担当するくらいのバッハ演奏の専門家でもあるのだ。バッハラブがブラームスラブと両立しているのも納得である。

ところがところが、感心してばかりもいられなかった。そのクラウス先生は今年の1月にお亡くなりになっていた。今まで知らなかったとは不覚である。88年の生涯だったという。

ご冥福をお祈りするばかりだ。本日の記事、遅れて届けるお香典のようで決まりが悪い。

2008年6月 9日 (月)

筆跡鑑定

書かれた文字が誰の手によるものか判定すること、あるいはその手法。

バッハ研究においては、避けて通れぬ重要な領域だ。シュピッタは早くも「バッハ伝」の中でその可能性に言及している。バッハの古楽譜は本人も含めて筆写者が突き止められている。もちろん無名の人物も含まれている。その場合「Anonym1」つまり「無名筆写者1」という具合に命名される。

シュピッタのバッハ伝は、他の作曲家たちにの作品研究における方法的規範になったから、ブラームスでもそれが応用されている。その成果はマッコークルの巻末の「索引Ⅷ」に詳しい。

そこにはブラームスの作品を筆写した人たちがアルファベット順に列挙されている。名前の判明している人が30名。無名の筆写者が32名だ。

名前の判明している人のリストは華麗である。以下はその一部だ。

  • テオドール・ビルロート
  • ハンス・フォン・ビューロー
  • フェルデナンド・ダーヴィッド
  • ユリウス・オットー・グリム
  • エリザベート・フォン・ヘルツォーゲンベルグ
  • マックス・カルベック
  • テオドール・キルヒナー
  • ヘルマン・レヴィ
  • オイゼビウス・マンディチェフスキー
  • クララ・シューマン
  • ユリウス・シュトックハウゼン

いずれもブラームスの伝記にしばしば登場する人々だ。

さらにブラームスが若い頃指導にあたっていたハンブルグ女声合唱団のメンバーが、演奏会で取り上げたブラームス作品のパート譜を筆写したものが数多く残っている。その中にベルタ・ポルプスキーの名前がある。この人が出産したときにお祝いに贈った歌が、現在「ブラームスの子守唄」として世界中で歌われている。

複写機の無かった時代。ネットからのダウンロードも無かった時代だ。そのことが大量の筆写譜を生み愛好家を悩ませる一方で、大きな楽しみも生み出している。

2008年6月 8日 (日)

はたして偶然か

ロベルト・シューマンのお誕生日である。

管弦楽を一部含むシューマンの器楽作品の数について、古来から指摘されている疑問がある。以下はシューマンの器楽作品のジャンル別の数だ。

  1. 交響曲 4
  2. ピアノ協奏曲 1
  3. ヴァイオリン協奏曲 1
  4. チェロ協奏曲 1
  5. ピアノソナタ 3
  6. ヴァイオリンソナタ 3
  7. ピアノ三重奏曲 3
  8. ピアノ四重奏曲 1
  9. ピアノ五重奏曲 1

9つのジャンルの作品数において、実に6つがブラームスと一致する。一致しないのはピアノ協奏曲とピアノ四重奏曲それからチェロ協奏曲だけだ。これは赤文字で示した。早くにこの世を去ってしまったシューマンの側に操作の余地はない。後から歩んだブラームスの側には意識があったかもしれない。ブラームスの遺した作品数は、気に沿わぬ出来の作品を廃棄した結果であることは周知の通りだ。作品を発表するしないの決定権はもちろんブラームス本人にあったはずだ。つまりジャンル別の作品の数を操作出来た立場にある。

はたしてこれは偶然なのだろうか。

2008年6月 7日 (土)

弱者の戦略

今夜遅く、正確には明日未明サッカー欧州選手権が開幕する。いわゆるユーロ2008だ。

サッカーが世界中の人から愛される理由の一つに番狂わせがある。サッカーチームの強い弱いには厳然とした格差があって、それはしばしば「格上」「格下」という言葉に表れる。いやむしろ完全に互角の戦いの方が例外とさえ思える。

とりわけ格下と目されるチームが格上の相手を負かしたり引き分けたりの中にドラマが隠れていることが多い。アトランタオリンピックのグループリーグで日本がブラジルに勝ったことを思い出すといい。格下のチームは何とかして番狂わせを起こそうと知恵を絞る。90分間10人で守って引き分け狙いというのも立派な戦略だ。

格上だからといって試合前にあきらめるチームはない。

私が「ブラームスの辞書」を書く決意をした時、マッコークルの「ブラームス作品目録」を買った。世界最高のブラームス本だと思う。どんなに凄いかは2005年6月12日の記事「マッコークル」や5月27日の記事「マッコークルの守備範囲」を参照いただきたいが、一言で申せば圧倒的な格上だ。

実際に手許に届いた時の衝撃は大きかった。もしこの本が日本語で書かれていたら私は「ブラームスの辞書」の執筆を諦めていたかもしれない。つまりドイツ語で書かれているがために、その凄さが十分伝わっていないということなのだ。さらに全作品を網羅した譜例が楽曲冒頭にとどまっていたことにかすかな光明を感じだ。

マッコークルの譜例が楽曲冒頭に限ることと、記述がドイツ語であることをかすかな希望として、執筆を決意したのだ。私は全作品の全小節を舐めるように拾うのだという一点がこちらの勝機である。あくまでもあくまでも作品という切り口に特化しているマッコークルに対して私は「音楽用語」を切り口に据えるという戦術を考えたのだ。つまりマッコークルは「f」や「p」の数を数えてはいないのだ。

サッカーの天皇杯でときどき実現する高校生がJリーグ1部のチームに挑戦するようなものだが、格上マッコークルに負けたくないと考えていたということである。

守って守って守って0対0の引き分け狙い。運が良ければPK戦で勝ちたいと思っていた。

2008年6月 6日 (金)

3手用

3月28日の記事「四手用」の中で、低音偏重のブラームスの嗜好のたとえとして、しばしば「左手が2本要る」と言われていることを指して「まるで3手用だ」と述べた。ところが、現実に「3手用」と書かれた作品が存在するのだ。

オルガンまたはピアノと混声四部合唱のための「宗教的歌曲」op30がそれである。この作品は昨日6月5日の記事「歌のあるインテルメッツォ」の主役だった。

マッコークルの作品目録には単に「オルガンまたはピアノのための」と書かれているだけだが、ブライトコップフのパート譜には、「Klavier fur drei oder vier handen」と書かれている。つまり「3手または4手のピアノのための」という意味だ。オルガンのペダルの入るところで手が足りなくなることが原因と考えられる。ピアノ奏者一人に加えてさらに一人が片手で演奏に加わるという意味としか解釈のしようがない。

ところがさらに謎がある。我が家に唯一のピアノ版のCDのジャケットには、ピアノ奏者の名前は1人しか書かれていない。楽譜通りではないのだろうか。

問題はこの「3手用」の指定がブラームスの意思かどうかである。マッコークルには何も書かれていないから、ブライトコップフ社の意思である可能性もあって悩ましい。

2008年6月 5日 (木)

歌のあるインテルメッツォ

世の中に「のろけ」という言葉がある。恋愛の当事者が、自分の恋愛の相手の長所について第三者に話すことだ。惚れた相手の話だからいくらでも話すことはあるのだろうが、話される側にとっては迷惑のこともあろう。

今日の記事は大好きな音楽作品についての「のろけ」だ。

その作品のタイトルは「Geistlichlied」だ。一般に「宗教的な歌曲」と邦訳され作品番号30を背負っている。オルガンまたはピアノと混声四部合唱のための作品である。演奏時間にして約5分の小品だ。テキストは17世紀の古いコラール集から採られている。2分の4拍子という拍子も古風な感じに拍車をかける。何かと三位一体を連想させる変ホ長調だ。

1856年2月に始まったヨアヒムとの「相互添削」の一環として同年6月5日にヨアヒムに送られた作品が、1865年になってほぼそのまま出版された。出版がピタリと止まっていた時期に、ひっそりと生まれていたということだ。モーツアルトの名高い「アヴェ・ヴェヌムコルプス」にさえ匹敵している。私の軍配は当然こちらに上がる。人の声の美しさに息を呑むとはこのことだ。打ちのめされて楽譜を見るともう一度驚かされる。先行する旋律を9度下で追いかける「9度のカノン」が、あろうことか二重カノンを形成しているのだ。ヨアヒムとの相互添削のテーマは対位法だったから、この手の難解なカノンを扱うのは当然だとも思うが、そうした難解さを微塵も感じさせない作品に仕上がっていることに驚かされるのだ。原題にある「Geistlich」は「神聖な」とか「聖なる」という意味だが、まさにその通りの世界がわずか67小節の中で余すところ無く表現されている。「宗教的な歌曲」という邦訳では、全くニュアンスが伝わらないことが惜しい。

我が家には3種類のCDがあったが、このほど4つめを手に入れた。従来の3種は全て伴奏がオルガンだったのだが、今回初めてピアノ伴奏版だ。正直言って惚れ直した。合唱の細部が透けて見えるという点ではオルガンよりも一枚上である。音がギュッと敷き詰められた感じのオルガン版に慣れていたから、ピアノ版は新鮮だ。突き詰めないテンポでポロリポロリと紡がれて行くピアノの音色を説明する上手い表現が無いかと考えて思いついたのが本日のお題「歌のあるインテルメッツォ」だ。

それにしてもヨアヒムに送付されたという1856年6月5日という日付にもまた驚かされる。ロベルト・シューマンの没するわずか1ヶ月半前ということだ。絶望的な病状の恩師を見舞う日々の中で、頭の中にはかくも清澄な音楽が形作られていたことになる。そうした状況を思いやりながら聴くと、味わいがいっそう深まる。

2008年6月 4日 (水)

C-H-C

有機物の授業ではない。水素から2本の腕が出ることはあり得ない。

「C-H-C」のように半音下の音に移ってすぐに元の音に戻るパターンのことを個人的に「ブラームスターン」と呼ぶことにしている。数ある音型の中でもこのパターンに特に名前をつけたくなる何かを感じている。ブラームス節の根幹をなすとも思えているのだ。「ブラームスの辞書」でもこのパターンの全てを列挙出来ている訳ではない。偶然も含めればかなりな数になるだろう。

器楽曲での偶然でない初期の例にop18の「弦楽六重奏曲第1番」がある。第一楽章冒頭の第一チェロに「B-A-B」が現れる。きっちりとフィナーレ冒頭にも現われて偶然でないということをアピールしてくれている。シェーンベルグが管弦楽に編曲したことで名高いピアノ四重奏曲第1番の第3楽章冒頭には「Es-D-Es」として登場する。ブラームス屈指の名旋律だ。

記事冒頭に例示した「C-H-C」は、第1交響曲終楽章の主要モチーフになっている。移動ドで読むと「ソドシド」だ。歓喜の歌との関連が取り沙汰されるあの主題にはっきりと投影され、楽章を通じて重要な役割を担っている。実はこの音形は、ブラームスがウイーンジンクアカデミー指揮者デビューの演奏会で取り上げた、バッハのカンタータ第21番の第2曲「我が心は憂い多かりき」の冒頭と似ている。もっと身近な話をするならハ長調のインヴェンションの冒頭の8分音符は「ソドシド」になっている。

このパターンがよほどお気に召したのだろう。続く第2交響曲の冒頭では「D-Cis-D-A」が、いきなりチェロで提示される。移動ドで読めば「ドシドソ」になる。第1交響曲のパターンを逆さにしたことになる。さらにこのモチーフは作品全体を貫く細胞になっていて第4楽章の冒頭でも聴くことが出来る。昔の人はうまいことを言ったものだ。2度あることは3度あるのだ。第3交響曲では、フィナーレ第4楽章が「C-H-C」と「Des-C-Des」の連続で立ち上げられている。こうなると第4交響曲に無かったら不自然だと思えてくる。ブラームスがフルートに与えた最高の栄誉、第4交響曲第4楽章97小節目から始まる第13変奏のフルートソロの冒頭に「E-Dis-E」が現れる他、これに続く第14変奏冒頭でもヴィオラが「E-Dis-E」がを放つ。

交響曲の第4楽章には、「C-H-C」の音型が4曲全てに埋め込まれているということになる。私がこの音型に「ブラームスターン」と名付けたくなる理由が、少しは伝わるだろうか。

2008年6月 3日 (火)

狩の獲物たち

5月29日の記事「リストの復元」で述べた通り、ブラームスが作成していた禁則違反箇所のリストをエクセル上に復元中だ。そこに登場する32名の作曲家を生年順に列挙する。マッコークルの「ブラームス作品目録」728ページの一覧を生年順にソートしコメントを付与した代物であることをお断りしておく。

  1. Jacobus Clemens(1510-1556)フランドル。ブルージュの教会聖歌隊を経てカール5世臣下アールショット公の下で楽長。
  2. Giovanni Pierluigi Palestrina(1525-1594)イタリア。ルネサンス後期の代表的作曲家。とりわけ宗教音楽の分野での功績は偉大。
  3. Orlando di Lasso(1532-1594)フランドル。フランドル楽派最後の巨人らしい。
  4. Leonhart Schroter(1532-1601)ドイツ。「r」の後の「o」はウムラウトだ。
  5. Jakob Regnart(1540-1599)ドイツ。
  6. Thomas Luis de Victoria(1548-1611)スペイン。このリスト唯一のスペイン人。パレストリーナの弟子。
  7. Johannes Eccard(1553-1611)ドイツ。ラッソの弟子。
  8. Luca Marenzio(1553-1599)イタリア。
  9. Giovanni Gabrieli(1557-1613)イタリア。
  10. Hans Leo Hassler(1564-1612)ドイツ。
  11. Michael Praetorius(1571-1621)ドイツ。
  12. Heinrich Schutz(1585-1672)ドイツ。ガブリエリの弟子。ドイツバロックの始祖。
  13. Georg Vogler(1585-1672)ドイツ。
  14. Antonio Caldara(1670-1736)イタリア。
  15. Antonio Vivaldi(1678-1741)イタリア。4つのヴァイオリンのための協奏曲イ短調のバッハによるオルガン編曲の中に禁則違反がある。編曲に際しての違反発生ならヴィヴァルディにとっては濡れ衣である。
  16. Johann Sebastian Bach(1685-1750)ドイツ。ご存知の通り。
  17. Georg Friedrich Handel(1685-1759)ドイツ。ご存知の通り。
  18. Domenico Scarlatti(1685-1757)イタリア。ご存知の通り。
  19. Christoph Willibald Gluck(1714-1787)ドイツ。
  20. Franz Joseph Haydn(1732-1809)オーストリア。ご存知の通り。
  21. Johann Christian Kittel(1732-1809)ドイツ。
  22. Wolfgang Amadeus Mozart(1756-1791)オーストリア。ご存知の通り。
  23. Luigi Cherubini(1760-1842)イタリア。
  24. Etienne Nicolas Mehul(1763-1817)フランス。
  25. Ludwig van Beethoven(1770-1826)ドイツ。ご存知の通り。
  26. Franz Schubert(1797-1828)オーストリア。ご存知の通り。
  27. Felix Mendelssohn Bartholdy(1809-1847)ドイツ。ご存知の通り。
  28. Frederic Chopin(1810-1849)ポーランド。ご存知の通り。
  29. Robert Schumann(1810-1846)ドイツ。ご存知の通り。
  30. Ferdinand Hiller(1811-1885)ドイツ。これ以降の3名がリスト作成時に存命だった。
  31. August Wilhelm Ambros(1816-1876)ドイツ。
  32. Georges Bizet(1838-1875)フランス。ブラームスより年下はのこ人だけ。

なかなかの眺めである。ブラームスが古い時代の音楽を熱心に研究した話はよく知られているが、生年順に並べられたこのリストはバッハでさえ、中ほどに過ぎないのだ。最年長のクレメンスはバッハからさらに175年も遡る。西洋音楽悠久の流れを感じると同時に、ブラームスの視線の奥行きをも感じさせる。

何よりも肝心なことは、音楽をただ聞き流しただけで完成するリストではないということだ。先人の楽譜を注意深く見つめる中からしか生まれ得ない。ブラームスのことだから単なる揚げ足取りとは思えない。禁則違反箇所だけを抜き取って筆写するなど先輩作曲家への尊敬抜きに出来ることではあるまい。ましてや、「禁則違反はこんなに昔から存在したのだから、少しくらいなら私も」などという言い訳の準備であるはずもない。

知らない人も多いし、知っていても曲を聴いたことがない人もいる。もちろんこれ以外の人に禁則違反が無かったわけではなかろう。ブラームスが閲覧可能な古楽譜のうちの、それまたブラームスによってチェックされた人のリストだということは忘れてはならない。

この手の資料は、好奇心に溢れた実直な研究者を思わせるが、ブラームスの場合にはそうした側面が、脳味噌の中で不世出の芸術家という側面と同居しているのだ。奇跡に近いと思う。

「禁則違反」悠久の歴史である。

2008年6月 2日 (月)

決断

長女のヴァイオリンレッスンが昨日をもって終わった。

11月の発表会に出る余裕が無いと申告して来ていた。発表会への出場を前提としないレッスンが効果的かどうか疑問だ。昨年5月の発表会以降めっきり練習量が落ち、さらに今後受験が控えているという事情を総合的に考慮して決定した。7年と8ヶ月の道のりだった。実はこの一年は私の心の準備期間だったと言うことも出来る。

発表会の曲決めに入る前に決断した。

先生からは「がんばったじゃない」と声をかけられた。音楽の基礎はヴァイオリンを通じて身に付いているから、いつか役に立つ日も来ると励まされた。

唯一の心配だった次女は、お姉ちゃんといっしょじゃなくてもヴァイオリンを続けると言って部活との両立に自信を見せている。

本日のこの記事でブログ開設から1100日連続の記事更新となるのだが、そんなことを霞ませる出来事だ。

娘よ今までありがとう。

2008年6月 1日 (日)

見切り発車

「議論や準備が十分でないまま、物事を進めてしまうこと」くらいの意味だ。時間の制約に追われて致し方ないケースもある。細かな内容よりも納期が大切ということも世の中少なくないのだ。

初めての自費出版本「ブラームスの辞書」の執筆段階においてこの「見切り発車」をした。思い出すだに胸が痛む決断だった。もちろん今でも後ろめたい気持ちがある。

「ブラームスの辞書」の売りはブラームス全作品の楽譜上の音楽用語を抜き出している点にある。ところが、「ブラームスの辞書」の2ページ「凡例」の9)でも言及した通り、ブラームスの作品番号付き作品122のうち以下の9作品の楽譜が我が家に無いのだ。

  • op13 「埋葬の歌」
  • op27 詩編第13番
  • op30 宗教的な歌
  • op41 5つの歌
  • op50 カンタータ「リナルド」
  • op55 勝利の歌
  • op56b ハイドンの主題による変奏曲(連弾版)
  • op93b 食卓の歌
  • op109 祝辞と格言

マッコークルの作品目録を所有しているから上記の作品冒頭の発想記号は拾えているが、中間はお手上げなのだ。このうち赤文字の3作については現在では楽譜を所有しているが、その他は今も楽譜がない。

理由は簡単だ。これらが集まるまで待っていたら執筆ひいては刊行がいつになるか判らないからだ。

「ブラームスの辞書」が対象を作品番号付きの作品に絞っていたことと並ぶ、大きな心残りの一つだ。これら9作の中にレアな指定があったらと思うとぞっとする。私が本やブログで述べていること全てについてこの点がアキレス腱になっている。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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