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2008年7月31日 (木)

引退

2006年4月24日の記事「ヴァイオリンvsバドミントン」で言及した長女の中学校生活の部活動が、終わった。幼い頃からどうも運動が苦手な長女がバドミントンに挑戦すると聞いて心配もしたが、2年3ヶ月を乗り切った。

今年に入ってから3度、3月5月7月と連続して3回で県大会に進出した。個人戦では惜敗が続いたが、チームワークこそが問われる団体戦で第一ダブルスのメンバーとして実力を発揮した。3回目の挑戦にあたる今回とうとう県大会で1勝した。ベスト16である。

何枚かの賞状。最後の市大会後に写した3年生全員での集合写真、後輩たちからの寄せ書き、そして傷だらけのラケット2挺が残った。仲間たちとの絆が何よりの宝だ。

今は少し休んでまた次の目標を見つけて欲しい。

ブログ「ブラームスの辞書」は、2年3ヶ月前の記事から今日の引退の記事まで、一日も抜けが無かった。彼女が次の目標を達成するまで、一日も欠かさぬ決意である。

2008年7月30日 (水)

祝販売50冊

「自費出版」をキーワードにして検索してみる。数万件があっという間にヒットする。内容は様々だ。「自費出版のお誘い」「自費出版の経験談」に混じってネガティブな情報も多数存在する。自費出版業界も昨今厳しくて、いわゆる大手と呼ばれる出版社も一部経営が厳しいという。さらにその一部において著者とのトラブルも起きているらしい。

思うに私の自費出版は幸福だった。初めての自費出版の割にはうまくいった。出版社選びに運を使ったのが大きい。幸運をたぐり寄せることが出来た要因の一つに著者である私自身の開き直りがある。

「自費出版本は売れない」という前提に早い段階で立ち至ることが出来たことが、正解だった。試しに過去1年実際に自費出版本を買ったという人が自分を含めて周囲にどれくらいいるか調べてみるといい。この前提がどれほど正しいか実感出来る。自分の本だけは例外と思うのは「親バカ」と同根である。常識の範囲にとどまってれば「ほほえましい」といって許してもらえる。この前提からいくつかの結論が導き出せる。

  1. 書店におけるハズがない。書店の店頭は限られたスペースで最大売り上げを獲得するための戦場だ。売れない本に提供されるスペースは無い。
  2. 「書店に流通します」という甘いお誘いに背を向ける事が出来た。

さらにこの議論における大切な単語「売れる」について、当事者間で定義の違いがある。商業出版においては、出版にかかった費用を回収した上にそこそこの利益が出るくらいに売れることが「売れる」の意味である。ところが自費出版の著者の多くは1冊以上売れることを「売れる」と表現する。この違いは決定的だ。さらに恐ろしいことに自費出版においては、出版社側コストの回収は、著者から代金を受け取った時点で完了しているのだ。極端な話、本の売れ行きはどうでもいいということになる。

私の覚悟は上記のどちらの意味の「売れる」に照らしても「売れやせんのだ」と腹をくくったところにある。売れれば嬉しいことと、売れて欲しいことは感情論であり理想論だ。現実は別途キチンと見つめねばならない。

現実をキチンを見つめると神様がご褒美をくれる。「ブラームスの辞書」の刊行以来の販売数が50に達した。50冊目はopus22「マリアの歌」だ。刊行から丸3年と少々だ。

複数冊購入して下さった方がいるから、ただちに50名の購入者を意味するわけではないが、「売れない」常識を覆して注文をくれた人がいるのだ。ありがたいことだ。

天国のブラームスの差し回しだ。購入して下さった方々はブラームスの使いの人たちに違いない。

少し前に49冊に達していたが、何だか物欲しげなのでブログで言及しなかった。こういう微妙な意地の張り方がブラームス風である。

2008年7月29日 (火)

シューマンの交響曲

ブラームスを音楽界に紹介したロベルト・シューマンは4つの交響曲を残している。

  • 1番変ロ長調 1841年出版
  • 2番ハ長調 1847年出版
  • 3番変ホ長調 1850年出版
  • 4番ニ短調 1841年出版1851年改訂

この並びが作曲の順番ではないことも良く知られている。1841年に初版が発表された4番ニ短調交響曲は1851年に改訂されている。つまり現在の番号は改訂版の出版年に基づいているように見える。

そもそも作品の番号は作曲家の意志の反映なのかという問題があるが、いずれにしろシューマンの交響曲のこの並び順は興味深い。1番から順に調性を並べると「B→C→Es→D」になる。これを変ロ長調の移動ドで読むと「ドレファミ」となる。つまりモーツアルトの交響曲第41番ハ長調「ジュピター」の終楽章の主題になるという訳だ。

周知の通りブラームスの交響曲4つで同じことをするとハ長調の「ドレファミ」になる。偶然の一致と一笑に付すのは少しもったいない。

問題はシューマンの4つの交響曲の並び順を誰が決めたかである。ニ短調交響曲が4番目に来なければお話にならないからだ。まさかとは思うが、シューマン全集の出版に夫人のクララと共に携わったブラームスの悪戯ということはないだろうか。自らの交響曲の並び順と引っかけたパロディのつもりだったなどということはいけない想像だろうか。晩年に相次いだクララとブラームスの行き違いの原因になっているかもしれないと想像するのは楽しい。

2008年7月28日 (月)

国際汎用性

言語の違う国々においての使い勝手とでもしておく。

サッカーの試合は言葉の通じぬ国同士でもスムーズに遂行される。そこでは審判が第三国から選ばれるのも常識だ。ルールに対する共通認識が高いとこういうことになる。線審の旗が上がった時、どちらのチームもオフサイドがあったと認識できる。「OFF SIDE」というか「オフサイド」というかに関わらずである。ストリートサッカーであれば尚更だ。ボール1個あれば22ヶ国からかき集められた子供たちであってもサッカーが出来る。

共通認識が進んでいるという意味では音符もかなりのものだ。仮に20カ国からかき集めてきたオーケストラでも、楽譜を配ってテンポを示してやれば合奏できる。一部のイタリア語は音符と限りなく一体である。

ドイツ語満載のマッコークルは相当国際汎用性が低いと思いきや、豊富な譜例があるおかげで不便は感じない。

先ごろドイツ国立図書館の蔵書となったわが「ブラームスの辞書」はどうだろう。

楽譜の上で半ば世界語となっているイタリア語と少々のドイツ語がアルファベット順に並んだ形態はなかなか国際汎用性が高い。さらに見出し語が現われる作品の番号を「op~」という形で掲載しているから、「楽章」「小節」という単語さえ覚えれば、位置の特定は容易である。コメントは日本語だから日本語のわからぬ人にはさっぱりだろうが、それらが素人の屁理屈であることを考えると、かえって客観性が増すかもしれない。

そういう観点から眺めると、パート名をカタカナで記したのは失敗だった。「Pf」「Vn」「Va」のようなアルファベットの略号にすれば国際汎用性はもっと高まったと思う。

後の祭りである。

2008年7月27日 (日)

ブラ2寿

60歳の「還暦」、70歳の「古希」、77歳の「喜寿」、80歳「傘寿」、88歳「米寿」、90歳「卒寿」等々長寿を祝う節目が古来設定されてきた。漢字を分解して考えるという種明かしとセットのことが多い。

ブラームス好きたるもの、このノリをさらに独自に発展させねばならない。

  • 68歳 ブラ1寿
  • 73歳 ブラ2寿
  • 90歳 ブラ3寿
  • 98歳 ブラ4寿

という具合だ。これが何を意味しているかここで説明するのは、ブログ「ブラームスの辞書」の読者には失礼というものだ。

ちなみにベートーヴェンではこうなる。

  • ベト1寿 20歳
  • ベト2寿 36歳
  • エロイカ寿 55歳
  • ベト4寿 60歳
  • 運命寿 67歳
  • 田園寿 68寿
  • ベト7寿 92寿
  • ベト8寿 93寿
  • 合唱寿 125歳

ご覧の通り長寿の祝いとしては、ほとんど実用に適さない体系になってしまう。前半は厄年か何かの体系みたいだ。他の作曲家で試みても同様だ。ブラームスのタイミングがいかに絶妙であるかが判る。

子供たちの祖母、つまり私の母は今日ブラ2寿の誕生日を迎えた。長女が祖母にハンカチをプレゼントした。家族にも完全に内緒で準備していた。自分の判断、自分の小遣い、自分のセンスだ。私は何のアドバイスもしていない。ブラ2寿に相応しい。

ブラ2寿は私にとっても大きな意味がある。ブログ「ブラームスの辞書」の大目標である「ブラームス生誕200周年」まで継続するには私自身がブラ2寿を迎える必要があるからだ。そしてその年、母はブラ4寿を祝うことになる。

何だかとても収まりがいいDscf06321_2

2008年7月26日 (土)

10勝4敗

平幕ならば御の字だが、横綱としては課題の残る成績だ。

「ブラームスの辞書」が10箇所の図書館に蔵書されている。一方でコンタクトにこぎ着けながら蔵書とされるに至らなかったケースが4回ある。だから10勝4敗である。平幕もいいところの弱小自費出版本としては、もちろん御の字の成績だ。

10勝つまり蔵書になったケースのうち2件は、出版社の石川書房に献本要請があったというケースで、いわば金星に相当する。もちろんドイツ国立図書館もここに入る。さらに4件は強力なコネのおかげでまんまと収蔵されたケースだ。つまりは不戦勝だ。献本を申し出て審査を経て晴れて蔵書として認められたのが3件で、これは本来のガチンコである。残り1件は、国会図書館なので献本は半ば義務。刊行と同時に石川書房さんが手配してくれた。

もちろん10件いずれも図書館側から代金を頂戴していない。平幕では懸賞もつきにくい。

実は4敗の側にこそ教訓が含まれている。

このうち2件は、「こういうことを受けていない」という理由で取り次いでいただけなかったケースだ。審査以前の門前払いである。不戦敗だ。これが企業活動なら徹底的に原因を分析して再発防止に邁進するのだろうが、突き詰めきれていない。「こういうこと」が自費出版の意味なのか、著者が素人の意味なのか、そもそも献本を受けていないのかといったあたりの事情だ。

さらに1件は審査まで行った。審査するからということで一旦預けたが後日「蔵書に出来ない」という返事をもらって回収したケースだ。これは力負けだから仕方がない。

残る1敗は、微妙。いくつかの大人の事情が絡み合っていそうだ。

どうも「審査」というのが一筋縄では行かない。本を預けて数日後にOKをもらったケースは一番自然だ。我が母校がこのパターンだったのは嬉しいことの一つである。凄かったのは上野の森の国営芸術大学で、司書の女性がパラパラと見て、その場でOKになった。いくつかの大学図書館のHPでは、「本学の蔵書とするにふさわしいかどうか審査して判断する」と明記しているところもある。中には蔵書にふさわしいかの判断を現物無しで行うという神業を見せてくれる学校もあるようだ。審査風景を覗きたいという怖い物見たさが頭をもたげる。

この記事を大相撲名古屋場所14日目に公開するところが肝である。

2008年7月25日 (金)

ご機嫌な本

音楽之友社刊行の「音大進学・就職熟」という本がある。著者は茂木大輔先生だ。

ブラスバンドっぽい表紙のイラストにつられて手にとった。若い音楽好き特にブラスバンド系の愛好家が、音楽大学を経由してプロの音楽家になるための指南書というコンセプトだ。

パラパラとめくるうちに巻末近くの質問コーナーに吸い寄せられた。ヴァイオリンとトロンボーンの両立をしたいがという質問に答えている。我が家の次女の状況にピッタリと重なる。どう答えるのか興味津々だったがこれまた粋な答えで感心した。

以下に感じたことを列挙する。

  1. 巻末近くに凄い情報が載っている。プロの音楽家たるもの最低身につけておきたい作曲家の知識が簡潔にとりまとめられている。一般常識に加え、管楽器とコントラバスの立場から作曲家代表作毎、楽器毎に見せ場・難所が挙げられている。ブラームスには3ページが割かれているのだが、この情報がお宝だ。私の知識はヴィオラ周辺に偏っているから、管楽器の演奏家からブラームスがどう受け止められているかは貴重だ。言及に要したページ数で言えばベートーヴェンの半分以下だが、もしかするとこの著者ブラームスが好きなのではないかというニュアンスに満ちている。この3ページのために購入を決意したと申して良い。
  2. 他の作曲家についての言及を読む。昔没頭したベートーヴェンは大体どこの場所か判るのだが、それ以外の作曲家はちんぷんかんぷんだ。逆にブラームスのページは全部どこのことを言っているのか判ったし、その部分が頭の中で鳴った。それだけ私の脳味噌がブラームスに偏っていることを実感した。
  3. ある2人の作曲家について、作曲家名と本文がそっくり入れ替わっている。単なる誤植なのだろうと思うが、あまりに大胆だ。ひょっとして読者を試す意図がありはしないかと勘繰りを入れたくなる。
  4. さらに嬉しいこと。それはこれだけオタクな指摘がてんこ盛りなのに、譜例が一切現われないことだ。「これ以上は自分で調べな」といわんばかりの愛ある突き放しである。これが傲慢な印象に直結しないのは本書のコンセプトのせいだ。譜例なしも捨てたものではない。
  5. ブラスバンド系の若者が、プロになるための準備として音楽大学を目指す場合、それ相応の準備が要ると力説している。その中に練習方法と心の持ちように言及している部分がある。142ページ以下だ。この部分をトロンボーンを始めたばかりの次女に読ませたい。音楽大学を目指しているわけではないが、上手くなりたいと心から思っている次女にはピッタリだ。この本を読んで次々と疑問が湧くようなら中1女子の初心者トロンボーン吹きとしては見所があると思う。著者は遅過ぎるよりは早過ぎるほうがマシであるとも説いている。
  6. のだめのブレークでにわかに日が当たった感のある音大生の日常をさらに掘り下げて感じ取ることが出来る。素晴らしい。一方で一般の大学に通いながら学業を犠牲にオーケストラに打ち込み、スレスレで卒業して普通のサラリーマンになり、アマチュアとして楽器に触り続けるという私のような音楽生活も悪くないと勇気づけられた。おまけにブログや本で屁理屈までこねているのだ。
  7. 「ブラームスの辞書」はブログも本も演奏家に読まれることを理想として書かれている。茂木先生の著書は演奏家とその卵たちの日常や心のあり方を深く深く掘り下げているので、まさに「ブラームスの辞書」のメインターゲットについての優秀なマーケティング情報に他ならない。
  8. あとがきを読んで驚いた。「この本を読むのは学生というよりは、おそらくその親だろう」と書いてある。先刻お見通しとは恐れ入った。私のこういう反応も想定の内なのだろうと思う。

最後に付け加えねばならないのは、この本の粋でおしゃれな語り口だ。根底にあるのは「そんなに甘いモンじゃねえぞ」という姿勢なのだが、ありがちなオヤジの説教に陥らないのはその語り口のせいだ。見習いたい。

ハリーポッター最新刊に夢中の次女の次なる読書の対象に推薦することにした。

2008年7月24日 (木)

ISBN番号

Intenational Standard Book Number」の略。「っぱいがそうラームスタ」の略ではない。

世の中に流布する書籍の固有番号を定める国際的体系だ。何と我が「ブラームスの辞書」にもついている。石川書房さんがつけてくれた。

「4-916150-26-0」

もちろん私が超えがたき師匠と仰ぐマッコークルの大著「ブラームス作品目録」にもついている。

「3-87328-041-8」

書店や図書館で膨大な書籍を管理する場合には有力なツールだそうだ。蔵書数2200万を誇るドイツ国立図書館に行っても迷子になることは無いと言いたいところだが、2007年には13ケタ化したらしく、10ケタの旧体系を背負っていては役に立たないかもしれないといいつつ、ドイツ国立図書館のデータには10ケタで載っている。この手の増ケタが、とかく難儀なのは2000年問題で経験済みである。

2008年7月23日 (水)

揃い踏み

4月の中学入学と同時にブラスバンドの門を叩いてトロンボーンを始めた次女が演奏会に出演した。サマーコンサートと銘打った演奏会が昨日行われたのだ。市内の中学校の合同演奏会だから出番は1曲だ。

平日の昼間という夏休みならではの開催で、聴きに行くことが出来なかった。うまく吹けたと言っている。次女の記念すべきブラバンデビュウ演奏会だ。

そして中学3年の夏を満喫する長女は3年間の部活を総括する市の中学総合体育大会に出場した。昨日第一ダブルスの一員として臨んだ女子バドミントンの団体戦で2位になり県大会への進出を決めた。3連続の県大会進出だ。

歩む道は違うが娘たちの揃い踏みである。

典型的な「非ブラームスネタ」だが思わず記事にしてしまった。

2008年7月22日 (火)

妹が生まれる

次女の誕生を控えた13年前の夏の我が家の日常だ。

大きなおなかを抱えての定期検診は一家総出だった。長男、長女を連れて出かけた。1歳半の長女はともかく3歳の長男にはあかちゃんが生まれるということがなんとなく判っていた。7月のある日、検診のために産科医院を訪れるや否や、長男はとことこと受付に直行し「すいませ~ん。うちのあかちゃんまだですか」と狭い待合い室中に響く声でお姉さんに尋ねた。

待合室に笑いがこぼれた。長男自身は何故笑われたか判っておらず得意顔だった。長男にとっては初めての妹だ。物心ついたときには、つきまとっていた長女を年下とは思っていないのだ。長男が初めて味わうお兄様気分だったのだ。だから長男の次女思いは、今も続いている。

我が家はこうして次女の誕生を待った。

あと1月もすればブログ「ブラームスの辞書」が本になる。先行する「ブラームスの辞書」の宣伝媒体にと立ち上げたブログが、時を経て形になる。

妹が生まれるようなものだ。

2008年7月21日 (月)

10枚看板

プロ野球パシフィックリーグでは指名打者制度を採用している。投手の代わりに決められた選手が打席に入るのだ。だからスターティングメンバーには10名の名前が並ぶことになる。いわゆるスタメンつまり試合開始をどういうメンバーで迎えるのかは、チームの顔であり表看板だ。

ブログ「ブラームスの辞書」の右サイドバナーの中ほどに「最近の記事」のタイトルが表示される。毎日更新を譲れぬ方針としている「ブラームスの辞書」では、いつも最近10日間の記事になる。この10本の記事は、ブログの表看板だ。つまり野球のスタメンと似ている。最近10日間でどんなタイトルの記事がアップされたのか一目でわかるのだ。

「ブラームスの辞書」という球団名を掲げてどんな野球をするのかに似ている。ホームラン打者をそろえて豪快に打ち勝つ野球なのか、俊足巧打の選手を揃えたスモールベースボールなのか、投手王国なのかである。我がブログは球団名にちなんだ記事が並ぶ訳ではない。ブラームスの作品名や演奏家の名前が記事のタイトルになることはむしろ希である。

10本のうちいつでも最低2本はカテゴリー「用語解説」が来る。これに家族ネタかレッスンネタが1本は大抵入る。残りはそのときどき代わるが、この10本がブログ「ブラームスの辞書」の縮図になるよう心がけている。トップページ上においてスクロールで閲覧可能なのもこの10本だ。

この10本のバランスに心を配る私は監督である。

2008年7月20日 (日)

スタメン

スターティングメンバーの略。主にスポーツの試合開始時点での出場者だと言い換えることが出来る。これに名を連ねることは間違いなくステイタスの一つである。さらに常連となるとレギュラーと呼ばれることになる。

オーケストラは、多くの団員を抱えながら演奏会当日ステージに上れる人数に制限がある。アマチュアの場合でも、原則として下手っぴは乗れない。それでも弦楽器は微調整の余地があるが管楽器は厳しい。

ブラスバンドも同じだ。次女が始めたトロンボーンは大抵3名か4名だ。身内の演奏会ならともかく、公式戦つまりコンクールともなると厳密だ。つまり上手い順に並んで4番目以内でないと演奏会に出られないのだ。これに若干の年功序列が加味される。今3年生2名、2年生1名、1年生4名の陣容だから、一番上手い1年生は公式戦に出られるのだ。逆に来年になると一番下手な2年生一人が出られないかもしれないのだ。たった一人の初心者である次女には重い現実だ。

それでもパートはファミリー。腐ってはいけない。万が一次女が演奏会に出られることになれば、誰かが出られないということなのだ。出ても天狗にならず、出られなくても腐らないことをU-15の次女が学ぶ機会だ。音楽と同じくらい大事なこと。

2008年7月19日 (土)

マッコークルの隙間

7月12日の記事「ドイツの地図」を見て欲しい。ドイツの地図を買い求めて楽しむ話だ。索引が充実していて嬉しいと書いた。ブラームスの伝記に現れる地名全部を拾い出したらさぞ楽しいだろうと述べて最後に「当分退屈しない」と結んだ。

凝り出すと止まらない性格である。すっかり地図帳にはまり込んだ。と同時にムクムクと野望が浮かんできた。

マッコークルの大著「ブラームス作品目録」は、私の中では超え難き壁と位置づけているが、巻末の膨大な索引が売りの一つだ。「人名」「作品名」「歌曲のテキスト」「筆写者」「編曲者」などが所狭しと並ぶ。ところがこの分厚い壁に隙間を見つけたのだ。

マッコークルに地名索引が無いのだ。もちろん本文には地名が出てくる。作曲した場所、初演した場所、自筆譜の所在地などなどだ。

マッコークルが漏らしていることは、私にとってはチャンスだ。マッコークルの隙間を埋めてやりたい。

ブラームスの伝記に登場する地名リストを作ろうと思う。夏休みの宿題にちょうどいい。けれども8月中に終わるかどうか定かではない。

結果はブログ上で報告する。暑いのにおバカが止まらない。

2008年7月18日 (金)

やな予感

2週間と少々前にニュースになっていたからご存知の方も多いと思う。

使用される言語という観点から眺めた場合、日本語は英語を抑えてブログの本数では世界一だそうだ。全世界で約7000万存在するブログの37%が日本語だという。英語を僅差で上回っての第1位らしい。

日本語のブログは1690万。このうち1ヶ月に1回以上更新されるブロブは約300万だそうだ。それでも10%がいわゆるスパムだというのにも驚かされる。コメントは1記事当たり1.5本発生するというのは実感と合っている。ブログは毎月40~50万件増加しているようだ。

数字満載の記事で面白かった。毎日更新されているブログの比率も知りたいところである。

気になる数字があった。現在存在する記事の総数を13億5千万本と推定し、これを「単行本にして2700万冊分」と計算しているのだ。単行本1冊あたり記事50本という前提だということが簡単に導き出せる。1記事当たりの文字数も判らないし、1冊あたりのページ数も不明なので、断言は危険だが、やな予感がする。

ココログのモニターに当選して頂戴出来る本は最大200ページまでと決まっている。判型は大体単行本と同じだから、ブログ記事50本分しか本にならないかもしれないのだ。「記事50本で単行本1冊」という基準の根拠は不明だが、それなりの意味はあるのだと思う。

50本しか本にならないとすると、つまり1月半少々の記事ということになる。3年分1144本というのは虫が良すぎる気もするが50本はあんまりである。

やな予感の正体はこれである。

2008年7月17日 (木)

事実に即したファンタジー

7月13日に記事「お盆のファンタジー2」を公開した。昨年にも「お盆のファンタジー」をアップしたし、来年は「ヨアヒムネタ」だと予告したからこの流れは当分続くだろう。

お盆の提灯を飾り、迎え火を焚くとブラームスが我が家を訪れるというコンセプトは、一昨年のお盆にいろいろと奇遇が重なり、それをブラームスのせいと位置づけたことから始まった。あの世からブラームスが本当に来るハズはないけれども、日本では古くから先祖が家に戻ってくると考えられてきた。生涯独身を貫いたから直系の子孫がいないハズのブラームスは戻る家がなくてさぞ寂しいだろうと考えた。ここから話がいくら荒唐無稽に飛躍しても読者諸賢はそれが空想の産物つまりファンタジーだと判る。

お盆にブラームスが知り合いを連れて我が家にやってくるというファンタジーを骨格に、ゲストとブラームスにまつわるエピソードを織り交ぜている。織り交ぜられるエピソードはつまり小道具だ。話全体が空想の産物である中、小道具だけは本物を志向している。本年の記事にブラームスの管弦楽のためのセレナーデの中の第4楽章のメヌエットのピアノ編曲版が小道具として登場する。クララが編曲したという位置づけだが、これは本当に存在するのだ。楽譜やCDを真剣に探しているがなかなか見つけられない。

全体が明らかに空想と解るだけに、細部へのこだわりを大切にしたい。事実と空想の継ぎ目を巧妙にぼかして味わいを深めるのが執筆の楽しみである。

2008年7月16日 (水)

スコアに忠実

スコアに忠実」。難解ここに極まるといった感じだ。

演奏評の中でしばしば用いられる。ピアノ独奏曲をはじめとする、薄い編成の作品に対しては現れにくい。多くは管弦楽曲だ。「作曲家の意図が余すところ無く再現出来ていますね」という程度の概ね好意的なニュアンスの表出だろうと思うが、「通り一遍の演奏」という意味の皮肉な表現だという可能性も残る。

元々何かと「楽譜通り」であることが珍重されるクラシック音楽だから、音の間違いや音程の不安は論外として、音の過不足がないことや、リピート記号が忠実に守られている程度では、この言葉は奮発されないと思う。

  1. 「Allegro」と書かれた楽譜の再現として、「確かにアレグロに聞こえました」
  2. 「p」と書かれた場所が「確かにpでした」
  3. 「書かれている声部全部がちゃんと聞こえました」

リピート記号に忠実かどうか程度であれば、客観的に確認が可能だが、上記などは立証が難しい。ある人が「スコアに忠実」と評した演奏を聴いても、全員がそう思うとは限らない。500小節を超えるような巨大な作品を聴いてたちどころに「スコアに忠実な演奏だった」と総括出来るのは凄いことだ。

ブラームスの管弦楽作品の演奏において「スコアに忠実」であろうと思うと、それは大変だ。

「音符の多さ」もさることながら、ヘミオラ、ポリリズム、シンコペーション、重音奏法、複雑なアーティキュレーションなどなどだ。さらに本人も自覚している通り、ピアノに編曲したら大名人にしか弾けそうもない程のこみいった声部書法が追い打ちをかける。もっとある。楽譜上にちりばめられた繊細、多彩かつ難解な音楽用語だ。これら楽譜上のブラームスの意図をあらかじめ全て見抜くことが既に難儀である上に、それら全てを演奏中に反映させることが至難の業だ。

仮に、その至難の業が実現出来たとしても、演奏を聴く中からそれを感じ取るというのはもっと難易度が高い。

「スコアに忠実」という言葉を使うからには、その筆者が「スコアの譜読み」を終えているということが前提だ。しかし、残念ながら譜読みの深さには個人差がある。そしてその個人差は「スコアに忠実」という言葉にも反映せざるを得ない。

恐ろしくて使えたものではない言葉だが、読む側に回っても心の準備が要る。

2008年7月15日 (火)

泣きたいくらい

「ブラームスの辞書」op200のドイツ国立図書館への旅について、7月9日の記事「旅路はるか」に書いた。某運送会社の配送状況レポートによれば、「ブラームスの辞書」op200が目的地ライプチヒに到着したと推定出来る。

信用しない訳ではないが、何だか不安だった。

ドイツ国立図書館の公式ホームページ上で、蔵書の検索が出来るサービスがある。思い切って検索をしてみたら何と我が「ブラームスの辞書」がヒットしたのだ。

まずはこちらからだ。(←これ無断リンクです)

左サイドバナーの下の方に検索窓が2つある。そのうちの上の窓で3つの選択肢から「online catalogue」を選ぼう。次いで下側の検索窓に「Brahms no jisho」と入力する。そして「Go」のボタンをクリックする。待つこと数秒であっけなく表示される。

タイトル、著者、出版社、出版年、ページ数、ISBN番号が載っている。著者である私の名前の「N」が「M」になっているのがご愛敬だ。

ライプチヒに届いた「ブラームスの辞書」op200を図書館の人が手に取り、データ入力したことは確実だ。

正直申してこの記事震える手で打っている。泣きたいくらい嬉しい。ドイツが生んだ偉大な作曲家ブラームスに憧れるあまり、勢い余って自費出版した著書がその故郷ドイツの国立図書館に蔵書として正式に認められたことになる。

上記のサイトから図書館の写真を見ることも可能だ。「Photo Tour」をクリックし、さらに「Leipzig」を選ぶといい。見ての通りなんだか凄いところだ。娘の嫁ぎ先が大邸宅だったという感じに近い。万感胸に迫るものがある。

ライプチヒ。バッハが最後の27年を過ごした街、ブラームスがピアノ協奏曲第1番で苦汁をなめた街。「ブラームスの辞書」op200は今そこにある。

2008年7月14日 (月)

お盆のファンタジー2

昨日お盆の迎え火を焚いた。昨年バッハさんを連れてやってきたブラームスが約束通り、クララとロベルトを伴ってやってきた。

昨夜は私の部屋でCDのコレクションをずっと眺めていた。再生の仕方を説明したら目を丸くしている。「全作品があるのか?」と尋ねてきた。私が「ほとんどね」と答えると両手を大きく広げるゼスチャーで首をすくめていた。

そして歓迎のコンサートだ。

まずロベルトの変ホ長調のピアノ四重奏をクララと連弾してくれた。新しいもの好きなので電子ピアノにも文句を言って来ない。ロベルトは譜めくりだ。この曲のCDを見せるとあきれたような顔をしていた。楽譜が無いのが悩みだと申し上げたら、ジムロックか何かに言って送らせると言ってくれた。

お礼に娘たちと演奏した。作品11のメヌエットを私が2本のヴァイオリンとヴィオラ用に編曲したのだ。娘らを誉めてくれた一方で私の編曲の拙さを注意してくれた。さっそくパソコンに向かって注意点を修正したら目を丸くしていた。編曲はともかくパソコンであっという間に楽譜が出来るのが珍しいのだろう。

パソコンの前で話し込んでいたら、クララがブラームスに耳打ちしている。ブラームスはOKのサインを出すやいなやピアノの前に座って何やら弾き始めた。娘たちとたった今弾いた作品11のメヌエットだ。暗譜で弾きながらブラームスがこちらを見てウインクしている。

ロベルトが私に、これは「クララが編曲したんだよ」と教えてくれた。演奏後楽譜は無いのかとブラームスに聴いたら頭に指をあてて「ここに入っている」という仕草だ。クララが「楽譜は出版されていないのよ」と付け加えてくれた。落胆が私の顔に出たのだろう、ブラームスがパソコンを指さしている。暗譜しているからパソコンで楽譜にしてしまおうという合図だ。

クララは娘たちと遊んでくれている。新しいモン好きのブラームスはさっそくパソコンの前で入力を始めた。ロベルトがあれこれと口を挟んでいる。盛り上がる2人に水を差すようだがホントはパソコンで作った楽譜なんかいらない。どうせなら手書きがいいとお願いしよーっと。

入力が終わったら来年はヨアヒムを連れてくるように頼んでみるつもりだ。

2008年7月13日 (日)

スコア

いろいろな業界で用いられている言葉だ。スポーツやゲームの世界では概ね「得点」の意味だ。「スコアレスドロー」は「両者無得点の引き分け」を意味する。「ハイスコア」といえば「過去最高の得点」である。

音楽業界で「スコア」といえばほぼ間違いなく「総譜」のことだ。演奏に参加する全てのパートを記した楽譜のことだ。演奏に参加する全てのパートと申しても、ピアノソナタの場合はピアノだけでよいのだが、この場合はスコアと言わないのが普通だ。概ね演奏に関わるパートが複数の場合に限られよう。演奏に参加する各々の楽器のパート譜には、自分のパートしか記されていないのが普通だ。「それに反して全部のパートが記されている」という意味合いを濃厚に含んでいる。ここでは「パート譜」の反対概念だ。

作曲家の思いが全て盛り込まれていると考えて良い。だから「スコアリーディング」と言えば、作曲家の思いをスコアから読み取るということに他ならない。詰まるところスコアには「どのタイミングでどのパートがどう鳴らされているか」あるいは「どう休んでいるか」しか書かれていない。それが理解できただけでは「スコアリーディング」とは呼べまい。一般の文書で言う「行間を読む」ことが求められているのだ。特定の楽器のパート譜を読むだけでは解らないことが「スコア」からは読み取れるのだ。

ブラームスのスコアリーディングは「行間を読む」という意味で興味深い。底知れぬ味わいがある。作品を聴いての感想を記した文書は数多く出回っているが、総譜「スコア」を読んでの感想はなかなか見かけない。

スコアを書物と捉えての「読書感想文」という見方も面白いと思う。

「ブラームスの辞書」にはそうした感想文という側面がある。

2008年7月12日 (土)

ドイツの地図

7月9日の記事「旅路はるか」を何回か読まれた方はお気づきかもしれない。公開後に記事が手直しされている。

我が子同然の著書「ブラームスの辞書」のドイツ国立図書館への旅路を再現した記事だ。そこでは邪馬台国論争で名高い魏志倭人伝の里程記事のように、通過する地名と時刻を記して遠い異国にあるop200に思いを馳せた。

あまりメジャーではない地名も当然出てくる。物流の拠点の所在地が現れる訳だから著名な観光地ばかりが現れるとは限らない。聞いたことの無い地名が出ると今「ブラームスの辞書」がどこいるのかイメージ出来なくなるのだ。私は因果な性格でこういう曖昧なことに我慢が出来ない。

そこで大きな書店で地図帳を買い求めた。ドイツからの輸入品で4000円弱の出費だが、これがなかなか楽しめる。巻末の索引が詳細で嬉しい。さっそくレービハウ、ヘルネ、SCHKEUDITZを調べたという訳だ。これにより「ブラームスの辞書」op200が着々とライプチヒに近づく様子がよりリアルになった。

昔から地図大好きで、知らない場所の地図をぼんやり眺めるのが好きだったからドイツ語だらけの地図にも程なく慣れた。

さてさてこの地図帳の収録範囲はドイツの他にオーストリア、チェコ、スイス、ベネルクス3国である。何が嬉しいかというとこの収録範囲はほぼブラームスの生涯の行動範囲と一致しているのだ。イタリア旅行を除けば、ブラームスの伝記に現れる地名は全て網羅されているハズである。ブラームス関連の地名を全部この地図帳にマークしてみたい。

さらにである。生涯ドイツを出なかったバッハ関連の地名も地図上へのプロットが可能だ。

当分退屈しない。

2008年7月11日 (金)

祝出版3周年

「ブラームスの辞書」の刊行から今日で丸3年になる。ドイツ国立図書館への献本が3周年に間に合ったことが花を添えている。

バカ売れを期待しては酷というものだ。これからも粛々と販売を継続して行くだけだ。一方でブログ「ブラームスの辞書」へのアクセスは順調だ。年内の通算15万アクセス到達も現実味を帯びてきた。

さて、ブログ「ブラームスの辞書」が書籍になる。ココログのキャンペーンのお陰だ。「ブラームスの辞書」3歳の誕生日が、次なる書物の発刊を待ちながら迎えることになるとは思わなかった。その事に言及するのは今日で4回目。本を待つ気持ちを1回は記事にするのがココログ出版の事務局のみなさんとの約束だ。この気持ちを素直に記事にしていたら毎日になってしまう。適当に時間をおいて記事にしているという訳だ。

もちろん手に取った後にも出来映えや感想を記事にする。そうするとココログ出版のサイトに「お客様の声」という形で紹介されることもあるという。本を作ってもらうばかりか2冊も頂戴出来た上に、感想を紹介してもらえるなんて何だか凄い。弱小ブログ「ブラームスの辞書」にも愛の手がさしのべられたという感じに近い。

私はと言えば運を使いきりはせぬかと心配する小市民である。

2008年7月10日 (木)

ヴィブラート

弦楽器奏法の技術書では言及されぬことのない奏法。過度のヴィブラートは慎む等の表現が踊ることも多いが、現代ヴァイオリン奏法に無くてはならないテクニックだと思われる。「指先のヴィブラート」「手首のヴィブラート」「肘のヴィブラート」等の分類があるとされており、名人ほど自在に使いこなす。表現に潤いと幅を与えるとされている。

ピアノでは用いられないものの、弦楽器の奏者にとっては必須のテクだということが解るが、実は疑問がある。楽譜の上には「ヴィブラートをかけろ」あるいは「ヴィブラートをかけるな」の指示は一切現れない。少なくともブラームスの楽譜上にはない。だから「ブラームスの辞書」に収録されていない。

昨今クラシック音楽界では「楽譜に忠実なこと」が尊ばれる。コンクールでは特にその傾向が増す。マラドーナ国際コンクールでのだめはペトルーシュカに即興で自作のフレーズを挟んだために選外となる。その即興がどれだけ魅力的でも論外だそうだ。ピアノで言えばペダルの踏みはずし、弦楽器で言えば弓の上げ下ろしまで楽譜に忠実を求められているのにヴィブラートだけが完全に自分の判断というのは怖いものがある。

楽譜に記されていないヴィブラートを演奏者の判断でかけることは御法度になっていないばかりかセンスのいいヴィブラートをかけることはプラスの評価につながるのだ。楽譜にないポルタメントが失笑のきっかけになることが多いのと対照的だ。

バッハの時代にはヴィブラートをかけないのが当たり前だったから楽譜には書かれていない。ブラームスの時代はかけるのが当たり前だから楽譜には書かれていないと考えていいのか判然としない。

ヴィブラートの特別扱いがどうも気にかかる。この先ヴィブラートがポルタメント同様に廃れてしまい、かけないことが当たり前の時代がやってくるのか興味は尽きない。

2008年7月 9日 (水)

旅路はるか

私の手許を離れてから本当に7日目だ。「ブラームスの辞書」op200ドイツ国立図書館に届いた。。。と思われる。

今回の献本は自分で出かけることも出来ないので、Schwarz Katzeで有名な某運送会社に委託した。4000円と少々の送料だが、これがまたお釣りが来るほど正解だった。

12ケタの伝票番号を入力するとホームページ上で、送った荷物の配送状況を確認出来るのだ。おそらく作業工程毎にバーコードをスキャンすることで、位置が確認出来るのだと思う。7月2日の午後発送してから今日まで、配送状況確認にはまった。

ちょっと注意がいるのは、表示の日時は全て現地時間だということだ。これが数字の若い順に列挙掲載されるから、時差を考慮しないと前後のつながりがつかめない。7日間心から楽しませてもらった「ブラームスの辞書」の旅路をブログ上で再現する。表示は全て日本時間に統一し必要に応じて現地時間を併記する。ドイツは今多分サマータイムだから日本との時差は7時間だ。

  1. 7月2日お昼少し前発送 このときの控えにもらった伝票に12桁の番号がある。
  2. 7月4日14時52分 成田空港での通関手続完了。
  3. 7月4日15時26分 ケルンで通関申請。つまり成田の通関手続の完了を受けて、着地ドイツのケルンにおいて事前に通関申請がされているということだ。これでドイツでの第一歩がケルンであることが判明した。フランクフルト行きの直行便では無さそうだ。
  4. 7月4日21時45分 成田発。フランクフルト行きでないとするとどこに向かうのだろう。
  5. 7月5日6時51分 アンカレッジ着。米国アラスカだ。アラスカを経由する北米回りだということが判った。現地4日11時51分
  6. 7月5日9時52分 アンカレッジ発。さてさてどこに向かうのか。
  7. 7月5日18時21分ルイビル着発。米国ケンタッキー州西部の大都市。単なる経由地。現地5日5時21分。ここからさらに東に向かうはずだ。
  8. 7月6日1時12分。米国フィラデルフィア着発。もったいないことにここも単なる経由地だ。現地5日11時23分。いよいよ大西洋を渡ると思われる。
  9. 7月7日1時57分現地6日18時57分。ドイツ・ケルン着。やはりドイツの第一歩はケルンだった。
  10. 7日7日5時50分現地6日22時50分。ケルン発。上記3での通関事前申請の効果か、入国手続きも含めケルン滞留はわずか4時間だった。それにしても夜遅くに働いてくれているのはありがたい。この先ドイツを西から東に横切ることになる。
  11. 7月7日21時31分現地7日14時31分。ヘルネ着。ケルンから北北東に約60km、エッセンとドルトムントの中間あたりだ。
  12. 7月8日11時15分現地8日4時15分。ヘルネ発。
  13. 7月9日5時17分現地8日22時17分。レービハウ着。何とシューマンの生地ツヴィッカウはここから南東に20キロという至近だ。
  14. 7月9日10時35分。レービハウ発。ライプチヒはここからほぼ真北60キロの位置だ。
  15. 7月9日14時05分。SCHKEUDITZGLESIEN(読めない!!)着発。ライプチヒの西だ。市街中心まで約10キロの位置。いよいよだ。
  16. 7月9日17時48分。ライプチヒ着。現地9日10時48分。多分ここがドイツ国立図書館だ。受領書へのサインは「Weber」さんらしい。傷ついてはいないだろうか。

こんなことが日本に居ながらほぼリアルタイムでわかるなんて便利な世の中だ。何食わぬ顔で毎日ブログは更新していたが、実はこの配送状況レポートに夢中だった。荷物1個の動きがこれほど正確にわかるとはSchwarz Katze恐るべしである。英国研修のときの長男の動向よりよっぽどリアルだ。

とはいえ一週間の長旅本当にお疲れ様。人間ならまず温泉につかりたいところだろう。ドイツ国立図書館の空気に早くなじんで欲しい。

しみじみ。

2008年7月 8日 (火)

獲物の処理

6月28日の記事「狩の目的」で4月24日の記事「禁則」に端を発した一連のシリーズが一応の完結を見た。

  1. 4月24日「禁則
  2. 4月28日「5度ハンター
  3. 5月29日「リストの復元
  4. 6月 3日「狩の獲物たち
  5. 6月18日「やっぱりバッハ
  6. 6月28日「狩の目的

ここに最後の疑問がある。

ブラームスがウイーンジンクアカデミーや楽友協会の指導者として、自ら指揮する曲の譜読みの中から、先輩作曲家の禁則違反箇所をリスト化したと推定したが、実際にブラームスはその禁則違反箇所をどう演奏したのだろう。禁則違反を承知の上でそのまま演奏したのだろうか。実際にはブラームスが見ていたのは手稿譜であって、流布していた楽譜は既に誰かの手によって修正されていた可能性もある。もっと言うとブラームス自ら修正したという可能性もある。

ブラームス自らの修正の痕跡が残った楽譜は無いのだろうか。

またしばらく辞書片手にマッコークルを探して見ることにする。

2008年7月 7日 (月)

指揮者マーラー

本日はグスタフ・マーラーの誕生日だ。1860年7月7日の生まれである。現在では押しも押されもせぬ交響曲作曲家として君臨しているが、当初は指揮者として台頭した。晩年のブラームスと気鋭の作曲家マーラーとのやりとりは有名である。

そうしたやりとりは後世の愛好家にとって興味深いので、多く語られているうちに尾ひれが付いてしまう可能性も低くない。一方で指揮者マーラーが取り上げたブラームスの作品は、尾ひれの付きようがない現実である。

ハンブルグ時代<1891年~>ハンブルグは申すまでもなくブラームスの故郷だ。若い頃ハンブルグでのポストを渇望したブラームスだったが、なかなか思うに任せず、一時はわだかまりもあったらしいが、1889年ブラームスはハンブルグの名誉市民に列せられてそれも解消したと見るべきだろう。マーラーが就任したのはハンブルグ市立劇場の音楽監督だ。ブラームス存命中であることが注意を惹く。ハンブルグでマーラーが取り上げたブラームス作品は以下の通りである。

  • 1894/11/19 交響曲第3番
  • 1895/02/18 ピアノ協奏曲第1番 ソリストは誰だろう。

ウイーン時代<1898年~>1897年に没したブラームスと入れ替わるようなタイミングで、マーラーはウイーンフィルの指揮者となる。

  • 1898/12/04 交響曲第2番
  • 1899/12/03 交響曲第3番
  • 1899/12/17 ヴァイオリン協奏曲 ソリストが知りたい。
  • 1900/04/01 ハイドンの主題による変奏曲

ニューヨーク時代<1904年~>ニューヨークフィルの指揮者に就任する。

  • 1909/11/25  交響曲第3番
  • 1909/11/26 交響曲第3番
  • 1910/01/26 交響曲第3番
  • 1910/01/28 交響曲第3番
  • 1910/03/10 ヴァイオリン協奏曲 ソリストは誰だ。
  • 1910/03/11 ヴァイオリン協奏曲
  • 1910/03/27  フィンガルの歌op17-4
  • 1910/11/15 交響曲第1番
  • 1910/11/18 交響曲第1番
  • 1910/11/20 交響曲第1番

以上だ。彼は1911年5月18日に没するから、人生最後の秋にブラームスの第一交響曲を初めて取り上げたことになる。本日はマーラーが演奏で取り上げたブラームス作品だけを列挙したから、全体に占めるブラームスの割合は伝わらない。彼のレパートリー全体から見るとブラームスはけして中心とはいえない。

それにしても作品17-4とは渋過ぎる。

2008年7月 6日 (日)

最後のpoco f espressivo

7月3日の記事「打ち出の小槌」で「poco f espressivo」について言及した。

32の用例の最後が第4交響曲第2楽章88小節目であると書いた。誤解覚悟で断言すると、この場所が私にとって第4交響曲中最高の瞬間であると申し上げていい。

この主題が2度目に提示される場所だ。一度目ではチェロに旋律が任される。第1ヴァイオリンはそれを細やかに刺繍する。美しくはあるが主役ではない。2度目は弦楽器の響きの厚みがことさら強調されている。第1ヴァイオリンが旋律を担当し弦楽器各パートはディヴィジョンによって細分化され、声部間の鬱蒼とした絡み合いを聴かせる意図は明らかだ。

まさにこの場所に「poco f espressivo」が鎮座する。下手な日本語訳は邪魔なだけだ。

こここそブラームスが楽譜上に記した最後の「poco f espressivo」なのだ。あと12年の創作生活が残っていたのだが、ブラームスはこの打ち出の小槌に封印をした。「poco f」の使用はこの後も観察出来るから「espressivo」との並存だけを忌避したと解さざるを得ない。

「打ち出の小槌」の放棄にしては呆気なさ過ぎる。絶頂期に惜しまれつつ引退するかのようだ。

2008年7月 5日 (土)

12万アクセス

本日午後12時38分頃、ブログ開設以来の通算アクセスが12万に到達した。

  •  10000アクセス 2006年 3月 8日 283日目
  •  20000アクセス 2006年 8月30日 458日目(175日)
  •  30000アクセス 2006年12月30日 580日目(122日)
  •  40000アクセス 2007年 3月28日 668日目( 88日)
  •  50000アクセス 2007年  6月21日 753日目( 85日)
  •  60000アクセス 2007年 9月 7日 831日目( 78日)
  •  70000アクセス  2007年11月 8日 893日目( 62日)
  •  80000アクセス 2008年 1月 4日 950日目( 57日)
  •  90000アクセス 2008年 2月13日 990日目( 40日)
  • 100000アクセス 2008年 4月 3日1040日目( 50日)
  • 110000アクセス 2008年 5月21日1088日目( 48日)
  • 120000アクセス 2008年 7月 5日1133日目( 45日)

11万アクセスからの45日があっという間だった。以下の通り嬉しい出来事ばかりが立て続けに起きたからとても早く感じた。

  1. ココログのモニターに当選
  2. 第一交響曲の演奏会
  3. ドイツ国立図書館への献本
  4. 嬉しいMDの贈り物

何だか目が離せなくなってきた。

2008年7月 4日 (金)

サプライズは続く

7月1日の記事「思い当たる節」でこのところ嬉しいニュースが続くと書いた。実は実はその後も止まっていない。7月2日に思いがけずMDが私の手許に届いた。差出人を見て驚いた。昨年10月12日の記事「卒業試験」の主人公からだった。

「ブラームスの辞書」op23の持ち主、ピアノを志す学生さんが卒業演奏でブラームスのバラードop10を全曲演奏することになった事に対する応援の記事だった。

卒業演奏は無事成功したと聞いたが、彼女が自分の演奏をMDに録音して贈ってくれたという訳だ。

  1. バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻よりプレリュード第9番ホ長調
  2. バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻よりプレリュード第8番変ホ短調
  3. バッハ:平均律クラヴィーア曲集第1巻よりフーガ第8番変ホ短調
  4. ブラームス:インテルメッツォイ長調op118-2
  5. ブラームス:バラードニ短調op10-1

私に贈るためにわざわざ録音してくれたものだという。この選曲、配列だけで既に鼻の下が伸びてしまう。「卒業演奏で弾いたバラード全4曲はまたそのうち」という泣かせるメッセージもついていた。記事が今日になったのはブログ記事にする了解をいただくという点もさることながら、しっかり演奏を聴いてからじゃないと書けないからだ。

演奏の前にピアノのイスを動かすような音がする。「さあ弾くぞ」という緊張感が伝わってくる。程なくあっけないほど澄み切ったホ長調のプレリュードが始まる。空が高い感じがする。続く8番のプレリュードとフーガは平均律クラヴィーア曲集の中では長い方。漫然と弾いていは収拾が付かなくなる曲だ。ストーリー設定が出来ている感じがした。一番の感動はこれら全部がさりげなさと同居していることだ。

そして何たる曲。世界遺産インテルメッツォイ長調op118-2だ。私ごときがあまり語っては台無しになるが語らねば伝わらないのはジレンマだ。私に聴かせるために根を詰めて演奏したことは明白だ。場面の転換点ごとにキチンと論点が設定されている感じだ。「ブラームスの辞書」読んでくれてるのねってなモンである。来て欲しいところでちゃんと来てくれる安心感が心地よい。それでいてちっとも押しつけがましくないのが、演奏のせいなのか曲のせいなのか区別出来ていない。

ラストは卒業演奏で弾いたバラードからニ短調op10-1だ。「気迫が表に出ている」という観点から申すなら今回の5曲の中では随一だ。これに続くバラード3曲まで彷彿とさせる演奏だ。

様々なたたずまいを見せる5曲がキチンと消化されていて気持ちがいい。「こういう音楽をお持ちなんですね」という気になる。なんだかちょっとしたリサイタルを聴かせてもらった気分である。

実は家庭でのライブならではの出来事も起きている。バラードの途中に何回か「ミャーオ」というネコの鳴き声が聞こえるのだ。

  1. 4小節目の3拍目
  2. 5小節目の1拍目と4拍目
  3. 8小節目の3拍目(Poco piu motoの直前の絶妙なタイミング)
  4. 12小節目の3拍目(これもキッチリとフレーズの切れ目だ)
  5. 68小節目の4拍目

邪魔にならぬから不思議である。邪魔どころか上記の3~5は絶妙のタイミングだ。アレグロの中間部に入った後、音響的なヤマ場では声を潜めていて、もうこれで鳴かないのかなと思っていると、5番目で「ミャーオ」とやって締めくくっている。ペダルのひとつも踏んでいやしないか心配になるネコちゃんである。これでもしネコの名前が「エドワード」だったら完璧だ。

お礼代わりの記事がつい長くなった。

2008年7月 3日 (木)

打ち出の小槌

著書「ブラームスの辞書」で「poco f espressivo」を指して「打ち出の小槌」と表現している。ブラームスは生涯に33回「poco f espressivo」と楽譜に記した。「poco f espressivo」を含む語句となるとさらに3つが加わる。

「ブラームスの辞書」の執筆でもこの項目に喜々として取り組んだ記憶がある。ほとんど我を忘れるといったノリだった。それほどおいしい旋律が多いのだ。この36箇所のことに一通り言及しているだけで本になりそうである。「ppp」から「fff」に連なるダイナミクスメーター上の目盛りの一つだと割り切ることは出来ない。単なるダイナミクスの表示にとどまらない何かを感じている。ほとんど感情表現になってしまっている。「poco f espressivo」を楽譜上に記す記さないの基準なんぞ、常人の思いつく限界を超えている。ブラームスの本能が命じたからだ。

初出の弦楽六重奏曲第1番の冒頭から交響曲第4番第2楽章88小節目まで、ほぼ器楽作品に集中して出現する。

独唱歌曲では唯一作品「71-2」の65小節目のピアノパートに現れることや、上記第四交響曲の出番を最後にプッツリと姿を消すことなど謎も多い。

私にとっては宝物だ。

2008年7月 2日 (水)

op200

「ブラームスの辞書」opus200を本日、ドイツ国立図書館に向けて発送した。

照会に対する回答が来ないままだが思い切って送ることにした。実際に送る著書に付する通し番号を何番にするか思案した結果、200に決定した。「これぞ」という番号が既に出払ってしまっているのでキリ番の中で唯一残った200を選んだ。

斎戒沐浴したいくらいな気持ちを込めて丁寧に梱包した。想像するに娘を嫁にやるような気持ちなのだと思う。

一方私の著書がどうして目にとまったのか謎のままだ。ドイツ国立図書館の収集活動における執念のようなものを感じる。担当者一人一人にとってみれば日常のルーチン業務の一環なのかもしれないが、バックには確固たる組織的な意図を感じる。時差にして8時間を隔てる極東の島国の、一素人の自費出版の著作を入手したいと欲し、現実に出版社に依頼状を送ってしまうという行動力には心底感服する。嬉しいという気持ちを霞ませる程感心している。この話あちこちから「おめでとう」と声をかけられるが、ホントに凄いのはドイツ国立図書館の姿勢だと思う。

仮にパリ国立図書館でも、英国王立図書館でも請われれば舞い上がって送ってしまうに決まっているが、他ならぬドイツだということが喜びをいっそう深い物にしている。

この気持ちは間違いなくブログ運営の力になる。

あちらに届くのは約一週間後だ。頼むぞ opus200。

2008年7月 1日 (火)

思い当たる節

思えばスペシャルな6月だった。

  1. ココログからモニター当選のお知らせが来たのが12日。それに初めて言及した記事「ダメ元」の公開が16日だった。
  2. 石川書房さんにドイツ国立図書館から献本の依頼が届いたのが16日。ブログでの言及が22日である。
  3. さらにブラームスの第一交響曲とシューマンのピアノ協奏曲の演奏会(22日)のチケットをタダでもらえることになったのが17日だった。

怖いくらいだ。滅多に起きないことが立て続けに起きた。しかも皆良いことだ。何かの御利益に違いないと考えねば説明が出来ない。

実は思い当たる節がある。

それを解く鍵は6月15日の記事「夫婦の絆」だ。バッハとその2人目の妻についての記述だ。実はこの記事はいたずらである。その日は私の亡き妻の誕生日だったのだ。「ブラームスの辞書」の奥付に書かれた発行年月日も6月15日になっている。もちろん今年6月15日の記事「夫婦の絆」においてはそのことには触れていない。ブログの読者にわざわざ伝える程のことではないからだ。そりゃそうで、妻の誕生日に「夫婦の絆」などと言って騒ぐのは少し恥ずかしいのだ。そおっといたずらしたつもりだが、あり得ぬ話が3度も続くともしやという気にもなる。

ココログのモニター当選もドイツ国立図書館の話も、コンサートのチケットも天国の妻からのお返しに違いない。

このオチも相当恥ずかしいのだが、今は驚きの方が勝っている。

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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