スコアに忠実
「スコアに忠実」。難解ここに極まるといった感じだ。
演奏評の中でしばしば用いられる。ピアノ独奏曲をはじめとする、薄い編成の作品に対しては現れにくい。多くは管弦楽曲だ。「作曲家の意図が余すところ無く再現出来ていますね」という程度の概ね好意的なニュアンスの表出だろうと思うが、「通り一遍の演奏」という意味の皮肉な表現だという可能性も残る。
元々何かと「楽譜通り」であることが珍重されるクラシック音楽だから、音の間違いや音程の不安は論外として、音の過不足がないことや、リピート記号が忠実に守られている程度では、この言葉は奮発されないと思う。
- 「Allegro」と書かれた楽譜の再現として、「確かにアレグロに聞こえました」
- 「p」と書かれた場所が「確かにpでした」
- 「書かれている声部全部がちゃんと聞こえました」
リピート記号に忠実かどうか程度であれば、客観的に確認が可能だが、上記などは立証が難しい。ある人が「スコアに忠実」と評した演奏を聴いても、全員がそう思うとは限らない。500小節を超えるような巨大な作品を聴いてたちどころに「スコアに忠実な演奏だった」と総括出来るのは凄いことだ。
ブラームスの管弦楽作品の演奏において「スコアに忠実」であろうと思うと、それは大変だ。
「音符の多さ」もさることながら、ヘミオラ、ポリリズム、シンコペーション、重音奏法、複雑なアーティキュレーションなどなどだ。さらに本人も自覚している通り、ピアノに編曲したら大名人にしか弾けそうもない程のこみいった声部書法が追い打ちをかける。もっとある。楽譜上にちりばめられた繊細、多彩かつ難解な音楽用語だ。これら楽譜上のブラームスの意図をあらかじめ全て見抜くことが既に難儀である上に、それら全てを演奏中に反映させることが至難の業だ。
仮に、その至難の業が実現出来たとしても、演奏を聴く中からそれを感じ取るというのはもっと難易度が高い。
「スコアに忠実」という言葉を使うからには、その筆者が「スコアの譜読み」を終えているということが前提だ。しかし、残念ながら譜読みの深さには個人差がある。そしてその個人差は「スコアに忠実」という言葉にも反映せざるを得ない。
恐ろしくて使えたものではない言葉だが、読む側に回っても心の準備が要る。
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