国際汎用性
言語の違う国々においての使い勝手とでもしておく。
サッカーの試合は言葉の通じぬ国同士でもスムーズに遂行される。そこでは審判が第三国から選ばれるのも常識だ。ルールに対する共通認識が高いとこういうことになる。線審の旗が上がった時、どちらのチームもオフサイドがあったと認識できる。「OFF SIDE」というか「オフサイド」というかに関わらずである。ストリートサッカーであれば尚更だ。ボール1個あれば22ヶ国からかき集められた子供たちであってもサッカーが出来る。
共通認識が進んでいるという意味では音符もかなりのものだ。仮に20カ国からかき集めてきたオーケストラでも、楽譜を配ってテンポを示してやれば合奏できる。一部のイタリア語は音符と限りなく一体である。
ドイツ語満載のマッコークルは相当国際汎用性が低いと思いきや、豊富な譜例があるおかげで不便は感じない。
先ごろドイツ国立図書館の蔵書となったわが「ブラームスの辞書」はどうだろう。
楽譜の上で半ば世界語となっているイタリア語と少々のドイツ語がアルファベット順に並んだ形態はなかなか国際汎用性が高い。さらに見出し語が現われる作品の番号を「op~」という形で掲載しているから、「楽章」「小節」という単語さえ覚えれば、位置の特定は容易である。コメントは日本語だから日本語のわからぬ人にはさっぱりだろうが、それらが素人の屁理屈であることを考えると、かえって客観性が増すかもしれない。
そういう観点から眺めると、パート名をカタカナで記したのは失敗だった。「Pf」「Vn」「Va」のようなアルファベットの略号にすれば国際汎用性はもっと高まったと思う。
後の祭りである。
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