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2008年8月19日 (火)

屈折

本が売れれば喜ぶくせに「買ってください」とは言わない。ブログが読まれれば嬉しいくせに「読んでください」とは言わない。コメントがつけば嬉しいくせに「ご意見をどうぞ」とは言わない。みんな自分のことだ。つまり素直ではないのだ。気持ちがストレートに行動に直結しないとき、しばしば「屈折している」と形容される。

光が界面を通過する際に曲がることを指す用語だが、転じて素直でないことを形容する場合に用いられているというわけだ。

ブラームス評において用いられる言葉のランキングがあったら間違いなく上位に来る。ブラームス本人にその意識があったかどうかわからないが、彼の伝記を読んでいると、なるほどという場面が多い。もっとも代表的なのは「好きなのに好きと言わない」であろう。いわゆる青春時代において、この「好きなのに好きと言わない(言えない)」は、一度くらいは誰でも経験するから共感されやすい。とりわけブラームスにはそうしたフィルターを通して聴いても違和感のない作品が多いから、頻繁にこの言葉が奉られる。

この「思い通りにならないこと」がブラームスの創作のエネルギーになっていたとさえ感じられる。理想と現実のギャップをエネルギーにして作曲しているような気がする。理想と現実のギャップというからには、「理想」があることが前提である。「高らかな理想」であるか「ささやか理想」であるかは問わぬが、「理想が存在すること」自体は疑えない。

一方でその理想を次々と実現させることが創作のエネルギーになった人たちもいると思う。ひとつ実現すれば「もっと」という具合にエスカレートする。そういう人の作った作品は、けして「屈折」とは表現されない。

バッハの作品に屈折を感じることはない。バッハとて理想と現実のギャップはあったと思うが、作品には反映していない。そのギャップは別の何かが埋めていたと感じている。もしかするとそれは「信仰」かもしれない。そして恐らくその対象は「神」と「フーガ」と「コラール」に違いない。

ブラームスにおいて信仰の対象の最たるものはもしかすると「クララ」だ。これが本当なら相当むごい。何故ならクララはブラームスにとって理想と現実のギャップそのものだからだ。だから屈折が作品にそのまま反映せざるを得ない。

ブログでこんなことを書くとますます屈折していると思われそうだ。

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コメント

<T・S様

おおお。同感でございます。

本人が屈折と思っていたかどうかはわかりませぬが、聴こえてくる音楽が、それでピッタリ説明出来ますよね。

しみじみ。

ブラームスの、屈折から生まれるそんな奥ゆかしさや控えめさが大好きです。

<魔女見習い様

おおお。これはまた予期せぬ効果です。

この記事を読んでいると、
アルトのパパさんの素直さが、よくわかるように思います♪

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