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2008年9月30日 (火)

シューマンの応対

ロベルト・シューマンの伝記を読んでいると、主人公シューマンの命があと4年を切った頃にヨハネス・ブラームスが登場する。シューマンの日記にはブラームスのことがいきいきと記述されているばかりか、自らが創刊した音楽雑誌にセンセーショナルな紹介記事を書いて、ブラームスの楽壇デビューをアシストした。

ブラームスのシューマン家訪問は1853年9月30日、実際の対面は10月1日とされている。シューマンの伝記を読んでいると面白いことが判る。

ロベルト・シューマンの残した唯一のヴァイオリン協奏曲についてシューマン自身が作曲の過程を日記に書き残しているという。1853年9月21日にヴァイオリン協奏曲を書き始めたという記述があり、10月1日には、ブラームスの来訪への言及とともに、ヴァイオリン協奏曲の完成が仄めかされる。10月3日にはオーケストレーションの完成を示唆しているから、ヴァイオリン協奏曲は着手から完成まで13日を要したことになる。天才作曲家の筆の進み方とはこういうものなのだろうと思う。それは驚くには当たらぬが、シューマンはヴァイオリン協奏曲のような大作に取り組む途中でブラームスの訪問を受けたことになる。

シューマンが暖かくブラームスを迎え入れ、愛妻クララとともにブラームスのピアノ演奏を聴いて天才の出現を喜んだことは、ブラームス側の伝記でははずせぬ出来事になっている。そしてそのまましばらくおそらくは11月初旬までブラームスは滞在したのだ。シューマンのヴァイオリン協奏曲のオーケストレーションの完成にブラームスが立ち会っていた可能性さえ浮上する。

ヴァイオリン協奏曲の仕上げで多忙だったことを理由にブラームスを門前払いしていたら、音楽史は少し変わっていたと思う。

2008年9月29日 (月)

神社一ヶ月

8月30日にブラームス神社をお祀りしてから30日が経過した。

昨日までにのべ345人の参拝があった。何だか初詣の人出みたいだ。賽銭泥棒の被害総額は不明だ。賽銭は12,149,025円にも達した。本来ならこのお金で社殿の修理をみたいな話になるのだろうがそうもいかない。当初は操作に慣れないあまり法外な金額を頂戴したこともあったがこのところ落ち着いている。

実は金額にはあまりこだわっていない。操作ミスもあって意図しない金額が動いてしまうこともあるだろう。一方で参拝者の数には注目している。ブログを読むにとどまらず、わざわざこちらをクリックしていただいているのはありがたい。

願い事がかなった人はお礼参りも受け付けております。門前に茶店の一つも出来るといいのだが、適当なブログパーツが見当たらない。あかちゃんのお宮参り、七五三、お百度参りなどの機能があるといいのだが。

ブログパーツで遊び始めるとキリがない。本来は記事の充実につとめねばならないからだ。遊びとのバランスが難しい。

2008年9月28日 (日)

いたずらの場所

9月26日の記事「地名辞書という発想」は、この度完成にこぎつけたブラームス関連地名辞書製作裏話の集大成だ。箇条書きの末尾10番に、いたずらを仕掛けたと書いた。

ブラームスの伝記に関連する地名を集めたと言いながら実は、ひとつだけ例外を設定したのだ。ブラームスの伝記には現われないのに収録されている地名があるのだ。

答えは東京だ。

他に日本の地名は4つある。横浜、神戸、長崎そして高知だ。

「ブラームスの辞書」の著者つまり私の故郷ということで収録した。一種のマーキングだ。これを掲載することでトップページの参考文献欄に「ブラームスの辞書」を掲載することが出来る。つまり夏休みの宿題に名前を書くようなものだ。ついでに申せばこれで記事が1本稼げるのも大きい。

つまり小市民的小細工である。

2008年9月27日 (土)

フリーマーケット

一般の人が不要物を持ち寄って売買するイベントのことだ。しばしば「フリマ」と略される。古着や雑貨あるいは玩具や古本が主流だと思われる。

秋が深まるとあちこちで開催される。掘り出し物の発見に熱くなるのは野暮というものだ。売り手とのコミュニケーションや冷やかしにこそ楽しみがあるのだ。

どこぞの音楽大学の学園祭で、「ブラームスの辞書」を即売したらどうなるだろう。もちろん冷やかし歓迎だ。学生さん相手なら学園祭特別価格でOKだ。売り上げよりも音楽家の卵たちの反応が興味深い。気合いのはいったブラームス好きの学生さんがいるかもしれない。気合い比べならまだまだ若いモンには負けないのだが。

2008年9月26日 (金)

地名辞書という発想

7月19日の記事「マッコークルの隙間」でうっかりブラームス関連地名をリストアップすると宣言した当時、まさかそのリストに344個の地名が並ぶなどということは想像出来なかった。10や20ではないとは思っていたが、まさか344とは。「夏休みの宿題にちょうどいい」と軽口を叩いたが、とんだ見込み違いで、一昨年夏のシェーンベルク、昨年夏のオルガンを凌ぐ大がかりな夏のプロジェクトになった。

断っておくがこれは愚痴ではない。なぜなら地名辞書作りはとても楽しかったからだ。トップページと本文合わせて9本の記事の他にもかなりの数の記事を思いついた。地名への理解の深まりは伝記の面白味を増強することが身にしみた。

以下に地名辞書作成を通じて感じたことを列挙する。

  1. まずは自己満足から。カテゴリー「72 地名辞書」をクリックして欲しい。ラ行ワ行から公開するという工夫のお陰でキッチリ50音順に地名が並ぶ。もちろんこの姿は当初意図したものだが、実際出来上がると感動モンだ。(ホレボレ)お賽銭を奮発したい。
  2. 年表や作品一覧、あるいは人名索引は、ネット上で割と見かけるが、地名リストの類はあまり見ない。これはブログの差別化の観点からとてもよいことだと思う。あまり高価でない書物にも年表や作品一覧とともに人名索引が巻末に掲載されていたりするから、私が根を詰めてブログに掲載したところで今更感はぬぐえない。ところが地名索引となると状況は一変する。手許に地図や地名辞典をおいて伝記や作品解説を読むと楽しい。ブログとは言えこの手の地名辞書にはニーズがあると思う。少なくとも私は欲しい。ましてやブラームス関連地名に限っているとなるとお宝度も高まろうというものだ。
  3. 例によって他の大作曲家にゆかりの地でも、ブラームスに関係がなければ扱いは小さい。アイゼナハやハイリゲンシュタットは無視されているし、ザルツブルクはイシュルの位置説明の道具に過ぎない。バイロイトも申し訳程度に言及しているだけである。
  4. ブラームス関連地名の定義あるいは線引きも意外に厄介だった。たとえば伝記や解説書にある地名を収録の対象にしたが、歌曲テキストの作詞者の出身地は収録の対象としていない。
  5. 「ブラームス」「地名」「鉄道」という私の大好きな分野が、見事に融合した作業だった。300を越える地名チェックも全く苦にならなかった。地名学がもっとも尊ぶのはフィールドワークだ。地図を片手に現地を歩くのが基本だ。今回はその基本を大きく踏み外していることがこの地名辞書の弱点になるかもしれない。しかしその分地図への執着は増したと思う。複数の異なる地図をあたっての確認は喜び以外の何者でもない。
  6. 友人たちとかわされた手紙は地名の宝庫だ。細かな地名にまで自然に言及されているのを観察する時、地名は生きていると感じた。伝記などの書物に地名が配されると表現に潤いが生じると思う。100年以上前のプライヴェートな手紙に現れる地名が、現代の道路地図にも載っているのは何だか不思議だ。地名は絶対だ。何かと決まり事がうるさい漢詩でも地名だけは別格で、韻律からの逸脱が許容されるという。
  7. スイスやオーストリアの保養地に関する記述は、地図に加え旅行ガイドブックを平行して参照することでイメージが数段リアルになった。
  8. 研究成果の公開方法には少し悩んだ。想定を超えて数が増えたせいだ。1本の記事で全ての地名を公開したら読む方が大変だ。かといって1地名を1本の記事にすると毎日記事にしても完結までに1年近くかかってしまう。その上後から記事を差し挟むと50音順が崩れてしまう。まあ1ヶ月以内に公開を終えられるということを基本に公開方法を決定した。五十音順を逆に公開することで、カテゴリー「72 地名辞書」ではア行からの表示になる点工夫した。冒頭にトップページを置くことと合わせて知恵を使った。
  9. イタリアの詳しい地図を買っていないので、イタリアの地名についての記述がぬるいものになっている点が今後の課題だ。
  10. 一つだけブラームスの伝記には全く登場しない地名をしのばせた。ちょっとしたいたずらである。

地名辞書として使う場合にはカテゴリー「72 地名辞書」を利用し、地名辞書本文に書き漏らしたことや、特記事項はカテゴリー「71 地名探検」の中で単独の記事として順次掲載して行く。

はるかなる目標が出来た。いつかきっとこれらの街を自分の足で歩こうと思う。そのときは無闇にアウトバーンや高速鉄道を使ったりしないよう心がけたい。

2008年9月25日 (木)

モルダウ

昨夜遅く長女が真剣な顔で「ねぇパパ、ブラームスじゃなくて悪いけどモルダウって知ってる」と訊いてきた。「はあ」ってなもんだ。スメタナの名高いあのモルダウだ。

音楽の期末テストで絶対に出るから訊いておきたいらしい。「ヴァルタヴァ」とどこが違うのか知りたいらしい。チェコではモルダウと言わずにヴァルタヴァというと即答した。ついでに曲の概略を簡単に教えて欲しいという。「スメタナ・・・・国民楽派・・・・チェコ・・・・我が祖国・・・・川・・・・聖ヨハネの急流・・・・プラハ・・・・むにゃむにゃ」ってなもんだ。「オッケー、サンクス」「ブラームスじゃなくても知ってるんだね」だと。

モルダウ。

私が中学3年の秋だった。合唱コンクールに出たい男子を募集していた。部活を引退した3年の男子が狙いだったようだ。声変わりが終わっているという条件もあったと思う。即答で応募した。

これがまたあからさまな下心だった。前年の同じコンクールに、好きだった子が出ていたのだ。「小さい秋見つけた」できれいな声で歌ったソロに一目惚れだった。だから今年もと意気込んだのだが、その子は出場せず見事に空振り。それなら出ないというゴネは許されずに参加した合唱コンクールで歌ったのが「モルダウ」だった。適当な日本語の歌詞がついていたが旋律は紛れもなくスメタナだった。担当したのはバスのパート。だから今でもモルダウを聴くとベースラインが聞こえてくる。

娘は今その中3の秋。

2008年9月24日 (水)

ブラームス地名辞書

ブラームス関連地名辞書の完成だ。

昨日全8回に及んだブラームス関連地名リストの公開が一応の完結を見た。それらの記事は新しいほど上に表示されるブログレイアウトの設定を考慮し「ワ行」から「ア行」という順で公開した。さらに本日のこの記事は「ア行」に先行するトップページの意味合いを持つことになる。これら合計9つの記事は、地名辞書としての使い勝手に配慮し、カテゴリー「72 地名辞書」に集約した。一般の地名ネタはカテゴリー「71 地名探検」でという具合に棲み分ける。

位置およびスペルが不明の項目が全部で約30ある他、漏れや誤りあるいは心得違いもあると思われる。それらが判明し次第順次加筆修正してゆく。

カタカナ標記青文字を基本にアルファベット名を緑文字で添え、ウムラウトは赤文字で示した。ドイツ、イタリアなどの国名は対象外とした。

<最新更新日> 2009年10月14日

<収録地名数> 352

<WHAT’S NEW> 

  • 2009年10月14日 ギンメルヴァルトのスペル判明。
  • 2009年05月08日 シュタインバッハを新規収載。
  • 2009年03月16日 ピンネベルクを新規収載。
  • 2008年11月 6日  ザンゴタール峠を新規収載。
  • 2008年10月20日 ヴィアドリーナを新規収載。
  • 2008年10月 8日 ノヴァラガッセ、チェルニンガッセ、ウンガーガッセを新規収載。
  • 2008年10月 5日 ミリウスシュトラーセの位置とスペルが判明。
  • 2008年10月 2日 ブランデンブルクを新規収載。

ア行> 62項目

カ行> 56項目

サ行> 42項目

タ行ナ行> 44項目

ハ・ヒ> 27項目

フ・ヘ・ホ> 54項目

マ行ヤ行> 31項目

ラ行ワ行> 36項目

<参考文献>

  1. 「ブラームス」音楽之友社 カール・ガイリンガー著山根銀二訳
  2. 「ブラームス」白水社 ジョゼ・ブリュイール著本田脩訳
  3. 「作曲家◎人と芸術ブラームス」音楽之友社 西原稔
  4. 名曲ライブラリー「ブラームス」音楽之友社
  5. 「ブラームス」音楽之友社 門馬直美著
  6. 「ブラームス」新潮社 三宅幸夫
  7. 「ブラームス回想録集」第1巻 音楽之友社 天崎浩二編訳
  8. 「ブラームス回想録集」第2巻 音楽之友社 天崎浩二編訳
  9. 「ブラームス回想録集」第3巻 音楽之友社 天崎浩二編訳
  10. 「ブラームス歌曲対訳全集」第1巻 音楽之友社 志田麓訳
  11. 「ブラームス歌曲対訳全集」第2巻 音楽之友社 志田麓訳
  12. 「ブラームス作品目録」ヘンレ社 マッコークル著
  13. 「ドイツ・オーストリア鉄道の旅」 ダイヤモンド社 地球の歩き方編集室
  14. 「スイス鉄道の旅」 ダイヤモンド社 地球の歩き方編集室
  15. 「地球の歩き方-ドイツ」 ダイヤモンド社 地球の歩き方編集室
  16. 「真実なる女性-クララ・シューマン」ダヴィッド社 原田光子著
  17. 「REISEATLAS-DETSCHLAND im Detailmassstab」FALK社
  18. 「Tourist and Motoring Atlas-Germany」MICHELIN社
  19. 「City map-Vienna」freitag & berndt 社
  20. 「StadtPlan-Hamburg」ADAC社
  21. 「ブラームスの辞書」 石川書房 中野達哉著

2008年9月23日 (火)

地名リスト【ア行】

  1. アーヘン Aachen リーダーターフェルコンクール開催地。リナルドを出品。
  2. アーノルトシュタイン Arnoldstein オーストリア・ペルチャッハの西約35km。エジソンの発明した蝋管蓄音機についてホイベルガーとの話の中に現われる。
  3. アーレ川 Aare トゥーン湖から流れ出す川。トゥーンのブラームス邸の前を流れていた。首都ベルンを経てライン川に至る。
  4. アイガー Eiger 標高3975m。オーバーラント三山を形成する名峰。1800mにも達するそそり立つ北壁が有名。ブラームスはグリンデルワルト、シェイデックあたりから眺めたことは確実。
  5. アグリジェント Agrigento イタリア旅行で立ち寄った。シチリア島南西部の街。
  6. アッシジ Assisi イタリア旅行で立ち寄る。聖フランチェスコ聖堂を見学か?
  7. アッター湖 Attersee オーストリア・イシュルの北西約10kmにある湖。1896年6月アイベンシュッツは、カルベック夫妻のイシュル到着を「アッター湖経由で」と記述する。イシュルへは鉄道が一般的だが、カルベック夫妻が鉄道を使わずに現われた意外感を「アッター湖経由」という言い回しに込めたと思われる。
  8. アットナング Attnang グムンデン北西約20kmにあるAttnang-Puchheimのことか。1896年最後のイシュル滞在の折ランチに立ち寄ったことは確実。
  9. アムステルダム Amsterdam オランダの首都。1878年第2交響曲オランダ初演。
  10. アポステルガッセ Apostelgasse ウィーン市内。ジーメンス&ハルスケ社ハプスブルク帝国支社長リヒャルト・フェリンガーの屋敷があったところ。チェロソナタ第2番、ヴァイオリンソナタ第2番、ピアノ三重奏曲第3番の私的初演の地だ。街の中央シュテファン教会から東南東に直線距離で2150m。ブラームスの家から見るとほぼ真東に1820mの位置。
  11. アルスター Alster ハンブルク市内に横たわる湖。南端の湖畔にアルスターパヴィリオンがあり、父が楽団に所属していた。
  12. アルタウス湖 Altaussee オーストリア・イシュルの南東約15km。湖畔にあるワーグナー博士邸でピアノ三重奏曲第2番op87と弦楽五重奏曲第1番op88の試演があった。
  13. アルテフリードホフ Altefriedhof 旧墓地くらいの意味だから地名というのは心苦しいものがある。ボン駅から北西500m。シューマン夫妻の墓があるところだ。1856年にロベルト、1896年にクララ、ブラームスはここで埋葬に立ち会った。
  14. アルテンブルク Altenburg ワイマール郊外。リストの本拠地。ワイマールのアルテンブルクという言い回しをされるが、ケムニッツの西40kmのところにもアルテンブルクがあるので紛らわしい。
  15. アルトナ Altona 恩師マルクセンの生地。ハンブルク市内。現在大きなターミナル駅がある。ここから、ベルリン、ライプチヒを経てミュンヘンに至る特急列車に「クララ・シューマン号」という愛称がつけられているらしい。
  16. アルトレンバッハ 不明。1887年ホイベルガーと夏の予定を相談する中でホイベルガーが言及。チューリヒの真北50km。スイス国境に程近いLembach近郊か。
  17. アルフェルト Alfold ハンガリーの南東部一帯ドナウ川沿岸の低地を指す。ジプシーの歌op103-6の歌詞の中に現われる。
  18. アルプス Alps 欧州を東西に横切る山脈。ドイツ語ではAlpenだ。
  19. アンコーナ Ancona ヴィトマンとのイタリア旅行で立ち寄る。
  20. イーゲルガッセ Igelgasse  ウィーン市内ホイベルガーの居所。ブラームスの家からは南南西に約1250mのあたり。現在のヨハン・シュトラウスガッセだ。
  21. イエナ Jena ワイマールの東約35km。友人で指揮者のナウマンの居所。
  22. イシュル Bad Ischlオーストリアの保養地。ザルツブルクの東約50km。晩年の夏はここに決めていた。クララの訃報をここで受け取った。
  23. インターラーケン Interlaken スイス・トゥーン湖とブリエンツ湖の間に位置する。アルプス観光の拠点。グリンデルワルトへの登山口。忠犬アルゴスが通ったかも。
  24. ヴァーンフリート スペル不詳。ビューローの娘の居住地。バイロイト近郊か。
  25. ヴァイトリンク Weitling ウィーン市外から北北西に10kmの地域。ホイベルガーを伴ってしばしばハイキングに立ち寄った。
  26. ヴァイトリンクバッハ Weitlingbach ドナウ川の支流。ウィーンの森に端を発しヴァイトリンクを通ってドナウ川に注ぐが、ヴァイトリンクの南西5kmのところにヴァイトリンクバッハという集落もある。ホイベルガーとのハイキングで立ち寄った。
  27. ヴィースバーデン Wiesbaden フランクフルトの西約40km。ライン川沿いの保養地だ。第3交響曲を仕上げた場所。
  28. ウィーン Wien 35年の長きにわたってここに住んだ。
  29. ウィーン通り Wiengasse 夏の避暑地ミュルツスラークでブラームスが借りていたのはウィーン通り2番地の家である。
  30. ヴィアドリーナ Viadrina ブレスラウを流れるオーデル川の別名。当地の大学から哲学博士の学位を授与されたブラームスが、その返礼にと作曲したのが「大学祝典序曲」だ。作品のタイトルをあれこれ考える中、「ヴィアドリーナ」が候補に上がっていたとされている。
  31. ヴィルトバート スペル不詳。1878年クララ一家がオーストリアの避暑地バードガシュタインで過ごした際に借りた家のあった場所。
  32. ヴィルトプレットマルクト Wildpretmarkt ブラームス行き付けのレストラン「赤いハリネズミ」の所在地。旧市街中心のシュテファン寺院の北端からブラントシュトラーセを北西に120m程進んで右折したあたり。
  33. ウィルヘルムスハーフェン Wilhelmshaven オルテンブルクの北約40kmの港町。幼馴染リースヒェンの結婚後の居住地。1868年夏アルバート・ディトリヒと連れ立って軍港を見学している。
  34. ヴィンゼン Winsen 父のヤーコプの友人ギーゼマンの招待で不健康な生活から解放された街。リースヒェンとの思い出とともに。
  35. ヴィンタートゥール Winterthur スイス・チューリヒの北東約15km。友人キルヒナーの住居。ドイツレクイエム6、7曲の作曲地。
  36. ヴェネチア Venezia イタリア旅行でしばしば訪れた水の都。ワーグナー死去の地。
  37. ヴェルス Wels リンツの西約40km。クララの訃報を受けフランクフルトに急行するブラームスはここでフランクフルト方面行きに乗り換えるはずだったが、車掌が起こすのを忘れたという失態のあった駅。
  38. ヴェルター湖 Worthersee 第2交響曲を作曲したペルチャッハがこの畔にある。
  39. ヴェローナ Verona イタリア旅行で訪れた。ブレンナー峠を越えてイタリアに入る場合の交通の要衝。イタリア旅行でたびたび訪れた。
  40. ヴェンゲン Wengen 有名なアイガーの中腹にある集落。忠犬アルゴスの通り道。ブラームスと友人のヴィトマンはアプト式鉄道で通ったハズ。
  41. ヴォージェ山系 Vogue フランス・アルザス地方の山並み。フローレンス・メイがリヒテンタールの自室からの景観を自慢する話の中に出て来る。
  42. ヴォルガ Wolga ロシア西部を流れてカスピ海に注ぐ大河。op3-2「リート」のテキストに現われる。
  43. ウディーネ Udine イタリア旅行で訪れた。
  44. ヴュルテンブルク Wurttemburg フェリンガーの母自慢の料理の記事の中に現れる。バーデン地区とともにバーデン・ヴュルテンブルク州を構成する。シュワルツヴァルト及びその東を指す。
  45. ウルム Ulm 1854年8月、ユリウス・オットー・グリムからアルバート・ディートリヒへの手紙で、ブラームスがシュヴァルツヴァルトからウルムに戻ったとある。高さ160mのウルム大聖堂で有名。
  46. ウンガーガッセ Ungargasse 音楽大学東側を南北に走る通り。1870年2月にここの2番地に転居した。
  47. エーベルンブルク スペル不詳。ミュンスターアムシュタイン近郊。クララ一家が滞在する温泉の近所。ブラームスとアルバート・ディートリヒが共同で借りた家がある。ここでディートリヒは、第一交響曲の草稿を見せられた。1862年の夏だ。
  48. エールツゲビルゲ Erzgebirge エールツ山脈。ザクセン州とチェコの国境に横たわる山脈。アルバート・ディートリヒの家族が住んでいたらしい。
  49. エシネン湖 Oschinennseeスイス屈指の景勝地。トゥーンの南約30km。カンダーシュティークの東5kmだ。ヴィトマンとともに訪れた。
  50. エストウエストシュトラーセ Ostweststrasse 文字通りハンブルクの市街をエルベ川に平行して東西に貫く目抜き通り。ブラームスが洗礼を受けた聖ミヒャエル教会は、この通りに面している。
  51. エッセン Essen 演奏会でしばしば立ち寄る。
  52. エッチェ Ecce イタリア。1882年夏。イタリアで休暇を過ごすクララ一家を豪雨が襲う。ミラノからヴェネチアに向かう途中ヴェローナ近郊のエッチェで氾濫寸前の川を列車で渡ったとオイゲーニエが証言している。
  53. エルサレム Jerusalem カンタータ「リナルド」のテキストは「開放されたエルサレム」である。イスラエルの首都。
  54. エルバーフェルト Elberfeld デュッセルドルフの東25km。演奏会でしばしば立ち寄る。
  55. エルベ Elbe チェコ北部に発し、チェコおよびドイツを貫流して北海に注ぐ国際河川。ブラームスの故郷ハンブルクはその北岸に栄えた港湾都市ということになる。
  56. エルレンバッハ Erlenbach スイス・チューリヒの南東10km。チューリヒ湖畔の街。フェルディナンド・ポールの手紙に、くつろぎまくるブラームスの様子が現れる。
  57. エンデニヒ Endenich ボン近郊。ロベルト・シューマンが収容された病院。ロベルト・シューマンの没したところ。
  58. オース渓谷 Oostal フローレンス・メイとブラームスの景色自慢に現われる。オース渓谷とはオース川の流れる渓谷で、ドイツ屈指の保養地バーデンバーデンはこのほとりにある。
  59. オーバージーベリンク Obersievering ウィーン市街から北西に13km。マーラーの墓があるグリンツィンクのすぐ西隣だ。もちろんブラームスがハイキングで訪れたときはまだマーラーの墓は無かった。
  60. オステンデ Ostende ベルギー・ブリュッセルの北西約120km。北海に面した港町。1854年5月クララが塩水浴療法に向かったことがグリムの手紙からわかる。
  61. オルヴィエート Orvieto イタリア旅行で立ち寄った。ペルージャのすぐ南だ。
  62. オルデンブルク Oldenburg ブレーメンの西約50km。親友アルバート・ディートリッヒの居所。しばしば演奏旅行で訪れる。 

2008年9月22日 (月)

祝14万アクセス

今朝9時頃ブログ開設以来のアクセスが14万に達した。

  •  10000アクセス 2006年 3月 8日 283日目
  •  20000アクセス 2006年 8月30日 458日目(175日)
  •  30000アクセス 2006年12月30日 580日目(122日)
  •  40000アクセス 2007年 3月28日 668日目( 88日)
  •  50000アクセス 2007年  6月21日 753日目( 85日)
  •  60000アクセス 2007年 9月 7日 831日目( 78日)
  •  70000アクセス  2007年11月 8日 893日目( 62日)
  •  80000アクセス 2008年 1月 4日 950日目( 57日)
  •  90000アクセス 2008年 2月13日 990日目( 40日)
  • 100000アクセス 2008年 4月 3日1040日目( 50日)
  • 110000アクセス 2008年 5月21日1088日目( 48日)
  • 120000アクセス 2008年 7月 5日1133日目( 45日)
  • 130000アクセス 2008年 8月15日1174日目( 41日)
  • 140000アクセス 2008年 9月22日1212日目( 38日)

14万アクセスへの到達が今日になったことは、私の念力の賜である。

読者諸賢は既にお気づきと思うが、地名リストの公開は9月2日から中2日と決めている。この間に下記の通り点在するイベントにぶつからないのだ。

  1. 9月06日次女の誕生日
  2. 9月07日次女のコンサート
  3. 9月10日1200日連続記事更新
  4. 9月13日運動会

地名リストの公開が作品展であることを考えるとキッチリとしたペースを守ることに意味がある。それでいて他のイベントに重ならないという点が重要だ。気がかりは管理人がコントロール出来ない「通算14万アクセス」と「運動会の天気」だったが、どちらも地名リストの公開の妨げにならずにすんだ。ということは、つまり明日【ア行】を公開して地名リストがコンプリートとなる。よほどのことが無い限りである。

見ての通りアクセス1万に要する日数38日は過去最短だ。何だか月間1万アクセスも荒唐無稽ではなくなってきた。

2008年9月21日 (日)

異変

ヴァイオリンのレッスンへの往復の車中での話だ。

大抵はブラームス以外の音楽を鳴らしている。ドヴォルザークの交響曲第8番を聴きながら、不意に次女が「これってトロンボーンでしょ」と言い始めた。曲の進行に合わせてそのときに鳴っている管楽器を次々と言い当てている。

昔はこうではなかった。オーケストラの曲になるとヴァイオリン以外はわかんないという状態だった。「すごいね」と言うと「そりゃ、毎日ブラバンで聴いているからねェ」という答えだ。ブラスバンドにある楽器の音は大抵判るようになったようだ。複数の管楽器が同時になっていても当てることが出来る。本当はやってみたかったというオーボエがお気に入りらしい。第2楽章のフルートとクラリネット、第3楽章トリオのオーボエ、第4楽章のトランペットとフルートなど、有名な見せ場が多いから楽しいという。

続いてボレロを聴かせると目を輝かせている。

ブラームス作品の管楽器の見せ場を聴かせねばならない。管楽器の見せ場には既に言及したが、これを次女がどう受け止めるか楽しみである。

2008年9月20日 (土)

地名リスト【カ行】

  1. カールスガッセ Karlsgasse ウイーンの住居。楽友協会至近の一等地。
  2. カールスバート Karlsbad カールスルーエの南東約10km。空しい鉱泉療法がほどこされた街。一方現チェコ領カルロヴィ・ヴァリのドイツ語名もカールス・バードだ。病篤きブラームスが訪れるなら、ウィーンとの距離から見てこちらかもしれない。
  3. カールスルーエ Karlsruhe 第一交響曲初演の栄光。
  4. カーレンベルク Karlenberg 1887年春フェリンガーとの遠足先。ウイーン北西郊外の小高い山。
  5. カイトゥム Keitum デンマークとの国境近く、ユトランド半島付け根西側にヒョロリとT字を横倒しにしたように突き出た砂州状の半島シルト島の中央部にある。唯一の作曲の弟子グスタフ・イエンナーの出身地だ。
  6. カイロ Cairo エジプトの首都だ。1894年2月12日ここで友人で指揮者のハンス・フォン・ビューローがこの世を去った。
  7. ガシュタイン BadGastein オーストリアの保養地。ザルツブルクの南約80km。クララ一家が1878年夏を過ごした。
  8. ガストホーフ スペル不詳。オーストリアの保養地ミュルツシュラークの小地名だと思われるが、地名でない可能性もある。手品の興行を見物に出かけたようだ。
  9. カターニア Catania シシリア島東海岸の街。イタリア旅行で訪れた。
  10. カデナッピア スペル不明。マイニンゲン侯の別荘がある場所。客人としてブラームスが滞在した。イタリアか。
  11. カラカス Caracas 南米ベネズエラ・ボリバル共和国の首都。弟フリッツが一時滞在。
  12. カラブリア Calabria イタリア半島南端の地方の名。この地方の民謡にいくつか曲をつけている。
  13. ガリツィア Galizien 現在のウクライナ南西部を指す。ホイベルガーとの時事ネタの中に現われる。
  14. カルステンバッハ スペル不詳。ザルツブルクからシュタイナハ・イルトニングを結ぶザルツカンマーグート線の小さな駅。ここでホイベルガーはブラームスに医者にかかるよう薦める。1896年7月7日のことだ。
  15. カルテンロイトゲーベン Kartenleutgeben ウィーン市街から南西に15km。ホイベルガーとのハイキングで立ち寄った。
  16. カンダーシュテーク Kandersteg スイス・トゥーンの真南約40km。1887年夏のヴィトマン一家の保養地。ここにブラームスを招待して密かに肖像画を書かせる計略が失敗した記述にのみ現われる。
  17. キール Kiel ユトランド半島付け根東側にある港町。時々演奏会で立ち寄った。
  18. キプロス Cyprus トルコの南にある島国。1887年夏イタリア旅行からの帰還が遅れているヴィトマンについて、その夫人に「キプロスに行ったきり」とふざけて報告している。イタリアからの戻りが遅いことを、はるか東地中海のキプロスくんだりまで行っているからというニュアンスだと思われる。
  19. キュシュナハト Kusnacht スイス。チューリヒの南東5km。チューリヒ湖畔の街。1874年の夏を過ごすブラームスの様子がフェルディナンド・ポールの手紙で生き生きと伝えられている。
  20. ギンメルヴァルト Gimmelwald スイス・ミューレンからラウターブルンネンに下る途中のどこかだと思われる。ヴィトマンとブラームスはあまりの絶景に言葉を失う。
  21. グッビオ Gubbio イタリア旅行で訪れた。ペルージャの東隣。
  22. グムンデン Gmunden イシュルの北西20km。リンツの南西約40km。トラウン湖畔の街。ハンスリック生誕70年を祝った。
  23. クラーゲンフルト Klagenfurt オーストリア。ペルチャハのあるケルンテン州の州都。何度か演奏会で立ち寄る。
  24. グラーツ Graz オーストリア。ウイーンの南西約130kmの位置。1882年10月31日親友のベートーヴェン研究家、グスタフ・ノッテボームの臨終に立ち会う。葬儀費用を全額負担した。ノッテボームの遺品の膨大な古楽譜を相続した。
  25. グラートヴァイン Gratwein オーストリア・グラーツの北西10km。1873年4月ここにブラームスが夏用の別荘を借りたとホイベルガーが証言している。
  26. グラーフェンベルク スペルはおそらくGrafenberg.。1853年秋アルバート・ディートリヒがブラームスと遠出したと証言する。この話はブラームスのシューマン邸宅訪問直後のことだから、デュッセルドルフを起点に考えるのが自然だ。ニュルンベルクの南50kmにこの地名を見つけたが、デュッセルドルフから500km近く離れている。遠出とは言え本当にここなのか心配だ。
  27. グラーベン通り Graben ウィーン中心部シュテファン広場から北西に伸びる大通り。カール・ゴルトマルクがブラームスとの初対面を回想する中に現われる。
  28. グライヒェンブルク スペル位置不明。肺を病んだノッテボームの療養先。
  29. グラスゴー Glasgow 1878年ハンス・フォン・ビューローが第1交響曲を演奏。恐らくスコットランド初演だ。
  30. クラムパス スペル不詳。1876年7月の夏をブラームスとともにリューゲン島で過ごすヘンシェルの記述に現われるからリューゲン島内と思われるが20万分の1の地図では見当たらない。
  31. クリークバッハ スペル位置不詳。クリークラーハとの混同が起きている可能性大。
  32. クリークラーハ Kriglach オーストリア・ミュルツシュラークの南西10km。この地の詩人ローゼッカーの別荘を訪問した。1885年8月30日のことだ。
  33. グリンデルヴァルト Glindelwald スイス。1886年夏トゥーン滞在中にヴィトマンとハイキングに訪れた。氷河が有名。アルゴスの大冒険の起点。
  34. グルンドル湖 Grundlsee アルタウス湖の東約10km。アルタウス湖畔のワーグナー博士の家からの朝の散歩の目的地。1882年8月21日の朝だ。直線距離でこそ10kmだが、実際にはアップダウンもあり朝の散歩というにはいささか長距離だ。
  35. クレーフェルト Krefeld デュイスブルク南西15km。フォンデアライエンの本拠地。何よりも50歳のブラームスがここでヘルミーネ・シュピースと知り合った。
  36. クレモナ Cremona イタリア旅行で訪れた。ヴァイオリンの産地。
  37. クロイツナーハ Bad Kreuznach マインツの南西約30km。1862年夏。ここにクララ一家が滞在した。
  38. クロスターノイブルク Klosterneuburg ウィーン市街から北西に20km。ホイベルガーとのハイキングで立ち寄った。
  39. ケストヘイ Keszthely ハンガリー・ブダペストの南西180km。バラトン湖畔の街。友人カール・ゴルトマルクの生地。
  40. ケチュケメト Ketschkemet ハンガリーの首都ブダペストの南東約90km。ジプシーの歌op103-6で、この辺りには美しい娘が多いと歌われる。
  41. ゲッティンゲン Gottingen アガーテと知り合った街。ゲッチンゲン大学の講義を聴講。この地でブラームスの才能に触れた若きシュピッタは音楽学を志す。
  42. ケーニヒ湖 Konigsee ドイツ南東端、ベルヒテスガルテン近郊。ホイベルガーとのおしゃべりの中で言及される。
  43. ケーニヒスベルク Konigsberg 1880年第二交響曲を出し物とした演奏旅行で立ち寄った。現在ロシア領のカリーニングラードのこと。この街の橋は一筆書きの問題として有名。
  44. ケープタウン Capetown アフリカ大陸南端の喜望峰に近い南アフリカ共和国の都市。自署ハンターの一人はケープタウンから飽きずにピアノを注文してきたとヴィトマンが証言する。
  45. ゲミ山 Gemmipass カンダーシュティークの南西約12km。こっそり肖像を描かれているのを察したブラームスは、ゲミ山の山道を望むベランダに逃れた。ヴィトマンらの策略が破綻した話の中に現れる。南向きのベランダだということがわかる。「ゲミ峠」に近いニュアンスだと思われる。
  46. ケムニッツ Chemnitz ライプチヒの南東約70km。何を隠そう「宗教的な歌」op30の初演地だ。
  47. ケルン Koln ヴァイオリンとチェロのための協奏曲初演の地。この地で開催される音楽祭の常連だった。
  48. ケルントナー通り Karntner Strasse ウィーン・シュテファン広場からほぼ真南・国立歌劇場まで伸びる通り。1877年1月5日の演奏会に備えてこの通りに面したオーザー邸で合唱練習があったとホイベルガーが記述する。
  49. ゲンゼマルクト Genzemarkt ハンブルク市中心部の地区名。
  50. ケンブリッジ Cambridge 英国だ。ブラームスに学位授与を初めて申し出た大学がある。
  51. ゴイザーン Bad Goisern イシュルの真南約10。ホイベルガーが1893年の夏を過ごした保養地シュテークの説明の中で言及される。バードが省略されているので難解。
  52. コウチ もちろん日本。クリンガーのエッチング「ブラームスファンタジー」が県立博物館に所蔵されているという。
  53. コウベ もちろん日本。ヴァイオリニスト・レーメニが公演したことがある。
  54. コブレンツ Koblenz ボンの南東60km。ライン川沿いの街。1876年2月24日当地での公開練習で、ブラームスがシューマンのピアノ協奏曲を弾き、間違いがあったとヘンシェルが証言している。
  55. コペンハーゲン Copenhagen デンマークの首都。1868年3月の舌禍事件は有名。
  56. コンスタンチノープル Constantinople 現在のトルコ・イスタンブール。1886年ブラームスの家政婦を募集した際、遠くコンスタンチノープルからも応募があったという。

2008年9月19日 (金)

無視出来ぬ悩み

ブログ「ブラームスの辞書」が思いがけず本になった。ココログ出版のモニターに当選したお陰である。9月4日に私の手許にやってきた。嬉しい。ところが、最近悩みがある。最初はたいしたことはないとタカをくくっていたのだが、実は相当厄介だ。

全く違う本に「ブラームスの辞書」という名前がついていることだ。

2005年7月に出した本家本元の「ブラームスの辞書」と、今回ブログを書籍化した本が、同じ書名を背負っているのだ。当初は軽く考えていた。やはり本家が中心でモノを考えていた。ところが、発行部数が少なかろうと多かろうと事実として私の手許にある本2つが同じ書名を背負っているのは不便だ。

元々ブログ「ブラームスの辞書」は書籍「ブラームスの辞書」の宣伝のために立ち上げた。当時ブログを本にする気などサラサラなかったから、ブログ名を決める際には迷わず本と同名にした。今まではそれで全く不自由がなかったし、良いネーミングで気に入ってもいる。片方はブログのタイトル、片方は本のタイトルということで不便は無かったのだ。

片方は自分の保存用に限った本であるにもかかわらず、私自身が感じるこの不便感は深刻だ。

発刊済みの「ブラームスの辞書」のタイトルは変えることは出来ない。ブログのタイトルを変えるか、ブログを本にする際に別のタイトルにするかしかない。ブログのタイトルは気に入っているからブログを本にする際に変えるのが現実的だ。でもココログ出版のレギュレーションではそれは出来ないことになっている。

相当悩ましい。

2008年9月18日 (木)

オルガンコラールのピアノ連弾版

バッハの編曲物の売り場を何気なく見ていて発見した。唖然とするほどのお宝だ。

Yaara Tal と Andreas Groethuysen という2人のピアニストが弾いている。 マックス・レーガーのオルガンコラールop30のピアノ連弾版。それからバッハのオルガンコラールのピアノ連弾版(Reinhard Febelという人の編曲)以下の7曲だ。

  • BWV734
  • BWV659
  • BWV694(version a)
  • BWV639
  • BWV663
  • BWV694(version b)
  • BWV721

見ての通り、オルガンコラールのピアノ連弾版」というテーマであることは明らかだ。アルバムタイトルは、そのものズバリの「Choral Preludes」となっている。2007年の発売で、収録した全ての曲に、どうやって調べたか「世界初録音」の文字が躍っている。ジャケットのデザインも何だかさめざめとした感じ。アルバム全体に、ただならぬ意図が充満している。

ピアノ連弾であることが意味あり気に迫ってくる。オルガン特有の量感が上手く表現されている。

そして何と言ってもこのアルバムの売りは、ブラームス最大の作品番号122を背負った「オルガンのための11のコラール前奏曲」のピアノ連弾版だ。編曲者はブラームス一の子分、オイゼビウス・マンディチェフスキーだ。

良い。端正な演奏だ。編曲者の存在を忘れさせてくれるほどだ。これは恐らくマンディチェフスキーの意思。ブラームスがバッハ作品の編曲で見せたストイックな姿勢と同質だ。マンディチェフスキーのブラームスへの敬意が素直に伝わって来る。もしかするとマンディチェフスキーは「何もせぬ事」を心がけたのではなかろうか。

極楽極楽。このCDをみつけたのがブラームスの売り場ではなくてバッハの売り場だったこともとっておき感を高めている。

2008年9月17日 (水)

地名リスト【サ行】

  1. ザイテンシュテッテンガッセ Seitenstettengasse ウィーン市内旧市庁舎北側から東に走る通り。Jシュトラウスのオペレッタについてホイベルガーとの議論の中に現れる。 
  2. ザクセン Sachsen 16ある連邦州のひとつで州都はドレスデン。昔のザクセン王国の所領と一致する。ライプチヒもここに属し音楽的にも重要な地域。
  3. ザスニッツ Sassnitz バルト海に浮かぶドイツ最大の島リューゲン島の街。1876年の夏をここで過ごしたブラームスは第一交響曲を完成に漕ぎつける。
  4. ザルツカンマーグート Salzkammergut 世界遺産にも登録されたオーストリアの保養地。ブラームスお気に入りのイシュルもここに帰属する。1867年夏、ブラームスは父を案内して一帯を旅行する。
  5. ザルツブルク Salzburg オーストリア。モーツアルトの生地だが、ブラームスの伝記の中ではイシュルの場所の説明に使われる。
  6. ザルツンゲン Bad Salzungen 不世出のクラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルトの生地として言及される。バッハの生地アイゼナハの南約20kmだ。
  7. ザルマンスドルフ Salmannsdorf ウィーン市街から北西に7km。ホイベルガーとのハイギングで訪れた。
  8. ザンクトギルヘン Sankt Gilgen オーストリア。イシュルの西約20km。ザルツブルクに抜ける街道沿い。ザンクトウォルフガング湖畔。友人で名高い外科医ビルロートの別荘があった。イシュルから列車で60分とあるが、現在イシュルとの間に鉄道は引かれていないので、もしかすると同名異地かもしれない。
  9. ザンゴタール峠 Sankt Gotthard pass スイスとイタリアの国境。1888年イタリア旅行から帰路ブラームスはこの峠をこえた。
  10. ザントシュトラーセ Sandstrasse ブレーメン・聖ペトリ大聖堂の所在地。1868年4月10日ドイツレクイエム初演の地。
  11. サンフランシスコ Sanfrancisco もちろん米国。ヴァイオリニスト・レーメニがここで没した。
  12. サンマリノ SanMarino 周囲をイタリアに囲まれた小さな共和国。ここの切手は有名。イタリア旅行の途中で立ち寄ったブラームスはフェリンガーのために切手を土産に買い求めた。
  13. サンモリッツ Sankt Moritz スイスの保養地。マティルデ・ヴェーゼンドンクからの手紙で言及される。
  14. サンレモ Sanremo エリザーベート・フォン・ヘルツォーゲンベルクの没した街。
  15. ジーベンゲビルゲ Siebengebilge ボンの南東10kmの景勝の地。ライン川沿いの丘陵地。円錐型の7つの山が連なる。クララの葬儀の後、数日間ここで音楽に浸って過ごした。
  16. ジェノヴァ Jenova イタリア旅行で立ち寄った。
  17. ジトナー通り Zitna チェコの首都プラハ市内聖リュドミラ教会の北側を東西に走る通り。1878年ブラームスは出版社ジムロックにドヴォルザークのモラヴィア二重唱の出版を勧める熱烈な手紙を書く。その中でドヴォルザークの住所を「プラハ・ジトナー通り」としている。
  18. シャイデック Scheidegg スイス・インターラーケンの南東10km。アイガー中腹の街。アプト式鉄道の駅がある。忠犬アルゴスも通ったはずだ。
  19. シャフベルク Schafberg ザルツカンマーグートにある山。イシュルの北西10kmにある。1867年ブラームスは父を連れて山頂まで登った。
  20. シュヴァーベン地方 Schwaben ドイツ南西部一帯を指す。シュワルツワルトを抱えた地域。クララ・シューマンはこの地域に演奏旅行に来る場合、フェリンガー家に宿泊していた縁でブラームスを夫妻に紹介した。
  21. シュヴェーリン Schwerin ハンブルクの真東100kmにある。1880年までに第2交響曲が演奏された。
  22. シュタイアーマルク Steiermark ミュルツシュラークを含む州の名前。州都はグラーツ。1867年に父親を連れた旅行で立ち寄る。
  23. シュタインバッハ Steinbach ザルツブルクのほぼ真東約40km。アッター湖東岸の街。1893年から1896年にかけてグスタフ・マーラーが毎夏ここに小さな別荘を構え作曲のためにこもったところ。ここを起点にしばしばイシュルのブラームス訪問したという。約25kmを自転車で通ったらしい。
  24. シュタインベルク Steinberg ラインワインの著名な産地。良質なブドウの取れる畑の名前だ。ブラームスの伝記でも「シュタインベルクのワイン」という言い回しがされている。
  25. シュタルンベルク湖 Starnbergersee ミュンヘンの南西約20km。1886年6月13日バイエルン王ルートヴィッヒ2世が謎の死を遂げたところ。1886年夏を過ごすトゥーンでヴィトマンと話題にした。
  26. シュテーク Steeg オーストリア。イシュルの南12km。1893年夏ホイベルガーが借りた別荘があった。
  27. シュテッヘルベルク Stechelberg 標高4158mのユングフラウ峰のほぼ真西5kmにある高台で絶景のビューポイント。1887年夏友人のヴィトマンと訪れた。
  28. シュトゥットガルト Stuttgart バ-デン・ビュルテンベルク州の州都。南西部の代表的都市。しばしば演奏旅行で訪れた。
  29. シュトラスブルク Strasburgフランス領。ストラスブールというのが一般的。フローレンス・メイとブラームスはリヒテンタールの自室からの景色を自慢しあう。メイはシュトラスブルクの平原が見渡せると自慢するのだ。別の窓からシュヴァルツヴァルトが見えるとあるから、辻褄はあう。歌曲「エーオルスのハープに寄せて」初演。ブラームス作品の初演場所では現在唯一のフランス領。 
  30. シュトロープル Strobl オーストリア。グスタフ・イエンナーがイシュルでのブラームスの居所を説明する中で言及している。イシュルの真西10km。聖ウォルフガング湖畔にある。
  31. シュパイアー スペル不詳。1862年夏アルバート・ディートリヒと旅行。ライン川沿いということは確か。コブレンツの南約10kmのSpayのことかもしれない。
  32. シュペックスガング Specksgang ハンブルクのブラームスの生家の住所。現在の地図を見ても見当たらない。Specksstrasse という地名が、ゲンゼマルクトの南西100mのあたりに見られる。その西100mのところにブラームス広場があるのでほぼここで間違いないだろう。
  33. シュレスヴィヒ Schleswig ユトランド半島の付け根東側にある町。ブラームスの弟子イェンナーの実家があった。
  34. シュレスヴィヒ・ホルスタイン Schleswig-Holstein 16ある州のひとつ。ユトランド半島の付け根に当たる。ブラームス姓の父祖の地として言及される。州都はキール。
  35. シラクサ Siracusa シチリア島東岸の街。イタリア旅行で訪れた。
  36. シルト島 Sylt ユトランド半島中段より西側に伸びる横T字型の島。ユトランド半島とは砂州で繋がっているので厳密には島ではない。ブラームスの作曲の弟子イエンナーの出身地。
  37. ジンマーリンカーハウプトシュトラーセ Simmeringer hauptstrasse ブラームスが葬られているウイーン中央墓地の住所はこの通りの234番地だ。音楽家以外にも著名人の墓が多い。ブラームスの友人高名な外科医テオドール・ビルロートの墓もあるらしい。
  38. スティリア Styria シュタイヤーマルクの英語による言い回し。
  39. ゼメリンク Semmering リヒャルト・フェリンガーがミュルツシュラークの位置説明に引用している。ここの峠を越えるとすぐミュルツシュラークだ。初のアルプス峠越えの鉄道として1854年に開通し現在では世界遺産になっている。
  40. ソレント Sorrento イタリア旅行での訪問先。
  41. ゾンデルスハウゼン Sondelshausen ライプチヒの真西約120km。1870年この地の宮廷指揮者ブルッフの後任としてのオファーがあったが固辞したらしい。
  42. ゾーリンゲン Solingen デュッセルドルフの東約25km。世界的に有名な刃物の産地。有名人自署ハンターの計略をかわすエピソードとしてヴィトマンが言及。

2008年9月16日 (火)

費用対効果

今回ココログ出版のモニターに当選したことによって手にすることが出来た本「ブラームスの辞書」をいろいろな角度から眺める。

まずは「費用対効果」だ。正規の料金を請求されたら製本料金1冊9,800円その他もろもろで19,480円だそうだ。

手にして一週間たった。本としての出来映えは上々だ。布張り本の質感は素晴らしい。「ブラームスの辞書」本体は、上製本にするところまでで手一杯で布張りにまでは出来なかった。しおりや花布等製本の仕様に破綻は一切無い。この出来なら自分の日記代わりのブログが本になる充実感と引き替えに年1度20,000円の出費も妥当だと感じる。布張りにまで欲張らねばもっと費用は下がるのだと思う。たとえばモノクロ&ソフトカバーという最も安いグレードならば3,380円まで落ちる。

元々ブログの記事だからネット上でいつでも閲覧は可能なのだが、やはり紙にすると落ち着く。サーバ上のデータとは別に紙で持っているという充実感は格別だ。

自分のための保存用と割り切るならとても良いしかけだと感じる。年間365本か366本の記事が存在する我がブログ「ブラームスの辞書」を記録に残すとするとどうなるだろう。

横に33文字で縦に33行が並ぶのが1ページだ。これが200ページで合計6,600行・21,7800字。ここからタイトルのスペースを控除する。タイトル1個につき3行分のスペースが費やされる。今回219タイトルだから657行に相当する。つまり5943行196,119字だ。1記事あたり1ページ弱で900文字という計算になる。これは興味深い数字だ。ブログ「ブラームスの辞書」は備蓄記事も入れて1,800本の記事があるから約162万字の情報量ということになる。本家「ブラームスの辞書」は約36万字だから、既にその4倍半に相当するのだ。本にする甲斐がある。

ブログ開設当初は短い記事が多かったことを考慮すれば、記事1本1ページと考えて良い。ココログのレギュレーションによれば、最大のページ数は448だから、長い記事が少々混じっても1冊1年が無理なく収まることになる。これは美しい。

年に1度ブログ保存のために1年分を本にするというのは魅力的だ。1年に1冊というのはとてもキリがいい。

2008年9月15日 (月)

マンディチェフスキー

オイゼビウス・マンディチェフスキー(Eusebius Mandyczewski1857-1929)はブラームスの友人だ。少し詳しい伝記には載っている。友人というより「一の子分」という雰囲気である。もちろんキチンとした音楽家である。私がオケにのめり込み始めた頃のスター指揮者だったカール・ベームやジョージョ・セルの恩師でもあるくらいだから、よっぽどの人物なのだ。

彼はブラームスに心酔するあまりほとんど「無給の秘書」状態だったという。

さて晩年になって十分な収入を得るようになっても、ブラームスは質素な生活をした。趣味は古楽譜や書籍の収集だ。だから彼は膨大なコレクションを残した。手回しのいいブラームスは貴重な文献の寄贈先を生前に決定していた。それはつまりウイーン楽友協会だ。そのウイーン楽友協会の司書を務めていたのがマンディチェフスキーその人である。司書とはまさに楽友協会の蔵書の番人だ。ブラームスライブラリーの管理人としてうってつけの人物である。

もちろん彼の功績はそれにとどまらない。楽譜校訂をさせても一流だった。シューベルト全集の編集主幹として仕切ったことをブラームスに誉められている。そのほかブラームスと共同で何人かの作曲家の楽譜を校訂している上に、御大ブラームス作品の校訂者にもなっている。我が家にもある。「4手のためのピアノ曲楽友協会版」の校訂者がマンディチェフスキーその人になっている。

ブラームスの生きた19世紀後半は、バッハ再興と平行して音楽学が根付いて行った時代だ。ブラームスは気鋭の音楽学者たちとの交流を通じて、最先端の音楽学を吸収していた。音楽の研究にとって、作曲家の自筆譜を含む古楽譜が超一級の資料であることを自覚していたハズだ。自らのコレクションが音楽学に多大な貢献をする宝の山であることさえ知っていたに決まっている。

だからブラームスは迷わずマンディチェフスキーにコレクションを委ねた。ブラームスのコレクションはその全量が散逸することなく今日に伝えられた。

思いがけないところから貴重な楽譜が発見されるという楽しみと引き換えだ。

2008年9月14日 (日)

地名リスト【タ行ナ行】

  1. タオルミーナ Taormina シチリア島東岸の街。イタリア旅行で訪れた。
  2. ダブリン Dublin アイルランドの首都。ブラームスの友人チャールズ・スタンフォードの生地。英国でのブラームス受容に貢献した。
  3. ダンツィヒ Danzig 現在のポーランド領グダニスク。第一次大戦までドイツ領だった。演奏旅行で立ち寄った。
  4. チェチーレンベルク スペル不詳。フロレンス・メイが弦楽六重奏曲ニ短調の変奏曲のブラームス自らの演奏を回想する中で言及している。文脈から判断してリヒテンタール付近の丘陵であることは確実。
  5. チェルニンガッセ Czerningasse プラーターシュトラーセとドナウシュトラーセを結ぶ通り。1863年3月ここの7番地に転居した。ウィーンで2箇所目の住居。
  6. チューリヒ Zurich スイス最大の都市。1865年以降演奏旅行に赴く。その過程で詩人のヴィトマンと知り合う。
  7. チロル Tirol アルプス山脈東部一帯。オーストリアと一部イタリアを含む。世界的な保養地だが、ブラームスはアイベンシュッツとの会話の中で「チロルよりイシュルが好き」と言っている。
  8. ツィーゲルハウゼン Ziegelhausen ハイデルベルクの東5km。ネッカー川北岸のこの地で弦楽四重奏曲第3番が完成を見た。
  9. ツヴィッカウ Zwickau ロベルト・シューマンの生地。ケムニッツの西約35km。
  10. ツェルリンゲン島 スペル不詳。トゥーン湖に浮かぶ島あるいはアーレ川の中州。トゥーンにおけるブラームスの住居をヴィトマンが説明する中に現われる。
  11. ツェレ Celle ハノーファーの北東38km。レーメニーとの演奏旅行で訪れた。
  12. ティチーノ Ticino スイス南部でイタリアと国境を接する州。1890年9月27日のヴィトマン宛ての手紙に現れる。
  13. デトモルト Detmold 1857年9月。ブラームスが最初に就職した宮廷のある街。
  14. テューリンゲン Thuringen 連邦16州の一つ。州都はエアフルト。リストの本拠ワイマールの説明の中に現われる。
  15. デュッセルドルフ Dusseldorf 1853年10月20歳のブラームスがシューマン邸を訪れた街。主無きシューマン一家を助けた街。
  16. デュルステンブルク スペル不詳。キール近郊と思われる。ブラームスがアルバート・ディトリヒに宛てて落ち合う場所を提案する手紙を書いた。
  17. デンハーグ Denhaag オランダ第三の都市。第二交響曲以降オランダの作品への反応は暖かく、しばしば演奏旅行を企てた。
  18. トゥーン Thun ベルンの南30kmにあるスイスの保養地。ヴィトマンとの交友から1886年から3年間の夏を過ごす。
  19. トウキョウ 「ブラームスの辞書」の著者の故郷。もちろん日本の首都。
  20. トゥツィング Tutzing ミュンヘンの南西約35km。シュタルンベルク湖畔の街で1873年の夏を過ごした。弦楽四重奏曲第1番と2番が生まれている。
  21. ドナウ Donau ドイツ南西部シュバルツヴァルトに発して東流し黒海に注ぐ。ウィーンを貫流する国際河川。Jシュトラウスに有名なワルツ「美しく青きドナウ」がある。ブラームスはこの作品の冒頭部をさらりと記して「残念ながらヨハネス・ブラームスの作品に非ず」と書き添えた。
  22. トラウン湖 Traunsee オーストリア・グムンデン近郊の景勝の湖。
  23. トラウン滝 Traun 1896年6月24日グムンデンのミラー邸から馬車で出かけた。トラウン川のどこかだと思われるが不明。グムンデンから馬車で日帰り圏内だ。 
  24. トランシルヴァニア Transylvania ルーマニア西部。1879年秋ヨアヒムを伴っての演奏旅行で訪れた。
  25. トリエステ Triest アドリア海に面した港町。イタリア旅行で訪れた。
  26. トリノ Trino イタリア旅行で訪れた。
  27. ドルトムント Dortmund ブラームスの最初の就職地であるデトモルトの位置説明に引用される大都市。演奏旅行でしばしば訪れた。
  28. ドレスデン Dresden ザクセン州の州都。しばしば演奏旅行で訪れた。ロベルト・シューマンが住んだことでも有名。
  29. トロイ Troy 木馬で有名な古代ギリシャ時代の都市国家。1886年9月エルンスト・フォン・ビルデンブルッフという大作家とブラームスの対面がベルンのヴィトマン邸で実現した。そのとき話題になった「アガムメノン」の冒頭部分にあられる。シュリーマンは既に1870年にヒッサリクの丘を発掘していた。ホメロスの言うトロイアが考古学的に確定したのはこの対面の4年後1890年だ。
  30. ドロテア通り Dorotheergasse 国立歌劇場の北側約250m。ブラームスの遺骸を載せた葬列がここのエヴァンゲリスト教会に寄って合唱礼拝をした。カールスガッセの自宅から楽友協会を経て、国立歌劇場を付近を通って立ち寄ったと思われる。埋葬の地中央墓地は市街地から南東に約8kmのところだから、この教会を出て引き返す形になる。
  31. ナガサキ レーメニの公演先。もちろん日本。
  32. ナッサウ Nassau コブレンツの東約15km。ライン川支流のラーン川の作る渓谷沿いの街。ユリウス・オットー・グリムの手紙に現れる。
  33. ナポリ Napoli イタリア旅行で訪れた。
  34. ニーセン Niesen スイス・トゥーンのほぼ真南約10kmにある標高2362mの山。ヴィトマンによればブラームスはこの山に登ったことが判る。
  35. ニーデルバット Nidelbad スイス・チューリヒの南約20km。チューリヒ湖南岸だと思われる。
  36. ニューヨーク Newyork 申すまでも無く米国。1855年11月27日ピアノ三重奏曲第1番初版の初演をした栄誉はこの大都会にある。
  37. ニュルンベルク Nurnbergワーグナーの楽劇のタイトルの中にのみ現れる。
  38. ヌスドルフ Nussdorf ウィーン市街から北西へ6km。ホイベルガーとハイキングに訪れた。
  39. ネノヴィッツ スペル不詳。チェコ・モラヴィア地方の街。親友カール・ゴルトマルクの生地。
  40. ノイバウガッセ Neubaugasse ウィーン市内のブラームスの通ったレストラン「金の鐘亭」のあったところ。レルヒェンフェルター通りとマリアヒルフ通りを結んで南北に走る道のうちリンクから数えて4本目の通り。
  41. ノイバルデック Neuwardegg ウィーン市外から西へ8km。ホイベルガーとハイキングで訪れた。
  42. ノイベルク Neuberg オーストリア・ミュルツシュラークの北西約10km。ここの村祭りに出かけたブラームスの様子をフェリンガーが証言している。1885年の夏だ。
  43. ノイマルクト Neumarkt ライプチヒゲヴァントハウスとトマス教会の中間あたり、つまり旧市街の中央を南北に貫く通り。ゲヴァントハウス北辺とトマス教会北辺を結ぶ通りとの交点あたりにクララが生まれた頃ヴィーク家があったとされる。
  44. ノヴァラガッセ Novaragasse プラーター広場とターボルシュトラーセを結ぶ通り。1862年9月初めてウィーン進出を果たしたブラームスの最初の住居はここの39番地だ。プラーター広場に10歩の位置だと手紙で伝えている。

2008年9月13日 (土)

マーチングバンド

中学校の運動会だった。我が家の家系で、成果は期待薄だ。もっぱら芸術点狙いのパフォーマンスに終始した。

今年はもう一つ楽しみがあった。ブラスバンド部が昼休みに演奏を披露する。トロンボーンを始めて5ヶ月の次女も参加を許された。

出し物は2曲。「リトルマーメイドメドレー」と「ディスコパーティⅡ」だ。

そろいのウエアをまとって意気揚々と吹いていた。具体的に次女の出す音が実感できる訳ではないが見ていてとても楽しめる。思っていたよりずっと大きな音がした。何より感心したのは、2曲とも全員が暗譜である。暗譜の上に振り付けまで覚えねばならない。脳味噌が2つ要る感じである。

クララ・シューマンの誕生日ネタ、あるいはブラームス神社の縁日を押しやって記事にするくらい嬉しい。クララ・シューマンのご加護があったに違いない。

2008年9月12日 (金)

何を今更

ブログ「ブラームスの辞書」が書籍になった。何を今更というような思いがけない発見があった。

読んだら面白いのだ。これは予想以上だ。

ブログとの違いは通勤電車の中で読めることだ。ブログの立ち上げ当初の記事ということは3年以上前の記事だからとても懐かしい。「こんなこと書いたかぁ」というような記事もある。

手探り感が至る所に見られる。「ですます調」が混じっているなど表現の不統一が散見されるし、ブログではあまり深いところまで言及したくないという考えが随所に仄めかされている。けれども記事の意図自体は現在のコンセプトと変わっていない。

本の本来の機能は読まれることだ。当たり前だ。ブログが本になったおかげで読むことに集中できる感じだ。

自分で言うのも何だが、私が言っておかないと誰にも言ってもらえない。

2008年9月11日 (木)

地名リスト【ハヒ】

  1. バーゼル Basel 演奏旅行でしばしば訪れたスイスの街。ライン川の可航最上流に位置する。街がドイツ・フランス・スイスそれぞれに属する国際都市である。
  2. バーデン Baden オーストリア。ウィーンの南約25km。ドイツのバーデンバーデンがしばしばバーデンと略されるとき非常に紛らわしい。スイス・チューリヒ近郊にもある。
  3. バーデンバーデン Baden-Baden ドイツ屈指の保養地。カールスルーエの南約40km。ここの近郊リヒテンタールにクララが住んだためしばしばブラームスも訪れた。
  4. パーニクルガッセ Paniglgasse 現在のウィーン工科大学の西側すぐの位置。ということはブラームスの自宅があったカールスガッセからも近い。ここのレストラン「鹿亭」で63歳の誕生日を祝うパーティーがウィーン音楽家協会の主催で開かれた。1896年5月6日のことだ。
  5. バイエルン Bayern ドイツ南部の州。ほぼ旧バイエルン王国と重なる。ここの王ルートヴィッヒ2世は、ワーグナーのパトロンでありながらブラームスにも叙勲しワーグナーがへそを曲げた。
  6. ハイデ Heide ハンブルクの北西約90km。1806年ブラームスの父ヨハン・ヤーコプがここで生まれた。この街でブラームスの祖父ヨハン・ブラームスは宿屋を営んだという。
  7. ハイデルベルク Heidelberg 弦楽四重奏曲第3番が生まれたツィーゲルハウゼンの説明の中で引用される。
  8. パイヤーバッハ Payerbach オーストリア・ウィーンの南西75km。ミュルツシュラークの北西18km。1878年夏オイゲーニエ・シューマンがここの近くに数週間滞在するとある。
  9. バイロイト Bayreuth ニュルンベルク北西約40km。ワグネリアンの聖地として言及されることがある。
  10. パドヴァ Padova イタリア旅行で訪れた。
  11. ハノーファー Hannover 若き日のヨアヒムの住居があった関係で一時ブラームスも居を構えた。鉄道を利用する限り故郷ハンブルクとシューマン一家のいるデュッセルドルフの中間に位置する。シューマン投身の報をここで受けた。弦楽六重奏曲第1番初演の地でもある。
  12. ハプロワン スペル不詳。チェコのブリュン近郊と思われる。1878年7月オイゲーニエ・シューマンから近況報告の手紙に現われる。
  13. ハム Hamm ハンブルク市街からほぼ真東に約5km。レージング夫人の計らいで1861年の夏を過ごしたところだ。ブラームスは感謝のしるしにピアノ四重奏曲第2番を献呈している。
  14. パリ Paris フランスの首都。普仏戦争の影響かブラームスはフランスを嫌っていたと言われる。1868年ルイーゼヤーファによるピアノ五重奏曲のフランス初演の記事のほか、レーメニ単独の演奏旅行で言及されるのみだ。
  15. ハルツ Harz アルトラプソディのテキスト、ゲーテの「冬のハルツ紀行」ゆかりの地。ハノーファーの南東約100kmのあたりにハルツ自然公園とあるあたり。なんとこの自然公園の中心がワルプルギスの夜で有名なブロッケン山だ。
  16. パルマ Parma イタリア旅行で訪れた。
  17. バルメン Barmen 現在はエルバーフェルトとともにヴッパータール市を形成するが、ブラームスの当時は独立した市だった。1884年第3交響曲の演奏旅行で立ち寄る。
  18. ハレ Halle ライプチヒの北東約35km。ブラームスの作品24に主題を供給したヘンデルは、しばしば「ハレの巨匠」と表現されている。
  19. パレルモ Palermo シチリア島北西部の街。イタリア旅行で立ち寄った。
  20. ハンブルク Hamburg ドイツ最大の港町。正式には「自由ハンザ都市ハンブルク」という。州と同格の特別市。申すまでも無くブラームスの故郷。1889年ブラームスを13人目の名誉市民に選んだ。
  21. ヒーツィング Hietzing ウィーン市街から南西に約7km。ホイベルガーとのハイキングで立ち寄った。
  22. ビーレフェルト Bielefeld デトモルトの北西約15km。ブラームスの伝記ではもっぱらデトモルトの位置説明の中で登場する。
  23. ピサ Pisa イタリアの旅行先。
  24. ヒュッテルドルフ 位置スペルとも不詳。プレスバウム近郊ということだけはヘンシェル宛ての手紙から明らか。
  25. ビルケルシュトラーセ Bilkerstrasse デュッセルドルフ最大の繁華街ケーニヒスアレーの西約300mのところを南北に走る全長400m程の通り。北側から100m程の場所にシューマン夫妻の家があった。1853年10月1日20歳のブラームスがこの家を訪問したことは有名である。翌年2月27日にはこの家を飛び出したロベルトがライン川に身を投げた。
  26. ヒルデスハイム Hildesheim ハノーファーの南東約40km。ホイベルガーにレーメニとの演奏旅行の想い出を語る場面に登場する。
  27. ヒンネベルク Pinneberg ハンブルクの北西20km。ブラームスの継母カロリーネが、父の死後息子と住んだ町。

2008年9月10日 (水)

祝1200日連続記事更新

本日この記事をアップしたことにより、ブログ「ブラームスの辞書」は2005年5月30日開設以来の記事更新が連続1200日となった。

めでたい。

一方ブラームスゆかりのミュルツシュラークで、国際ブラームス音楽祭が今日から5日間開催されるらしい。9月14日までだ。さすがに本場は違う。この5日の会期中にクララ・シューマンの誕生日9月13日が含まれるというのは偶然だとは思えない。今年で18回目だというが、毎年クララの誕生日にひっかけているのだろうか。ブログ「ブラームスの辞書」の開設1200日はともかく、クララ誕生日は絶対に意識していると思う。

2008年9月 9日 (火)

寄贈礼状

「ブラームスの辞書」がドイツ国立図書館に無事届いた件は7月15日の記事「泣きたいくらい」に書いた。

このほどドイツ国立図書館から寄贈礼状が出版社の石川書房宛に届いた。社長さんにココログ出版の本をお見せしたくてお会いしたところ持ってきてくださった。

013

いろいろの国から書物を集めているのだろう。あらかじめお礼の文が五ヶ国語で印刷されている。英語の部分にマーカーが引かれていた。

012

石川書房宛の封筒も、風格に溢れたオリジナルだ。

宝物が増えた。

寄贈礼状の私の名前が「NAKANO」になっている。ドイツ国立図書館の蔵書検索では、当初著者名が「AKANO」になっていたのだが、ちゃんと「N」なっている。

よもやと思い再度蔵書検索を試みたところ、ちゃんと修正されていた。「ブラームスの辞書」op200を送ったときにそれを指摘するメモを挟んでおいたが、ちゃんと読んでくれたのだ。

ドイツ国立図書館のみなさまどうもありがとう。

2008年9月 8日 (月)

地名リスト【フヘホ】

  1. ファーンベルク  スペル、位置ともに不詳。1876年夏をリューゲン島で過ごすブラームスとヘンシェルのエピソードに現われる。ザスニッツに滞在するブラームスに対してヘンシェルのホテルがファーンベルクにあったとされているから、おそらくリューゲン島内だと思われる。
  2. フィレンツェ Firenze イタリアの旅行先。
  3. フーレントヴィーテ Fuhlentwiete ハム郊外にブラームスが移った後の両親の住んだ家がある通り。生家のあるシュペックス通りを南に100m程のところから始まってヴェックスストリートまでの通り。つまりハンブルク市内だ。
  4. ブクステフーデ Buxtehude ハンブルクの南西約20km。北ドイツオルガンの巨匠と同じ名前だ。
  5. ブダペスト Budapest 現在のハンガリーの首都。ピアノ協奏曲第2番初演の地。マーラーの指揮を絶賛して「完璧なドンジョヴァンニを聴きたければハンガリーの首都へ行け」と言った。
  6. プラーター Prater ウイーンの有名な遊園地のある場所。ウィーン万国博のメイン会場にもなった。ブラームスの散歩のコースでもあった。
  7. プライン Prein ミュルツシュラークの北西約8km。オイゲニー・シューマンからブラームスに宛てた手紙では1878年夏にプラインの山地方に出かけたことがわかる。
  8. プラハ Praha チェコの首都。ドヴォルザークを育んだ街。1879年ブラームスはプラハにドヴォルザークを訪ねている。
  9. フランクフルト Frankfurt am Mein 現在ではドイツの空の玄関だ。クララがここの音楽院の教授に就任。そして臨終の地でもある。日本で断り無くフランクフルトと言えばこちらのことだ。
  10. フランクフルト Frankfurt am Odel 音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第3巻93ページのヴィトマンの記述の中に現われるもう一つのフランクフルトだ。
  11. ブランケネーゼ Blankeneze ハンブルクの西約10kmのエルベ川南岸。1863年夏。ブラームスからアルバート・ディートリヒへの消息を知らせる手紙には、しばらくここにいるとある。
  12. ブランデンブルク Brandenburg 16ある連邦州の一つ。州都はポツダム。首都であるベルリン特別市を取り囲むドーナツ型をしている。旧ブランデンブルク選帝侯領の一部。ブラームスはライン地方との比較からこのあたりを民謡不毛と称している。
  13. フリードリヒスローダ Friedrichsroda ブラームスの友人ヘンシェルの住居のありかだと思われる位置不明。
  14. ブリュッセル Brussel ベルギーの首都だ。1895年10月、フランクフルトを訪れたブラームスの回想の中で、ブリュッセルからの客人を交えたやりとりがある。
  15. プリンツェンシュトラーセ Printzenstrasse ハノーファーのヨアヒムの住まいがあったところ。
  16. プルケンドルフ スペル位置とも不詳。プレスバウムから5分の距離にあることだけはヘンシェル宛ての手紙から確実。
  17. ブルンスビュッテル Brunsbuttel エルベ川河口北岸の街。ハノーファー生まれのペーター・ブラームスはこの街で車大工をしていた。これがブラームスの曽祖父だ。
  18. ブレーメン Bremen 1868年4月10日ドイツレクイエム初演の地。
  19. ブレシア Bressia イタリア旅行で立ち寄った。
  20. プレスバウム Presbaum ウィーンの西約35kmの保養地。1881年の夏をここで過ごしたブラームスはピアノ協奏曲第2番を完成させた。
  21. プレスブルク Pressburg スロバキアの首都ブラチスラヴァのドイツ語読み。パガニーニの主題による変奏曲を捧げたカール・タウジヒとこの街でしこたま飲んだらしい。
  22. ブレスラウ Breslau ドレスデンの東約270km。現在はポーランド領だ。ここの大学からの学位授与に応えたのが大学祝典序曲だ。
  23. プロイセン Preussen 英語ではプロシアとなる。19世紀後半には北ドイツ連邦の盟主となり、やがて国王がドイツ皇帝に即位した。この一連の動きと関係するのが「勝利の歌」op54だ。現在はポーランドあるいはロシア領になっている。
  24. プロヴァンス Provence フランス南東部の地域名。神聖ローマ帝国時代は半独立国だったという。op33「ティークのマゲローネのロマンス」の主人公ペーターはこの地の伯爵という設定だ。
  25. ブロッケン山 Brocken ドイツ中央部のハルツ山地の主峰。標高1142m。ワルプルギスの夜の舞台として名高いが、東西冷戦時代は国境の山として入山が規制されていた。
  26. ペーターシュトラーセ Peterstrasse ハンブルク市内。ブラームスの生家跡から南西に約500mのこの場所にブラームス博物館がある。
  27. ベーレングラーベン Barengraben これは地名ではなかった。スイス・ベルンにある熊公園のことだ。ブラームスはヴィトマンとともにここを訪れたことがある。
  28. ベアーテン湾 Beatenbucht スイス・トゥーン湖の入江。ヴィトマンとブラームスの散策の通り道だ。
  29. ベアトリクスガッセ Beatrixgasse ウィーン音楽大学北側を走る通り。北端の聖エリザベス教会あたりのカフェでホイベルガーとお茶したらしい。
  30. ペスト Pest ハンガリーの首都ブダペストはドナウ川の両岸に栄えた街。ブダ地区とペスト地区の合併により成立した。1873年以前合併前のペストにしばしば言及される。ドナウ川西岸地区のこと。
  31. ヘッセン Hessen 16ある連邦州の一つ。ドイツ中央部やや西寄り位置する。州都はウィースバーデン。神聖ローマ帝国解体後成立したヘッセン大公国とほぼ一致するらしい。ピアノ五重奏曲を献呈されたアンナさんは、この大公国の王女である。
  32. ヘッツェンドルフ Hetzendorf ウィーン・シューンブルン宮殿の南約500mの一帯。ホイベルガーとの散歩で立ち寄った。
  33. ペッツラインスドルフ スペル位置ともに不詳。プレスバウムから10分の距離にあることはヘンシェル宛ての手紙で明らか。ビルロートの居場所を知らせる記述だ。
  34. ペテルブルク Peterburg 旧ロシア帝国の首都だ。1872年ここでドイツレクイエムのロシア初演があった。
  35. ベラージョ スペル及び位置不詳。恐らくイタリア。
  36. ペルージャ Perugia イタリア旅行で立ち寄る。
  37. ベルガモ Bergamo イタリア旅行で立ち寄る。
  38. ベルゲン Bergen ノルウェー第二の都市。ブラームスの母クリスティアーネ・ニッセンの家系を説明する文章の中に現れる。リューゲン島中央部にもあるので、本当はどちらか紛らわしい。
  39. ペルチャッハ Portschah クラーゲンフルトの西約15km。ヴェルター湖北岸。オーストリアの保養地。第2交響曲等傑作が鈴なり。
  40. ヘルツゲビルゲ クララの没後ブラームスがこのあたりをさまよったらしいが、位置、スペルとも不詳。地名ではないかもしれない。ジーベンゲビルゲを構成する7つの丘の一つか。
  41. ベルヒテスガルテン Berchtesgaden ドイツの南東端。オーストリア・ザルツブルクの南20km。1880年夏、ブラームスはここでクララの誕生日を祝い、大学祝典序曲と悲劇的序曲をピアノで聴かせた。
  42. ペルヒトールスドルフ Perchtoldsdorf ウィーン市街から南西に約15km。ホイベルガーとハイキングで立ち寄った。
  43. ヘルマンシュタット Herrmanstadt 位置不明。歌曲「別れに臨んで」op95-3の初演地として記載がある。
  44. ベルリン Berlin 1896年1月10日ブラームス最後の指揮。ダルベール独奏で両ピアノ協奏曲。ブラームスのベルリン滞在はいつも最小限だったらしい。もちろんドイツの首都。ヨアヒムは当地の高等音楽院の校長だ。
  45. ベルン Bern スイスの首都。詩人ヴィトマンの住居があった。
  46. ホーフシュッテン 位置スペルとも不明。トゥーン近郊であることは確実。1888年の夏をすごしたらしい。
  47. ポストガッセ Postgasse 6番地がウィーン進出直後のブラームスの住まい。中央郵便局前を南北に走っている。
  48. ポストシュトラーセ Poststrasse シューマンの悲報を聞いて駆けつけたブラームスのデュッセルドルフでの住居があったところ。シューマン邸のあったビルケルシュトラーセと平行して南北に走る通り。つまり1本ライン川寄りの通りである。助けに来ているのだから近所に住まねば意味が無いのだと思う。
  49. ストン Boston もちろん米国。ブラームスの友人ヘンシェルはボストン交響楽団の創立者だった。
  50. ホッティング スペル位置ともに不詳。ヘルマン・ゲッツの山荘があった。ヴィンタートゥール近郊と思われる。ブラームスがヴィトマンと連れ立って訪ねた。
  51. ボヘミア Bohemia シレジア、モラヴィアとともにチェコを構成する一地方。ボヘミア民謡の歌詞をしばしば自作に採用した。ドイツ語ではBohmen という。
  52. ホルゲン Horgen チューリヒの南東約15km。1874年の夏を過ごしたチューリヒ湖畔の街。
  53. ボローニャ Bologna イタリア旅行で立ち寄る。
  54. ボン Bonn 旧西ドイツの首都。ロベルトとクララの夫妻が埋葬されている。もちろんベートーヴェンの生地だ。 

2008年9月 7日 (日)

初コンサート

次女の出演するコンサートを聴きに行った。7月22日の演奏会を聴きに行くことが出来なかったので、次女の演奏を聴くのはこれがはじめてだ。

場所は習志野文化ホールだ。大学2年の冬と4年の春に定期演奏会をここでやった。

近隣の中学のブラスバンドが一堂に会する演奏会だ。出番は1曲だけキリングハム作曲「時の航海」だ。セカンドトロンボーンを吹く。特に緊張はしないらしい。「みんなと一緒だから」とサラリと言っていた。

わずか5分の演奏だったが驚いた。上手い。並ではない集中力だ。表情の起伏の激しい曲だが、見事に表現されていた。グロッケンシュピールの高音とトランペットのハイノートの音程がキッカリと合っていたのには感心した。ティンパニを叩いた少女のテクニックには圧倒された。大学のオケですぐ叩ける。曲の開始早々に現われるトロンボーンのコードが美しくて感動した。これに次女も入っているのかと思うと背中が冷たくなった。

トロンボーンを始めて実質4ヶ月の次女がこの演奏のメンバーになっていると思うと嬉しくなるほどの出来だった。わずか5分の演奏のために4ヶ月来る日も来る日も厳しい練習を重ねてきたのだ。

演奏を終えてロビーで談笑する生徒たちはあどけない。ステージ上とは別人に見える。演奏の瞬間にどれほど集中していたのかがわかる。

2008年9月 6日 (土)

トロンボーン曲集

今日は次女の誕生日。

今年ならではのプレゼントをした。4月からブラスバンドに入ってトロンボーンを始めた次女に相応しいプレゼントだ。

ブログ「ブラームスの辞書」でも言及した曲、ブラームスの交響曲に現れるトロンボーンがおいしいところを楽譜帳にして贈った。

  1. バッハ・グノー:アヴェマリア(トロンボーン、ピアノ)
  2. ブラームス:「装え愛する魂よ」op122-5(トロンボーン独奏)
  3. バッハ:ゴールドベルク変奏曲BWV988より第30変奏「クォドリベート」(トロンボーン、ヴァイオリン、ヴィオラ)
  4. ブラームス:交響曲第1番第4楽章47小節目から50小節目まで
  5. ブラームス:交響曲第2番第4楽章353小節目から373小節目まで
  6. ブラームス:交響曲第2番第4楽章387小節目から405小節目まで
  7. ブラームス:交響曲第4番第4楽章113小節目から136小節目まで

もちろん私がパソコンで作ったオリジナルだ。編曲と呼べる代物ではなく単なる写譜だ。

今は部活で渡される曲を練習するので精一杯だと思うが、少し余裕が出来てアンサンブルの楽しみが判る日がきっと来る。その日のために先回りだ。

2008年9月 5日 (金)

地名リスト【マ行ヤ行】

  1. マールブルク Marburg ブラームス唯一の作曲の弟子グスタフ・イェンナーは1895年にマールブルク大学の音楽学部長になり、1920年にこの地で没した。
  2. マイセン Meissen ドレスデンの北西約25km。友人アルバート・ディートリッヒの生地。陶磁器の大産地だ。
  3. マイニンゲン Meiningen フランクフルトの北東約105km。第4交響曲初演の地。友人のハンス・フォン・ビューローがこの地の宮廷楽団の全権を掌握していた関係で、マイニンゲン侯爵とも縁が深い。クラリネット奏者ミュールフェルトともここで出会った。
  4. マインツ Mainz フランクフルトの南南西約40km。この地の楽長ヴァイスハイマーは、ブラームスが1863年のマイスタージンガーのウィーン公演を聴いた様子を伝えている。
  5. マウアー Mauer ウィーン・シューンブルン宮殿南西約5km一帯。ホイベルガーとの散歩の通り道。
  6. マクシミリアンシュトラーセ Maximilianstrasse リヒテンタールでブラームスが借りた家のあるところ。詳しい位置はお手上げ。
  7. マグデブルク Magdeburg ライプチヒの北西約135km。何よりもピアノソナタ第3番の初演の地として記憶されるべきだ。
  8. マリアハルデン スペル不詳。おそらくチューリヒ湖畔。フェルデナンド・ポールの手紙に出てくる。
  9. マリアヒルフ Mariahilf  ハンブルクの歓楽街の地名らしいが詳細不明。ウイーンにはこの名前の有名な通りがあるのだが。
  10. マルセイユ Marseille 地中海に面したフランスの保養地。1886年夏、トゥーン滞在中のブラームスに上等のモカを届けた夫人はマルセイユ出身だという。
  11. マンハイム Manheim フランクフルトの南約90km。カールスルーエで初演された第1交響曲が、その次に演奏された場所。 
  12. ミスドロイ Misdroy オーデル川河口近辺。フェリンガーの母はこの地でブラームスから「49のドイツ民謡集」を贈られた。ここで獲れたバルト海産のウナギの薫製をブラームスが賞味した可能性がある。
  13. ミューレン Murren スイス・インターラーケンの南15km。眼前にユングフラウを望む絶景の保養地。少なくともブラームスは2度訪れている。
  14. ミュルツシュラーク Murzzuschlag オーストリア・ウィーンの南西90km。ゼメリンク峠を越えてすぐのところ。第4交響曲誕生の地。オーストリア国内で唯一ブラームス記念館がある。毎年9月に国際ブラームス音楽祭が開かれる。
  15. ミュンスター Munster ドルトムントの北約110km。友人ユリウス・オットー・グリムの本拠地。1862年1月19日この地の演奏会でヨアヒムとクロイツェルソナタを演奏した他、シューマンのピアノ協奏曲を弾いている。
  16. ミュンスターアムシュタイン Munster Samstein クロイツナッハの北約10km。マインツの西約25km。1862年クララ一家が滞在した温泉。
  17. ミュンヘン Munchen バイエルン州の首都。ブラームス存命中はバイエルン王国。むしろワーグナーの本拠だが何故かバイエルン国王ルードヴィヒ二世はワーグナーとブラームス同時に叙勲をした。カールスルーエ、マンハイムに次いで第一交響曲が演奏された。
  18. ミラノ Milano イタリア旅行で立ち寄った。
  19. ミリウスシュトラーセ Myliusstrasse フランクフルトでのクララの住まいがあったところ。フランクフルト中央駅の真北約1200mの地点。ボッケンハイマー通りから北に伸びる。総延長は約600で、北端はグリュネベルク公園。
  20. ムアシュタット 位置スペルともに不詳。グラーツ近郊と思われる。ゴルトマルクの証言によれば1873年夏のブラームスの避暑の目的地と思われる。
  21. メートリンク Modling ウィーンの南約17km。ホイベルガーとのハイキングで立ち寄った他、ヴィトマンの母が若い頃ベートーヴェンに声をかけられた自慢話の舞台。
  22. メーレム Mehlem ボン市内の地区名。ライン川沿岸徒歩旅行中に立ち寄り、熱心なシューマン支持者のダイヒマンと知り合った。これが後のシューマン邸訪問に繋がった。
  23. メッシーナ Messina イタリア旅行で訪れた。
  24. メラン Meran インスブルックの南70km。この辺り南チロルと呼ばれ、第1次世界大戦までオーストリア領だったが現在はイタリア領。ホイベルガーとの会話の中に出てくる。
  25. メルセブルク Merseburg ライプチヒの真西約30km。op61-2の二重唱曲の初演地としてのみ出現する。
  26. メルリゲン Merligen スイス・トゥーン南東約10km。トゥーン湖北岸。一部でメルリンゲンとの混同が起きている可能性がある。1887年の夏にはここから少し山の手に入ったところにヴィトマンの別荘があった。
  27. モラヴィア Moravia これは英語による言い回しで、ドイツ語ではMahrenだ。シレジア、ボヘミアとともにチェコを構成する一地方。ブラームスの助力によって出版されたドヴォルザークのデビュー作は「モラヴィア二重唱」だ。
  28. ユトレヒト Utrecht オランダの街。アムステルダムの南約35km。マイニンゲンの宮廷楽団と演奏旅行で立ち寄った。
  29. ユングフラウ Jungfrau スイスアルプス屈指の名峰。標高4158m。ブラームスとヴィトマンの手紙でのやりとりでしばしば言及されるが、ブラームス本人は昇っていない。欧州最高地にある駅ユングフラウヨッホまでの登山鉄道はブラームス存命時には開通しておらず、ブラームスはシャイデックから眺めるだけだったと思われる。
  30. ヨコハマ レーメニが公演を行った。もちろん日本。
  31. ヨハネスガッセ Johannesgasse ウィーン市内の通り。市立公園の南西端を形成し、そのままリンクを貫いてケルントナー通りに至る。ここにある「ガウゼ」という有名レストランに集うブラームスたちを画家フォイエルバッハがスケッチした。

2008年9月 4日 (木)

ブログが本になった

6月16日の記事「ダメ元」で言及した通り、ブログ「ブラームスの辞書」が本になった。ココログ出版のモニターに当選したので、ブログを本にしてもらった上に無料で2冊ももらえたのだ。

最大の注目は7月18日の記事「やな予感」でも述べたとおり、ブログ開始から何日分が収録されているかである。今回のモニター当選者に無償で提供されるのは最大200ページと決まっているからだ。ブログ開始から3年で1144本たまった記事のうちの何本分が本になっているのかが最大の関心事だ。

真っ先に最後のページを見て驚いた。大抵の偶然には驚かない癖がついているのだが、今回も相当手の込んだ偶然が待っていた。何と最後のページは2005年11月17日の記事「緩徐楽章の位置」だった。亡き父の命日だ。

ブログ開設の2005年5月30日から172日目、219本目の記事までが収録されていたことになる。

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ココログ出版特製のかわいい袋に入って届いた。薄いカバーがついている。これまたオリジナルかしおりも一緒だ。↑

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カバーをはずしたところ。↑

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開いた感じ。↑

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兄貴分の「ブラームスの辞書」と一緒。↑

本日は何はともあれ無事の到着を祝うともに、今回私のブログ「ブラームスの辞書」を素晴らしい本に仕上げて下さったココログ出版のみなさまへの感謝が、もっとも強調されなければならない。

どうもありがとう。

2008年9月 3日 (水)

ハリケーン

カリブ海に発生して北米メキシコ湾岸をおそう熱帯低気圧のうち一定の基準を満たしたものを言うらしい。実際には太平洋で発生し太平洋岸をおそうケースも加えられるという。

いかにもアメリカらしいのはそのネーミングだ。アルファベット順にAから人名をつけて行く。XやQなど名前に出にくい文字はあらかじめスポイルされている。男女同権に配慮して男女名が交互に現れる。最近話題のハリケーンはグスタフ君だからGの男子名だ。気象情報番組の際マーラーの交響曲でも流すというのもオツだが甚大な被害が出ると、その名前は永久欠番になるとも聞いた。今回のグスタフ君は最後のチャンスかもしれない。

次はHの女子名のはずだ。ということはその次はIの男子名。

ああ残念。Jは女子名だった。

あくまでもお手柔らかが前提だが、ハリケーンのヨハネス君にならおそわれてみたい気もする。

2008年9月 2日 (火)

地名リスト【ラ行ワ行】

  1. ライバッハ Laibach スロベニアの首都リュブリアナのドイツ語形。ホイベルガーとの会話の中で地震があったことが仄めかされる。
  2. ライヒスラート通り Reichsratstrasse ウィーン市内。フォーティフ広場から南に出て市庁舎前を南北に貫く通り。ビルロート未亡人の家があった。1897年2月、ブラームスはビルロート未亡人に招待されたが、カールスガッセの自宅から約2km程度を45分かけて歩いたとある。
  3. ライプチヒ Leipzig バッハの街。クララの生まれた街。ピアノ協奏曲第1番で煮え湯を飲まされた街。ヴァイオリン協奏曲初演の地。
  4. ライン Rhein ドイツを象徴する河川。スイスアルプスのトマーゼ湖に発し、オランダ・ロッテルダムで北海に注ぐ。シューマンの第3交響曲の通称でもある。
  5. ラインガウ Rheingau ヘッセン州南西端のライン川北岸一帯。ワインの大産地として名高い。ブラームスは友人やクララをともなってしばしば徒歩旅行を楽しんだ。
  6. ラウエンシュタインガッセ Rauhensteingasse ウィーン市街。シュテファン広場から南に伸びるケルントナー通りの1つ東側の通り。ここにグスタフ・イエンナーの部屋を借りた。
  7. ラウターブルンネン Lauterbrunnen スイス・インターラーケンからユングフラウへの途中。ミューレンへの分岐点がある。U字谷の底の街。
  8. ラウフェン Lauffen イシュルの南約5km。1897年8月ブラームスはイシュルからホイベルガーの滞在するシュテークまで約15kmを3時間かけて歩いたとある。クララ死後の体調不良の中だから相当な難行だったはずだ。その難行の経由地がここだ。
  9. ランケン スペル位置不詳。リューゲン島にブラームスと滞在したヘンシェルが一足先にベルリンに戻る際、ブラームスがここまで馬車で送ったとされる。ザスニッツから3マイルの位置だと明記されているが、地図上に無い。ザスニッツの南約20kmにランケン・グラーニッツという一帯があるが、ヘンシェルの言う3マイルよりはかなり遠い。
  10. ラントシュトラーサーハウプトシュトラーセ Landstrasserhaubstrasse ウィーン市内の通り。市立公園北東端を東へ伸びる通り。ホイベルガーとブラームスがおしゃべりしたカフェの位置は、この通りとベアトリクスガッセの交差点付近だ。聖エリザベス教会あたりか。
  11. リーヴァ Riva イタリア旅行で立ち寄る。
  12. リースタール Liestal スイス・バーゼルの南東約12km。友人のヴィトマンは自分の事を「リースタールの牧師の家に生まれ」と記している。
  13. リージンク Liesing ウィーン市街から南西に約10km。ホイベルガーとハイキングに訪れた。
  14. リヒテンタール Lichtental ドイツ屈指の保養地バーデンバーデンのすぐ南。クララの別荘があった。1869年三女ユーリエの結婚式はこの地のカトリック教会で行われた。
  15. リヒテンタール Lichtental ウィーン郊外。シューベルトの故郷だ。地図上で見つけられない。ウィーン・シュテファン広場から北西に約2.5kmのドナウ運河西岸にリヒテンターラーガッセという通りがある。郊外というにはやや街中に見えるのが難点だ。
  16. リマ川 Rima イタリア南西部の山岳地帯を流れる川。ジプシーの歌op103-2に「高く波立つリマの流れよ」がある。
  17. リミニ Rimini イタリア旅行で立ち寄った。
  18. リューゲン島 Rugen 北海に浮かぶドイツ最大の島でドイツ有数の夏の保養地。1876年夏をここで過ごしたブラームスは第1交響曲を完成にこぎつける。
  19. リューデスハイム Rudesheim マインツの南西約34km。ブラームスの有名な肖像画を残したウィリー・フォン・ベッケラートの家がある。1883年夏にブラームスも立ち寄っている。
  20. リューネブルク Luneburg ハンブルクの南東約50km。1853年4月か5月にレーメニとともに演奏旅行で立ち寄った。
  21. リューベック Lubeck ハンブルクの北西約80kmにある港町。ここの大学にブラームス研究所がある。
  22. リュシュリコン Ruschlikonスイス・チューリヒ近郊。1872年チューリヒ音楽祭での「勝利の歌」演奏の後ここに滞在した。ヴィトマンと知り合ったのもこの頃。
  23. リンツ Linz ウィーンの西約150km。ウィーンとフランクフルトを結ぶ鉄道が通る。クララの訃報を受け取ったブラームスがフランクフルトにかけつける際、車掌がヴェルスで起こすのを忘れてリンツまで乗り過ごしたという失態の舞台。
  24. リンバッハ Rinbach 1896年ブラームスの容態を心配したホイベルガーは、エーベン湖畔のリンバッハに滞在中の医者を教えた。エーベン湖畔とはトラウン湖の南端の別名らしい。
  25. ルツェルン Luzern スイス。演奏旅行で立ち寄った。
  26. レーヴェンブルク Lowenburg 「49のドイツ民謡集」の49番目「ひそかに月は上り行く」のテキストの中に現われるが、所在不明。
  27. レーデルハイム Rodelheim シューマンの4女オイゲニーが12歳の時「レーデルハイムの寄宿学校に入学した」とある。彼女の生地デュッセルドルフ近郊ではない可能性もあって難解。またはるか南マンハイムの南西約18kmにはレーデルスハイムがある。
  28. ロヴェレード Roveredo イタリア旅行で立ち寄った。
  29. ローゼンヒューゲル Rosenhugel ウィーン市街の南西約15km。ホイベルガーとハイキングで立ち寄った。
  30. ローマ Roma イタリア旅行で立ち寄った。
  31. ローラーヒュッテ Rohrerhutte 1997年3月5日、ホイベルガーはブラームスとローラーヒュッテに散策に出かけたと記述する。マリア・フェリンガーのスナップも残っている。ウィーン市街から北西に約8kmのあたりで市民の憩いの森という風情。
  32. ローラウ Rohrau オーストリア・ウィーンの南東ハンガリーとの国境付近。作品56の変奏曲に主題を供給したハイドンの生地。
  33. ロダウン Rodaun ウィーン市街より南西に約15km。ホイベルガーとハイキングで立ち寄った。 
  34. ロッテルダム Rotterdam オランダ第2の都市。演奏旅行で立ち寄った。
  35. ロンドン London 英国の首都。ブラームス作品をいち早く熱狂的に迎えた英国だが、ブラームス本人が訪れることは無かった。
  36. ワイマール Weimar リストの本拠地。ヨアヒムはここのコンサートマスターだった。

2008年9月 1日 (月)

編曲者シェーンベルク

ブラームスの「オルガンのためのコラール前奏曲」の源流を求めてたどり着いたBWV654について調べているうちにお宝CDに遭遇した。何とオーストラリア製だ。オーストリアではない。

  1. バッハ:コラール前奏曲「来たれ聖霊よ」BWV631~管弦楽版
  2. バッハ:コラール前奏曲「装え愛する魂よ」BWV654~管弦楽版
  3. バッハ:前奏曲とフーガ変ホ長調「聖アン」BWV552~管弦楽版
  4. ブラームス:ピアノ四重奏曲ト短調op25~管弦楽版

上記全て編曲はシェーンベルクである。ト短調ピアノ四重奏曲を管弦楽に編曲していたことはブログ「ブラームスの辞書」でしばしば話題にしてきたが、バッハの諸作品もシェーンベルクのターゲットになっていたのだ。バッハ作品の編曲は1922年代だ。ブラームスを編曲したのが1937年だから、バッハは小手調べだ。

実際に聴いてみる。BWV631は少々うるさい感じがする。バッハでしょ。やりすぎ感が払拭されないまま終わってしまう。

ところが「装え愛する魂よ」BWV654はしっとりだ。ブラームスのop122-5と同じコラールである。ブラームスのオルガンで聴き慣れた旋律が巧妙に装飾されている。独奏チェロが大活躍だ。ブラームスのピアノ協奏曲第2番を彷彿とさせる。予想外のグロッケンシュピールが、はっとする程効果的に用いられている。良い。

8月21日の記事「BWV654」で、バッハ、シューマン、メンデルスゾーン、ブラームスが、みな、たった1つのコラールを見つめていると書いた。シェーンベルクはその序列に自ら加わる資格があることをこの編曲で示したと感じる。

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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