シューマンの応対
ロベルト・シューマンの伝記を読んでいると、主人公シューマンの命があと4年を切った頃にヨハネス・ブラームスが登場する。シューマンの日記にはブラームスのことがいきいきと記述されているばかりか、自らが創刊した音楽雑誌にセンセーショナルな紹介記事を書いて、ブラームスの楽壇デビューをアシストした。
ブラームスのシューマン家訪問は1853年9月30日、実際の対面は10月1日とされている。シューマンの伝記を読んでいると面白いことが判る。
ロベルト・シューマンの残した唯一のヴァイオリン協奏曲についてシューマン自身が作曲の過程を日記に書き残しているという。1853年9月21日にヴァイオリン協奏曲を書き始めたという記述があり、10月1日には、ブラームスの来訪への言及とともに、ヴァイオリン協奏曲の完成が仄めかされる。10月3日にはオーケストレーションの完成を示唆しているから、ヴァイオリン協奏曲は着手から完成まで13日を要したことになる。天才作曲家の筆の進み方とはこういうものなのだろうと思う。それは驚くには当たらぬが、シューマンはヴァイオリン協奏曲のような大作に取り組む途中でブラームスの訪問を受けたことになる。
シューマンが暖かくブラームスを迎え入れ、愛妻クララとともにブラームスのピアノ演奏を聴いて天才の出現を喜んだことは、ブラームス側の伝記でははずせぬ出来事になっている。そしてそのまましばらくおそらくは11月初旬までブラームスは滞在したのだ。シューマンのヴァイオリン協奏曲のオーケストレーションの完成にブラームスが立ち会っていた可能性さえ浮上する。
ヴァイオリン協奏曲の仕上げで多忙だったことを理由にブラームスを門前払いしていたら、音楽史は少し変わっていたと思う。
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