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2008年9月23日 (火)

地名リスト【ア行】

  1. アーヘン Aachen リーダーターフェルコンクール開催地。リナルドを出品。
  2. アーノルトシュタイン Arnoldstein オーストリア・ペルチャッハの西約35km。エジソンの発明した蝋管蓄音機についてホイベルガーとの話の中に現われる。
  3. アーレ川 Aare トゥーン湖から流れ出す川。トゥーンのブラームス邸の前を流れていた。首都ベルンを経てライン川に至る。
  4. アイガー Eiger 標高3975m。オーバーラント三山を形成する名峰。1800mにも達するそそり立つ北壁が有名。ブラームスはグリンデルワルト、シェイデックあたりから眺めたことは確実。
  5. アグリジェント Agrigento イタリア旅行で立ち寄った。シチリア島南西部の街。
  6. アッシジ Assisi イタリア旅行で立ち寄る。聖フランチェスコ聖堂を見学か?
  7. アッター湖 Attersee オーストリア・イシュルの北西約10kmにある湖。1896年6月アイベンシュッツは、カルベック夫妻のイシュル到着を「アッター湖経由で」と記述する。イシュルへは鉄道が一般的だが、カルベック夫妻が鉄道を使わずに現われた意外感を「アッター湖経由」という言い回しに込めたと思われる。
  8. アットナング Attnang グムンデン北西約20kmにあるAttnang-Puchheimのことか。1896年最後のイシュル滞在の折ランチに立ち寄ったことは確実。
  9. アムステルダム Amsterdam オランダの首都。1878年第2交響曲オランダ初演。
  10. アポステルガッセ Apostelgasse ウィーン市内。ジーメンス&ハルスケ社ハプスブルク帝国支社長リヒャルト・フェリンガーの屋敷があったところ。チェロソナタ第2番、ヴァイオリンソナタ第2番、ピアノ三重奏曲第3番の私的初演の地だ。街の中央シュテファン教会から東南東に直線距離で2150m。ブラームスの家から見るとほぼ真東に1820mの位置。
  11. アルスター Alster ハンブルク市内に横たわる湖。南端の湖畔にアルスターパヴィリオンがあり、父が楽団に所属していた。
  12. アルタウス湖 Altaussee オーストリア・イシュルの南東約15km。湖畔にあるワーグナー博士邸でピアノ三重奏曲第2番op87と弦楽五重奏曲第1番op88の試演があった。
  13. アルテフリードホフ Altefriedhof 旧墓地くらいの意味だから地名というのは心苦しいものがある。ボン駅から北西500m。シューマン夫妻の墓があるところだ。1856年にロベルト、1896年にクララ、ブラームスはここで埋葬に立ち会った。
  14. アルテンブルク Altenburg ワイマール郊外。リストの本拠地。ワイマールのアルテンブルクという言い回しをされるが、ケムニッツの西40kmのところにもアルテンブルクがあるので紛らわしい。
  15. アルトナ Altona 恩師マルクセンの生地。ハンブルク市内。現在大きなターミナル駅がある。ここから、ベルリン、ライプチヒを経てミュンヘンに至る特急列車に「クララ・シューマン号」という愛称がつけられているらしい。
  16. アルトレンバッハ 不明。1887年ホイベルガーと夏の予定を相談する中でホイベルガーが言及。チューリヒの真北50km。スイス国境に程近いLembach近郊か。
  17. アルフェルト Alfold ハンガリーの南東部一帯ドナウ川沿岸の低地を指す。ジプシーの歌op103-6の歌詞の中に現われる。
  18. アルプス Alps 欧州を東西に横切る山脈。ドイツ語ではAlpenだ。
  19. アンコーナ Ancona ヴィトマンとのイタリア旅行で立ち寄る。
  20. イーゲルガッセ Igelgasse  ウィーン市内ホイベルガーの居所。ブラームスの家からは南南西に約1250mのあたり。現在のヨハン・シュトラウスガッセだ。
  21. イエナ Jena ワイマールの東約35km。友人で指揮者のナウマンの居所。
  22. イシュル Bad Ischlオーストリアの保養地。ザルツブルクの東約50km。晩年の夏はここに決めていた。クララの訃報をここで受け取った。
  23. インターラーケン Interlaken スイス・トゥーン湖とブリエンツ湖の間に位置する。アルプス観光の拠点。グリンデルワルトへの登山口。忠犬アルゴスが通ったかも。
  24. ヴァーンフリート スペル不詳。ビューローの娘の居住地。バイロイト近郊か。
  25. ヴァイトリンク Weitling ウィーン市外から北北西に10kmの地域。ホイベルガーを伴ってしばしばハイキングに立ち寄った。
  26. ヴァイトリンクバッハ Weitlingbach ドナウ川の支流。ウィーンの森に端を発しヴァイトリンクを通ってドナウ川に注ぐが、ヴァイトリンクの南西5kmのところにヴァイトリンクバッハという集落もある。ホイベルガーとのハイキングで立ち寄った。
  27. ヴィースバーデン Wiesbaden フランクフルトの西約40km。ライン川沿いの保養地だ。第3交響曲を仕上げた場所。
  28. ウィーン Wien 35年の長きにわたってここに住んだ。
  29. ウィーン通り Wiengasse 夏の避暑地ミュルツスラークでブラームスが借りていたのはウィーン通り2番地の家である。
  30. ヴィアドリーナ Viadrina ブレスラウを流れるオーデル川の別名。当地の大学から哲学博士の学位を授与されたブラームスが、その返礼にと作曲したのが「大学祝典序曲」だ。作品のタイトルをあれこれ考える中、「ヴィアドリーナ」が候補に上がっていたとされている。
  31. ヴィルトバート スペル不詳。1878年クララ一家がオーストリアの避暑地バードガシュタインで過ごした際に借りた家のあった場所。
  32. ヴィルトプレットマルクト Wildpretmarkt ブラームス行き付けのレストラン「赤いハリネズミ」の所在地。旧市街中心のシュテファン寺院の北端からブラントシュトラーセを北西に120m程進んで右折したあたり。
  33. ウィルヘルムスハーフェン Wilhelmshaven オルテンブルクの北約40kmの港町。幼馴染リースヒェンの結婚後の居住地。1868年夏アルバート・ディトリヒと連れ立って軍港を見学している。
  34. ヴィンゼン Winsen 父のヤーコプの友人ギーゼマンの招待で不健康な生活から解放された街。リースヒェンとの思い出とともに。
  35. ヴィンタートゥール Winterthur スイス・チューリヒの北東約15km。友人キルヒナーの住居。ドイツレクイエム6、7曲の作曲地。
  36. ヴェネチア Venezia イタリア旅行でしばしば訪れた水の都。ワーグナー死去の地。
  37. ヴェルス Wels リンツの西約40km。クララの訃報を受けフランクフルトに急行するブラームスはここでフランクフルト方面行きに乗り換えるはずだったが、車掌が起こすのを忘れたという失態のあった駅。
  38. ヴェルター湖 Worthersee 第2交響曲を作曲したペルチャッハがこの畔にある。
  39. ヴェローナ Verona イタリア旅行で訪れた。ブレンナー峠を越えてイタリアに入る場合の交通の要衝。イタリア旅行でたびたび訪れた。
  40. ヴェンゲン Wengen 有名なアイガーの中腹にある集落。忠犬アルゴスの通り道。ブラームスと友人のヴィトマンはアプト式鉄道で通ったハズ。
  41. ヴォージェ山系 Vogue フランス・アルザス地方の山並み。フローレンス・メイがリヒテンタールの自室からの景観を自慢する話の中に出て来る。
  42. ヴォルガ Wolga ロシア西部を流れてカスピ海に注ぐ大河。op3-2「リート」のテキストに現われる。
  43. ウディーネ Udine イタリア旅行で訪れた。
  44. ヴュルテンブルク Wurttemburg フェリンガーの母自慢の料理の記事の中に現れる。バーデン地区とともにバーデン・ヴュルテンブルク州を構成する。シュワルツヴァルト及びその東を指す。
  45. ウルム Ulm 1854年8月、ユリウス・オットー・グリムからアルバート・ディートリヒへの手紙で、ブラームスがシュヴァルツヴァルトからウルムに戻ったとある。高さ160mのウルム大聖堂で有名。
  46. ウンガーガッセ Ungargasse 音楽大学東側を南北に走る通り。1870年2月にここの2番地に転居した。
  47. エーベルンブルク スペル不詳。ミュンスターアムシュタイン近郊。クララ一家が滞在する温泉の近所。ブラームスとアルバート・ディートリヒが共同で借りた家がある。ここでディートリヒは、第一交響曲の草稿を見せられた。1862年の夏だ。
  48. エールツゲビルゲ Erzgebirge エールツ山脈。ザクセン州とチェコの国境に横たわる山脈。アルバート・ディートリヒの家族が住んでいたらしい。
  49. エシネン湖 Oschinennseeスイス屈指の景勝地。トゥーンの南約30km。カンダーシュティークの東5kmだ。ヴィトマンとともに訪れた。
  50. エストウエストシュトラーセ Ostweststrasse 文字通りハンブルクの市街をエルベ川に平行して東西に貫く目抜き通り。ブラームスが洗礼を受けた聖ミヒャエル教会は、この通りに面している。
  51. エッセン Essen 演奏会でしばしば立ち寄る。
  52. エッチェ Ecce イタリア。1882年夏。イタリアで休暇を過ごすクララ一家を豪雨が襲う。ミラノからヴェネチアに向かう途中ヴェローナ近郊のエッチェで氾濫寸前の川を列車で渡ったとオイゲーニエが証言している。
  53. エルサレム Jerusalem カンタータ「リナルド」のテキストは「開放されたエルサレム」である。イスラエルの首都。
  54. エルバーフェルト Elberfeld デュッセルドルフの東25km。演奏会でしばしば立ち寄る。
  55. エルベ Elbe チェコ北部に発し、チェコおよびドイツを貫流して北海に注ぐ国際河川。ブラームスの故郷ハンブルクはその北岸に栄えた港湾都市ということになる。
  56. エルレンバッハ Erlenbach スイス・チューリヒの南東10km。チューリヒ湖畔の街。フェルディナンド・ポールの手紙に、くつろぎまくるブラームスの様子が現れる。
  57. エンデニヒ Endenich ボン近郊。ロベルト・シューマンが収容された病院。ロベルト・シューマンの没したところ。
  58. オース渓谷 Oostal フローレンス・メイとブラームスの景色自慢に現われる。オース渓谷とはオース川の流れる渓谷で、ドイツ屈指の保養地バーデンバーデンはこのほとりにある。
  59. オーバージーベリンク Obersievering ウィーン市街から北西に13km。マーラーの墓があるグリンツィンクのすぐ西隣だ。もちろんブラームスがハイキングで訪れたときはまだマーラーの墓は無かった。
  60. オステンデ Ostende ベルギー・ブリュッセルの北西約120km。北海に面した港町。1854年5月クララが塩水浴療法に向かったことがグリムの手紙からわかる。
  61. オルヴィエート Orvieto イタリア旅行で立ち寄った。ペルージャのすぐ南だ。
  62. オルデンブルク Oldenburg ブレーメンの西約50km。親友アルバート・ディートリッヒの居所。しばしば演奏旅行で訪れる。 

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コメント

<魔女見習い様

ありがとうございます。

まさにそのために「ラ行ワ行」から逆順に公開しました。

地名リストがコンプリートしましたね。
素晴らしい!!

カテゴリーで開くと、「ア」から順番に読むことができるのが嬉しいです。
「71 地名探検」と「72 地名辞書」の2つがあるので、
今後の展開もとても楽しみです♪

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