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2008年10月 1日 (水)

伴奏ルネサンス

「伴奏」のようなポピュラーでシンプルな言葉の定義が何かと厄介な場合が多い。複数の楽器またはパートが参加するアンサンブルにおいて、その重要性に差が生じていることがある。このとき、より重要性の低いパートを伴奏と呼ぶことがある。おそらく最も頻度高く伴奏に回る楽器はピアノだ。これは断じてピアノという楽器の地位の低さを意味しない。むしろその類希な機能性ゆゑに伴奏を任されると解したい。

バッハに代表されるポリフォニーの反動として、旋律と伴奏の区分がより明確になった作品が数多く現われた。この動きと楽器としてのピアノの発展普及の時期が一致したことも伴奏楽器としてピアノが多く用いられることと関係があるかもしれない。

旋律と伴奏の分業化が進むと伴奏のパターンも整えられてゆく。

  1. 刻み
  2. 伸ばし
  3. 後打ち
  4. アルペジオ

何を隠そうヴィオラは、オーケストラの中では「伴奏班」の班長格である。特に古典派と呼ばれる時代にはその傾向が強い。ベートーヴェンのエロイカ交響曲の第一楽章冒頭、ヘ長調のラズモフスキーカルテット第一楽章の冒頭、モーツアルトのト短調交響曲の冒頭などその代表格だ。この周辺の刻みを美しく奏することは、それはそれで楽しみの一つだ。特にモーツアルトのアレグロ作品における「一陣の風が通り過ぎるような」疾走感の表現には、欠かせない。

その一方で「後打ち、刻み、アルペジオ」という言葉には「旋律にありつけぬ」というある種の自嘲が含まれている。

ブラームスは、古典への敬意だけはそのままに、ヴィオラにありがちなこの手の呪縛を取り除く。ポリフォニーへの回帰とまで断言する自信は無いが、旋律と伴奏の分業という現象に歯止めをかけたという表現までなら理解も得られよう。

協奏曲の管弦楽側も同様の恩恵を受ける。独奏楽器の伴奏という無惨な位置付けからの脱却だ。しかもそれが独奏楽器の地位の低下には断じて直結しないのがブラームスの真骨頂だ。あるいは二重奏ソナタやリートにおけるピアノの位置を見るがいい。従来伴奏と呼ばれたパートの復興が指向されていると解したい。

ブラームスはいわゆる「伴奏」という言葉がもっとも相応しくない作曲家だと感じる。

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