避暑の中身
毎年5月が近づくと「今年の大型連休は」という話題が増える。暦の関係で9連休になったりすると大騒ぎになる。
ブラームスの伝記を読んで改めて驚くのは、一年のうちウィーンにいるのは秋から春までで、夏の間はもっぱら避暑地である。早ければブラームス自身の誕生日5月7日頃から9月いっぱいウィーンを空けるのだ。5月の連休が9日だ10日だというみみっちい話ではないのだ。4月になると、いや早ければ3月には「今年の夏はどうするのだ」という内容の手紙を友人たちと交換するようになる。夏の間のすみかを確保するための下見も盛んになる。
そして向かう先は名だたるリゾート地ばかりだ。地名調べの段階ではもちろん地図が役に立つのだが、スイスやオーストリアの観光ガイドがなかなか参考になった。地図の索引にないような地名がガイドブックにひょっこり載っていたりするのだ。さらにきれいな写真も満載だから手軽にブラームス気分を味わうことが出来る。観光ガイドブックのメインのような場所に毎年4ヶ月間滞在するという生活を30年続けていたと考えてよい。
避暑地でブラームスと交友した友人たちの手紙は地名の宝庫である。
- トゥーン スイスネタはヴィトマンに限る。
- バーデンバーデン リヒテンタールネタはクララの娘とフロレンス・メイだ。
- イタリア これもヴィトマンだ。
- リューゲン島 ヘンシェルだ。海水浴とカエルの音程の話だ。
- イシュル ホイベルガーやビルロートだ。
- ミュルツシュラーク フェリンガー。
- ウィーン近郊 これはホイベルガーだ。
- クララの行くところ全部 クララの演奏旅行先は全部暗記していたのでは。
手紙を読む限りではこれらの人々と遊ぶ話ばかりという感じだが、本当は作曲もしていた。むしろ作曲は夏にしかしていないくらいだ。となるとむしろ保養というより作曲のかき入れ時ということになる。ブラームスが保養地にこだわるのは、そこの居心地が作品の出来に影響するからに決まっている。
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