リヒャルト・シュトラウス
1864年にミュンヘンで生まれた作曲家、指揮者。ワーグナー派、ブラームス派という言い回しをするならワーグナー派かもしれない。オペラ、歌曲、交響詩の分野で活躍した。個人的には「メタモルフォーゼン-23の独奏弦楽器のための習作」が好きだ。
ところが、ブラームスとの接点が無い訳ではない。
Rシュトラウスは、ブラームスと親交が深い指揮者ハンス・フォン・ビューローに師事していたのだ。ビューローは当時マイニンゲン宮廷管弦楽団の指揮者だった。19世紀後半の欧州楽壇を2分した論争の中にあって、反対派の妨害に嫌気がさしたのか、ブラームスは第4交響曲の初演を、当時けして都会とは言えなかったマイニンゲンのオーケストラに委ねたのだ。このときRシュトラウスが「丁稚奉公」にはいっていたという因縁である。
1885年10月25日つまり123年前の今日、マイニンゲンでの第4交響曲の初演にあたり、ブラームスの指揮の下でトライアングルを担当したという。第3楽章にしか出番のないトライアングルだ。他の楽章を演奏する間ステージ上でじっと控えていたのだと思う。ほほえましいものがある。しかし舐めてはいけない。茂木大輔先生はご著書「音大進学・就職塾」の中でこのトライアングルを取り上げている。4分の2拍子がアレグロで疾走する中、16分音符とトレモロが書き分けられていると指摘する。なるほどこの楽章でのトライアングルの最初の出番32小節目には「tr+波線」が書かれているが、95小節目は16分音符で刻めと書いてある。同じ打楽器でもティンパニには「16分音符で刻め」という指示は現われないから、トライアングルにのみ「16分音符」と「トレモロ」の区別を求めていると解し得る。
Rシュトラウスはこれを叩き分けたのだろうか。
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