マイニンゲンのバッハ
10月25日の記事「リヒャルト・シュトラウス」で、第4交響曲がマイニンゲン宮廷管弦楽団によって初演されたと述べた。
ハンス・フォン・ビューローはここの指揮者だ。宮廷楽団の全権を掌握していた彼が、ブラームスの友人だった縁で、ブラームスにこのオーケストラの機能を提供していたのだ。
マイニンゲンの宮廷楽長の先輩にヨハン・ルードヴィッヒ・バッハ(1677-1731)という人がいた。このポストがだだちに楽団の指揮者をも意味するかは不明だが、作曲家としての活躍は確認出来る。実はこの人ヨハン・セバスチャン・バッハの親戚だ。そういえばマイニンゲンという街は、バッハの故郷アイゼナハの南わずか50kmのところに位置する。いわば隣町の8つ歳上の親戚だ。
長らくバッハ最古のカンタータと思われていた「汝我が魂を冥府に捨て置きたまわざれば」BWV15が、二十世紀前半の研究でバッハの作品にあらずという結論に至った。古くからバッハの作品の割には稚拙という評価もあった作品だが、バッハ本人の自筆譜の存在が決め手となって真作とされてきた。このカンタータの真の作曲者が、ヨハン・ルードヴィッヒ・バッハであることが証明された。
この人は10月21日の記事「バッハの家系」で述べたリストには現れない。3番のリップス・バッハの子孫としてひとまとめにして言及されていて独立の番号を与えられていない。血筋が遠過ぎるからなのか、腕前のせいなのかは定かではない。
それだけなら、「へー」で終わりだが、この人の作品を調べていてぎょっとした。「Die mit Tranen saen」(赤はウムラウト)というカンタータがある。「涙をとともの種を蒔く者は」と訳される。何とブラームスのドイツレクイエム第1曲の第2部のテキストと一致しているのだ。
ブラームスは知っていたのだろうか。
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