地名登場ランキング
ブラームス関連地名リスト作成の準備段階として、音楽之友社刊行の作曲家◎人と音楽シリーズのブラームスに登場する全地名をエクセルに入力した。エクセルデータ化出来たことで興味深いことが判るようになった。
伝記作家は、対象とする人物の生涯を手際よく読者に伝えようとして文章を書く。その目的に照らしてもっともふさわしい言葉を選んでいるはずだ。だからブラームスの生涯をトレースした書物に現れる地名の頻度を分析することはブラームスという作曲家の人生を辿ることになると思う。
以下に音楽之友社刊行の「作曲家◎人と音楽シリーズのブラームス」に登場する地名のランキングを記す。ドイツ、プロイセン、イタリア等の国名は除外している。
- ウィーン124回 ハプスブルク帝国の首都。1862年に定住以来1897年に没するまで35年間ブラームスが過ごした街だけのことはある。
- ハンブルク85回 申すまでもなくブラームスの故郷だ。ドイツ最大港町。ウィーンでの活躍はハンブルクで定職を得られなかったことへの反動と見ることも出来る。
- ライプチヒ49回。ある意味で固い1位2位だが注目の3位がこことは興味深い。ピアノ協奏曲で煮え湯を飲んだ街でありバッハの街でもある。大きな出版社もありドイツ最大の音楽都市といってもいいだろう。煮え湯を飲まされても無視できないのだ。
- イシュル29回。オーストリアの保養地。3年のトゥーン滞在を挟んで晩年の夏は決まってここだった。重要な作品が生まれたことも順位を押し上げる要因だ。
- デトモルト24回。シューマンの死後、クララの紹介でここの宮廷に勤務した。ブラームス初めての就職先だ。
- ハノーファー22回。シューマン投身の知らせをここで受けた。ヨアヒムの本拠地だったこともあり、一時ブラームスが居を構えた。有名になった後演奏旅行で何度か立ち寄ったことも大きいが、弦楽六重奏曲第1番の初演地として記憶に残る。
- マイニンゲン22回。ハノーファーと同数だから本当は6位。ここの宮廷楽団を盟友のビューローが率いていたこともあって数が伸びる。不世出のクラリネット奏者ミュールフェルトとの出会いも印象的だが、第4交響曲初演の栄誉がまばゆい。
- デュッセルドルフ18回。主無きシューマン一家を助けた街。
- トゥーン18回。スイスの保養地。詩人ヴィトマンとの友情により1886年から3度の夏を過ごす。
- ペルチャッハ18回。もっと高いと思った。第2交響曲を生んだ街だ。ここで生まれた作品の濃さからすれば不当に低い順位だ。
以下13回にボン、ゲッティンゲン、12回にヴィンセン、ベルリン、11回にカールスルーエ、10回にケルンが続く。なんだかこれだけ見てもブラームスの生涯をいきいきと思い浮かべることが出来る。
クララが1位に決まっていてつまらぬといえばつまらないが同じ事を人名ですると交友ランキングが出来るだろう。ちょっと詳しい書物には巻末に人名索引が載っているから、お宝度が落ちるのが難点だ。あるいは、そのうちどうしても記事に困ったらバッハでやってみるのも悪くない。
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<もこ様
ありがとうございます。そのうちやるかもしれません。
1位はクララで固いと思いますが、2位は誰になるのか興味があります。
投稿: アルトのパパ | 2008年10月15日 (水) 18時20分
交友ランキング。。内容の濃さで、どこにも負けないかもですね。
エピソードの数々、私は知りたいです。
投稿: もこ | 2008年10月15日 (水) 08時48分