歌枕
古来短歌に引用された地名のことだ。神仏ゆかりの地や歴史的な出来事のあった土地の名前などがたびたび引用されているうちに地名のイメージが定着定型化して堆積したものと解される。もちろん地名は短歌に限らず俳句や詩歌への引用も見られる。現代演歌と呼ばれる歌謡曲に「ご当地ソング」と呼びならわされる一群がある。これらにおいて、地名が聴き手に特定のイメージを想起させることを念頭に置いている。歌枕の伝統は生きている。
万葉集は4519首の歌集だが、そこで言及されている地名も膨大な数に上る。それだけで一つの研究分野になっているほどだ。俳句の世界で知らぬ人のない「奥の細道」も地名がわんさか現われる。音韻の数に制限のある俳句や短歌において地名が登場することは、制限の強化とも受け取れるが臆することもない。
ブラームスに関連する地名をリスト化するプロジェクトを進める過程でポッツリと湧いた疑問がある。
ブラームスの声楽作品のテキストにはほとんど地名が出現しないのは何故だろう。地名が歌枕として尊ばれる短歌とは対照的だ。
作品103のジプシーの歌に少々の地名が現われる他は、山川の名前と国の名前がポツリポツリと観察されるだけだ。両手の指でも余る数だ。テキストの出典は民謡であることも多いから、その場合~地方という言い回しの中に地名は現われる。しかしテキスト本文での出現はほぼ皆無だ。
考えられる可能性を挙げる。
- ドイツリートの対象となった一群の詩に、元々地名が含まれていない。
- ブラームスが地名の入った詩をテキストに選ばなかった。
上記1は、ブラームス以外のドイツリート作曲家が採用したテキストを調べれば判るハズだが、言うは易しでなかなか手間とお金がかかる。その結果他の作曲家のテキストに地名が頻繁に出てくれば上記2は自然に証明出来そうだ。
来年の夏は「ブラームス・リート作品に見る歌枕集」でも作ってやろうかと思ったがアテがはずれた。
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