600kmを呼び寄せる
1868年4月10日ブレーメン大聖堂。ドイツレクイエム初演の時と場所だ。ブラームスの作曲家としての位置づけを磐石にした出来事である。
この演奏会にはブラームスの知人がほとんど顔を揃えたという。父ヨハン・ヤーコプ、ヨアヒム夫妻、シュトックハウゼン夫妻、アルバート・ディートリヒ夫妻、そして真打ちはクララ・シューマンだ。めぼしい関係者では恩師マルクセンだけが病気を理由に姿をみせなかった。ブラームスが開演までクララの到着を気を揉みながら待っていたと友人たちも証言している。クララは遠来の客だったのだ。
このときクララの住まいはベルリン。バーデンバーデン郊外のリヒテンタールに別荘もあったから、そのどちらかから駆けつけたのだ。ブラームスの気の揉み方から察するに、クララは約600km離れたリヒテンタールから駆けつけたのではあるまいか。600kmと言えば東海道新幹線なら東京から明石の少々先、東北新幹線なら二戸までだ。
現在、特定のアーティストの公演ならどこにでも出没する層は珍しくないが、当時新幹線も飛行機もない時代であることは考慮されねばなるまい。
結果クララは間に合い、ブラームスにエスコートされて入場したとされている。
そのクララの反応は感動的だ。夫ロベルトの予言が実現したと涙にくれるのだ。600kmを呼び寄せたとしても、お釣りが来る反応である。
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