打率
野球用語だ。ヒットを打った率のことだ。1シーズンを終えて、そこそこ打席(規定打席数)に入った者の中で最も打率が高かった者を首位打者という。
「率」というからにはこの数値には分母と分子がある。率を上げようと思えば、分子を増やすか分母を減らすかすればいい。「分子」はこの場合ヒットの数だから単純だ。ヒットの数を増やす以外に出来るのは「分母」を減らすことだ。打率計算の「分母」は打者がバッターボックスに入った数ではない。そこから、犠打、四死球、打撃妨害の数を除いた数値が分母になる。犠打や四死球が多いと分母が少なくなるから結果として打率が上がる。だから首位打者争いには四死球や犠打が多い方がいい。打撃妨害やデッドボールは意図して獲得出来ないから除外するが、四球・フォアボールは意図して獲得することができる。
この数値が3割なら名選手だ。4割打てば伝説になれる。
古今の大作曲家といえども全作品に占める名作の率はべらぼうに高い訳ではない。いわゆる「つまらん曲」も相当あるのだ。古典派までの作曲家は多産だった。先ほどの例で申せば「分母」が多い状態だ。結果として打率は下がるが、当時はそんなことは気に掛けてはいなかった。率を残せばいいという程、話は単純ではないし超名曲1つで永遠に記憶されるというのも悪くない。ワールドシリーズでの完全試合一つで殿堂入りという選手もいるそうだ。
ブラームスは少し事情が違う。作曲家のモノグラフィが定着していった時代に生きた。作曲家が死後、愛好家や研究家からどのように取り扱われるかを目の当たりにした。結果として自らの死後に残す作品群の全体像に気を配っていた可能性がある。楽譜の出版が一般化された結果、出版さえしなければ作曲しなかったも同然という時代が到来したのを巧妙に利用した。作曲されながら気に入らぬ作品を片っ端から廃棄したのだ。つまりこれが「分母」の圧縮に相当する。犠牲フライを打ったり、フォアボールを選んだりすることと同じ効果がある。ボール、ストライクの判断をクララやヨアヒムにも相談した。
その結果彼の「分母」つまり打数は122になった。もしこのうちの50が名曲なら彼は4割打者だ。名曲の定義は人により違うから打率の判定はここでは控えるが、相当な高打率だと感じる。
バッハさんからは「規定打席数に届いていない」とクレームが入るかもしれない。
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