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2008年11月27日 (木)

ブランデンブルク協奏曲

「ブランデンブルク協奏曲」はバッハ器楽曲の代表作だが、このネーミングにバッハ本人は関与していない。ブランデンブルク辺境伯に献呈されたためにこう呼ばれているに過ぎない。1873年に高名なバッハ研究家フィリップ・シュピッタが命名したという。この人ライプチヒ・バッハ協会設立の立役者だ。約100年忘れられていたバッハは、このロマン派の時期になって鮮やかにリバイバルを果たす。メンデルスゾーンによる「マタイ受難曲」の再演とともにバッハ復興の象徴となる出来事だ。同協会によるバッハ全集をブラームスも収集していた。

何のことはない。このシュピッタという人物はブラームスのお友達だ。現在でもバッハ関係の書物をめくっているとしばしば名前の出てくる超一流の研究家である。

少年時代のマルクセンといいシュピッタといいバッハネタをキチンと提供してくれる人が回りにいたのだ。

学生時代、始めて取り組んだバッハの作品がこのブランデンブルク協奏曲第5番だった。もちろんヴィオラのパートだ。この曲編成が風変わりだ。ヴァイオリンが一部なのだ。これには実に現実的な意味がある。バッハが作曲した当時、ケーテンの宮廷楽団では、バッハ本人がヴィオラだった。ところがこのブランデンブルク協奏曲の第5番には独奏チェンバロがある。独奏者はもちろんバッハ自身だからヴィオラがいなくなってしまう。仕方なく第二ヴァイオリン奏者がヴィオラに回ったために、ヴァイオリンが一部になってしまったという。このタコ足的対応にはほほえましいものがある。

バッハは自分が弾かないヴィオラパートもちゃんと面白く書いてある。

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