ブラームス神社

  • 道中安全祈願

おみくじ

  • テンプレート改訂しました

独逸日記

  • ドイツ鉄道博物館のおみやげ
    2012年3月28日から4月4日まで、次女の高校オケのドイツ公演を長男と追いかけた珍道中の記録。厳選写真で振り返る。

ビアライゼ

  • Schlenkerla
    自分で買い求めて賞味したビールの写真。ドイツとオーストリアの製品だけを厳選して掲載する。

カテゴリー

« 美髯公 | トップページ | 調性の確定 »

2008年11月 9日 (日)

ポストシュトラーセ考

ドイツの地名を調べているとガッセ(Gasse)とシュトラーセ(Strasse)という言葉が頻繁に出てくる。一般に「Gasse」は「小路」、「Strasse」は「通り」と解されているが、日本人には実感を伴いにくい。

ちゃきちゃきのドイツ語ユーザーのブラームスさえこれを混同していた形跡を見つけた。音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第1巻64ページに興味深い記述がある。親友アルバート・ディートリヒにウィーンの居所を伝える手紙の中に「ポストシュトラーセ6番地」とある。ところがここに注がふられ「ポストガッセ」の誤りだとの指摘が踊っている。引っ越したばかりで混乱していたと思われるが、次の手紙からは直っているとある。

ブラームスがガッセとシュトラーセを取り違えていた実例である。郵便局の近隣であることから派生する命名だから似たような地名はどんな街にでもあるのだろう。

さてここからが本題。ブログ「ブラームスの辞書」名物「お叱り覚悟の深読み」に入る。

このときのブラームスの勘違いには深い理由があると感じる。

1854年2月27日ロベルト・シューマンはライン川に投身した。シューマン一家を案じてブラームスがデュッセルドルフ駆けつけたのが3月4日か5日。その後の献身ぶりはつとに名高い。最初シューマン邸に起居したブラームスだが、献身が長期戦になることを見越して近所に部屋を借りた。シューマン邸のあったビルカー通りから1本西側の通りにある。その通りの名前が「ポストシュトラーセ」だったのだ。このときにシューマン一家への献身のために借りた部屋の住所がブラームスの先入観に深く刻み込まれたことは想像に難くない。あるいはウィーンでの住居決定の際にこの地名の類似が気に入った可能性さえ想像してしまう。アルバート・ディートリヒはデュッセルドルフのブラームス宅の住所を知っていたに違いないから、ウィーンでの新住所を読んでブラームスの洒落っ気を感じたかもしれない。

引っ越し間もないブラームスの勘違いというよりは、シューマン一家と苦楽をともにした記憶のためと解したい気分である。

単なるうっかりミスと考えるよりロマンティックである。

« 美髯公 | トップページ | 調性の確定 »

コメント

<魔女見習い様

おおお。ありがとうございます。

毎回恐る恐るなのですが。

ブログ「ブラームスの辞書」名物、大好きです。
記憶の綴りから文字の綴りへと。。。ロマンティックですね♪

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ポストシュトラーセ考:

« 美髯公 | トップページ | 調性の確定 »

フォト

ブラームスの辞書写真集

  • Img_0012
    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
2025年1月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ