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2008年11月18日 (火)

乗り過ごし

クララの訃報を受け取ったブラームスが取るものとりあえずフランクフルトに駆けつける際、不手際があって大幅に遅れたエピソードが大抵の伝記に載っている。例によって音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻176ページに詳しい言及がある。ホイベルガーの証言だ。

せっかく詳しい地図帳を買ったのでこのときの手違いを地図上で追いかけてみる。

ブラームスはウィーンから回送されてきた電報をクララの死の2日後5月22日にイシュルで受けた。そしてその日に出発したとある。出発に際して翌朝つまり5月23日午前4時にフランクフルト着という見込みを打電している。

ブラームスがいたイシュルから見て目的地フランクフルトはほぼ北西である。イシュルからザルツブルクに向かえばよさそうだが、ここには鉄道が引かれていない。北東30kmにあるグムンデンに向かわざるを得ない。トラウン湖畔のグムンデンからまたさらに北東に進む。約30kmだ。ここで間違いが起きた。ヴェルスという駅で乗り換えねばならないところ、車掌が起こすのを忘れてリンツまで乗り過ごしたのだという。

なるほどヴェルスという駅で北西に向かう鉄路が交差している。ヴェルスで乗り換えに成功していればそこからパッサウPassuへと向かうことが出来た。やむなく23日午前3時まで待ってリンツからヴェルスまで引き返しパッサウPassuへ向かったと思われる。この時点で打電しておいた到着予定時刻は60分後に迫っている。

パッサウからはドナウ川沿いに走ってレーゲンスブルクRegensburgに向かう。ここでドナウの流れとは分かれるが、ニュルンベルクNurnberg→ヴュルツブルグWurzburg→フランクフルトという具合に辿ればほぼ一直線だ。これでフランクフルト着が23日夜の11時。19時間遅れだ。さらにそこで買った新聞によってクララの遺骸が既にボンへ回送されたと知り、そこで下車せずにマインツ、コブレンツを経てライン川沿いを北上したと思われる。ボン着は翌24日朝の5時であったという。ほぼ丸1日のロスである。

また、ホイベルガーの証言では仕方なく鈍行列車に乗ったことが仄めかされる。これは鈍行の他に優等列車が走っていることを暗示する。ウィーン-フランクフルト間は現在特急が運転されている。ブラームスはヴェルスで何らかの優等列車に乗り換えるつもりだったのだと推定出来る。

ドイツの鉄道事情に疎い上に、現在の鉄道路線に基づいて推測を重ねたから実態とは違うかもしれないが、地図の上で辿ることで憔悴したブラームスの旅路をよりリアルに感じることが出来た。イシュル-ボン間は約750kmの行程だ。新幹線やICEなどの高速鉄道の無い時代一昼夜というのは現実的な値だ。

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コメント

<魔女見習い様

恐れ入ります。

実際に訪れる日までは、これで我慢します。

まるで地図上を指でなぞっているかのような感覚で、
読ませていただきました。

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