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2008年12月31日 (水)

重大ニュース

2008年が終わる。今年はブログ「ブラームスの辞書」にとって大きな出来事が続けて起きた。

  1. ドイツ国立図書館に献本したこと。
  2. ココログ出版のモニターに当選したこと。
  3. 地名辞書の完成。
  4. ブラームス神社の創建

今年1年記事が途切れなかったことも嬉しい。肝心な「ブラームスの辞書」は11冊が代金と引き換えに私の手許を離れていった。

じつは目立たないが、もうひとつ嬉しいニュースがある。昨日までの365日間、ブログ「ブラームスの辞書」への1日のアクセスが100を切ることがなかった。1日のアクセスが100に届かなかったのは昨年の大晦日が最後だ。春休みには例年通りアクセスが減るという現象が起きたが、それでも100を切ることはなかった。

こういう話は得てして言及すると途切れるものだが、このところのアクセスの厚みは頼もしい。1日100のアクセスは、ほとんどアテに出来ると申し上げて良い。

思えば昨年秋は、1日100アクセスが56日続いたと言ってはしゃいでいた。試しにカテゴリー「49 アクセス」の最初の頃の記事を見るといい。1日に100アクセス頂戴することをどれほど渇望していたかが判る。

しみじみ。

2008年12月30日 (火)

家計簿

家庭でのお金の出入りを記録する帳簿。昨今はもちろん紙ばかりではない。パソコンに入力というケースもある。家庭という切り口でお金の流れを把握することがねらいである。これが火の車に載せられているケースも少なくないと聞く。国庫から資本の注入を受けたいくらいである。

毎年正月には、今年こそはとばかりに手をつけて年末を待たずに挫折する人もいる。

1854年2月ロベルト・シューマンはライン川に身を投げる。一命を取り留めるがエンデニヒの病院に入院することとなった。急を聞いて駆けつけたブラームスは、シューマン一家のために家事全般を引き受けたという。二十歳そこそこの青年らしからぬ献身ぶりを見せるのだ。

ブラームスはその年の12月30日まで、シューマン一家の家計簿をつけていたらしい。現代日本で一般的に用いられる意味の家計簿と同じ形式なのかはわからないし、収入支出があるたびに毎日つけていたのか、月末にまとめてつけていたのかも不明だ。ブラームスが相当信用されていたことだけは確かなところだ。

ここで話を終えてしまうと、「ブラームスってマメなのね」で終わってしまう。例によってしょうもない疑問がある。当時のドイツの家庭では家計簿は一家のメンバーのうちの誰が書き記すものだったのだろうか。1854年1月以前は誰がつけていたのだろう。シューマン夫妻の子供たちではないと思う。長女のマリエでさえまだ10代半ばだからだ。クララかロベルトか、はたまた使用人か。一家のお金の出入りを使用人にさせるとは考えにくい。全くの推測だが精神病の兆候が既に現れ始めていたロベルトではないような気がする。

クララが家計簿をつけていたが、ロベルトの入院によって、一家を支えなければならなくなった。つまり演奏家として働きに出るのだ。月末に家を空けることもあるから、そこをブラームスが代行したと考える。

今日は11ヶ月に及んだブラームスの家計簿担当が終わった日だ。

2008年12月29日 (月)

おみくじ

先日12月19日に創建以来の賽銭が1億円に達したことは既に述べた。その記事で何かお礼を考えたいとも書いたが、今日は23日の「カウントダウン」に次ぐ記念企画第2弾だ。

神社にはつきものの「おみくじ」を設置することにした。

ブラームス神社的には「吉凶」ではなくて「フォルテ」「ピアノ」などと表示されるとシャープなのだが、なかなかそういうブログパーツが見つからない。どなたか作りはせぬか。

例によって吉凶の順番は以下の通りらしい。宗派によって位置付けが変わることもあるという。

  • 大吉
  • 中吉
  • 小吉
  • 半吉
  • 末吉

「吉」を基本にして「大中小」に「末」や「半」という文字が修飾を試みているということだ。吉の意味を煽るのは「大中小」だ。これは「molto」に相当するのだと思う。「大吉」は「~issimo」かもしれない。残りの「半」「末」は「吉」の意味を弱める方向に働く「抑制系」である。「mezzo」や「poco」に当たる。「中吉」や「小吉」を「吉」より下位に置く解釈もあるという。

他にも思いがけない言葉が出るので試して欲しい。

間もなくブラームス神社創建後はじめてのお正月だ。初詣客の殺到という不測の事態に備えて準備にかからねばなるまい。どこかに茶店のブログパーツはないものか。

おバカが止まらぬ年の瀬である。

2008年12月28日 (日)

貯金で暮らす

本年夏のプロジェクト「地名辞書」は、その過程で副産物があった。地名辞書本文を含めて本日までに42本がカテゴリー「71 地名探検」に蓄積した。

昨年の7月に我が子同然の「ブラームスの辞書」をドイツ国立図書館に送ったのがキッカケでドイツの地図を買い求め、その巻末の索引を見てブラームス関連地名のリスト化を思い立った。既にその結果は地名辞書として公開済みだ。公開時344だった項目数も現在では350に増えている。

その過程で思いついた記事を、この秋に公開してきた。ほとんど全てが8月に思いついたネタだ。約30本の記事つまり1ヶ月分を貯金の切り崩しでしのいできたようなものだ。この手の大型カテゴリーは本当にありがたい。

2033年を目指すとなると尚更である。昨日の狼狽から立ち直って行かねばならない。

2008年12月27日 (土)

呆然自失

12月23日の記事「カウントダウン」で2033年5月7日までの残り日数がそのまま、記事の目標本数の目安になると書いた。ただ今その数値は8896だから、本日この記事以降の必要本数は8897本だ。

改めて呆然。あまりの多さにである。

今日のこの記事は1355本目で、今日現在記事の備蓄が630本ある。けれども必要本数の10%にも満たない。

呆然が闘志に代わるまで少し時間が要りそうだ。

やれることは1本1本記事を積み上げることだけだ。満塁ホームランや、3ポイントシュートはあり得ない。記事の備蓄がこの残り日数に追いついた時、事実上の目標達成になるのだ。健康で元気でいられる間に何とか記事をひねり出しておきたい。

2008年12月26日 (金)

ブラームス派

19世紀後半のドイツ・オーストリア圏において、音楽界を2分する論争があったことは広く知られている。

2つの相反する考え方が自説を主張しつつ、相手を攻撃したのだ。マーラーあるいはシェーンベルグなどの世代まで下ってしまうと、ほとんど意味のない論争になったとの指摘もあるが、当時は真剣だったらしい。

これらの陣営それぞれに名前がつけられている。この名前の内の片方が「ブラームス派」だという訳た。ブラームスが「ボクに味方する人よっといで」とやった訳ではないのだが、なんとなくワーグナー派と拮抗する勢力に名付けられてしまったということだ。

後世の研究家愛好家を含めてこの論争を傍観する人々にとっては、両陣営に名前が付いていた方が何かと盛り上がるのだ。ウイーンに限定するならワーグナー派をブルックナー派と言い換える向きもある。つまり便宜上の言い回しである。

ブラームスは機関誌を作って意見を述べたりなんかしていないし、パーティー券を売りさばいたりもしていない。論争の存在自体を認識はしていたと思うが、自分が片方の陣営の首領であるという自覚があったかどうか疑わしい。

2008年12月25日 (木)

ウィーンの住まい

1862年に進出以来、1897年に没するまでブラームスの本拠地はウィーンだった。カールスガッセ4番地は有名だが、それ以前の住居を年代順に列挙する。

  1. 1862年9月 ノヴァラガッセ39番地。プラーター広場から歩いて10歩と言っている。
  2. 1863年3月 チェルニンガッセ7番地。
  3. 1867年春  ポストガッセ6番地。郵便局のソバだ。
  4. 1870年2月 ウンガーガッセ2番地 UngargasseかUngergasseかどちらなのだろう。音楽大学のソバという立地で前者だという気もする。
  5. 1871年12月 カールスガッセ4番地。

カールスガッセ4番地への転居は楽友協会の音楽監督受諾の時期と一致する。つまり職住近接だ。ということは1863年3月のチェルニンガッセへの転居はジンクアカデミーの近所ということが想像される。

年賀状を書く方は宛先違いのないように願います。

2008年12月24日 (水)

一輪のバラが咲いて

ブラームスの最後の作品「オルガンのための11のコラール前奏曲」の8番のタイトルだ。その可憐なたたずまいはまさに「オルガンのためのインテルメッツォ」と呼ぶにふさわしい。今のところ、その11曲の中では一番のお気に入りである。

無知というのは困ったものだ。最近バッハのカンタータに触れる機会が多いので、キリスト教と音楽の関係をいろいろ調べていたら、興味深いことが見つかった。

「一輪のバラが咲いて」は古いドイツのクリスマスソングだというのだ。賛美歌96番と同じ「賛美歌21」の246番として賛美歌集にも載っているという。一昨年の8月にオルガン強化月間の最大の収穫としたが、まさかクリスマスソングだとは思わなかった。

賛美歌集に楽譜が載っている。それを見ると2分の2拍子、ヘ長調の4声体だ。調と拍子は一致しているもののブラームスのコラール前奏曲とは似ても似つかない。この旋律を元にした精巧な変奏になっているのだろう。

2008年12月23日 (火)

カウントダウン

何かに到達するまでの秒数を声を出して数えることなのだと思う。この場合の「何か」は様々だが、概ね好ましい事柄が多い。ロケットの打ち上げや大晦日の最後の数秒などがその代表だ。

ブログ「ブラームスの辞書」では12月19日に賽銭が1億円に達したので、記念企画を実施することにした。

ブログ「ブラームスの辞書」の到達目標までをカウントダウンするブログパーツを本日設置した。場所は右サイドバナー最下段。懐中時計の下だ。

2033年5月7日のブラームス生誕200年までの残り時間をカウントダウンする。正確に申せば2033年5月7日午前7時までの残り時間だ。5月といえばドイツはサマータイムだから、日本時間の午前7時がドイツ時間の午前零時になる。

その間毎日記事を途切れることなく発することが「ブラームスの辞書」の目標だ。つまりブログに表示される残りの日数プラス1がそのまま、当日の記事アップ後に必要となる記事の本数ということになる。カウントダウンでありかつ、記事の必要本数メータも兼ねていることになる。記事の質は別として、量を具体的にイメージすることが出来る。

背景の画像はブラームスがピアノを弾く有名な肖像画だ。このパーツは優れもので、背景の画像を自由に設定できるから、気分に応じて入れ替えが可能だ。

賽銭1億円到達記念企画第1弾である。

2008年12月22日 (月)

子供たちの無関心

近頃中学校はもちろん小学校でもパソコンの授業がある。我が家の3人の子供たちもその恩恵に浴している。ではあるが、家ではパソコンをいじっていない。だからインターネットも知らない。私がパソコンに向かっていると、時々覗き込む程度だ。あるいは急な調べ物の宿題を手早くやっつけるための道具だと思っているかもしれない。

昨今のネット環境を思うとき、インターネットを積極的に勧めるのも気が引ける。いずれ使う日も来るだろう。

だから当然父である私が「ブラームスの辞書」なるブログの管理人だということも知らない。そもそもブログがなんだかも知らないようだ。趣味のブログに今更教育的な意義とやらを後付けしたところでタカが知れている。

それでも私にはささやかな楽しみがある。「大のおとなが根を詰めるとこうなる」という見本を残してやりたいのだ。いずれ自分から興味を持って父のブログを発見した時の子供たちの顔を想像するのはとても楽しい。そのとき「そういえば昔、何やらパソコンに向かって一生懸命だったね」と言われたい。「家事や仕事もあのくらい一生懸命だったらいいのに」という憎まれ口も覚悟の上である。

今日、長女15歳。

2008年12月21日 (日)

賽銭1億円

実は一昨日ブラームス神社の賽銭が1億円に達した。

8月30日我がブログ「ブラームスの辞書」の左サイドバナーに創建して以来、頂戴した賽銭の金額の話だ。泥棒の被害総額を差し引いた純収入だ。被害総額は不明という脳天気な話である。

「記事が面白ければ賽銭を」と呼びかけているから、賽銭が貯まって行くのはひとまず嬉しい。ブログ上には昨日と当日の金額しか表示されないのだが、氏子総代の私はエクセルに毎日金額を入力していた。(←これも相当怪しい)だから1億円に到達したことが判る。

賽銭と申しても、お気持ちの話で、実際にビジターの懐が痛む訳でもない。逆に盗んだところでお金が儲かることもない。もちろん税務署に興味をもたれることもない。単なるお遊びだ。それでも記事を読むだけにとどまらず賽銭箱をクリックして貰えるのは嬉しい。ノリが理解されているという実感は何にも代え難い。

何かと不景気な話の多い年の瀬だ。せめてブラームス神社くらいは景気のよい話で一年を締めくくることが出来る。何かお礼を考えたい。

2008年12月20日 (土)

コネ

英語「conection」の略なのだろうとは思うが、既に独自のニュアンスを獲得しており、単なる直訳とでは意味が違っていると感じる。

ハンブルク時代ブラームスは家計を助けるために酒場でピアノを弾いていた。健康上も教育上もよくないと見かねた父ヤーコプの友人ギーゼマンが、ブラームスを招待した。ハンブルク近郊のヴィンセンという街だ。小さな合唱団のために曲を書いたり指揮したり、同い年のリースヒェンという娘と仲良くなった。ブラームスはこのときにギーゼマン一家から受けた恩を生涯忘れなかった。

後にデニングホフ夫人となったリースヒェンにはアグネスという娘がいた。ところが1888年そのアグネスがベルリン高等音楽院在学中にリースヒェンは夫に先立たれ未亡人となってしまった。経済的な窮状を聞いたブラームスは、ベルリン高等音楽院の校長に奨学金の支給を打診する。「もし奨学金が支給されないのなら、こっそり学費を援助したい」とまで申し出るのだ。

奨学金は支給された。

何ということは無い、この校長とはヨーゼフ・ヨアヒムだったのだ。つまりコネとはこういうことだ。それもとびきり強力なコネである。アグネスは既に独力でベルリン高等音楽院の難関を突破していたから、裏口入学の斡旋ではない。

さて、このエピソードを角度を変えて眺めてみる。ブラームスとヨアヒムの友情という切り口だ。ヨアヒムはブラームスの親友にして恩人。そして当代きってのヴァイオリンの名手だ。ところがヴァイオリン協奏曲の作曲中に意見を交換するうちにちょっとした不和に陥った。1884年ヨアヒムは夫人との訴訟騒ぎになり、ブラームスから夫人に宛てた手紙が夫人に有利な証拠として採用されるに及んで絶交状態になった。1887年夏ブラームスはヴァイオリンとチェロのための協奏曲の作曲に際して意見を求める手紙をヨアヒムにしたためたことにより表面上もとの鞘に納まるが、若い頃のような打ち解けた関係に戻ることはなかったとされている。

先の奨学金の依頼は1888年だ。つまり表面上仲直りをした直後のことである。ブラームスはリースヒェンのために一肌脱ぐにあたり、関係がギクシャクしていたヨアヒムに頼んだということだ。ヨアヒムに頭を下げて頼んだブラームスもカッコいいが、その申し入れを受けたヨアヒムも相当カッコいい。

2008年12月19日 (金)

ブログのおバカな使い途

今日のこの記事でブログ「ブラームスの辞書」開設以来1300日連続の記事更新である。何だかたまって来たと実感する。延々とブラームスネタを中心に堆積した記事は今後どうなるのだろう。備忘代わりのブログと自らに言い訳しながら続けてきた。自分がブラームスを大好きであることの確認でもあった。これだけ記事を重ねてもブラームスを好きであることが止まりそうもない。

これだけ記事がたまるとささやかながらメリットも出てくる。

自己紹介の時に「ブロブやってます」と言う。ブログ「ブラームスの辞書」を見てもらうことで、私がどれほどブラームスが好きか定量的に見せることが出来る。「このくらい好きなんです」と言える。

いつの日か「世界ブラームス好き好き選手権」が開催されたら、ブログと本を携えて参戦したいと思う。第1回はハンブルクかウィーンでの開催に決まっている。ドイツやオーストリアの本場の「ブラームス好き」と比べられても恥ずかしくないよう準備しておかねばならない。もちろん演奏部門でも作曲部門でもなくて屁理屈部門での参戦である。

おおっとその前に国内予選があるかもしれない。

2008年12月18日 (木)

出版社という切り口

マッコークルの「ブラームス作品目録」の巻末に、出版社索引がある。ブラームス作品の初版を発行した出版社がアルファベット順に列挙されている。生前の出版と没後の出版に分けられている。つまり生前の出版はブラームス本人のお墨付きによる出版社だと位置付けられているのだ。

このほどその情報をブラダスにインプットすることにした。全ての音楽記号の出現する位置が作品名と小節数で特定されている他、その場所の調、拍子、作品のジャンルなどがパラメータになっている。そのパラメータに「初版の出版社」を加えることにしたのだ。

狙いはただ一つだ。特定の用語や語句の分布が出版社に左右されているかを検証するためだ。たとえば初期のピアノ作品に大袈裟気味の指定が目立つ現象に「初期ピアノ症候群」と名付けているが、これがじつは初期のブラームスのピアノ作品のほとんどを出版したブライトコップフ社の癖かもしれないからだ。ブラームス作品の出版は初期においてブライトコップフ社が優勢だが、後期は圧倒的にジムロック社になる。

本来楽譜は作曲家の意図に忠実であるべきだから、出版社の癖が反映することなどあってはならない。だからブラダスに取り入れて「用語使いの癖が出版社に左右されていない」ということを確認したいのだ。

2008年12月17日 (水)

地名語尾

ブラームスのハンガリア舞曲の原題は、マッコークルの作品目録によると「Ungarishce Tanze」(Tのあとのaはウムラウト)だ。この曲集のことを日本語で標記する場合、複数の用例が見られる。

  1. 「ハンガリー舞曲」
  2. 「ハンガリアン舞曲」
  3. 「ハンガリア舞曲」

原題は「形容詞+名詞」だから「ハンガリアン」がフィットしそうだが、恐らく一番多いのは「ハンガリー舞曲」だろう。これは「ハンガリアン」と同様「名詞(国名・地名)+名詞」だ。ヤンキースタジアムの例を出すまでもなく名詞が形容詞的に用いられることは珍しくないからこれでもいいのだろう。

ちなみに「ハンガリア」はハンガリーに「地名語尾「ia」が付いたものと思われる。「ia」はラテン語の地名語尾だ。「イタリー」と「イタリア」のようなものである。このように語尾が「ia」になった地名が欧米にはとても多い。「Asia」にしても東を意味する「Asu」に地名語尾「ia」が結びついたとする説もあるくらいだ。

多分どれでもよいのだと思う。

2008年12月16日 (火)

音型

「音の形」と解すると訳がわからなくなる。「音の並び方のパターン」とでも言っておこうか。旋律よりはずっと緩い概念である。同じ音型と定義し得るのに、間違っても同じ旋律には聞こえないことも多い。

何か具体的な意味を音型に託してみたり、音名を付与して具体的な単語を想起させたりと応用が利く。ブラームスはこの音型の扱いが巧みである。

  1. 半音下降の半音上昇 
  2. アウフタクトの4度上昇
  3. 3度進行
  4. CDFE。いわゆるジュピター音階

複数の作品に出現するパターンだけでも上記の通りすぐ思いつく。作品の主題はいつも音型として抽象化され、拡大、縮小、反転、鏡像のようなさまざまな処理が施される。驚いたことに伴奏パートの音型でさえ周到にアレンジされていることが多い。

音型が重要なファクターとして受け止められていることの前提に楽譜があることは言うまでもない。聴いて分らぬ音型の関連が、楽譜上に示すことによって明らかになる場合もある。音型という概念は楽譜に記された「音符配置のパターン」と呼び換えることさえ出来そうだ。感覚が瑞々しい子供たちには、視覚に訴える楽譜の効果も無視できない。

たとえばヴァイオリンを習わせている娘らは、教則本のお世話になっている。聴き覚えのない16分音符の羅列をある程度速いテンポで弾かせると、しどろもどろになることが多い。1個1個の音を見て取って、指に信号を送るのが間に合わない印象だ。ところが、音型を意識させるとたちまちスムーズになる。似た音型を鉛筆で指し示したり、同じ音型の繰り返しであることを示してやると、次の音の予測が容易になるのだと思われる。幼いうちから「音型を意識すると楽だな」と感じさせることは良いことだと思う。将来ブラームスを弾くならけして無駄な経験ではないと思われる。

2008年12月15日 (月)

たき火

幼い頃庭でたき火をした記憶がある。火鉢には灰は必需品だし、庭の落ち葉の処分をかねていたのだと思う。お芋だって焼くこともあった。普段寒いといってなかなか外に出てきてくれない大人が出てくるので、楽しかった記憶がある。

童謡「たき火」はこうした情景の描写だ。

「垣根の垣根の曲がり角」と歌い出されるあの歌である。ドレミで歌うと「ソラソミ、ソラソミ」「ドレミミレー」となる。「ソラソミ」の連続がとても印象的だ。

ブラームスにも「ソラソミ」の連続がある。

インテルメッツォハ長調op119-3だ。例によって旋律はソプラノに来ない。弦楽四重奏でいえばヴィオラのあたりに旋律がある。

冒頭はブラームス独特の拍節のズレを楽しむ音のパズルだが、「ミソラソーミ」「ソラソミ」「ソラソーミ」と聴こえる。「ソラソミ」が3度続くのだ。

インテルメッツォハ長調op119-3「たき火」である。

2008年12月14日 (日)

読み物の山

19歳でブラームスに目覚めてから、ブラームスの作品を片っ端から聴いた。それは当然だが、同時にブラームスに関する読み物も次々と読んだ。伝記、作品解説、研究書の他、音楽系雑誌が忘れたころに企画する「ブラームス特集」まで、日本語で書かれていれば何でも食いついた。

ところが5年も過ぎた頃、何を読んでも同じネタに出会うということに気づいた。レコードの解説だけは新たなリリースがあることで内容を少しずつ変えるが、作品や生涯についての記述は何を読んでもだいたい同じということが解ってきた。日本語の書物が外国の同じ研究書を元に書かれているからだ。

それがわかるとかえって無性に読みたくなった。あの頃の自分の前にこのブログ「ブラームスの辞書」があったら驚喜したことと思う。つまりブログ「ブラームスの辞書」は若き日の自分の渇望に応えるという側面が大きい。毎日毎日濃いブラームスネタを読みたいと願った青春時代へのリベンジだ。無理矢理のこじつけを含めて1300を超える読み物の山になってきた。既存の書物の記述に起源を求めながらも、新たな解釈を試みたり、誰も相手にしない偶然を大切にしたり、楽譜のミクロ的な視点に光を当てたり、先行書物の亜流に陥らぬための試行錯誤が続く。

2008年12月13日 (土)

ブロッケン山

2007年4月30日の記事「ワルプルギスの夜」でワルプルギスの夜の舞台であるブロッケン山について述べた。

本日は先ごろせっかく買い求めた地図でそのブロッケン山を探す。

あっさり見つかった。ハノーファーの南東90kmの位置にある。ふもとのヴェルニゲローデから登山鉄道が走っている。旧東西ドイツの国境である。頂上まで自由に登れるようになったのはドイツ統一後らしい。ほうほうと言ってまじまじと地図を眺めていてギョッとした。この辺り一帯はハルツ国立公園というそうだ。登山鉄道の名前もハルツ狭軌鉄道という。

そうドイツの文豪ゲーテゆかりの地だ。「冬のハルツ紀行」という著作がある。まさにこの作品こそがブラームスのアルトラプソディーop53のテキストになっているのだ。

今まで我がブログ「ブラームスの辞書」ではワルプルギスにもアルトラプソディーにも言及してきたが、ブロッケン山がハルツの中にあったとは夢にも思わなかった。このことはきっとドイツの人々にとっては常識だろうと思う。土地勘がないとこういうことを平気でやらかすのだ。

2008年12月12日 (金)

もうひとつのクレメンタイン

「いとしのクレメンタイン」という歌がある。名高い西部劇の主題歌にもなっていたし、日本では「雪山賛歌」として広く知られている。

一応アメリカ民謡ということになっているが素朴な疑問もある。この場合の「アメリカ民謡」における「民」とはいったい誰なのだろう。欧州からの移住が始まる以前からの居住者なのか、はたまた欧州からの入植者たちなのか、あるいは奴隷貿易の犠牲者たちなのかという3通りの可能性が思い浮かぶ。どれになるかによって「いとしのクレメンタイン」の起源が変わる。「クレメンタイン」という女性名が歌われていることは、参考程度と捉えるべきだ。日本で「雪山賛歌」の歌詞があてはめられたように、耳に心地よいメロディに歌詞をあてがっただけかもしれないからだ。

ブラームス編の「49のドイツ民謡」WoO33-27に「Ich stand auf hohem Berge」という歌がある。「高い山にて」という程度の意味だ。この作品実は本日話題の「いとしのクレメンタイン」に似ているのだ。私は少なくとも似ていると感じる。

  1. 4分の3拍子である。
  2. 「付点8分音符+16分音符」というリズムの多用(特に最初の2小節のリズム)
  3. 「付点8分音符+16分音符」アウフタクトの立ち上がり
  4. 山男の側から山と女性を歌ったテキスト

上記のような特徴は、そのまま「いとしのクレメンタイン」にも当てはまる。起原を考える際のヒントになりはしないかと思っている。つまり「いとしのクレメンタイン」は欧州からの入植者が持ち込んだものではないかということだ。

一方「いとしのクレメンタイン」の最古の出版は1884年頃と考えられている。ブラームスの「49のドイツ民謡」は1894年だから10年も古い。民謡についてはその発生と楽譜の出版に大きな時間差があるので、これだけで伝播の向きを速断することは出来ない。

この話に言及しているブラームス系の書物やサイトは少ないと思う。

2008年12月11日 (木)

葬送頌歌

音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」第2巻16ページ。ホイベルガーはブラームスとの出会いを回想する。

バッハの「葬送頌歌」を演奏したとき、ブラームスがオルガニストの手許をロウソクで照らしてやっていたと証言する。

ここに疑問がある。バッハの「葬送頌歌」とはいったいどの曲のことだろう。記述にはBWV番号が記載されていないから個体の特定が難しい。この本には巻末に作品索引がついていて大変重宝だが、その対象はブラームスの作品に限られている。バッハの作品は対象外だから役に立たない。ブラームス以外の作曲家の作品まで網羅した索引だったらお宝度は相当アップしたと思われる。

さて「葬送頌歌」と通称される作品はフランツ・リストには存在するが、バッハで見つけることが出来ない。ホイベルガーは「バッハの」と断言しているからリスト作曲ではあり得まい。

第一の候補はBWV198の「候妃よ、さらに一条の光を」だ。「Trauer Ode」と通称されているから、我が家の解説書では「哀悼頌歌」とされている。「Trauer」の訳語として「葬送」が間違いとも言えないから「葬送頌歌」とされたのかもしれないが、リストの作品と紛らわしいこともまた事実だ。

さらに昨日の記事の主役「アクトゥス・トラジクス」の可能性は無いのだろうか。話題になったカンタータ106番の通称「Actus Tragicus」が「葬送頌歌」と表現されている可能性だ。とはいえ「頌歌」は大抵「Ode」の訳語だから、この説はどうにも旗色が悪い。

2008年12月10日 (水)

アクトゥス・トラジクス

興味深いCDを発見した。

この2枚組アルバムのタイトルは「BRAHMS BACH」だ。ストライクゾーンの中央という感じがする。演奏はチェロとピアノの二重奏でメインはあくまでもブラームスだ。2つのチェロソナタとト長調ヴァイオリンソナタ「雨の歌」のチェロ編曲版の3曲の前に、バッハのカンタータの中からの編曲物が置かれている。

  1. バッハ:カンタータ第78番BWV78よりアリア
  2. ブラームス:チェロソナタ第1番op38
  3. バッハ:カンタータ第106番BWV106アクトゥス・トラジクスよりソナティナ(ピアノ独奏)
  4. ブラームス:チェロソナタ第2番op99
  5. バッハ:カンタータ第33番BWV33よりアリア
  6. ブラームス:ソナタニ長調

演奏は2人の女性。チェロがSonia Wieder-Atherton、ピアノがImogen Cooperとある。

お気に入りは上記の3番だ。カンタータ第106番は、バッハが忘れ去られていた時代にも例外的に人気があった。葬送用の音楽としてしばしば演奏されていたという。だから本来のタイトル「神の時は最上の時なり」と並んで「アクトゥス・トラジクス」(哀悼行事)と通称される。その第1曲のリコーダーの静溢な二重奏がピアノ独奏に編曲されている。オリジナルのリコーダー二重奏は大の気に入りなので、どうなることかと思ったがすんなり入って来た。

ブラームスの数ある室内楽のなかでもチェロソナタ第1番はとりわけバッハとの関係が深い。タイトリングといい選曲といい、バッハとブラームスのただならぬ関係を意識していると思われる。とはいえこのCDがブラームスの室内楽の売り場ではなくて、バッハの編曲物の売り場にあったというのが、嬉しいような悩ましいような感じである。

2008年12月 9日 (火)

減七の和音

短三度の堆積によって得られる和音。Cを起点にすれば「C-Es-Fis-A-C」となる。一度に鳴らされる場合と、分散和音として鳴らされる場合と両方ある。

さてさてブラームス作品にも減七の和音は売るほど現われる。思うに一番印象的なのは作品118の6番だ。変ホ短調のインテルメッツォの3小節目と4小節目に現われる。この響きが作品全体のありようを決めているようにも聴こえる。ヴィオラソナタ第1番の第1楽章にも印象的な減七の和音がある。177小節目と181小節目の16分音符は減七の和音をなぞっている。

私が生まれてはじめて実感した減七の和音は第1交響曲の第4楽章に出てくる。146小節目だ。1拍目裏Aを起点に下降をはじめる。C線の開放弦まで降りてまた上昇に転ずる。2小節に渡って浮揚感を味わえる。

ブラームスやバッハにおいては欠くべからざるスパイスになっている。

娘たちのレッスンの教材になっているカイザーには早い段階から割と頻繁に見かける。臨時記号が頻発するので、立ち往生のキッカケになりやすい。「半音が3個挟まれた音に飛ぶ」と教えて「減七の和音」(げんしちのわおん)と3度言わせた。練習の最初に減七の和音の箇所に丸をつけさせることにしている。すると間違えずに音が取れる確率が数段高まる。今鳴っている和音の名前を覚えさせることで、音取りが楽になるのだ。サスペンスドラマでよく鳴る和音だと言っている。

2008年12月 8日 (月)

サッカーに学ぶ

今年のサッカーも大詰めだ。Jリーグ1部2部入れ替え戦と天皇杯を残すのみだ。

Jリーグ関連のブログは膨大な数存在する。ハードなものからライトなものまで品揃えには事欠かない。どのチームにも熱狂的なサポーターが居て、思いの丈をブログに込めている。私はその中から面白そうなブログを拾い読みしているというわけだ。サッカーについて言えば、私は「ブログを書きもせず」「コメントを投ずることもなく」ただ「人のブログを読む」という層だ。おそらくこの手が数の上では多数派だろう。

よく訪問するブログがある。つまり行きつけだ。私にも4つ5つある。アクセス数を見ていると1日に4、5千というアクセスを集めている。わがブログ「ブラームスの辞書」の20倍から30倍である。人気ブログの数もさることながら、獲得するアクセスもブラームス関連ブログの比ではない。

特にシーズン中、とりわけ終盤になると、毎週末の試合が絶えず論争のタネを供給するから、記事も膨大な数が生まれる。そしてその記事に対してこれまた膨大な数のコメントが発生する。数が多いだけにコメントの内容は様々だ。

人気ブログには贔屓チームの違いを超えた共通性がある。

  1. チームへの熱い思いがほとばしっていること。
  2. 更新の頻度が高いこと。
  3. 着眼が公平なこと。
  4. 他チームや、そのサポーターへの敬意を忘れないこと。
  5. コメントへの対応が適切であること。

この五箇条は「ブラームスの辞書」の運営にとっても金科玉条である。チームという言葉を「作曲家」と入れ替えればいい。

肝に銘じておきたい。

2008年12月 7日 (日)

金管セクション

昨日、次女の部活動の様子を見ることが出来た。土曜参観の一環である。

トロンボーンのパート練習と、金管楽器のセクション練習だ。

はじめにパート練習だ。3年生は引退しているから2年生1人と1年生4人の所帯である。ほのぼの、ふんわかした雰囲気だった。見学者は私ただ一人だったから、廊下から見ていたが、2番トロンボーンの生徒が「どうぞ」と言って部屋に招き入れてくれた。練習中に先輩から注意されると必ず「はい」という返事がある。それも小声ではない。練習の内容もさることながら、その返事がすがすがしかった。毎日娘がこのメンバーと練習しているのだと思うとありがたかった。

続いて金管セクション練習。私は大学時代にオーケストラでヴィオラを弾いていたから、弦楽器のセクション練習ばかりで、金管楽器のセクション練習は始めてだから新鮮だった。指揮をしていたのはトロンボーンのトップでもある2年生の女子だ。中2女子がキチンと練習を仕切れているので感心した。ダイナミクスのメリハリと音程が主たる指摘事項。スラーのニュアンスを合わせさせるところで「アーティキュレーション」という言葉が自然に発せられていて、何だかその自然ぶりが妙に嬉しかった。指揮者が何か注意するたびに全員が「はい」と言っている。ブラバンのしきたりなのだと感じた。

途中2番と3番のトロンボーンのソロがあった。3番を吹く次女の音がはっきり聴こえた。

次女の部活動の様子を始めて見学させてもらった。素晴らしい仲間に囲まれていることが確認できた。それが最大の収穫。

昨日は本当に困った。部活動見学とアントラーズ優勝が重なったからだ。どちらの記事を優先するか心底迷った。ご覧の通り娘の部活動よりサッカーを優先する悪い父である。

2008年12月 6日 (土)

小節数ランキング

ブラームスの作品中で最も長い作品は何だろう。誰でも少なからず興味があるところだ。この場合演奏時間は決め手にならない。演奏者によってばらつくからだ。仕方が無いので小節数をキーにして検出することにした。作品番号のある作品に限定し、曲の冒頭から終止線までというルールを設定した。但し変奏曲は各々の変奏の最後に終止線があっても無視し、作品の最後までとする。ピアノ三重奏曲第1番はブラームス本人の手による改訂版が現在流布しているが、初版も検索の対象とした。

結果は以下の通りだ。

<楽章単位の部>多楽章の曲は各々の楽章で1曲とする。

  1. スケルツォop4 627小節 
  2. 弦楽六重奏曲第2番第1楽章 605小節 
  3. 管弦楽のためのセレナーデ第1番第1楽章 574小節 
  4. ヴァイオリン協奏曲第1楽章 571小節 
  5. ピアノ協奏曲第1番第4楽章 536小節 
  6. 交響曲第2番第1楽章 523小節 
  7. ピアノ四重奏曲第2番第4楽章 519小節
  8. ピアノ三重奏曲第1番初版第4楽章 513小節 
  9. 交響曲第1番第1楽章 511小節 
  10. 弦楽六重奏曲第1番第4楽章 508小節
  11. ピアノ三重奏曲第1番初版第1楽章 494小節 
  12. ピアノ五重奏曲第1楽章 493小節 
  13. ピアノ協奏曲第2番第1楽章 488小節 
  14. ピアノ協奏曲第1番第1楽章 484小節
  15. ピアノ三重奏曲第1番第2楽章 460小節
  16. 交響曲第1番第4楽章 457小節
  17. ピアノ協奏曲第2番第2楽章 457小節
  18. 交響曲第4番第1楽章 440小節
  19. ヴァイオリンとチェロのための協奏曲第1楽章 431小節
  20. 交響曲第2番第4楽章 429小節
  21. 悲劇的序曲 429小節

ベスト20の顔ぶれはある意味で予想通りだ。管弦楽曲や室内楽曲が並ぶ。1位2位は1小節を1拍で数える曲が偶然続いた。注意が必要なのは「パガニーにの主題による変奏曲」だ。これは1巻2巻に分かれているが、合計すると664小節になって第1位に躍り出ることになる。1巻2巻で1曲と見るのか2曲と見るのか微妙だが、ブラームス本人が1巻と2巻の間に休憩を入れることを認めているらしいので2曲とみなしておく。

<総合の部>多楽章曲において全楽章の合計をカウントする。

  1. 管弦楽のためのセレナーデ 1696小節
  2. ピアノ三重奏曲第1番初版 1623小節
  3. ドイツレクイエム 1479小節
  4. ピアノ協奏曲第2番 1420小節
  5. ピアノ四重奏曲第2番 1375小節
  6. ピアノ四重奏曲第1番 1334小節
  7. 交響曲第2番 1296小節
  8. 交響曲第1番 1260小節
  9. 弦楽六重奏曲第2番 1237小節
  10. カンタータ「リナルド」 1232小節
  11. 交響曲第4番 1226小節
  12. 弦楽六重奏曲第1番 1171小節
  13. ピアノ三重奏曲第1番改訂版 1170小節
  14. ピアノ五重奏曲 1138小節
  15. ピアノ協奏曲第1番 1123小節
  16. ピアノ四重奏曲第3番 1061小節
  17. 管弦楽のためのセレナーデ第2番 1050小節
  18. ピアノソナタ第3番 1043小節
  19. ヴァイオリン協奏曲 1034小節
  20. ホルン三重奏曲 1009小節

ものすごい分量である。これだけの小節数を必要とする曲を書き、なおかつ隅々まで気持ちを行き届かせるのだから並大抵の注意力ではない。1位2位は初期の作品で占められている。当たり前の話だが楽章の多い曲が上位に並ぶ。3楽章制の曲はヴァイオリン協奏曲の19位が最高である。また交響曲第3番は830小節で26位にとどまっている。これは3楽章もののどの協奏曲よりも少ない小節数である。

ちなみに多楽章曲で最小は「運命の歌」の409小節だ。次はヴァイオリンソナタ第1番で529小節である。

昨年の12月2日の記事「調性選択の三角形」に次ぐ鹿島アントラーズのJリーグ制覇を祝うガチンコ記事だ。私は大の鹿島アントラーズファンだから、勝てば毎回はしゃぎたいのだが、それでは「ブラームスの辞書」ではなくなってしまうのでグっと我慢している。優勝した日くらいはそうした制約も解除だ。2年連続優勝に言及出来るのは嬉しい。ガチンコ記事1本でアントラーズが優勝してくれるならお安い御用だ。

2008年12月 5日 (金)

モツレク

モーツアルトのレクイエムを指す。おそらく日本の愛好家独特の言い回しである。

ケッヘル番号626を背負うモーツアルト最後の作品だが、実はモーツアルトは完成させることが出来ずに世を去った。モーツアルトの意思を受け継いで完成にこぎつけたのは、弟子のジュスマイヤーだった。だからこのレクイエムには、モーツアルト本人の手による部分と、弟子の補筆による部分が混在している。古来より作曲技法の拙い部分に加筆修正を施す試みが行われてきた。

レクイエムのスコアの中からモーツアルト自身による音符と、ジュスマイヤーによる音符を峻別する作業にブラームスが関わっていたことが、友人のジョージ・ヘンシェルによって証言されている。関わっていたどころか、その作業の主役であったかのようなニュアンスも感じられる。

楽譜の校訂に深く関わっていたのは何もバッハだけではないのだ。

2008年12月 4日 (木)

ブクステフーデ

Dieterich Buxtehude(1637?-1707.5.9)は17世紀北ドイツを代表する作曲家、オルガニストだ。出生に関しては判らないことが多い。デンマークの出身らしい。活躍したのはバルト海沿岸の北ドイツだ。

この人も例によって長らく忘れられていた。19世紀後半のバッハルネサンスの過程で、バッハ研究の掘り下げの中から、再評価が行われた。バッハが若い頃ブクステフーデを研究したことは確実である。17世紀の北ドイツを代表する巨匠としてバッハに先行する位置付けを与えたのは、19世紀最高のバッハ研究家で、ブラームスの友人フィリップ・シュピッタであった。

ブラームスの最後の作品「オルガンのための11のコラール前奏曲」の9番と10番は同じコラールに基づいている。「Herzlich tut mich verlangen」「我心より願う」である。ブクステフーデも同じタイトルの声楽曲を残している。BuxWV42だ。ブクステフーデがブラームスの研究対象であったこともまた確実だという。

さてブラームスの故郷ハンブルクから南西にわずか20km。ブクステフーデという街が実在する。Buxtehudeというスペルまで完全に一致する。これもまたブラームスの生涯には直接関係が無いが、白水社刊行のジョゼ・ブリュイール著「ブラームス」の79ページ、「ヘンデルの主題による変奏曲」の説明の中で、いささか唐突に言及されている。よってブログ「ブラームスの辞書」の地名リストでも収録の対象とした。

2008年12月 3日 (水)

クライスラー

2007年11月9日の記事「ダヴィッド同盟」の中で、オイゼビウスとフロレスタンがロベルト・シューマンの内なる二面性の擬人化であることはすでに述べた。この2人がダヴィッド同盟の中心人物である。謝肉祭の中に現れる作品にこの2人のイニシャルが付与されている。

実はブラームスもこの手のお遊びに興じたことがある。作品に「B」と「Kr」が付されているケースがあるのだ。作品9を背負った「シューマンの主題による変奏曲」だ。4,7,8,14の各変奏に「B」、5,6,9,12,13には「Kr」と記されている。「B」はもちろんブラームスだが、もう片方の「Kr」こそが本日話題の「クライスラー」に相当する。クライスラーはETAホフマンの代表作「牡猫ムルの人生観」に登場する主人公で楽隊の隊長の名前だ。この人はどちらかというと激しやすい性格だったとされている。シューマンの名高いピアノ作品「クライスレリアーナ」はこのクライスラーに因んでいる。シューマンは、ひょっとすると心の中でダヴィッド同盟に加えていたかもしれない。

ブラームスは、自らをクライスラーになぞらえていたという。自らの内なる相反する側面に名前を付けるのは、シューマンの影響だと思われる。

2008年12月 2日 (火)

連敗脱出

ブログのネタを思いつくペースには、波動がある。それは判っていたつもりだが、今回は極端だった。

11月25日に1個ネタを思いついた後、昨日まで6日間全く思いつかなかった。最近にない日照りだ。今回は今までと違った。

今までは「ネタを考えても考えても浮かばない」というパターンがほとんどだった。これはこれで大変苦しいのだが、今回は「ネタを考える気になれなかった」という新たなパターンだった。思い浮かばずに焦るということもなく、淡々と時間だけが過ぎた感じだ。

こういう時のための備蓄記事だ。おかげで更新が滞ることは無かったが、このまま一生思い浮かばないかもしれないという気にもなった。

とうとう今日3つ(本日の記事はカウントに入れていない)思いついた。空白は6日で終わった。何だか長い連敗のトンネルを抜けたような感じだ。

2008年12月 1日 (月)

ペンネーム

作品を発表する際に自ら名乗る名前。本名と全く同じ場合だけはペンネームとは言えないと思われる。文学、音楽、美術の諸分野で当たり前に見られる。芸名や力士の四股名あるいはプロ野球選手の登録名までもこれに近い概念だろう。ネット上を徘徊する際のハンドルネームもその亜種と言えるかもしれない。

作品を出版する際に本名を用いなかったという意味でならば、ブラームスもペンネームを使った可能性がある。「4手のためのロシアの思い出」という作品だ。1850年頃ハンブルグで出版されている。耳に心地よい旋律をメドレーにした編曲物6曲だ。真作かどうか疑わしいと見る向きもある。

ハンス・フォン・ビューローの遺品の中から発見された楽譜に、ビューロー自身の筆跡でブラームスと書いてあったことから、真作とする説が有力らしい。

GWマルクスという名前で出版されているので、これがブラームスの真作なら、GWマルクスはペンネームということになる。

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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