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2008年12月20日 (土)

コネ

英語「conection」の略なのだろうとは思うが、既に独自のニュアンスを獲得しており、単なる直訳とでは意味が違っていると感じる。

ハンブルク時代ブラームスは家計を助けるために酒場でピアノを弾いていた。健康上も教育上もよくないと見かねた父ヤーコプの友人ギーゼマンが、ブラームスを招待した。ハンブルク近郊のヴィンセンという街だ。小さな合唱団のために曲を書いたり指揮したり、同い年のリースヒェンという娘と仲良くなった。ブラームスはこのときにギーゼマン一家から受けた恩を生涯忘れなかった。

後にデニングホフ夫人となったリースヒェンにはアグネスという娘がいた。ところが1888年そのアグネスがベルリン高等音楽院在学中にリースヒェンは夫に先立たれ未亡人となってしまった。経済的な窮状を聞いたブラームスは、ベルリン高等音楽院の校長に奨学金の支給を打診する。「もし奨学金が支給されないのなら、こっそり学費を援助したい」とまで申し出るのだ。

奨学金は支給された。

何ということは無い、この校長とはヨーゼフ・ヨアヒムだったのだ。つまりコネとはこういうことだ。それもとびきり強力なコネである。アグネスは既に独力でベルリン高等音楽院の難関を突破していたから、裏口入学の斡旋ではない。

さて、このエピソードを角度を変えて眺めてみる。ブラームスとヨアヒムの友情という切り口だ。ヨアヒムはブラームスの親友にして恩人。そして当代きってのヴァイオリンの名手だ。ところがヴァイオリン協奏曲の作曲中に意見を交換するうちにちょっとした不和に陥った。1884年ヨアヒムは夫人との訴訟騒ぎになり、ブラームスから夫人に宛てた手紙が夫人に有利な証拠として採用されるに及んで絶交状態になった。1887年夏ブラームスはヴァイオリンとチェロのための協奏曲の作曲に際して意見を求める手紙をヨアヒムにしたためたことにより表面上もとの鞘に納まるが、若い頃のような打ち解けた関係に戻ることはなかったとされている。

先の奨学金の依頼は1888年だ。つまり表面上仲直りをした直後のことである。ブラームスはリースヒェンのために一肌脱ぐにあたり、関係がギクシャクしていたヨアヒムに頼んだということだ。ヨアヒムに頭を下げて頼んだブラームスもカッコいいが、その申し入れを受けたヨアヒムも相当カッコいい。

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