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2009年1月31日 (土)

シューベルト交響曲全集

1884年と1885年の2回に分けてブライトコップフ社は、シューベルトの交響曲全集の楽譜を出版した。

今日がシューベルトの誕生日であることだけが、この記事を掲載した理由ではない。実は、このときのシューベルト全集の校訂にブラームスが深く関与していた。おのおのの巻にブラームスの名前は書かれていないものの、編集委員会に参画していたらしい。

音楽之友社刊行の「作曲家◎人と作品シリーズ」のブラームスのあとがきにおいて、著者西原稔先生が、いみじくも指摘しておられる。「楽壇を2分した論争の当事者」「ベートーヴェンの後継者」という面だけの解釈でよいのかという問題提起に続き、今後は「シューベルトの後継者」としてのブラームスという面からいっそう研究が展開されるべきだと力説されている。

本当はカテゴリー「シューベルト」があってもバチが当たらないくらいなのだと思う。

2009年1月30日 (金)

本末転倒

ハ長調をご想像いただきたい。

「C-E-G」はいわゆるドミソだ。このうちのEにフラットが付くと「C-Es-G」となる。これはつまりハ短調だ。小学校以来長調を「明るい感じ」、短調を「悲しい感じ」と繰り返しすり込まれる過程で、3つめの音にフラットが付くと悲しい感じがするという認識を植え付けられた。

「第3音にフラットが付くと何故悲しい感じがするのだろう」という疑問がしばしば提示され、大抵「詳しいことは解っていない」という落とし処に到達する。これほど奇妙な議論はないと感じている。

以前からずっと考えていることがある。巨大な本末転倒の存在を疑っている。

第3音にフラットが付いた和音を聴かされたときに人間が感じる感情を「悲しい感じ」と定義しているに過ぎないのだ。短調の和音を聞かされた人間が10人いれば、脳裏に去来する感情は10通りなのだが、「悲しい感じ」と書くことで丸がもらえる試験を何度かくぐり抜けているうちに、10人ともがその感情を「悲しい感じ」と思いこむようになったのだ。だから「第3音にフラットが付くと何故悲しい感じがするのだろう」という疑問は「本末転倒」なのだ。このように考えるとすんなり説明できそうな課題が多いと感じている。

この「本末転倒」は深刻だ。音楽の味わいを損ねる原因にもなりかねない。

実はブラームスくらいの作曲家ともなると巧妙である。人々の間にあるそうした「本末転倒」を逆手にとる。

「悲しい感じ」であるはずの短調に徹した作品よりも、長調の中にキラリとブレンドされる一瞬の短調のほうがより深く悲しみを表現出来る。長調の作品にしばしば深い悲しみが宿るのはそのせいだ。あるいは短調を全く用いず、長調の巧妙な配置から、まんまと悲しみを引っ張り出すことさえあると感じる。

生まれたばかりの赤ん坊に長調と短調の和音を聴かせて表情を観察するという手もありそうだ。他の条件の統一や表情の客観的な評価に問題も残ろうが試してみたいものだ。驚くべき結果が出やせぬか期待している。

2009年1月29日 (木)

生まれながらの言語

バッハの関連書物を読んでいるとブラームスの記述にしばしば遭遇することは、既に何度か述べたが、シェーンベルクの記述も割と頻繁に見かける。

小学館から刊行されている「バッハの風景」という書物の264ページからの第15章が丸ごとシェーンベルクに割かれている。

この中に興味深い記述があった。276ページのことだ。シェーンベルクは巨匠と呼ばれる作曲家は皆、独自の表現法を身につけているとし、それを「生まれながらの言語」と形容しているのだ。

たとえばバッハならば「対位法」だ。以下にバッハを含まぬ5人の著名な作曲家についてシェーンベルクが指摘した資質を箇条書きにする。

  1. 和声の均衡、管弦楽法の描写力、旋律の感情的な描写力
  2. 構造的洗練、基本的和声の豊かさ、旋律の美しさ
  3. 論理、創意の独創性、衝撃的な人格と方向性の豊かさ
  4. 簡素な構造的手段を用いながら、その旋律における民衆的な筆致に品格を与える能力
  5. きわめて小さなスペースに多様な要素を組み込む能力

この5つのうちどれかがブラームスについての指摘になっている。

答えは以下の通りである。

  1. ワーグナー
  2. ブラームス
  3. ベートーヴェン
  4. シューベルト
  5. モーツアルト

以上だ。

あくまでもシェーンベルグの感受性の話だということは肝に銘じておく必要があるが興味深い。19世紀には楽壇を二分したブラームスとワーグナーの双方から学んだことが判る。少なくともシェーンベルクにはそう見えて(聴こえて)いたということだ。

贔屓目かもしれないが、ブラームスは評価されているような気がする。

2009年1月28日 (水)

歌曲の曲順

ブラームスは約200曲の歌曲を38の作品番号に分けて出版している。作りだめした作品を適当な数取りまとめて出版していたと思われる。その取りまとめ方に何らかの規則性や意図がありはしないかというのが本日のお題である。

一般的なアーティストがリリースするアルバムは、収録する曲もさることながら、その曲順にも十分な配慮がされているのが普通である。たとえばビートルズの「Yesterday」は、「Help」というアルバムに収められているが、これだけの名曲でありながら、B面ラストから2曲目という地味な位置に置かれていた。また「A hard day's night」のA面は曲順が絶妙である。

  1. A hard day's night
  2. 恋するニ人
  3. 恋に落ちたら
  4. 素敵なダンス
  5. And I love her
  6. Tell me why
  7. Can't buy me love

この順番丸ごと世界遺産にしたいくらいである。

ブラームスの歌曲のとりまとめ方に意図は無いのだろうか?「ティークのマゲローネのロマンス」op33はストーリー性があって当然である。この手のチクルスは別格としての話である。

私にとってビートルズの「A Hard days night」に匹敵するのが、作品86の6曲だ。

  1. テレーゼ Therese
  2. 野の寂しさ Feldeinsamkeit
  3. 夢に遊ぶ人 Nachtwandler
  4. 野を渡って Uber die Heide
  5. 沈潜 Versunken
  6. 死への憧れ Todessehnen

ブラームスに積極的な意図があったとは思えないが、この並びは美しい。

2009年1月27日 (火)

仮置き

下書き日」とともに、ブログ記事管理について今年から始めた新機軸である。

クリスマスネタ、誕生日あるいは正月のネタは4年先まで備蓄があると1月20日の記事「ピンポイントネタ」に書いた。記事備蓄の厚みはそれほどではないから、下書きした記事は仕方なく別の日を公開日にして仮保存中である。

つまりこの仮保存のことを「仮置き」と称している。

私が元気で毎日ブログを更新出来れば何の問題もない。万が一不慮の事故に遭遇し、記事を更新できなくなるとどうなるか。仮置きされたクリスマスや誕生日あるいは正月関連記事が、普通の日に一般公開されてしまうこともあり得る。仮置きされる記事の末尾には、本日のこの記事「仮置き」をリンクし、万が一公開されてしまった場合の読者への説明機能を発揮してもらう。仮置き保存された記事にはこの目的のために新設したカテゴリー「98 仮置き」を付与する。

記事の備蓄が順調に進み2010年のクリスマスに達したら、まず仮安置されたクリスマス関連記事の公開日をクリスマスに変更し、カテゴリー「98 仮置き」の属性をはずす。

記事の思いつきは気まぐれだ。思いついたときに記事にしないと飛び去ってしまう。一方で記事公開の連続性も同等以上に重要だ。この2つを両立させるための方便が「仮置き」である。

ブログ「ブラームスの辞書」と長く長くつきあってゆくための準備のつもりだ。

2009年1月26日 (月)

モノグラフィー

「モノグラフィー」を辞書で引けば特定の一分野についての研究または、それを記録した著述とある。何のことだかさっぱりわからぬ。

音楽学の世界では、特定の作曲家について網羅的体系的に論述された研究書くらいの意味である。もしこの通りとするならば、「ブラームス伝」「「バッハ伝」はモノグラフィーだが、「ブラームスの交響曲」「バッハのカンタータ」はモノグラフィーではないことになる。体系的はともかく網羅的というのは相当に難しい。抜けている分野が一つでもあったらモノグラフィーではなくなるからだ。本当だろうか。

この概念は19世紀後半に進んだバッハ研究を端緒として発展したという。シュピッタが著した「バッハ伝」は、それに続く作曲家伝の体裁の手本となった。つまりシュピッタは作曲家モノグラフィの形をバッハを通じて後世に示したことになる。着眼のしかた、資料の収集と処理、全体の構成が後に続く作曲家伝の雛形になったのだ。バッハに関して言えばその後個人の業績としてシュピッタのバッハ伝を超える著述が現れていないという。あんまり範囲が広すぎて個人の手には負えなくなったというのが真相らしい。「バッハの筆跡」「バッハの使った紙」「コピイスト」「パロディ」などの周辺の各論だけでも膨大な厚みになってしまうからだ。

ブラームスについて申せばカルベック、ガイリンガーの著述が名高い。そしてもちろんマッコークルの作品目録も忘れてはならない。

「ブラームスの辞書」は記事の分量だけはたまってきたが、モノグラフィとは言えない。体系的でもなければ網羅的でもないからだ。何よりも私のブログは学問ではなく趣味である。「モノグラフィ」という言葉に感じてしまうあこがれの深さとは別の話だ。

2009年1月25日 (日)

北原白秋

中でも彼の短歌が好きだ。高校で習って以来、好きになった。一番好きなのは下記の通りだ。

君帰す朝の敷石さくさくと雪よ林檎の香のごとく降れ

現代語訳不要の色艶だが、高校生としては、少々やばい。

1番こそ譲るものの大好きな歌が、次の歌だ。

すずろかにクラリネットの鳴りやまぬ日の夕暮れとなりにけるかな

「すずろか」が急所だ。クラリネットの音の描写であることは疑い得ないが、辞書を引いたところで載っていない。北原白秋にのみ許された北原語だ。読者に解釈を任せるのだ。「すずろか」という語感だけが手掛かりだ。「涼しげ」「まろやか」の中間あたりを狙ったかもしれぬ。「すずろか」の語感だけで申すならモーツアルトのクラリネット五重奏曲の第1楽章あたりがぴったりと来る。上の句「すずろかにクラリネットの鳴りやまぬ」だけならモーツアルトだ。ところが、下の句「日の夕暮れとなりにけるかな」と続くと、にわかにブラームスの可能性も浮上する。

北原白秋はブラームス存命中の1885年1月25日の生まれだから、今日が生誕124周年の記念日だ。ドイツの有名な指揮者、フルトヴェングラーが1886年1月25日生まれなので、ちょうど1年違いということになる。

2009年1月24日 (土)

ブラームス歴30年

私がブラームスにのめり込み始めたのは19歳だ。第2交響曲で大学オケのヴィオラでデビューしたのが18歳の1月7日だ。その17日後に19歳になった。ブラームスが「一番好きな作曲家」の座についたのはこのとき以降だ。次の6月の演奏会までのどこかで第1位の座をベートーヴェンから奪い取った。残念ながらそれがいつなのか正確な記憶がない。

今日私は49歳になる。

ブラームスを一番好きな作曲家に頂いてから、一度もその座を誰かに奪われることなく30年が経過したということだ。

ブラームス歴30年とはそういう意味だ。

きっともう誰にも抜かれない。

2009年1月23日 (金)

歌曲の中のフォルテシモ

「ff」と略記される「forttissimo」は「forte」(強く)の最上級という位置づけだという建前がある。「もっとも強く」と解されている。ブラームスにはしばしば「ff」が起点になる「crescendo」が登場するので、最上級という解釈のみでは、たちまち限界が露呈する。

さらに「ff」のキャラクターを考える上で見逃せないことがある。生涯のあらゆる時期に満遍なくばら撒かれている約200曲の独唱歌曲の中では、「ff」は下記の5回しか現れない。

  1. 「リート」op3-4 45小節目
  2. 「誓い」op7-2 43小節目
  3. 「帰郷」op7-6 3小節目
  4. 「裏切り」op105-5 59小節目
  5. 「裏切り」op105-5 74小節目

まずもって気付くことは、全て短調の作品である点だ。2番目の作品以降の4例は、全てピアノパートに現れている。最初のop3-4だけがピアノと声両方への「ff」になっている。つまり声のパートに「ff」を要求する唯一の瞬間だということになる。作品は大いなる苦しみを抱えた娘の心情を歌ったテキストに、起伏の大きな音楽が与えられている。問題の「ff」は、作品の最後でテキストが「私の胸は苦痛のあまり張り裂けそうです」という部分に相当する。

ブラームスの初期ピアノ作品に見られる「大袈裟気味」の表現が、同時期の歌曲にも現れているとも解し得る。その後ドイツリートの世界で確固たる地位を築くことになるブラームスは、どんなテキストに付曲する際も声のパートに「ff」を要求しないということなのだ。売るほど出現する「pp」との位置付けの違いは歴然である。

2009年1月22日 (木)

クララの確信

1859年1月22日ドイツ・ハノーファーにてピアノ協奏曲第1番が初演された。ということはつまり、150年前である。

評判は芳しくなかった。さらにこの5日後ライプチヒでの演奏では輪をかけた不評、文字通りの逆風となった。管弦楽のためのセレナーデ第1番に続く管弦楽曲であり、交響曲あるいは、2つのピアノのためのソナタとして構想されやがてピアノ協奏曲への姿を替えるという難産の末に生まれた曲だけにブラームスの落胆は大きい。

親しい知人への手紙に落胆ぶりが現れている。もしかしてアガーテとの不和の原因にもなってしまったかもしれない。

クララ・シューマンは曲に対する逆風ぶりを、ブラームス本人の口から聞かされる他にも、直接間接に耳にした。そのたびに「大丈夫です」というシンプルな反応に終始したという。難産の過程を知る者の一人として、クララは作品がやがて認められると確信していたのだと思う。

クララの毅然とした態度がどれほどブラームスを力づけたかは想像に難くない。

結果はクララの思った通りだ。CDショップにおける売り場の広さ、あるいはコンサートホールにおける演奏の頻度、どちらをとっても第2番と遜色はない。

2009年1月21日 (水)

SEO

今やメジャーなネット用語だ。「Seach Engine Optimization」の略で「検索エンジン最適化」とでもいうのだ。検索エンジンの抽出結果においてより上位に表示されることを狙った対策や技術のことだ。

申すまでもなく検索エンジンの狙いは、ユーザーにとって役立つことだ。役に立つサイトが上位に表示されるようなロジックが採用されている。当たり前の話だ。

一方で様々な理由、とりわけ商売上の理由で検索結果上位に表示されたいと願うサイト運営者は多い。検索結果上位に表示されるか否かは、商売上の死活問題になる。

だから、検索エンジン運営者が想定する「ユーザーにとってのお役立ち度」の順位で表示されては困る人たちも少なくない。「ユーザーにとってのお役立ち度」という観点から見たサイトの実力以上の順位で表示されたいのだ。実力はともかく順位だけは上げたい層にとってSEOが俄然重みを増すことになる。

「SEO」というキーワードで検索してみると膨大な情報がヒットする。専門用語満載で私の理解を超えるテクが多い中、以下のような対策だけはなんとか理解出来た。

  • マメに更新する。
  • リンクをいっぱいする。
  • ブログランキングに出来るだけ参加する。
  • 世の中で注目されているキーワードに敏感に反応する。

ブログ「ブラームスの辞書」には縁がない世界だ。商売上の死活問題とまで思い詰めるようなことはないからだ。著書が売れれば嬉しいのだが、SEOに手を染めるほどのことはない。

「ユーザーの役に立つブログになること」がもっとも確実なSEOだと思うが、実はこれにも積極的ではない。あくまでも自分のメモで、ひと様の役に立つかどうかは手探り状態だ。

正月早々10位以内とはしゃいだばかりだが、※ーグルでの検索順位が今日はシード権確保圏外に去った。その一方で30位だった※フーでは20位だ。これらにいちいち一喜一憂していては身が持たない。

2009年1月20日 (火)

ピンポイントネタ

我がブログの連続記事更新が、阪神タイガース金本知憲外野手の連続試合フルイニング出場の世界記録を抜いたという記事を昨日公開した。昨日の記事は2009年1月19日という日を逃すと、公開のタイミングは二度と無い。ぬるいタイミングで後から公開するのではカッコが悪い。昨年5月7日のあの死球後のホームランを見て、公開の日を2009年1月19日と決めていた。

記録に追いつく日、すなわち一昨日1月18日に公開出来ない事情があった。つまりその日は父母の金婚式にあたり記事「金婚式」を公開せねばならないからだ。

という具合に「その当日でなければならぬ記事」をピンポイントネタと呼んでいる。実はピンポイントネタと一口に申してもその程度には差がある。昨日と一昨日の記事は真性ピンポイントネタだ。公開優先度は最上位に位置する。そうした記事が2日続くのは大変珍しい。

これに比べブラームスやクララの誕生日ネタはブログ開設当初はピンポイントネタ扱いだったがこのところ優先順位が下がっている。理由は簡単だ。来年の誕生日に公開しても不自然ではないからだ。真性ピンポイントネタと重なったら来年回しで良い。この方法でストレスを感じなくなったのは、記事の備蓄の効果である。来年回しにしても、来年の誕生日までの365日間、記事が備蓄されている安心感は貴重だ。

それどころかブラームスやクララの誕生日ネタやクリスマスあるいは正月のイベントネタは4年先まで埋まっている状態だ。さすがに記事の備蓄は4年分という訳にはいかないから、それらの記事は誕生日や正月以外の別の日に仮安置されている。これは嬉しい悲鳴である。

金本選手を抜き去たった今、抜き返されるまいと考えるのは受け身が過ぎよう。真性ピンポイントネタの次なるターゲットは、松井秀喜、ルーゲーリッグ、衣笠祥雄、カル・リプケンたちの持つ連続試合出場記録である。

2009年1月19日 (月)

フルイニング出場

野球の用語だ。試合開始から終了まで出続けることである。途中で試合から退いたり、途中から出場したりというのでは、フルイニング出場とは言わない。代走を出されたり、代打を送られたりしないような攻撃力に加え、試合の終盤に守備固めのために交代させられることのない守備力も必要になる。さらにケガの無い身体も絶対に必要だ。代打で1打席でも出場すれば途切れない「連続試合出場」よりもさらに難易度が高い。

昨年東京ドームでのジャイアンツ戦で金本知憲外野手は頭部に死球を受けた。倒れ込んだまま動かない金本選手。静まりかえる場内。応援の声も上げられぬ衝撃。程なく起きあがり、一旦ベンチ裏に引っ込む。彼が更新中のフルイニング出場の連続記録が途切れるのか。彼は戻ってきた。元気に一塁ベース上に立ったが、観衆は半信半疑だ。

次の打席で彼はあろうことかホームランを打つ。観衆の心配を一掃するホームランだ。そして試合後のコメントは、相手投手への気遣いを前面に押し出したものだった。

こうして危機を脱した彼は、当然の如くシーズン終了まで記録を継続した。現在も更新中の連続フルイニング出場の世界記録「1330」である。金本選手の鉄人振りはわかっている読者がほとんどだ。問題はそのことに言及する記事が何故、シーズンオフまっただ中の今日なのかだ。

疑問にお答えしなければならない。

本日のこの記事でブログ「ブラームスの辞書」は1331日連続記事更新とあいなった。オフシーズンの間に金本選手のフルイニング出場記録を抜いたということだ。もしあの死球の日で記録が途切れていたら1218試合になっていた。昨年9月28日に追いついていたことになる。けれどもそれは嫌だ。そんな追いつき方は私もブラームスも望んでいない。だからあの日すんでのところで危機を脱したのはブラームスのご加護だ。

あの死球のあった日はブラームスの誕生日5月7日だったのだ。もしあの日で途切れていたら、ブラームスの誕生日は毎年悲しい記憶とともに迎えることになってしまうではないか。そしてさらにもう一つ奇跡がある。本来ブログの記事更新程度で騒いでは金本選手の世界記録に失礼なのだが、彼の誕生日を知って驚いた。

4月3日なのだ。

ブラームスの命日であり私の父の誕生日だ。死球の日が5月7日で誕生日が4月3日だ。思わず記事にしてしまったという訳だ。

この記事のアップにより彼の記録を抜き去る。新しいシーズンが始まればまた記録を伸ばすであろう彼に抜き返されないようがんばるのみである。

2009年1月18日 (日)

金婚式

マリー作曲の小品に「金婚式」がある。一般に結婚50年の別名だ。もちろん夫婦2人が健在であることが前提になる。

1959年1月18日に私の両親が結婚した。だからもし父が生きていたら今日が金婚式の祝いの日になっていたはずだ。私の小さい頃から両親は1月18日を密かに祝って大切にしてきた。なのに1997年1月18日は、妻に先立たれた私と子供たちとの同居が始まって最初の結婚記念日だったが、何もなかった。妻に先立たれた私を不憫に思って両親が配慮したのだ。

父はその年の11月に他界したから、夫婦2人で迎えることが出来た最後の結婚記念日くらいパーっと盛り上がればよかったのだ。

私は、そういう両親に育てられた。

今夜はせめて母の好物のワインで乾杯だ。

いかんいかん。ブラームスに関係が無い。

2009年1月17日 (土)

出会えて良かった

どこぞの歌の文句にあったような気がする。一生のうち何度かこういう類の出会いがあるものだと思う。

私にもあった。もちろん「ブラームスに出会えてよかった」とは腹の底から思っているのだが、そのブラームスの中でも特に「歌曲」に出会えたことは特筆すべきである。「歌曲に出会えてよかった」という感謝の気持ちでいっぱいだ。

中学時代にクラシック音楽に目覚めてベートーヴェンに傾斜した少年が、大学入学と同時にオーケストラに入りヴィオラとブラームスに相次いで出会う。管弦楽曲、室内楽曲、ピアノ曲という具合にブラームス作品に親しんで、あっという間に生涯の作曲家に昇格した。そこで一旦停滞した。一連の器楽作品と一部の管弦楽付きの合唱曲に触れただけで満足してしまっていた。ブラームスにおびただしい数の歌曲があることを知識としては持っていたが吸収する意欲に繋がらなかった。

2003年冬、「ブラームスの辞書」執筆を思い立って風向きが変わった。ブラームスの使った音楽用語を出来るだけ公平に扱うためには、ブラームス作品への知識にジャンルによる偏りがあるのは決定的に不都合だった。器楽曲に比べて歌曲を含む声楽曲への知識が薄いのは明らかだった。意図的に歌曲の知識を吸収し始めたのはそこからだった。

結果としては「ブラームスの辞書」の刊行という具体的な果実となった。もし一生ブラームスの歌曲に向き合うことがなかったら取り返しのつかぬ損失となるところだった。

歌曲に出会えて良かった。

2009年1月16日 (金)

下書き日

今年から始めた新機軸がある。

記事管理のパラメータを一個新設した。それが「下書き日」だ。記事をはじめて下書き保存した日を記録することにした。記事の誕生日だ。これが必ずしも公開日とイコールではないことは、以前からたびたび申し上げているところだ。一方ネタを思いついた日でもない。そこまではちょっと無理なので、せめて下書き日とした次第である。もちろんココログの機能にはなっていない。元々私は、ココログのシステム外で記事の管理をしている。毎度毎度のエクセルだが目的は主に未発表記事の整理だ。その管理のパラメータに「下書き日」を追加したということだ。

今年に入ってから新たに下書きをした記事から「下書き日」打ち込んでいる。昨年中に下書きした記事は、ここがブランクになっている。10年20年とブログが続くと「現存する最古の未公開記事」みたいな切り口で盛り上がれるという寸法だ。あるいは記事を思いつくペースが、下書き日を切り口として把握出来るようになる。自分の脳味噌のことなのに全く不可解だった思いつきの波動について何か解るかもしれない。

一旦下書きされながら、あれこれといじり回した末、結局没になった記事もその痕跡だけは記録しておこうと思う。

これらみな、いわば「未来のネタ作り」である。

2009年1月15日 (木)

賽銭泥棒

ブログ「ブラームスの辞書」左サイドバナーに鎮座するブラームス神社への賽銭が、めでたく1億円を突破したことは昨年12月21日の記事で述べた。

さらに嬉しいことに1月5日には賽銭が2億円に達した。4日と5日の金額が大きくて驚いた。さすがに正月である。

このブログパーツは、賽銭を投ずる機能の他に、賽銭を盗む機能も備わっている。投ずるか盗むかはビジターの気持ち次第だ。一応「記事が気に入ったら賽銭」「気に入らねば泥棒」というようなノリを想定しているが、実態は不明だ。

管理人は、1日の賽銭の総合計と賽銭を投じた人と盗んだ人の合計が参拝者人数として把握出来る。賽銭の合計がいくらで、盗まれた被害総額がいくら差引いくらという明細までは判らない。だからその日に盗まれたかどうかさえ判らないのだ。1日の合計額がマイナスの場合だけは、被害に遭ったことが確実だ。そういう日が今までに数回あった。

昨日は訪問者7人で、総額が2214円だった。被害に遭った可能性が高い。

賽銭泥棒ではなくて税務署かもしれない。

確定申告をせよという警告だろう。

2009年1月14日 (水)

mit Laune

もちろんドイツ語だ。「mit」は英語でいうところの「with」に近い。「Laune」は「気まぐれ」と解される。「気まぐれに」というのが一般的な理解となる。これでもちろん罰点はない。

ブラームス晩年の歌曲「Slamander」op107-2冒頭に出現する。作品番号付きの作品ではここが唯一の出番だ。シンプルな8分音符の伴奏がさめざめとした寂寥感を添えている。音楽之友社刊行の「ブラームス歌曲対訳全集」第2巻の263ページの曲目解説にこの「mit Laune」についての言及がある。曰く「見せかけの陽気さで」とある。

独和辞典を引いても「Laune」単独で「陽気な」という意味は見当たらない。

そこで1861年レムケが発表したテキストの意味を吟味すれば一層味わいが深まる。「Salamander」は火の中に投じられても死なないという伝説上の動物だ。好きな女から火の中に投じられるかのような仕打ちを受けている男が、自嘲気味に歌うという内容なのだ。そもそもここで言うところの「気まぐれ」には愛する女性の仕打ちを暗示する意味があると思われる。歌の後半でイ長調に転じて明るさを増すことで、その自嘲的な意味合いはさらに増強される。一般に「恋の歌」が陽気であるなら、それは恋の成就なり喜びなりの描写になりそうなものだが、ここではその逆を行っている。

先の解釈「見せかけの陽気さで」というのはここいらの事情を加味した意訳だと思われる。何だか妙な説得力がある。

2009年1月13日 (火)

ソロコン

ソロコンテストのことなのだろう。

次女が所属する中学校からも参加するらしい。出場枠は4だそうだ。その枠を決めるのに校内オーディションをするという。団員全員が仲間の前で1曲演奏し投票によって4つの枠を決めるらしい。

昨日その演奏と投票があった。ブラスバンド3年生を除く全員40名による演奏会だ。40名のメンバーが自由に選んだ曲を持ち寄って、思いのタケをぶつけるのだ。制約は5分以内という演奏時間だけである。休み無く演奏するだけでも200分という可能性もある。聴きたい。娘の出来はともかくこれはお宝である。

そして40名の演奏から4名を選ぶ。10倍の狭き門だ。

今日、投票の結果発表があった。4人に残ることは出来なかった。選ばれたのは2年生3人と3年生が1人だ。トロンボーン、クラリネット、サックス、チューバだそうだ。

残念な結果を霞ませるような嬉しいことがあった。制限時間5分のエントリーために次女が選んだのが、なんと私が移調した「アヴェマリア」だったのだ。私があげた楽譜が黒々とした書き込みでいっぱいになっていた。言葉にならない。「トロイメライ」「白鳥」「ユーモレスク」は複数のエントリーがあったというが、「アヴェマリア」はたった一人だったらしい。本人はヴァイオリンで弾くよりもやりたいことが出来る感じだと言っている。

早くも来年はもっと難しい曲で挑戦すると宣言した。遅いテンポの曲は印象に残りにくく不利だからなどと、戦術を練り始めている。

よしこうなったらハンガリア舞曲でも編曲してやろう。すっかり味をしめたお父さんである。

2009年1月12日 (月)

二十歳そこそこ

二十歳と言えば若い。15歳と13歳の娘たちは成人式のニュースを見て「二十歳のおばさん」などと無惨なことを申しているが、一般には若い。

プロスポーツの世界で二十歳のプレーヤーがスタメンの常連にでもなれば「若武者扱い」である。プロの演奏家を志す者が楽器を習い始める年齢としては遅いが、それはむしろ特殊なケースだ。

古今の大作曲家でも二十歳の頃は無名時代であることが多い。

ブラームスは1853年10月にシューマンと出会った。才能を確信したシューマンがセンセーショナルな記事を書くとともに出版を進めた結果、1853年12月に作品1が出版されている。ブラームス20歳7ヶ月のことだ。もちろんこののちシューマンの紹介記事を裏切らぬ作品を放ち続けたことが成功の理由だが、20歳で作品が出版されたことは運も味方していたと感じる。

たった一度のチャンスに才能の一端を示しきった若きブラームスと、それを「凄い」と直感したシューマンの出会いは思うだに貴重である。

2009年1月11日 (日)

検索エンジン

正確な定義はと改めて問われるとたちまち行き詰まる素人だ。

「キーワード゙検索サイト」程度の認識しか持てずにいる。この業界もなかなか競争が厳しくて各社様々な工夫を凝らしてユーザー獲得に鎬を削っているらしい。1月6日の記事「しみじみ嬉しい」で※ーグルの検索エンジンで表示が1ページ目になったと書いた。ついでに他の検索エンジンでの表示状況を調べてみた。

各社とも特徴を出そうと工夫を凝らしていることはおぼろげながら推定できる。同じ言葉をキーワードにして検索しても、ヒットするサイトやその順位には差が出るからだ。各社自慢のロジックが組み込まれていることは間違いない。検索によって確率高く用が足せる検索エンジンにユーザーが集まるに決まっているからだ。各社とも検索結果を表示するのに1秒もかからぬとは恐れ入る。中には数万件ヒットする場合もある。抽出は簡単だが、そこから目的の情報にありつけるかどうかは運も必要だ。普通のユーザーが根気よくスクロールを重ねるとは思えない。だから検索順位の上位に表示されなければ元も子もない。

「ブラームス」というキーワードで検索をかけてブログ「ブラームスの辞書」が表示される順位を探ってみた。本日1月11日8時現在の状況だ。刻々と変動するから油断禁物だが、悲観することもない。

  1. ※ーグル 9番目。全世界では80%を越えるシェアを持つから、ここでのこの順位は嬉しいとはしゃいだばかりだ。今日もギリギリで1ページ目を維持。
  2. ※フー 30番目。日本最大のシェアを誇るが、案の定な順位だ。
  3. ※ィンドウズ ライブ サーチ 17番目でまずます。箱根駅伝なら本大会出場が可能だ。 
  4. ※ー  10番目。これも相当嬉しい順位だ。どうやら※ーグルと提携関係がありそう。
  5. ※ンフォ シーク  28番目。
  6. ※イドゥ  11番目。ギリギリのシード落ち。
  7. ※スク 27番目。
  8. ※クサイト  28番目。
  9. ※レッシュアイ 28番目

こうして見ると10番前後にランクされる場合と30番前後にランクされる場合とに大別出来る。17位に表示される※ィンドウズライブサーチと合わせて検索ロジックが3系統あることを伺わせる。各社とも大抵1ページに10件だから、ページをめくらずに表示されるには10番以内になる必要がある。一桁順位で私が興奮する理由がお判りいただけると思う。

「W」で始まるネット上の百科事典サイトの「ブラームス」より上位に表示されると相当カッコいいと思うが、道は険しい。

2009年1月10日 (土)

丑年

干支という風習は面白い。私自身はお正月以外はあまり意識しない。もっと厳密に言うなら年賀状を書くタイミングだけだ。家族の誰かが年男か年女である場合、少し意識の度合いが高まる。今年は丑年だ。

ブログ「ブラームスの辞書」は2005年生まれのトリ年だし、ブラームス本人は確か巳年だ。家族には一人もいないからブログのネタにはしにくい丑年だが、ところがどっこいな事情がある。

ブログ「ブラームスの辞書」の到達目標である2033年は丑年にあたるのだ。次の次の丑年にめでたくゴールとなる。考えるだに恐ろしい目標だ。長期計画と呼ぶことさえ図々しいと感じる。単なる無謀だ。

ここは見方を大きく変えねばならない。

今年生まれる赤ちゃんを慈しみ育てて24歳まで見守ると思えば、何ともない。少々遅い子持ちで苦労は少なくなかろうが、それをやり遂げる親は世の中にたくさんいる。

2009年1月 9日 (金)

Salamander

火の中に投じられても生きていると言われる伝説上の動物。最初の「S」は濁って「ザラマンダー」と発音される。しばしば「火とかげ」と訳される。ポケモンにも「ヒトカゲ」がいる。ザラマンダーがモデルなのは間違いない。火の中に入っても死なないどころか「リザード」「リザードン」という具合に進化する程だ。いわゆる「ほのおタイプ」のポケモンなのだ。

「火の中でも死なない」ということが特色になるというのは、大抵の動物は「火の中では生きられない」という常識が下敷きとなっている。

ブラームスに「Salamander」というタイトルの歌曲がある。作品107-2だ。レムケという詩人のテキストに付曲されているが、1分に満たない小曲だ。内容はもちろんポケモンとは関係がなくて、愛する女性から邪険な態度をされても諦めない男がザラマンダーに自分を重ねて自嘲気味に明るく振舞っているかのようだ。つまり「火の中に投じられるかのような残酷なふられ方をした」ということなのだ。それでも男は女を嫌いになったりしない様子をザラマンダーを小道具に描ききっている。流れるような8分音符が炎のようだ。

内容からして男声の歌のようだ。実際我が家には、フィッシャーディースカウ、プライ、テオ・アダムの3名のCDしかなかったが、このほどアイネス・モラレダという歌手が歌っているCDを入手した。スペイン生まれのメゾ・ソプラノだが女声で歌われるのもなかなか良い。

2009年1月 8日 (木)

妹の視線

長女の受験レースはいよいよ胸突き八丁だ。この冬休みの集中ぶりはすさまじかった。それを見ていた次女がポツリと言った。

「お姉ちゃん去年の5月にヴァイオリンやめて良かったんじゃない」「お姉ちゃんは、やっぱり音楽が好きじゃないんだよ」「もう私のほうがヴァイオリン上手いし」

「ほう」「何で」とさらに水を向ける。

「好きじゃないのに無理してても気の毒なだけだと思う」「私は音楽好きだからトロンボーンにもヴァイオリンにもがんばれる」

細かいところまで観ているものだ。

「その代わり、今のお姉ちゃんの勉強への集中は凄い」「とても真似出来ない」「そんなお姉ちゃんにヴァイオリンさせてたらかわいそうだ」

肩の荷が降りた。昨年6月長女のヴァイオリンを止めさせる決断以来ずっと背負ってきた荷物が軽くなった。一連のやりとりにはお姉ちゃんがヴァイオリンをやめたことに対する批判がましいニュアンスは全く無く、むしろ受験勉強の集中力を素直に賞賛するトーンに溢れていた。味噌っかすだとばかり思っていた末の娘に教えられた感じがする。

この子とブラームスを目指すのも悪くない。

2009年1月 7日 (水)

ハンガリア舞曲第4番

全21曲からなるピアノ連弾用の「ハンガリア舞曲集」は楽譜の売れ行きという観点から眺めた場合のブラームスの出世作だ。管弦楽版やピアノ独奏版を始めとする編曲版も数多く出ている。特に管弦楽版では本人の編曲は1番3番10番だけで、残りは他者の手による編曲だ。演奏会のアンコールでよく取り上げられる。ブラームスの作曲ではなく編曲とされているところがミソである。

有名なのは断然5番だ。運動会のかけっこの場面にもよくなじむ。

私は4番嬰ヘ短調が好きだ。

がちがちのべートーヴェン好き好き少年だった私が大学オケのデビュウでブラームスの第2交響曲を弾き、その次の演奏会で大学祝典序曲を弾いたことでブラームスに傾倒したことは既に何回か述べた。実はこのハンガリア舞曲の4番は第2交響曲を弾いたデビュウ演奏会でのアンコールピースだった。パウル・ユオンという人の編曲らしい。

あの演奏会は1979年1月7日だった。つまりあれから30年ということだ。

2009年1月 6日 (火)

しみじみ嬉しい

しみじみと嬉しいことがある。

ストリートビュウで話題にもなっている大手の検索エンジンで、「ブラームス」と検索してみるといい。我がブログ「ブラームスの辞書」が最初のページに表示されるようになった。上位10位以内ということだ。もちろん「ブラームスの辞書」と検索すればトップに表示されるのだが、「ブラームス」単独での検索だと分が悪かった。

検索エンジンでの表示順序は、各社秘中の秘である。ユーザーの役に立つにはどうしたらよいかというロジックが幾重にも構築されている。SEOとのいたちごっこという側面もある。頻繁にロジックの手直しが行われているらしい。

なんだかんだでその順位が10位以内というのは嬉しい。データは10件で次のページに繰り越される。10位以内に入るとめくり無しで見ることが出来るのだ。よほど切羽詰まった検索でも無い限り、ユーザーにとってページをめくるのは面倒だ。だからめくり無しでアクセス出来る位置というのは、弱小ブログにとっては天国である。実は昨年末からどうもそんな感じだった。

「ブラームス」について調べようと思い立った人が「ブラームス」という言葉で検索するのは自然だ。だから「ブラームス」と検索された場合の表示順こそが重要だ。ブログ立ち上げ当初は100位にも入らなかったから感慨深い。検索するたびに微妙に順位を変えるがここ3週間程10位以内だ。ロジックの手直しで、また圏外に落ちるということもあるギリギリの位置。なんだか箱根駅伝のシード権争いみたいだ。

昨年末は7位か8位だった。ぬか喜びは恥ずかしいので様子を見ていたが、圏外に落ちないうちにカッコをつけずに喜ぶことにした。

2009年1月 5日 (月)

狼煙

「のろし」と読む。「烽火」とも書くようだ。高い山の頂上など見通しの利くところで火を焚いて特定の意図や事実を遠隔地に伝える方法のことだ。現代ほど通信手段が発達していなかった時代における重要な通信手段だ。軍事目的で使われたことは疑う余地がない。敵の出方に対する機敏な反応こそが勝ち戦につながるのだ。単なるご機嫌伺いの狼煙は考えにくい。

だから時として反撃の狼煙という言い回しが見られる。劣勢から挽回に転ずる分岐点を指す。

昨年12月27日の記事「呆然自失」でブログの継続目標に到達するまでの道のりの長さに狼狽した。呆然が闘志に切り替わるまでに時間がかかるとも述べた。ところが思いがけず励ましのコメントを頂戴した。おかげさまで年も改まり気分を一心することが出来た。

昨年後半を支えた大型企画「地名探検」が「ブラミシュラン」をもって一段落したことを受けて、今年上半期のテーマを決めた。それは「歌曲」だ。1月3日には、暖かいコメントへの御礼を込めて第一弾「佳き人よく見」を公開した。

つまり反撃の狼煙である。目標到達までの残り日数は8887である。つまり記事の必要本数は8888本ということになる。縁起がいい。

今日は新年仕事始め。

2009年1月 4日 (日)

三が日の人出

日本人のランキング好きを顕著に示す実例に初詣人出ランキングがある。1月1日から3日までの3日間つまり正月3が日に寺社仏閣を訪れた人の数だ。寺社側の発表と警察の発表とで数値が違うのも恒例だ。上位はほぼ不動でン百万人が集まっている。

ブログ「ブラームスの辞書」左サイドバナーに鎮座するブラームス神社にも初詣客がやってきている。

昨日までの3日間の人出は正確にはわからない。お賽銭をくれたか、賽銭泥棒した人の数は29人だった。お賽銭は199万3537円集まった。

自動車を運転して来ている人なんぞ、いないに決まっているから、本来は甘酒の一杯も振る舞わねばならないのだが、そこは気持ちだけということで。

参拝まことにありがとうございます。

2009年1月 3日 (土)

佳き人よく見

佳き人の 良しとよく見て 良しと言ひし 吉野よく見よ 佳き人よく見

万葉集巻1に天武天皇の御製として納められらた歌だ。吉野を誉める内容である。高貴な人が誉めることは言霊的に、意味があるとされている。国誉めと同列だと思われる。ここで言う吉野が桜で名高い奈良県の吉野だと解してよいのか議論もあるようだ。

難しい論争は専門家にお任せするとして、気になることがある。この歌には「よ」が頻発するのだ。全部で9回も「よ」が出現する。第3句が字余りだから合計32音の4分の1超28.1%が「よ」ということになる。異様な密集ぶりである。「よ」を意図的に重ねたと推定出来る。

よ○○○○ よ○○よ○○○ よ○○○○○ よ○○よ○○よ よ○○○よ○○

各句の先頭は全て「よ」である。

「ブラームスの子守歌」で名高い「Wiegenlied」op49-4は変ホ長調4分の3拍子、全長18小節の小品だ。18小節全てにおいてピアノの左手は必ず低い「Es」音で始まっている。「オルゲルプンクト」あるいは「ペダル音」というにはあまりに可憐だ。

天武天皇の御歌の「よ」は、この「Es」18回に通ずるような気がしてならない。

こじつけもここまで来ると芸術の域。

2009年1月 2日 (金)

催事コーナー

百貨店と呼ばれる業態においては必須の売り場だ。季節によって置かれる品物が変わる。あの手この手で消費者の財布の紐を緩めようという魂胆が一番顕著に現われる。季節の移ろいや客の嗜好の変化にタイムリーに対応して売上を稼ぐという使命を帯びている。不景気で客足が伸びない時期であればあるほど重要性が増す。

  • バレンタイン
  • 雛人形
  • 新入学
  • 五月人形
  • お中元
  • 歳暮

これらの季節物の間に、様々なイベントが工夫を凝らして並ぶ。北海道物産展、家庭雑貨小物、紳士服イージオーダー、上得意様招待会、ブラウダルフェア、骨董美術品などだ。デパートの催事コーナーの担当者は休む間もなく企画を考えているのだと思う。

ちょうど今は初売り福袋セールが目立つ。

かく申す私はブログ「ブラームスの辞書」の催事コーナーをも一手に引き受けている。元日はおバカ系イベントネタが恒例になってしまった。クララとブラームスの誕生日と命日にも関連ネタを組む。鹿島アントラーズが優勝すれば祝勝ネタを放つ。もちろんクリスマスを全く無視という訳にも行かない。ブログのオープン記念日は創業祭である。地名やバッハもかなり貢献してくれている。まさに百貨店と同じである。実際の百貨店の催事コーナーの企画は、記事ヒントになることもある。

2033年のブラームス生誕200年まで記事を確保するにはこの手の催事ネタは不可欠だ元日用のネタは2012年までは確保済みだし、誕生日ネタ備蓄もほぼ同等の厚みがある。

大変は大変だが楽しみも多い。こうした催事ネタを考えて行く過程で、記事をよく思いつくのだ。

昨日の「ブラミシュラン」は、全国うまいもの展みたいなものだ。

2009年1月 1日 (木)

ブラミシュラン

ブラームスの伝記には食事のシーンが数多く現れる。音楽界の大御所の割には慎ましやかな生活をしていたとされるブラームスだが、おいしいものは好きだった。独身だったこともあって食事は外食中心である。昨年7月以来取り組んだ地名探検の副産物として派生したのが本日のネタだ。

ブラームスの伝記に現れるカフェやレストランの一覧表を作成した。これのどこが正月にふさわしいのかわからぬが、地名に明け暮れたここ半年の総括として公開する。ネタの出所は音楽之友社刊行の「ブラームス回想録集」全3巻である。

ミシュランはタイヤメーカーとして名高いが、むしろレストランガイドの発行元としての知名度もこれに劣っていない。本日の記事はレストランを序列化こそしていないが、これにあやかってブラームスミシュランと位置づける。ブラミシュランはその省略形である。

  1. 赤いハリネズミ ウィーン・ヴィルトプレートマルクトにあるブラームスのお気に入り。どんな伝記にも必ず現れるポイント。シューベルトの伝記にも現れるが住所が違っている。
  2. ヴァルターカフェ イシュルのカフェ。1894年か95年の夏にフローレンスメイと立ち寄っている。
  3. ヴィザヴィ ウィーン国立歌劇場のカフェ。ゴルトマルク等と夜中まで歓談。
  4. ヴィルツハウス 1896年秋体調を崩して訪れたカールスバートのレストランと思われる。
  5. 美しいランプ亭 ウィーン市内。1860年代の行きつけだった。
  6. エールバーの小さなピアノサロン 正式名称不明。ピアノメーカー「エールバー」のサロンだ。第3交響曲の2台のピアノ版の演奏のあとそのまま食事になだれこんだと、ホイベルガーが証言する。
  7. ガウゼ ウィーン・ヨハネスガッセのレストラン。
  8. 楽友協会レストラン 正式名称不明。1894年4月23日ヘンシェルを交えた会食があった。
  9. 金の鐘亭 ウィーン7区ノイバウガッセ。金の球亭との混同があるかもしれぬ。
  10. 金の球亭 金の鐘亭との混同があるかも。
  11. 熊亭 正式には「ベーレン」という。リヒテンタールの宿屋兼レストラン。ここの女将に色紙を贈った。
  12. クレムザー 1892年11月28日にホイベルガーと立ち寄ったウィーンのカフェ。
  13. ホテル・ザッハー 1886年11月24日 チェロソナタ第2番初演の打ち上げ。
  14. ジェニオ ローマはトレビの泉に程近いカフェ。1888年のイタリア旅行で訪れた。
  15. 鹿亭 1896年5月6日、63歳を祝うパーティがあった。
  16. シュテーク亭 イシュル近郊のシュテーク、トラウン川沿いのレストラン。
  17. シュテルツァー ウィーン郊外ロダウンにある。ホイベルガーとのピクニックでしばしば立ち寄った。
  18. チェコ グラーベン通りのカフェ。ゴルトマルクがブラームスと初めて会った。
  19. 地下ビアホール 正式名称不明。1868年4月10日ドイツレクイエム初演の打ち上げだからブレーメンのどこかだろう。
  20. チボリ ウィーン・シューンブルン宮殿のそば。
  21. チャールダ プラーター公園の中にあるハンガリー風居酒屋。女性楽団「リヒター」の演奏がお気に入りだった。
  22. 鉄道亭 ミュルツシュラークのレストラン。駅の構内だと思われる。
  23. カフェ・パウアー ウィーンオペラ座の向いにある。
  24. ハッケル ゴルトマルクと1882年8月21日に昼食をとった。
  25. ハンブルクの酒場 名称不明。10代のころアルバイトでピアノを弾いた。一軒ではないことも考えられる。
  26. ファーンベルクのホテル 名称不明。リューゲン島滞在中のヘンシェルの宿。ブラームスがやってきて昼食をとった。
  27. ポスト イシュルのホテル。1895年6月11日ホイベルガーに食事をおごった。
  28. 緑の樹亭 ミュルツシュラークだ。ブラームスの隣家が火災になった時、危なく救い出した第4交響曲の楽譜を一時保管したところ。
  29. ミュルツターラーホーフ ミュルツシュラークのホテル。

あけましておめでとうございます。

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ブラームスの辞書写真集

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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