歌曲の中のフォルテシモ
「ff」と略記される「forttissimo」は「forte」(強く)の最上級という位置づけだという建前がある。「もっとも強く」と解されている。ブラームスにはしばしば「ff」が起点になる「crescendo」が登場するので、最上級という解釈のみでは、たちまち限界が露呈する。
さらに「ff」のキャラクターを考える上で見逃せないことがある。生涯のあらゆる時期に満遍なくばら撒かれている約200曲の独唱歌曲の中では、「ff」は下記の5回しか現れない。
- 「リート」op3-4 45小節目
- 「誓い」op7-2 43小節目
- 「帰郷」op7-6 3小節目
- 「裏切り」op105-5 59小節目
- 「裏切り」op105-5 74小節目
まずもって気付くことは、全て短調の作品である点だ。2番目の作品以降の4例は、全てピアノパートに現れている。最初のop3-4だけがピアノと声両方への「ff」になっている。つまり声のパートに「ff」を要求する唯一の瞬間だということになる。作品は大いなる苦しみを抱えた娘の心情を歌ったテキストに、起伏の大きな音楽が与えられている。問題の「ff」は、作品の最後でテキストが「私の胸は苦痛のあまり張り裂けそうです」という部分に相当する。
ブラームスの初期ピアノ作品に見られる「大袈裟気味」の表現が、同時期の歌曲にも現れているとも解し得る。その後ドイツリートの世界で確固たる地位を築くことになるブラームスは、どんなテキストに付曲する際も声のパートに「ff」を要求しないということなのだ。売るほど出現する「pp」との位置付けの違いは歴然である。
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