モノグラフィー
「モノグラフィー」を辞書で引けば特定の一分野についての研究または、それを記録した著述とある。何のことだかさっぱりわからぬ。
音楽学の世界では、特定の作曲家について網羅的体系的に論述された研究書くらいの意味である。もしこの通りとするならば、「ブラームス伝」「「バッハ伝」はモノグラフィーだが、「ブラームスの交響曲」「バッハのカンタータ」はモノグラフィーではないことになる。体系的はともかく網羅的というのは相当に難しい。抜けている分野が一つでもあったらモノグラフィーではなくなるからだ。本当だろうか。
この概念は19世紀後半に進んだバッハ研究を端緒として発展したという。シュピッタが著した「バッハ伝」は、それに続く作曲家伝の体裁の手本となった。つまりシュピッタは作曲家モノグラフィの形をバッハを通じて後世に示したことになる。着眼のしかた、資料の収集と処理、全体の構成が後に続く作曲家伝の雛形になったのだ。バッハに関して言えばその後個人の業績としてシュピッタのバッハ伝を超える著述が現れていないという。あんまり範囲が広すぎて個人の手には負えなくなったというのが真相らしい。「バッハの筆跡」「バッハの使った紙」「コピイスト」「パロディ」などの周辺の各論だけでも膨大な厚みになってしまうからだ。
ブラームスについて申せばカルベック、ガイリンガーの著述が名高い。そしてもちろんマッコークルの作品目録も忘れてはならない。
「ブラームスの辞書」は記事の分量だけはたまってきたが、モノグラフィとは言えない。体系的でもなければ網羅的でもないからだ。何よりも私のブログは学問ではなく趣味である。「モノグラフィ」という言葉に感じてしまうあこがれの深さとは別の話だ。
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