尾を咬む
最後に至って最初に戻る。
音楽作品にもその手は多い。ブルックナーではそれをしないと交響曲が終われないかのようにも見える。ブラームスにも終楽章の結尾で第1楽章の主題が回帰するケースが以下の通り存在する。
- 弦楽四重奏曲第3番
- 交響曲第3番
- クラリネット五重奏曲
さらにもっと後退してブラームス自身の創作活動全体を俯瞰する。ピアノソナタ第1番の緩徐楽章のテーマが、創作人生の末期に回想されることについては昨日の記事で述べた通りである。「49のドイツ民謡集」WoO33の終曲49番だ。
ブラームス自身この事実に言及して「尾を咬む」という比喩を用いている。あるいは、同じくピアノソナタ第1番の第2楽章54小節目とクラリネットソナタ第1番の冒頭にからんで「尾を咬む」の比喩が取り沙汰されることもあるようだ。
クラリネットソナタ第1番は120という作品番号を背負う。「49のドイツ民謡集」WoO33と同様に最晩年の作品である。これら最晩年の作品が、作品番号1のピアノソナタと主題的に関連があるというのは大変興味深い。いくらブラームスでも、作品1のピアノソナタの作曲時点で、創作人生の最末期におけるこのオチを想定してはおるまい。創作人生の終焉を自覚した中で湧いた構想だと思われる。作品1の選定に当たっては、あれこれと考えたハズだから、ちょっとした弾みで別の作品が作品1になっていた可能性もある。
作品1が仮にどんな作品になっていたとしても、そこに出現する主題を用いた作品を書くことなど朝飯前だろう。そのことを芸術上のパートナーであるクララに仄めかすために用いたのが「尾を咬む」という言い回しだった。
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