歌手たちのブラームス度
クラシックの歌手たちはアルバムをリリースする際、選曲にどの程度自分の意見を反映させているのだろう。個人差はあろうと思うが、相当程度歌手本人の好みやセンスがアルバムの選曲に反映されていると想像する。ディレクターの意向やCD会社のマーケティング方針も加味されてはいるだろうが、本人の好みが無視されているとは思えない。
以上のことを前提にすると、世の中に存在するCDの選曲ぶりを分析すると歌手たちの「ブラームスのめり込み度」が浮き彫りになるのではないかと考えた。「ブラームス」の「めり込み度」ではなくて「のめり込み度」である。我が家にあるブラームス歌曲のCDを分析して以下のような基準を設定してみた。
- 「fff」:ブラームス歌曲全集を出している。
- 「ff」:ブラームス歌曲全集に参画している。
- 「f」:ブラームスの歌曲だけを集めたアルバムを出し、かつ選曲が意欲的個性的。
- 「mf」:ブラームスの歌曲だけを集めたアルバムを出している。
- 「mp」:ブラームス以外の歌曲と組み合わせてアルバムを出し、選曲が個性的。
- 「p」:ブラームス以外の歌曲と組み合わせてアルバムを出している。
- 「pp」:オムニバスの中でブラームスも取り上げている。
- 「ppp」:申し訳程度。
上記の通り8段階の評価基準である。最上級の「fff」はフィッシャーディースカウとアンドレアス・シュミットの2名だけである。デボラ・ポラスキ、ユリアーネ・バンセ、ディオン・ヴァン・デルワルトの3名が「ff」に相当する。
「f」になると数が多くなる。オッター、シュトッゥツマン、プライス、白井光子、ルミュー、ジェシー・ノーマン、アメリング、ポレ、カリッシュ、プライ、ホル、トレケルを数えることが出来る。
「f」と「mf」の差は選曲が意欲的個性的であるかどうかなので、私の独断が影響してしまう点難しいところだ。ブラームス歌曲だけを集めてCDを出していれば少なくとも評価は「mf」以上になる仕組みである。
ブラームス歌曲だけを集めたCDを出していないと評価は最高でも「mp」止まりになる。厳しいが当然である。
「mp」には、ナイドゥ、カサローヴァ、グルベローヴァ、ベイカー、ファン・ダムなどを想定している。「p」との差はこれまた「個性的かどうか」なので断言は難しい。「pp」や「ppp」になると実名を出すのは差し控えたい。「子守唄だけ」「レクイエムだけ」などとという歌手は残念ながらこの範疇である。念のために申し添えると、「ppp」は少なくとも1曲はブラームス歌曲をCDで残している歌手の最低評価なので、ブラームス歌曲を1曲も残していない歌手たちはさらにこの下になる。また、我が家にCDが無いだけで本当は出しているという歌手は不当に低い評価ということになる。
歌手たちがブラームスを好きかどうかもさることながら、ブラームスで飯を食おうと思っているかの個別の事情も反映していそうだ。
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コメント
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<桐家正博様
いらっしゃいませ。
シュライヤーの名前がないのはたまたまです。
この記事に限らずブログ全体として、私の狭い視界に入った事柄が対象ですので、専門家はもちろん熱心な愛好家の皆様が、疑問をお持ちになるのは無理からぬことです。
投稿: アルトのパパ | 2009年3月19日 (木) 06時27分
初めまして、20数年前偶然ヘルマン・プライの「日曜日」をFMで聴いてから、ブラームスの歌曲・民謡集にはまってしまいました。このようなブログがあることを今夜しりました。今、シュワルツコップとディースカウの「42のドイツ民謡」を聴きながら記入しています。私がよく聴くのは、ペーター・シュライヤーですが、彼の名前がないようですが・・・?
ともかく、今後いろいろお教え下さい。
投稿: 桐家正博 | 2009年3月18日 (水) 21時54分