鋭い質問
受け手の側からの切れ味のいい質問によって、授業や講義の内容がレベルアップすることがある。教師によっては「良い質問だ」と前置きしてから答え始める人も多い。話の核心を深々と貫く質問は、しばしば教師を能弁にさせる。
1859年2月15日付けだから150年前の今日の手紙で、ブラームスは当時のバッハ研究の大家モーリッツ・ハウプトマン(1792~1868)に質問を試みた。ハウプトマンはのちにトマス教会のカントルをつとめる程の大物だ。シュピッタより少し前の世代の重鎮である。
バッハの受難曲またはカンタータの演奏上、通奏低音にオルガンとチェンバロのどちらを採用すべきかについての見解を求めたのだ。実はこの問題、現在もなお議論が続き、決定的な結論に到達していない難問なのだ。鋭い質問である。シュピッタやハウプトマン等、当時の指導的な学者たちは、「教会=オルガン」という刷り込みがよほど強烈だったと見えてチェンバロの参加には否定的だったという。最新のバッハ研究によれば、受難曲やカンタータの演奏にチェンバロが参加していた可能性を示唆する証拠が少なからず指摘されている。まだ判らぬ事も多いがチェンバロの参加を、無下には否定できないというのが最近の見解だそうだ。
こういう質問をした事自体ブラームスがカンタータや受難曲演奏でのチェンバロの参加の可能性を感じていた証拠だと思われる。いわゆるバッハルネサンス真っ只中とはいえ、通奏低音をピアノが受け持つ演奏も頻発していた時代背景を考えると、弱冠26歳のブラームスから発せられたこの質問の意味は重い。ブラームスはピアノによる通奏低音なんぞハナっから想定していなかった可能性もある。
一方この質問自体の鋭さもさることながら、そのタイミングもなかなかシャープである。毎年9月から12月までの3ヶ月限定のデトモルト宮廷勤務の最後の年だ。つまり前年の12月まで勤め、秋までブランクという時期なのだ。1859年9月からの勤務に備えた情報収集と見てよさそうだ。デトモルト在勤中にカンタータ4番を取り上げたことは有名だ。
この質問のわずか3週間前、1859年1月22日はピアノ協奏曲第1番の初演だ。その5日後のライプチヒでは辛酸を舐めた。クララは気丈だったが、ブラームスには落胆があったハズだ。そうした余韻さめやらぬ中、バッハ演奏についての実演に即した質問を発するとは驚きだ。ただちに「ピアノ協奏曲に対する逆風にも負けずに」という美談に仕立て上げるのには抵抗も感じるが、気には留めておきたい。
「鋭い記事だ」と言ってブラームスに誉められたい。
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