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2009年2月19日 (木)

論争の原点

19世紀欧州の楽壇で論争があったことはよく知られている。ブラームス、ワーグナーの両陣営に分かれて活発な論争があったのだ。もちろん両者のうちのどちらが優れているかという議論は不毛だ。夕食のメニューにハンバーグとカレーライスのどちらが優れているかの議論のようなものだろうが、当時は真剣だったのだ。

奇妙なことにこの両者はベートーヴェンを信奉するという点においては共通している。「ベートーヴェン大好き」から湧き出た両者なのに、結果としては論争対立という図式を描き続けたのだ。

ベートーヴェンの最後の交響曲がある。「第九」と通称される交響曲ニ短調のことだ。ワーグナーはこの終楽章に合唱が導入されたことを指して、「ほら、器楽はやっぱし言葉の助けがないと主張出来ないのだ。ベートーヴェンも認めているではないか」という具合である。

一方のブラームスは、「でも、ほらやっぱり合唱なんか入れなくてもちゃんと交響曲が書けますよ」とばかりに第一交響曲を書く。だから終楽章の主題を第九交響曲のフィナーレを飾る「歓喜の歌」と似せているのだ。聴き手にベートーヴェンの第九交響曲を想起させながら、頑として声楽を排除したことに意味があるのだ。もちろんブラームスは管弦楽と合唱の融合した曲が書けない訳ではない。それどころかブラームスはまさにその「管弦楽付き合唱曲」である「ドイツレクイエム」で世に出たのだ。

あのドイツレクイエムのブラームスが、意図的に第九に似せた交響曲にさえ声楽を用いていないことがポイントなのだ。

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