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2009年3月31日 (火)

名刺新調

新年度に備えて名刺を新調した。「ブラームスの辞書」の著者ないしは管理人としての名刺だ。

今までの名刺は「ブラームスの辞書」の刊行直前にパソコンで作った名刺だった。当初は気に入っていたが、手作りだけあって細部にまで気合いが行き届いていなかった。あれからかれこれ4年経過し、作り溜めしておいた分が無くなってきたから新調したという訳だ。

こんどはちゃんと印刷屋さんにお願いした。著書「ブラームスの辞書」を大きく配置した。名前を漢字とローマ字で書いた他は、メールアドレスとブログURLだけを表示した。今時住所や電話番号でもあるまい。

派手にばらまくことはないが、やはり落ち着く。

2009年3月30日 (月)

歌曲の王子

昨日の記事でブラームスには適当な通り名が見当たらないと書いた。本日はささやかな提案。

フランツ・シューベルトが「歌曲の王」と呼ばれていることは周知の通りである。こと歌曲に関する限り、ブラームスはシューベルトの後継者と映る。それも直系のだ。作曲家としてのブレークにロベルト・シューマンのアシストが有名だが、歌曲の作風はどうも違う。伴奏と声の絡みはむしろシューベルトに近いような気がする。ウィーン進出を果たしたブラームスがむさぼるようにシューベルトを研究したことはよく知られている。シューベルトの歌曲はどれをとっても勉強になると語っている。

だからシューベルトが「歌曲の王」ならブラームスは「歌曲の王子」だ。

歌曲特集実施中につき暴論ご容赦。

2009年3月29日 (日)

作曲家の通り名

サッカーの世界で王様と言えばペレ、神様といえばジーコだ。クライフは鳥人で、ベッケンバウアーは皇帝、プラティニは将軍で、ミューラーは爆撃機だ。

古今の作曲家にもこうした通り名が付けられている。

  1. 音楽の父 ヨハン・セバスチャン・バッハ
  2. 音楽の母 ヘンデル 男だけど。
  3. 交響曲の父 ハイドン
  4. 神童 モーツアルト
  5. 楽聖 ベートーヴェン
  6. 歌曲の王 シューベルト
  7. ピアノの詩人 ショパン
  8. 悪魔 パガニーニ
  9. ピアノの魔術師 リスト
  10. ワルツ王 ヨハン・シュトラウス
  11. 管弦楽の魔術師 ラヴェル

まだあると思う。

さてブログ「ブラームスの辞書」としては当然の話題。ブラームスにはこの手の通り名が無いような気がする。「3大Bの一人」としか認識されていないような感じだ。かといって決定版を提案出来る訳ではない。困った。

049

048 

困ったときは気分転換に花見。樹齢400年の枝垂れ桜。

2009年3月28日 (土)

難産

ブログを見た人から「ブラームスの辞書」に購入の申し込みが入る。

そのとき空き番号の中から希望の番号を申し出て頂くことにしている。そうした申し出があると、ただちにカテゴリー「66 空席状況」を修正し、その番号を赤文字にする。品切れの合図だ。

問い合わせいただいた方には、直ちに返信する。素人の駄文にしては、高めの価格設定だから、手にとってがっかりしないように今一度よく考えて下さいと書き送る。

その結果、やはりそれでも買いますというケースと、キャンセルになるケースとに分かれる。無事にお買い上げいただいた場合はよいのだが、キャンセルになった場合には、先に赤文字に変えた番号を、緑文字に戻す。つまり販売中の合図だ。また、その後全く音沙汰が無い場合もある。音沙汰が無いまま1ヶ月が経過したらキャンセルとして取り扱っている。

まったく偶然だとは思うが、「ブラームスの辞書」op52はこうしたやりとりが4回も続いた。「仮押さえ&キャンセル」が4回も繰り返されたのだ。売れそうで売れないという状態だ。我が子同然の「ブラームスの辞書」だから、こういうことが続くと辛い。

このほどそのop52がめでたく売れた。吉報である。ワルツがお好きということで懸案のop52を指名買いしていただいた。嬉しい。一昨日無事の到着を知らせる丁寧なメールを頂戴し、あわせてブログでの言及に快く同意いただいた。苦労した分、ワルツ愛好家のおそばで幸せになって欲しい。そういえばop52は「愛の歌」だ。あのハラハラは愛につきものの試練だったのかもしれない。

お買い上げまことにありがとうございます。

2009年3月27日 (金)

賽銭3億円

昨日ブラームス神社創建以来頂戴した賽銭が3億円に達した。昨年8月30日創建だから半年も経っていない。その間の参拝者数は述べ2200人だ。携帯電話からは賽銭投入が出来ない中、この金額と人数はありがたい。

世の中何かと不景気だから、せめてブログくらいはパーッとした話題を提供したい。

実際に現金が動かないから誰の懐も痛まない。税務署に興味を持たれることもない。それでいて管理人の私にとっては、励みになるから大したものである。お志大切に使わせていただきます。

毎度ご愛顧ありがとうございます。

2009年3月26日 (木)

携帯URL

一昨日のことだ。ブログ「ブラームスの辞書」左サイドバナーの最上段に位置するブラームス神社の上に、見慣れぬパーツが出現した。私が設置を意図した訳ではないから驚いた。畏れ多いことにブラームス神社の上に乗っかる形になっていた。

「携帯URL」とタイトリングされている。つまり携帯電話に我がブログ「ブラームスの辞書」のURLを手軽に送ることができるらしい。携帯電話からブログを見てくれている方がいることは気付いていたが、この機能が付くことでより手軽になるようだ。携帯電話で見ることが出来れば、通勤の電車の中からでも退屈しのぎが出来ることになる。

携帯電話からのアクセスはカウンターに反映しないのが難点だが、ブログの露出が高まるのは良いことだ。けれどもブラームス神社の上というのは少々まずいので、左サイドバナーの最下段に移動した。

携帯からもお賽銭を投入出来るのだろうか。

2009年3月25日 (水)

トリプルダブル

バスケットボールの用語だ。1試合で1人のプレーヤーが、得点、アシスト、リバウンドの3部門全てにおいて2桁つまり10ポイントを記録することだ。これはオールラウンドプレーヤーの勲章だ。

今日までに3人の子供たち全員の3学期が終わった。長女が中学の3年間を「無遅刻」「無早退」「無欠席」で乗り切り、賞状をもらったことは既に述べた。兄に次ぐ受賞だとも書いた。

実は、長男と次女も今年1年「無遅刻」「無早退」「無欠席」「無出席停止」「無忌引き」のいわゆる「完全皆勤」を達成した。兄妹3人がそれぞれの学校で1年間「完全皆勤」だった。この快挙は昨年に続く2年連続だ。3人の子供全員が、2年連続で「完全皆勤」である。つまり我が家のトリプルダブルだ。

でも今年は危なかった。1月25日の日曜日の朝、何と長男が39.2度の発熱だ。かかりつけの医者はお休み。市販薬を飲ませて、氷枕をあてがって1日中寝させた。翌朝体温計は36.3度を示した。祈るように学校に送り出した。帰宅後念のため医者に診せると「風邪」「それも治りかけ」という診断。インフルエンザではない。長男が登校したことを知って、普段なかなか人を誉めない長女が「おおお!気合入ってるねぇ」と驚いていた。39.2度の発熱が1日遅れて月曜の朝だったら、欠席させていただろう。

同様に次女も2月2日頃体調がすぐれなかった。早退覚悟で登校させ帰宅後に医者に。長男と同じ診断が出た。長女もまた高校合格発表後の2月17日頃体調を崩した。

3人とも皆勤賞を意識していた。加えて今年は長女の受験。大事な時期に風邪を貰ってきて長女の足を引っ張るまいという気概に溢れていた。「気合が入っているから私は絶対に平気」と気丈な長女を皆が盛り立てようという雰囲気だった。

長男と長女は5年連続の達成だ。次女は2年連続である。

連覇は野球だけではなかった。ただ無邪気に我が家の連覇を喜びたいだけの記事だからブラームスにはこじつけようがない。

2009年3月24日 (火)

楽器の王様

多分「ピアノ」のことなのだと思う。

演奏可能な音域の広さ、音量、同時に鳴らせる音の数、広大なダイナミクスレンジ、どれをとってもキングの称号が相応しい。弱点は持ち運びが不便、発音後のクレッシェンドが出来ないことくらいか。

室内楽ではピアノ以外の楽器は、ピアノによって伴奏されることが当然と捉えられている。断りなくソナタと言えばピアノ伴奏を指す。ピアノ伴奏が付かないときにだけ「無伴奏」と注釈が入る。あのバッハでさえピアノ伴奏を伴わないことを「senza basso」と呼んで特別視した。ピアノ独奏用のソナタを「無伴奏ピアノのためのソナタ」とは呼ばない一方で、ヴァイオリンソナタの本名は「ピアノとヴァイオリンのためのソナタ」という。ピアノがあくまでも先である。まだある。ピアノ、ヴァイオリン、チェロの三重奏はピアノ三重奏と呼ばれる。四重奏でも五重奏でも事情は同じだ。

恐らく、演奏人口もピアノが最大ではないかと思う。

さて、こんなに無敵に見えるピアノも歯が立たないことがある。それは「人間様の声」だ。独唱歌曲の楽譜には「Dueto」とは書いていない。ソプラノとアルトの二重唱は、たとえピアノ伴奏であっても「Trio」とは書かれずに「Dueto」となっている。ピアノがカウントに入っていないのは明らかだ。器楽では王様として君臨していたピアノも相手が声楽となると分が悪い。

人間様の声は、どのような楽器とのアンサンブルでも耳に届き、けして埋没しない。ブラームスもそのことは知っていたと思う。人間の声をダイナミクスのさじ加減でアシストしていない。テキストへの共感さえあればニュアンスの指図は不要と考えていた形跡さえある。中期以降歌曲の声楽パートへの音楽用語の配置が激減する。歌詞が理解できて音程が取れれば十分と考えていたかのようだ。特に独唱者への指図は本当に希になる。

「楽器の王様は人の声だ」というオチは、はたして無謀だろうか。

2009年3月23日 (月)

大雑把

「細部にこだわらず全体を大きく捉える様子」くらいの意味。「細かいところに注意が行き届かない」というようなネガティブな意味のこともある。

2月11日の記事「ドイツ史」で、ドイツ史の入門書でも探そうかという程度のぬるい決意を表明した。その後いくつか入門書を手にとってみた。

良い本に巡り会った。「ヒストリカルガイド-ドイツ・オーストリア」(山川出版社)という本だ。

ドイツ史のド素人がゼロから基礎知識を吸収するという目的に照らして、ピッタリのはまり方だ。実はこの本ドイツ史の売り場にあったわけではない。ドイツ観光系の売り場だった。コンセプトは「せっかくドイツを訪れるなら、歴史の知識も仕入れておきましょう」というものだ。どちらかというと重心は観光にある。ドイツとオーストリアは切っても切れぬと位置づけていることもブラームスネタ目当ての私にはありがたい。

読み始めてすぐにこの本のもう一つのキーワードに気付く。それが本日のお題「大雑把」である。最初の10ページの間に「大雑把に言えば」とか「大づかみに申せば」という表現が大挙して現れる。細かいことはおいといて全体像をサクッと伝えることに徹しているのだ。初心者にとってこれが大変ありがたい。この調子が200ページ以上続く上に要所にきれいな写真が配置されていて1800円とはお値打ちだ。

最初に言及されるのがドイツの地勢だ。南高北低と位置づけ、さらにライン、ドナウ、エルベ、オーデルの4つの河川とその支流を切り口にドイツを4分割してみせる。この手口の鮮やかさは特筆物だ。愛すべき大雑把である。

ブログ「ブラームスの辞書」もこうありたいと思う。これだけ重箱の隅をつつくようなネタを連ねながら大雑把も無いものだが、「急所を押さえた大雑把」というのは優秀なコンセプトだとつくづく思う。トンチンカンな切り口でバッサリやるのは単なる恥さらしになるから、注意も必要だが、こうした方向性だけは見失わずにいたいものだ。

2009年3月22日 (日)

定演デビュウ

本日次女の所属するブラスバンドの定期演奏会があった。1年間の活動の総決算とも位置づけられる渾身のイベントだ。次女の定演デビュウだ。既に卒業式を終えた3年生も出演する。それどころかブラバン3年生を送る会の性格を帯びていた。

次女の1年の取り組み成果をこの目と耳で確認したくて勇んで駆けつけたが、内容の濃いあっという間の2時間だった。部員が演奏にかかりきりになるので、会の裏方はOBが応援している。音楽を学んでいるOBの出演もあった。5年前の部長が、今は声楽を学んでいるとのことで、プッチーニのアリアを歌った。プラバン伴奏プッチーニなんぞ、そこいらで聴けるものではない。独唱と木管の繊細なかけあいは本日の白眉だ。

そうかと思うと3年生のクラリネットの子がソロコン金賞を受賞した曲を吹いた。ウェーバーのクラリネットコンチェルトだ。もちろんピアノ伴奏だったが、軽々という感じだ。

コンクール金賞の演奏でフィナーレと思いきや、「贈る言葉」に乗って3年生一人一人に花束贈呈。最後に在校生全員による合唱があった。ブラスサウンドの迫力に比べると、いささか心許ない涙なみだの合唱だった。完全に卒業式のノリ。

アットホームで暖かなコンサート。

企画進行は全て生徒たちが自主的に運営していると聞いていたが、聞きしに勝る内容だった。曲の出来不出来の話ではない。全体の運営はとことん練り上げられたものだ。初心者で始めた次女が、落伍することなくここまで辿りついたことを心から喜びたい。次女がこのメンバーの一人であることを誇りに思う。素晴らしい伝統に次女も加わったことが嬉しい。

天にも昇る気持ち。

学校の出来事を家で語ることは全くなかったから、謎に包まれていた部活動の様子を、思いがけぬ形で知ることが出来た。

2009年3月21日 (土)

アルノルト・シェーリング

タイトルを今一度ご覧いただきたい。間違いなく「アルノルト・シェーリング」であって作曲家「シェーンベルグ」の誤植ではない。

アルノルト・シェーリングArnord・Schering(1877~1941)は、シュピッタやブラームスの次の世代に属するバッハ研究の泰斗である。完成間もない「旧バッハ全集」をよりどころに、バッハ研究が内容を深めた時代だ。あらゆるバッハ研究は「バッハ年鑑」の誌上で発表評価された。そのバッハ年鑑の編集主幹を勤めたのが本日話題のアルノルト・シェーリングである。

この人の経歴を調べていて驚いた。ヴァイオリニスト、ヨーゼフ・ヨアヒムの高弟であるという。ヨアヒムは当代きってのヴァイオリニスト、作曲家で、申すまでも無くヨハネス・ブラームスの親友だ。演奏者としての名声と同じくらい教育者として有名だ。その門下にはキラ星のごとく名人の名前が並ぶ。孫弟子ひ孫弟子まで加えればそれだけで1冊の本が書けるという。そうしたヨアヒム門下にあって将来を嘱望されるということがどれほどのモノかご想像願いたい。ヴァイオリニスト・シェーリングの腕前がよっぽどだったことは疑い得ない。

ところが彼は、ヴァイオリニストの道を選ばず、研究者の道をひた走ることになる。やがてライプチヒ、ハレ、ベルリンで教鞭をとった彼の門下からは某幻の指揮者も輩出している。

ヨアヒム自身のバッハへの傾倒を思うとき、シェーリングの輩出を偶然とみなすことは出来ない。ドイツ音楽とりわけバッハ研究の裾野の広さと懐の深さに嘆息せざるを得ない。

2009年3月20日 (金)

規制緩和

取り決めを緩めることくらいの意味か。もちろん善悪両面ある。

わがiPodには曲の取り込みについては対象を下記の通りに制限してきた。

  1. ブラームスの作品
  2. ブラームスが編曲した他人の作品
  3. 他人が編曲したブラームスの作品

この度この規制を緩和することとした。

上記に加えてヨハン・セバスチャン・バッハの作品も取り込みの対象とする。60GBの威力は強大で、我が家のバッハ作品のCDを全部取り込んでもお釣りが来ると思われる。

iPodがヘソを曲げないようよく言い聞かせねばならない。

2009年3月19日 (木)

白玉2個

全音符と2分音符を白玉という場合がある。符頭が黒く塗りつぶされないからだ。付点2分音符も含めたこの白玉が多いと、楽譜全体が白っぽく見える。素人の演奏家にとっては指回しの苦労が少なくて済むという有り難みとセットになっている。

本日のお題「白玉2個」でいう白玉とは、特に2分音符を指している。

バッハのブランデンブルグ協奏曲第3番の第2楽章は、「白玉2個」で出来ている。和音の形で記譜されているから正確には「白玉2個分」と呼ぶべきかもしれない。2つの和音の輪郭がサラリと示されているだけだ。あるいはこの2種の和音の移ろいを示すことが目的とも思える。何らかの楽器による即興演奏のためお題かもしれない。ブランデンブルグ協奏曲どころかバッハの全協奏曲に対象を広げてもこのような例は珍しい。

楽章と呼んでいいのか少し疑問である。

もちろんブラームスにはそんな楽章はない。けれども歌曲のイントロが「白玉2個分」というケースならば2つ実在する。

  1. 「古き恋」op72-1 白玉の合計は6個である。ト短調であることを隠し通すかのようなシンプルなイントロだ。
  2. 「夏の宵」op85-1 白玉の合計は2個。正真正銘の「白玉2個」である。

シンプルと言うよりも何か本質的なことを隠しているようなニュアンスだ。隠すと見たいという心理を逆手に取っているのかもしれない。

2009年3月18日 (水)

クロイツェルソナタ

ベートーヴェンのヴァイオリンソナタ第9番の通称だ。トルストイの小節の題名としても名高い。

1862年3月18日。29歳のブラームスは、レオポルド・アウアー(1845~1930)とハンブルクでクロイツェルソナタを共演している。このときアウアーは17歳。ヨーゼフヨアヒムの薫陶を受けた売り出し中の若手だった。演奏家として大成したことは間違いのないところだが、教育者としての実績も凄い。チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を捧げられたが「演奏不能」と評価したという逸話でも名高い。

一方これに先立つ1月19日、ブラームスはミュンスターで同じクロイツェルソナタをヨアヒムと演奏している。このときのブラームスは大忙しで、シューマンのピアノ協奏曲の独奏者としても出演したという。

どんな演奏だったのだろう。

2009年3月17日 (火)

整合性

物事の辻褄が合うこと。

会社生活が長く続くと、社内遊泳術もそこはかとなく見えてくる。遊泳術などという言葉を持ち出す時点で既に大出世には縁がない。小さなストレス除け程度の位置づけばかりだ。

その内の一つが「正確性より整合性」だ。

思うだに含蓄がある。社内外にオフィシャルに提示するデータについてはこの通りだと思う。正確なデータよりも周囲特に上司を含む上層部への納得性があるデータの方が重宝だ。もちろん嘘やねつ造は論外だが、数字がひとたび公開されて一人歩きを始めると、後から出されるデータやアクションは、先行するデータとの整合性こそが重視される。整合性さえあれば説明は「資料をよくご覧下さい」だけで済むが、整合性が怪しいと説明のために莫大な手間が発生する。

最初に提示する時ゆめゆめ確認を怠るなという教訓を多く含む。整合性の破綻が判明した時点で即「ごめんなさい」がベストだが、そうも行かない場合も多いのだ。

ブラームスの伝記を読んでいてこのことを思い出した。

少し詳しい伝記にはブラームスの心得として「作品は美しくなくてもよいが完璧でなければならない」とある。ここでは自嘲をこめて「完璧さ」が「美しさ」よりも優先するという考えの表明だ。私なりに深読みすれば「モーツアルトほど美しく書けないなら、バッハくらい完璧であるべきだ」くらいな意味だと思う。念のために付け加えるとブラームス本人はバッハ作品も「美しい側」に入れていた。

本日の文脈において「美しさ」が「正確性」にあたるかどうかはともかく、「整合性」は「完璧さ」にマッチすると感じる。和音進行の整合性、用語使用の整合性などなどブラームスの作品に充満するロジカルな香りは「整合性」の反映だと思う。

2009年3月16日 (月)

ソナタへの執着

ブラームスはソナタ形式が好きだ。「管弦楽のためのソナタ」つまり交響曲には、4つ全てにおいて、ソナタ形式の楽章が複数存在する。下記の通りだ。

  • 1番 第1楽章、第4楽章(展開部抜き)
  • 2番 第1楽章、第2楽章、第4楽章
  • 3番 第1楽章、第4楽章
  • 4番 第1楽章、第2楽章(展開部抜き)、第3楽章

第1楽章がソナタ形式であることは当然としてもこの密集ぶりは異様である。

とりわけ第4交響曲を見て欲しい。第1楽章に始まって3つ続けてソナタ形式の楽章だ。スケルツォを思わせる舞曲楽章でソナタ形式を採用するとは大変な執着だ。しかしこの程度で驚いてはいけない。残るフィナーレ第4楽章は、パッサカリアとして名高いが、全体の枠組みがソナタ形式をトレースしている。「シャコンヌの仮面をかぶったソナタ形式」になっているのだ。第4交響曲は事実上4つ全ての楽章がソナタ形式だと解し得る。

さすがのベートーヴェンにも全楽章ソナタの交響曲は無い。もしかすると交響曲史上初の全楽章ソナタを指向した可能性がある。

2009年3月15日 (日)

アルトの出番

3月13日の記事「混声合唱と弦楽四重奏」でアルトとヴィオラが対応しているという趣旨から話を展開させた。

室内楽や管弦楽曲におけるヴィオラの愛情溢れる取り扱いは、声楽作品においては当然アルトにも反映していると見なければならない。

この文脈で真っ先に思い出すのがアルト独唱と男声合唱のためのラプソディーop53だ。もっぱら「アルトラプソディー」と通称されている。ブラームスの伝記の中でも言及されることが多い。作品91のアルトとヴィオラとピアノのための歌曲も捨てがたい。どちらもソリスティックな位置づけが与えられていてアルトが目立つように工夫されている。

さて、ヴィオラ弾きの喜びは、独奏扱いされることにあるのではない。他のパートに主役を譲りながら、無視し得ぬ位置づけを主張する出番にある。オリジナルのコンチェルトやソナタがなくてもかまわないのだ。アンサンブルの中で存在を主張することこそが喜びの核心になっている。

これと同様にアルトがアンサンブルの中で底光りする曲がある。作品28を背負った「アルトとバリトンのための4つの二重唱曲」だ。目立たぬと言えば目立たぬが、バリトンの相棒にソプラノを持ってこない感覚までもが鑑賞の対象である。

アルトのパパとしては当然の話題だ。

2009年3月14日 (土)

旧交

古い友達。大抵「旧交をあたためる」と言い回す。

昨夜がまさにそうだった。次女を連れて出かけたトロンボーンのコンサートで久しぶりに会った後輩と一献傾けた。

彼は亡き妻と大学同期だ。卒業後の夏の音楽祭でもずっと中心にいた。もちろん上手い。モーツアルトのレクイエム、ジュスマイヤー版を演奏した時だ。ソプラノを歌ったのは私の第九初体験の時のソリストでもある国内屈指の歌手。「Tuba mirum」の初合わせの時、名高い2番トロンボーンのソロが始まってすぐ、このソリストがくるりと後ろを振り返った。気の毒にそれで調子を狂わせたトロンボーンが立ち止まってしまった。固唾を呑んでいると、彼女は「ごめんなさい」「でもあんまりお上手なものだから」といって詫びた。

このときのトロンボーンが彼だった。思えばこのときのモツレクの仲間がほとんど出演したのが、私の結婚式の2次会だったのだ。

次女のおかげでトロンボーンの話にも少しはついて行けるようになった。心温まる2時間半。

もちろん彼は「ブラームスの辞書」の所有者である。

2009年3月13日 (金)

混声合唱と弦楽四重奏

混声合唱の代表的な形態と言えば「混声四部合唱」だ。ソプラノ、アルト、テノール、バスである。男の子の声変わりを待たねばならないので中学校から始めるのが一番早いかもしれない。それでも大抵男の子のメンバーが集まらない。私も中学3年の時バスケットボール部なのにかり出された経験がある。今カラオケをすればハイノート得意のテノールなのだが、当時は有無を言わせずバスになった。多分声変わりが終わっていたせいだ。

さて一方室内楽の代表的なジャンルに弦楽四重奏がある。2本のヴァイオリン、ヴィオラ、チェロという編成だ。古来名だたる作曲家たちを魅了してきた水も漏らさぬ布陣である。パートが4つという、シンプルな共通点から混声四部合唱と比較してみる。

  • ソプラノ→第1ヴァイオリン
  • アルト→第2ヴァイオリン
  • テノール→ヴィオラ
  • バス→チェロ

中学生の答ならこれで上出来だろう。しかし音域は別として、音質声質のイメージあるいはブラームス作品での位置付けから考えると大いに違和感がある。違和感の大きさとして真っ先に目に付くのが「テノール→ヴィオラ」の組み合わせだ。テノールが持つイメージを総合すると私の中では「チェロの高音域」が最も近い。次の違和感は「アルト→第2ヴァイオリン」だ。ブラームス好きたるもの、ここは断固「アルト→ヴィオラ」を主張せねばなるまい。違和感第3位は「バス→チェロ」だ。これは多分に言葉尻だけかもしれないが、是非とも「バリトン→チェロ」にして欲しいものだ。以上をまとめると下記のようになる。

  • ソプラノ→ヴァイオリン
  • アルト→ヴィオラ
  • テノール→チェロ
  • バリトン→チェロ

見ての通りチェロが重なっている。創作の初期においてブラームスが室内楽に手を染める際、チェロを増強する傾向を隠していないことと符合するような気がする。弦楽六重奏が2本のチェロを要求している他、作34を背負うヘ短調のピアノ五重奏は、弦楽四重奏にチェロを加えた五重奏として構想されていた。女声合唱中心とはいえ合唱指導の経験豊かなブラームスの経歴を考えるとなかなか面白い。

2009年3月12日 (木)

奇遇

1889年3月12日、チャイコフスキーの交響曲第5番ホ短調のハンブルグ初演があった。作曲者チャイコフスキーもそれに立ち会うためハンブルクに滞在した。その同じホテルにブラームスも宿泊していたという。これだけでも相当の奇遇だ。何せ2人はともに5月7日の生まれだ。

ブラームスは交響曲第4番の演奏のための滞在であった。チャイコフスキーの第5交響曲と同じくこちらもホ短調だ。

ブラームスは、そのことを知ると滞在の予定を延長してチャイコフスキーの交響曲第5番のハンブルク初演を聴いた。ブラームスの感想は「フィナーレ以外は気に入った」であった。どうもこのフィナーレは楽員たちからの受けもよろしくなかったらしい。当のチャイコフスキーでさえ「本当は私も」と言っているくらいだ。

その夜、ブラームスとチャイコフスキーの会食があったという。

今からちょうど120年前の今日である。

2009年3月11日 (水)

マルキーレン

ヘルムート・ドイチュ先生の著書「伴奏の芸術」を読んではじめて知った言葉だ。

楽譜に従って音をなぞって歌うことらしい。ソルフェージュとは区別されるし、歌手ほどの厳密さも要求されないらしい。けれどもオペラを学ぶ過程では必須だそうだ。

テキストと旋律がある作品についてそれをマイペースでトレースすることだと拡大解釈している。厳密さが要求されないとなると途端に私の出番が多くなる。いわゆる鼻歌だったら日常茶飯である。テキストがない室内楽、管弦楽および器楽曲、の冒頭旋律は全部歌える。ワルツとハンガリア舞曲には少々あやふやな作品もあるが現在修行中である。歌曲もかなりこなせると思う。おかげで街中で、ふとしたはずみでブラームスの旋律が聞こえる時があるが、瞬時にタイトルに結びつく。

マルキーレンを「鼻歌」と訳しては申し訳なさ過ぎるが、私の中では区別がつきにくい。

2009年3月10日 (火)

五年皆勤

長女が中学を卒業した。

お兄ちゃんと同じく「3年間無遅刻、無欠席、無早退、無出席停止、無忌引」の完全皆勤賞だった。これで小学校5年の時から5年連続の完全皆勤である。

卒業式というのは毎度毎度感動的だ。祖母は在校生たちのリハーサルから涙腺が緩みっぱなしだった。

完璧な答辞を読んたのは、部活動のバドミントンで苦楽をともにしたパートナー。母校にはじめて県大会進出をもたらした原動力・第一ダブルスの相棒だ。相棒の涙に、涙無しを豪語していた長女の涙腺もあっけなく決壊した。

そして4月から晴れて高校生。昨年の今頃にはどう見ても難関と思われていた無理目の県立高校に特色化選抜で滑り込むという離れ業を演じ、本番に強いところを見せてくれた。家計にも優しい親孝行だ。7月部活動引退後の勉強への取り組みはヴァイオリンをやめただけのことはある気迫に満ちたものだった。

昨年8月学校説明会に行ってすっかり気に入ってしまい、偏差値無理目にもかかわらず第一志望に掲げ続けた。課題の掘り起こし、目標の設定、進捗のチェック、方針の修正など私自身の大学受験の最後の3ヶ月に似た取り組みを半年継続した。突き詰める性格、実は私似である。

親は子供の喜ぶ顔に弱い。

受験科目にもちろんブラームスは無かったのでブラームス神社に祈願していない。だからブラームスのご加護など無かったに違いない。つまりは彼女の実力。そして単なる親バカ。

2009年3月 9日 (月)

悪知恵

伝ブラームス作「トランペットまたはホルンのための12のエチュード」の楽譜を入手したことは既に書いた。このところ毎日にらめっこしている。

  1. Moderato 4分の4拍子 変ロ長調 31小節
  2. Marziale 4分の4拍子 ハ短調 34小節
  3. Andantino 8分の12拍子 変イ長調 33小節
  4. Andante 4分の4拍子 変ニ長調 33小節
  5. Adagio 4分の4拍子 ト長調 34小節
  6. Allegro vivace 8分の6拍子 変ロ長調 83小節
  7. Allegro 4分の3拍子 ニ長調 89小節
  8. Moderato 8分の3拍子 イ長調 76小節
  9. Maestoso 4分の4拍子 ホ長調 50小節
  10. Allegro 8分の6拍子 ホ長調 92小節
  11. Moderato 4分の4拍子 ロ長調 54小節
  12. Allegro 4分の2拍子 変イ長調 72小節

こうして1番から順に概要を書きとめるだけでもワクワクする。2番冒頭を飾る「Marziale」という用語はブラームス作品ではここ以外に存在しない。

素朴な疑問が一つ。この楽譜はinBだろうかinFだろうか?トランペットまたはホルンのためのエチュードなのだからそれらの楽器が移調楽器であることは、どのように織り込まれているのだろう。

私の考えはinCだ。

手元の楽譜は、マッコークルの譜例と完全に一致する。マッコークルは移調楽器のものであっても譜例は全てinCで実音を記している。そのマッコークルと同じということはすなわちinCだと思う。また4番までの作品はB管またはF管で吹くとフラットが減る調だ。

しからばとばかりにいたずらを思いついた。

これをヴァイオリンで弾くのだ。12曲全てを見渡しての最低音は5番ト長調の最後の音として出現するGだ。ヴァイオリンのG線開放弦の音である。最高音は3番変イ長調の17小節目に一度だけ現れるCだ。五線の上に2本仮線を加え、その2本目に串刺しにされる音だ。つまりヴァイオリンの第一ポジションでほぼ出せる音から出来ているということだ。

これがなかなか面白い。規模は小さいながらも音楽作品としての起承転結がキチンと設定されている感じだ。

2009年3月 8日 (日)

テキスト採用ランキング

ブラームスの独唱歌曲のうち作品番号を背負ったものを対象にする。196曲ある。作品91の「アルトとヴィオラのための歌曲」も含んでいる。

歌曲というからにはテキストがある。ブラームスが自作のために選んだテキストの作者を採用数の多い順に並べてみた。

  • 1位 19曲 ダウマー
  • 2位 15曲 ティーク
  • 3位 10曲 クラウス・グロート
  • 4位  7曲 レムケ
  • 5位  6曲 キャンディドゥス
  • 5位  6曲 ハイネ
  • 5位  6曲 ヘルティ
  • 8位   5曲 ゲーテ
  • 8位   5曲 ハルム
  • 8位   5曲 プラーテン
  • 8位   5曲 ヴェンツィヒ
  • 8位   5曲 アイヒェンドルフ

これがベスト10だ。8位が5人いるので全部で12人である。ドイツロマン派の巨星たちもいるにはいるが、君臨はしていない印象だ。シューマンやシューベルトではどうなっているのか興味深いが、自分でやってみる気にはなれないところが、ブログ「ブラームスの辞書」らしいところだ。

第1位のダウマーは、あまり有名とは言えない。訳詞の世界に住んでいる。東洋の詩をダウマーがドイツ語訳したケースが少なくない。第2位ティークは作品33の「マゲローネのロマンス」だけの数値である。

私のお気に入りはヘルティだ。6曲で5位タイだ。ちなみにシューマン夫妻の末ッ子フェリックスは3曲で19位タイである。

さてさて、実はブラームスの歌曲には民謡に題材を求めているために作者の特定出来ないテキストが多い。その数は実に17曲に達し、先のランキングで申せば2位に相当するということになる。このあたりいかにも「民謡大好き」のブラームスらしいと感じる。 

この秋に鹿島アントラーズ3連覇達成を祝う記事にする予定だったが、歌曲シリーズ開催のために前倒しで公開した。昨日の開幕戦勝利を祝うこととする。

2009年3月 7日 (土)

ウイーンフィル

もちろんウイーンフィルハーモニー管弦楽団のことだ。サッカーの世界のようなオーケストラランキングがあったら間違いなく上位の常連である。

1842年創設のウイーンフィルは、幾多の指揮者とともに数えきれない伝説を残している。ブラームスが後半生に身を置いたウイーンのオケだからブラームスとの関係は大変密接だ。2番と3番の両交響曲がハンス・リヒターによって初演されている。ウオルター・フリッシュ著、天崎浩二訳「ブラームス4つの交響曲」(音楽之社刊行)の63ページに興味深いデータがある。

1842年の創立から1974年までの132年間で、さまざまな交響曲をウイーンフィルが取り上げた頻度だ。第1位はベートーヴェンの5番で52回だ。ブラームスの各交響曲は以下の通りである。なんだか少ない気もするが、他の作品との相対比較なら問題なかろう。

  • 1番 33回
  • 2番 33回
  • 3番 26回
  • 4番 33回

これらの上を行くのはベートーヴェンの終わりの7曲とシューベルトのグレートの計8曲だけだそうだ。1870年代の後半になるまでブラームスの交響曲は生まれていなかったことを考えると、驚異的である。

4番33回のうちに数えられているか不明だが、1897年3月7日のハンス・リヒター指揮による演奏は名高い。体調不良のブラームスを会場に迎えたのだ。ブラームスの命はこの時残り1ヶ月を切っていた。

満場の聴衆はブラームス本人の来場を知り万雷の拍手でブラームスを讃えたという。この演奏会に言及する記事はどれをとっても感動的である。

今からちょうど112年前の今日の出来事だ。

2009年3月 6日 (金)

家計簿の後継ぎ

昨日の記事「家計簿の担い手」で、シューマン一家の家計簿の記入者について述べた。元々の担当はロベルトだった。そしてエンデニヒの病院に収容されて後、約1年の間ブラームスが記入していたことは確実である。

新たな疑問がある。

1854年12月30日をもって終わったブラームスによる記入の後、誰がシューマン一家の家計簿をつけていたのだろう。

その後シューマン一家は家計簿をつけなかったということになれば、この疑問は消えてなくなる。やはり家計簿はつけられていたという前提だ。

一番の候補者はクララだ。演奏会で留守にする時だけ誰かに代わりを頼んだかもしれないが、主体はクララだ。もしブラームスが関与していたのなら記録に残るはずだ。ブラームスは1854年12月30日を最後に関与していないと見るのが自然だ。あちらドイツでは家計簿記入は男の仕事だったとしても、亭主が入院とあれば女性の出番もあろう。

私なりのささやかな候補がいる。1855年9月には14歳になる、シューマン夫妻の長女マリーだ。1854年の暮には、20歳のブラームスから13歳のマリーへのかわいい申し送りがあったと想像するのは楽しい。「クララの留守中だけ」という条件付きであることは十分考えられるが、マリーは有力な候補だと感じる。ブラームスが1856年10月にデュッセルドルフを引き払ってハンブルクに戻るまでは、不明な点を前任者ブラームスに尋ねることも出来たはずだ。

1856年春ライプチヒの学校に通うようになるまでの短い期間になるハズだが、マリー・シューマンはそれだけの器だ。

2009年3月 5日 (木)

家計簿の担い手

昨年12月30日の記事「家計簿」で、ロベルト・シューマンがエンデニヒの病院に収容された後、一家の家計簿をブラームスがつけていたことに言及した。その記事の中で、以下の通りの疑問を提示した。

  1. シューマンの投身以前、誰が家計簿をつけていたのか。
  2. 家計簿記入の単位は毎日か毎月かあるいは毎週か。

このほどこの2つの疑問に鮮やかな回答をもたらす書物に出会った。2月22日の記事「ヘビースモーカー」および同26日の記事「社交の小道具」に関連してタバコについて調べていて発見した。山愛書院刊行の「タバコとクラシック音楽」という本だ。お宝情報は112ページ。

ロベルト・シューマンはクララとの結婚生活が始まった1837年8月から2ヶ月後の10月2日から1854年3月4日まで、支出簿をつけていたと書いてある。これだけで上記の疑問1は解決する。家計簿をつけていたのはロベルト本人だった。

この支出簿の最後の日付にご注目いただきたい。これはライン川への投身があった2月27日より後だ。何とエンデニヒの病院に行くためにデュッセルドルフを出た日にあたる。そしておそらくロベルトの一大事を知って「いざ鎌倉」とばかりにブラームスが到着した日だ。

驚いてはいけない。さらに貴重な証言が続く。家計簿が実に丹念につけられていることがわかる。葉巻に関する支出の記録が1837年10月3日つまり家計簿付けはじめ翌日から、1853年10月31日までの間実に447回に及ぶとされている。平均2週間に1度のペースだ。これを丹念と言わずに何と言うのか。タバコ以外の支出も含めればほぼ毎日、支出がある度につけていたと見るべきだ。上記2の疑問に対する十分な答えだと感じる。

さらに1850年10月と11月の2ヶ月を例にとって、葉巻代が支出の18%に達し、クララに渡した家計費の85%に相当することが明かされる。筆者の主眼はこれをもってロベルトをロマン派最高の葉巻愛好家と推定している点にあるが、私はむしろクララに毎月生活費を渡している点に注目したい。家計は夫ロベルトが主管していたということだ。

もっと細かなことを言う。タバコ関連の支出記録の最後は1853年10月31日だとされている。そして支出簿の最後の記載が1854年3月4日だ。その間11月から2月までの4ヶ月、タバコに対する支出記録が無いということだ。それまで平均2週間に1度のペースで記録されていたことを考えると不自然だ。病が悪化した可能性を考えたい。

一番嬉しいことは、こうした一連の家計簿ネタの最後に、この家計簿はブラームスによって締められていると証言されていることだ。

ブラームスはロベルトの丹念な記載を引き継いだと考えるのが自然だ。完璧に支出を記録して毎月喜々としてクララに報告していたに違いない。カッコいいと言うにはあまりに切ない。

2009年3月 4日 (水)

いざ鎌倉

鎌倉将軍の家来である御家人の心意気を表す。鎌倉に一大事があれば、何をおいても真っ先に駆けつけるという決意を述べた言葉だ。だからしばしば「一大事」が「いざ鎌倉」と表現される。

ブラームスにとっての「いざ鎌倉」はクララの死だ。1896年5月22日にイシュルで訃報を受けその夕刻には出発したが、列車の乗り違いなどの不手際の結果、24日の早朝にボンに着いたことは昨年11月18日の記事「乗り過ごし」で述べた。イシュル-ボン間750kmを36時間かけていることになる。

さてクララの夫、ロベルトがライン川に投身した時も「いざ鎌倉」だった。1854年2月27日だ。ロベルトは相当な有名人だったから、おそらく新聞にも載っただろう。ハノーファーに居たブラームスは翌28日にはこのことを知ったと思われる。クララの日記には急を聞いて次々と知人が訪れたことが記録されている。ブラームスのデュッセルドルフ到着はおそらく3月4日だ。3日という説と5日という説もあるらしいが、一応中を取って4日と考えておく。この年はうるう年ではないから知らせを聞いてから遅くも5日後の到着だ。

一命をとりとめたシューマンの入院先が決まり、何かとあわただしい中、ブラームスはシューマン邸から至近のポストシュトラーセに部屋を借りた。この年の年末までシューマン家に献身することになる。

そういえば最近、誰かのために走っていない。

2009年3月 3日 (火)

Geheimnis

作品71-3でもっぱら「秘め事」と訳されるタイトルを持つ歌曲。「Geheimnis」は「秘密」「内緒」という意味だ。

作品冒頭には「Belebt und heimlich」(いきいきと密やかに)と記されている。この表示が作品の「Geheimnis」というタイトルときれいに呼応している。 さらに冒頭ピアノのダイナミクスは「mezza voce」になっている。「mezza voce」の単独使用例は全部で24箇所で、本例は15番目なのだが、楽曲冒頭での登場はこれが初めてだ。他には第3交響曲第3楽章の名高いチェロの旋律があるだけのレアアイテムである。おまけに、2小節おくれて始まる声のパートには「sotto voce」まで付されているという念の入れようである。

「Geheimnis」-「Belebt und heimlich」-「mezza voce」-「sotto voce」というイメージのシンクロが鮮やかである。内緒話とはこういうものだ。

2009年3月 2日 (月)

マリー・シューマン

シューマン夫妻の長女。1841年生まれ。

生涯独身で通した。弟たちはみな病弱な中、演奏活動で留守がちなクララに成り代わってシューマン一家の家事全般を切り盛りすることとなった。ブラームス来訪時のもてなしは主にマリーの役目だ。何でも喜んで平らげるブラームスは彼女にとってもよい客だったという。心優しくお人好しな彼女は、ブラームスのいたずらの格好の標的にもなったが、信頼は厚かった。もちろんピアノも弾けた。

このマリーはブラームスの伝記にも何かと登場する。

  1. 1853年10月ブラームスのシューマン邸初訪問の折、ノックに応えてドアを開けたのがこのマリーだという指摘がある。
  2. 1854年2月27日ロベルトのライン川への投身は、マリーが一瞬目を離した隙だったと伝えられている。
  3. 1868年4月10日。ドイツレクイエムの初演にクララとともに臨席している。
  4. 1896年5月20日。クララの死をブラームスに伝える電報の差出人はマリーだ。
  5. ブラームスは4つの厳粛な歌をクララに見せることが出来なかった心情をマリーに書き送る。
  6. 1897年4月6日。ブラームスの葬儀に参列している。

母クララの信頼は厚い。妹たちからの信頼もまた厚い。父ロベルトの病が刻々と悪化するのを思春期のマリーは見ていた。13歳のマリーはたった7歳年上のブラームスが急を聞いて駆けつけて大車輪の献身ぶり見せたことも知っている。年齢の差だけで申せば大学生の家庭教師と中学生というくらいの関係だ。ブラームスが家を空けがちなクララに代わって留守宅を切り盛り出来たのは、マリーを筆頭とする娘たちとの円満な信頼関係があってこそだと思う。

そして何よりもマリーは父ロベルトを知る者から、「父親と瓜二つ」とも証言されている。

欧州最高のピアニストにして作曲家ロベルト・シューマンの妻を母に持ったという光も影も呑み込んで1929年に88歳の生涯を閉じた。

2009年3月 1日 (日)

歌のあるスケルツォ

作品6-4を背負った「Juchhe」という歌曲だ。何の迷いも無くただひたすら美しい自然を賛美する。屈託のないテキストに与えられた音楽はまさにスケルツォだ。

「Con moto」の8分の6拍子で弾む変ホ長調。「sempre pp leggiero e staccato」で8分音符が数珠つなぎに駆け巡る。ピアニストが一人で練習しているところを聴かされたらスケルツォと勘違いしかねない。

ブラームスのスケルツォには不思議な法則がある。スケルツォが8分の6拍子の時は、必ずハ短調になっているのだ。「Juchhe」がハ短調の平行調の変ホ長調だというのは何だか頼もしい。

小鳥のさえずりやホルンの信号、そして楽しげな踊りがてんこ盛りである。とどめは56小節目だ。ブラームス唯一の用語「f sostenuto ma」が出現する。「sostenuto ma f」の倒置形と解されようが、とてもやんちゃで破天荒だ。

テキストを読む限り季節は特定出来ないが、何だか春のような気がする。

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    はじめての自費出版作品「ブラームスの辞書」の姿を公開します。 カバーも表紙もブラウン基調にしました。 A5判、上製本、400ページの厚みをご覧ください。
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