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2009年3月 2日 (月)

マリー・シューマン

シューマン夫妻の長女。1841年生まれ。

生涯独身で通した。弟たちはみな病弱な中、演奏活動で留守がちなクララに成り代わってシューマン一家の家事全般を切り盛りすることとなった。ブラームス来訪時のもてなしは主にマリーの役目だ。何でも喜んで平らげるブラームスは彼女にとってもよい客だったという。心優しくお人好しな彼女は、ブラームスのいたずらの格好の標的にもなったが、信頼は厚かった。もちろんピアノも弾けた。

このマリーはブラームスの伝記にも何かと登場する。

  1. 1853年10月ブラームスのシューマン邸初訪問の折、ノックに応えてドアを開けたのがこのマリーだという指摘がある。
  2. 1854年2月27日ロベルトのライン川への投身は、マリーが一瞬目を離した隙だったと伝えられている。
  3. 1868年4月10日。ドイツレクイエムの初演にクララとともに臨席している。
  4. 1896年5月20日。クララの死をブラームスに伝える電報の差出人はマリーだ。
  5. ブラームスは4つの厳粛な歌をクララに見せることが出来なかった心情をマリーに書き送る。
  6. 1897年4月6日。ブラームスの葬儀に参列している。

母クララの信頼は厚い。妹たちからの信頼もまた厚い。父ロベルトの病が刻々と悪化するのを思春期のマリーは見ていた。13歳のマリーはたった7歳年上のブラームスが急を聞いて駆けつけて大車輪の献身ぶり見せたことも知っている。年齢の差だけで申せば大学生の家庭教師と中学生というくらいの関係だ。ブラームスが家を空けがちなクララに代わって留守宅を切り盛り出来たのは、マリーを筆頭とする娘たちとの円満な信頼関係があってこそだと思う。

そして何よりもマリーは父ロベルトを知る者から、「父親と瓜二つ」とも証言されている。

欧州最高のピアニストにして作曲家ロベルト・シューマンの妻を母に持ったという光も影も呑み込んで1929年に88歳の生涯を閉じた。

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コメント

<narkejp様

はい。シューマン一家のお母さん役は、実質マリーに移ってゆくのです。母や弟妹たちに捧げた人生にも見えます。
ブラームスもその点、心得ていたようです。

なるほど。気がつきませんでした。たしかにそのとおりですね。シューマンの妻であり母であるクララとその娘マリー、その中間の年齢のブラームス。実生活をきりもりする年代には、マリーさん、つらいものもあったでしょうね。

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